カーテンの隙間から差し込む太陽の光に頬を擽られ、カノンは目を覚ました。素肌に触れる毛布の感触に違和感を覚えて目を開けると、真っ先に飛び込んできたのは……ミロの寝顔だった。
『ああ……そうか……』 自分のものとは違う枕の感触、そしてマットレスの感触、自分の身体を未だ抱き込んでいるミロの腕の暖かさ、間近に感じる静かな寝息、そして体の所々に残る名残の感覚と鈍い痛みが、カノンにそれを思い出させた。 久しぶりのその行為はカノンにとっては少々キツイものではあったが、ミロの小宇宙がカノンの全身を優しく暖かく包み込み、カノンに安らぎを与えてくれた。そしてその心地よい余韻に浸っている間に、いつしか眠りに落ちてしまったのだろう。 『寝ちゃってたのか、ちょっと休むだけのつもりだったのになぁ……』 ぼんやりとそんなことを考えたとき、カノンはハッとした。そう、眠るつもりはなかった……ちょっと休むだけのつもりだったのだ。ちょっと休んでから、双児宮に帰るつもりでいたのに……。それを思い出した瞬間、カノンはガバッとベッドから起き上がり、その勢いのままベッドから飛び降りた。 「なっ、何ッ!?」 カノンが勢いよく起き上がったその反動で、まだ眠りの中にいたミロが目を覚ました。何が起こったのか把握もできないままに、半身を起こしてまだ半開き状態の目を擦ると、すっ裸の状態でカノンが窓際に立ち外を眺めている姿が目に入った。 「……ヤバイ……朝になっちゃった……」 窓の外には完全に太陽が昇っていた。燦々と降り注ぐ爽やかな朝の太陽光をガラス越しにながら、カノンはすっかりと顔色を無くしていた。 「何だよ……朝っぱらからどうしたんだよ?」 時刻はまだ朝の7時にもなっていなかった。ミロが生欠伸を噛み殺しながらカノンに尋ねると 「超ヤバイ、帰らなきゃ……」 そう呟いてカノンは、慌てて床に散らばった自分の服……と言うかパジャマをかき集め、わたわたとそれを身に付け始めた。 「な、何だよ? どうしたんだよ? 何慌ててんの?」 カノンのあまりの目紛しさに目をぱちくりさせながら、ミロが矢継ぎ早にカノンに尋ねる。 「無断外泊しちゃった!サガに怒られる!!」 カノンの答えに、ミロはびっくりしたように更に目をぱちくりとさせた。 「……無断外泊……サガに怒られるって……もう子供じゃないんだから、サガだってそんなことじゃ怒らないだろう?」 半ば呆れつつ、ミロが言った。子供でもなければ箱入り娘でもあるまいに、何を今更そんなことで慌てているのか、ミロには理解できなかった。大体、今までだって夜遊びはしてたし、外泊だってしていたはずだ。でもその時には一度たりともカノンは「サガに怒られる」などと言ったことはない。それが何で今日に限ってそんなことを言い出すのか……。 「ちゃんと断っとけば怒りゃしないけど……オレ、昨日は慌ててて何も言わずにウチ飛び出して来ちゃって、そのまま……」 恐らく事情はあの後シュラとカミュがサガに説明しているであろうが(でなければ、サガだって血相を変えて飛び込んできていたはずだ)、そのままカノンが家に帰らないなどとは思ってもなかったはずだ。当たり前だ、カノン自身、外泊するつもりなど毛頭なかったのだから。 「……もう一度言うけど……お前、もう子供じゃないんだからさぁ……たかが一晩帰らなかったくらいで、サガが怒ったりする訳ないと思うけどなぁ?」 しかもカノンはか弱い一般人ではなく聖闘士である。怪我や事故、事件に巻き込まれた等々の、万が一の心配だっていらないのだ。 「サガはオレの素行には、今でもまだ相当神経質になってんだよ! 何も言わないで遅くなったときなんか、寝ないで待ってんだぞ! それが……無断外泊……」 カノンの背筋を冷たいものが伝っていった。なるほど……と、ここはミロも納得せざるを得なかった。改心したとはいえ、カノンは相当数の前科の持ち主だ。そう言う意味でサガが心配するのは頷ける。 「と、とにかく急いで帰る……」 パジャマ姿で双児宮まで降りていくのはみっともないが、この際はそんな小さなことには拘っていられなかった。 