それから何事もなく数日が過ぎた。

久しぶりに休みが重なったカノンとミロは、双児宮でゆっくりのんびりと時を過ごしていた。

「おーっす!。勝手に邪魔するぜ〜」

時が夕刻に差し掛かったころ、何の前触れもなくデスマスクがやってきた。隣宮と言うこともあって、デスマスクは時折ふらりと双児宮に訪れることはあるのだが、今日に限っては非常に間の悪い状況であった。何しろ、今双児宮にはカノンとミロだけなのである。サガが居ればまだしもなのだが、せっかくの休日をカノンと2人で楽しんでいるところを邪魔される形になったミロの機嫌は、一瞬のうちに最低気圧まで降下した。

「おう、何だミロ、お前も来てたのか」

無断でズカズカ上がり込んできた割に全く悪びれた様子も見せず、デスマスクは自分の顔を見るなり不機嫌面になったミロに向かって、いつものからかうような口調で言った。

「別にオレがここにいたって、ぜんっぜんおかしかねーだろ!。お前こそ何しに来たんだよ?」

そう、ミロはこの宮の主の片割れの恋人である。ここにいたって何らおかしいことはないのだが、すぐムキになってそうやって言い返したり、嫌悪感をあからさまに表情に出したりするから、なおのことデスマスクに面白がられるのだ。だがそのことに、ミロはまだ全然気付いていなかった。

「あぁ?!、別にお前に用があって来たわけじゃねーぞ」

「当たり前だ、オレだってお前になんか用はない!!」

今にも噛みつきそうな形相でミロはデスマスクを睨むが、やはりデスマスクの方は余裕の表情をかましており、ミロの反応全てを楽しんでいる。その様子を横目で見て、カノンはやれやれと疲れた溜息をついた。

「どうした?、デスマスク。サガならまだ帰ってきてないぞ」

下らない言い争いを始める前にと、カノンが2人の間に割って入るように口を開いた。

「サガじゃねえ。今日はお前に用があって来たんだよ」

カノンに問われたデスマスクが返事をしながら視線を転じると、それと同時にミロが不審げに眉を寄せた。

「オレに?」

意外そうに聞き返すカノンに向かってデスマスクは頷いてから、

「そう、お前。っつか、用ってんじゃなくて、お前を誘いに来たんだ」

「誘いに来たぁ?」

「おう」

元気よく答えながら、デスマスクはチラリとミロを一瞥し、ニヤッと笑った。途端に、ミロの瞳に怒りの炎に似た色が宿る。

「誘いに来たって、どこに?」

下手にミロが激発しては困るので、カノンは大急ぎで言葉を接いだ。

「いや、市内に感じのいいバーが出来たんでな。一緒に行かないか?、こないだの映画の礼に奢るぜ」

先日の映画は突然の誘いだったからと言うことで、映画代はもちろん、その後の食事代もカノン持ちだったのだ。2人で映画に行った後、それが原因でちょっとした騒ぎになっていたことなど全く知らないデスマスクは(知っていたとしても、面白がってただけだろうが)、よりにもよってミロのいる目の前で、堂々とカノンに誘いをかけたのである。ミロの顔がますます険悪なものへと変化していったが、それと対照的にデスマスクはますます楽しげに口元を歪ませる。そして

「なぁ、たまにはオレにも付き合えよ。2人っきりで静かにグラスを傾けるのも、いいだろう?」

デスマスクはつかつかとカノンの元に歩み寄ると、カノンの肩を抱いて耳元に唇を寄せ、しっかりミロに聞こえるように囁いた。無論、ミロの激発を誘っているわけで、デスマスクはこの状況を最大限に利用して、思いっきり楽しんでいるのである。

「このっ……」

遂に怒り心頭に達したミロが勢いよく立ち上がった瞬間、ミロが掴みかかるより先にカノン本人がデスマスクの手をひっぱたいて振りほどいた。

「痛ぇ!」

手の甲をひっぱたかれたデスマスクは、その痛みに思わず声を上げた。もちろんカノンは本気を出して叩いたわけではなかったが、手加減してても充分痛いのである。

「ってぇ、お前、何すんだよぉ〜!!」

叩かれた手を大袈裟に振りながら、デスマスクがカノンに文句をぶつける。別に変なところに触ったわけでもあるまいし、何も叩くこたねえだろう!!とデスマスクは思ったが、カノンは涼しい顔をして言った。

「恋人の目の前で、気安く他の男に触られたくないんでね……」

この発言にはデスマスクはもちろんのこと、当の恋人・ミロですら、驚きの余りこれ以上ないと言うくらい大きく目を瞠った。

デスマスクとミロの驚きは、最もであった。何しろ今日この時までカノンは、一度たりともこれっぽっちも間違ってもそんな歯が浮くような台詞を口にしたことなどなかったからである。更に