「オレも一緒に行くよ」 そう言いながら、ミロもベッドから降りた。 「え?」 「オレからもサガに謝ってやる。そうすればそんなには怒られないだろ?」 Tシャツを被りながらミロは言ったが、カノンはその申し出にはぶんぶんと首を振った。 「いいよ! そんなことしたら……その……」 そう、昨夜自分とミロが何をやっていたのか、サガにバレバレになってしまうではないか。いや、多分もうバレバレではあるのだが。 「気にすることないだろ? 別にサガだってきっとアイオロスと同じことしてるし、オレ達のことは怒れないさ」 とんでもないことをあっけらかんと言うミロであった。確かにそれはそうかも知れないが、はっきりそう言われると何となく腹の立つブラコンのカノンであった。 「いや、やっぱいい。話がややこしくなると困るから、オレ1人で帰る」 「え〜? でも……」 ミロの同行をカノンが断ると、ミロは心配そうにカノンの顔を見た。 「大丈夫だよ。双子の兄弟だぜ、サガのことはオレが一番よく知ってる。うまく切り抜けるから心配すんな」 カノンはミロに、笑顔を作ってそう言った。 「また夕方にでも来るから……」 尚も心配そうにしているミロの頬に軽くキスをしてから、カノンは天蠍宮を後にした。
時刻はやっと7時になろうかと言うところだが、今日は仕事であるサガはまず間違いなくこの時間には起床している。いや、或いはカノンの懸念通り、帰ってこないカノンを心配して一晩中起きて待っているかも知れない。 いずれにせよ、怒られるか嘆かれるかは覚悟しなければならないだろう。カノンは大きな溜息をついて、双児宮の私室のドアを音を立てないように静かに開けた。
さて、どう切りだすかどう言い訳をするか……カノンが考えあぐねていると、サガが不意に顔を上げた。目が合った瞬間に怒られる!とカノンは反射的に身を強張らせたが、 「お帰り」 予想に反してサガから返ってきたのは、いつも通りの穏やかな声と笑顔であった。 「……ただいま……」 怒られるか泣かれるかとビクビクしていたカノンは、全く予想外のサガの反応にポカンとしながら、気の抜けた返事を返した。 「何だお前、パジャマのまま帰ってきたのか? ミロから服を借りてくればよかったものを……みっともない、誰かに会わなかったろうな?」 やはりミロのところに泊まったことはわかっていたようだが(わからないわけがない)、注意されたのはこれまた全く見当外れの部分であった。 「う、うん……大丈夫……」 聞かれるまま、カノンがとりあえずそう返事をすると、 「朝っぱらからパジャマで外を歩くような、みっともない真似をするんじゃないぞ」 サガはそう言って、新聞を畳んだ。はい……と、素直にカノンが頷く。 「朝食は? もう食べたのか?」 「……いや、まだ……」 「そうか、それならばすぐに作ろう」 サガはそう言って立ち上がり、食事の済んだ自分の皿を持ってキッチンの方へ行こうとした。いつもと全く変わらぬ朝の光景に、カノンはただ呆然とするばかりであったが、 「まっ、待って兄さん!!」 ハッと我に返り、カノンは慌ててサガを呼び止めた。 「どうした?」 「いや……あの……」 「何だ?」 しどろもどろってるカノンを怪訝そうに見ながら、サガが先を促した。 「あの……さ、怒んないの?」 このままなし崩してしまえばいいものを、結局律義にカノンの方から言い出してしまった。怒られるのも泣かれるのも困るが、かと言って全然何も言われないと言うのも却って気味が悪かった。 「何をだ?」 だがサガにまたもやそう聞き返されて、カノンが絶句する。 「……いや、だからその……無断外泊……」 しばし言葉を失った後に、カノンがサガの顔色を伺い伺いそう言うと、 「ミロのところにいたのであろう? 所在が分かっているんだ、それは無断外泊とは言うまい」 あっさりとサガに切り返され、カノンはまたもや二の句が継げなくなった。 「……いや、まぁ、それはそうなんだけど……オレ、兄さんに何も言わずに出てっちゃったし……で、そのまま何も言わずにミロんとこ泊まっちゃったし……」 何故自分からベラベラ白状してるんだろう?と思いつつも、口から出る言葉は止まらなかった。 「お前が飛び出して行った後、シュラとカミュから理由は聞いた。あいつらももうちょっとマシなことを考えればいいものを、全く人騒がせな……」 サガは小さく溜息をついた。カノンの推測通り、シュラとカミュはカノンが飛び出していった後、サガに本当のことを話していたのだ。 「しかし元を質せば、お前が下らぬ意地を張ってモタモタしていたのが原因と言えば原因だ。シュラやカミュを怒るわけにもいかなかったがな」 サガも僅かな時間とは言え心底ヒヤリとさせられただけに、2人の傍迷惑な行為を叱ろうともしたのだが、カノンの態度の方に問題があることが分かりきっていたので不問に付さざるを得なかったのである。 「シュラ達から理由を聞いた時点で、恐らく今晩は帰って来ないだろうと察しはついたからな。別に心配もしていなかった」 心配していなかった、の一言で、カノンは一気に脱力した。 「何だ……オレ、てっきり兄さんオレのこと心配して、寝ないで待ってたんじゃないかと思ってたのに……」 だから大慌てで帰ってきたのに……。こんなことなら、もっとゆっくりしてればよかったと、カノンは思った。 「帰ってこないとわかっているものを、寝ないで待ってるバカがどこにいる?」 「……さいですか……」 ハァ〜っとカノンは大きく溜息をついた。 「いつまでもそんなとこに立ってないで座れ」 その場に突っ立ったままのカノンをテーブルにつくよう促して、サガはキッチンへ向かおうとした。 「サガ!」 だが、またその足をカノンの声に止められる。 「……今度は何だ?」 「それだけ?」 「……それだけとは?」 「いや、全然……怒んないの?」 「お前はまだ何か他に、私に怒られるようなことをしたのか? それともそんなに私に怒られたいのか?」 サガの言葉に、カノンは大きく首を横に振った。 「お前からミロへの気持ちを聞いた時に、いずれこうなるだろうことはわかっていた。お前の様子からしてもう少し時間がかかるかと思ってたが、上手く収まったのならそれに越したことはない。私があれこれと言うようなことでもなかろう」 サガは苦笑とも微笑とも取れる笑みを浮かべて、カノンに言った。シュラとカミュの介入のお陰で、サガが思っていたよりは早くにその日は来たが、それがなくても結果は同じだったはずだ。 「それにしても……まさかお前とあのミロがね……」 小さな声でサガが呟く。サガにとってはミロは後輩と言うより、本当に手のかかるもう1人の弟のようなものだった。そのミロと、本当の弟であるカノンが、まさかこんなことになるとは……。サガの脳裏に、全身を泥だらけにしていたずらっ子丸出しの無邪気な笑顔を浮かべていた子供の頃のミロの面影と、やはりいたずらっ子だったカノンの面影とが同時に浮かぶ。そしてその面影が今の2人の姿にシンクロすると、サガの心の中に擽ったいような切ないような、何とも言えない複雑な感情が渦を巻いた。 「サガ? どうしたの?」 何かに思いを馳せるように瞳を伏せたサガに、カノンが訝しげに声をかける。 「いや……何でもない……」 その声に我に返ったサガは、笑顔を浮かべてそう答えた。カノンは不思議そうに小首を傾げたが、結局それ以上は何も聞かなかった。 「カノン」 少しして、今度はサガがカノンを呼んだ。 「ん?」 カノンが短く返事をすると、サガはまたしばし無言でカノンの顔を見つめた後に、 「……ミロのこと、大事にするんだぞ」 その蒼い瞳に優しい色を乗せて、カノンに言った。些か陳腐な台詞ではあったが、今のサガにはこれしかかけるべき言葉は見つからなかったのである。 「………うん………」 声は小さかったが、カノンははっきりとそう答え、しっかりと頷いた。
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END
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【あとがき】
自分で書いてて胸焼けが……胸焼けが……ウゲッ。 |