「お前の気持ちはありがたいけど、遠慮しておくよ。せっかくミロと、ゆっくり休日を過ごしているところなんだ。その時間を大切にさせてくれ」

などと、普段だったら絶対口が裂けても言わないような台詞まで、カノンはしれっと言ってのけたのである。ミロの目は喜びにキラキラと輝き始めたが、デスマスクは呆気にとられてあんぐりと大口を開けた。

「……カノン……お前、どうしちゃったんだ?……」

デスマスクのよく知っているカノンは、素面で……いや、ベロンベロンに酔っ払っててもこんなことを言うような奴ではなかったはずだ。一体何がどうしてどうなったのか、カノンの身に一体何が起こったというのか、デスマスクにはさっぱりわからなかった。

「別にどうもしないけど?。オレは自分の正直な気持ちを言ってるだけで……なぁ、ミロ」

カノンはそう言いながら、ミロにわざとらしい微笑みを向けた。その笑顔はミロには天使の微笑みのごとく見えていたのだが、実のところカノン本人は相当な無理をしており、客観的に見てみれば引きつった作り笑い以外の何物にも見えない代物であった。

「カノン、お前……マジで頭イッちゃったんじゃ……」

どう言う風の吹き回し……などと言う簡単な言葉で済ませられるものではない。デスマスクには、カノンがどうにかなってしまったようにしか思えなかった。

「お前の方こそ何言ってるんだよ?。オレはいつも通りじゃん」

白々しい嘘を言って、カノンは努めて平静を装いながら、引きつった笑みを唇の端に乗せた。

「…………」

デスマスクは絶句し、呆然とカノンを見た。だがデスマスクが茫然自失状態になるのも無理はなかった。何しろカノン自身、言うまでもなくかなりの無理をしていたのだから。

一応カノンとしてはシュラからもらったアドバイスやムウにも言われた通り、年上たるものの寛容さと器量の大きさを示すべく実践しているつもりなのだが、些か……いや、完全に的外れになっていることに、やはり本人は気付いていなかった。

「カノン!」

ミロが嬉しそうに、カノンの後ろからカノンを抱き締める。今まで一度たりとも第三者の前でこんなことを言ってくれたことのないカノンが、何故突然コロリと言動を変えたのか、普通に考えればおかしいと思って当然なのだが、単純に喜びだけが先に立っていたミロには、カノンの明らかに無理をしている態度も引きつりまくりの笑顔も、全然目に入っていなかったのである。

いつものカノンであれば、こんな風に人前で抱きかれることを容認したりはせず、情け容赦なくミロの頭を殴ってひっぺがしているところなのだが、今日のカノンはやっぱりおかしかった。ミロとひっぺがすどころか、引きつり笑いを浮かべながらもミロの頭を撫で撫でしているのである。

それを見た途端、デスマスクは頭から氷水をぶっかけられたような強烈な寒けと得体の知れない恐怖感に駆られ、脱兎のごとく双児宮から飛び出したのだった。






「おいっ!シュラっ!、シュラぁ〜〜〜!!!」

今日も今日とて自宮でカミュとのんびり過ごしていたシュラのところへ、デスマスクが血相を変えて飛び込んできた。

「やかましいな、何事だ?」

ちょうど夕刊を読んでいたシュラは、デスマスクの慌てように何事かと顔を上げ、怪訝そうに眉間を寄せた。

「たたた、大変だっ、シュラ!、カ、カノンがっ……って、おう!すまないな、カミュ!」

ゼーゼーと肩で息をしているデスマスクに、カミュが黙って冷えた水を差し出した。デスマスクはカミュに礼を言ってその水を一気に飲み干し、乱れた呼吸を整えた。

「カノンがどうした?」

シュラはデスマスクとは正反対の、落ち着いた口調で聞き返した。

「カ、カノンがおかしくなった!」

「は?」

シュラとカミュが目を丸くして、同時にマヌケな声を上げた。

「だから、カノンがおかしくなったんだ!。どっかに頭をぶつけたか、風邪ひいて高熱でも出してるのか、ウイルスが脳みそに入ったか、いや、もしかしたらサガに幻朧魔皇拳かけられてるのかも……」

半パニック状態でワケわからないことを捲し立てるデスマスクを、シュラとカミュはますます胡散臭そうに見返した。

「落ち着け、デスマスク。何が何だか言いたいことがさっぱり見えて来ないぞ。カノンがどうしたって?」

溜息とともにシュラが言うと、デスマスクは大きく深呼吸をして何とか少し自分を落ち着かせてから、今し方の双児宮での出来事を2人に話した。

「……てなワケでよ、カノンがおかしくなっちまったんだ!。あいつ、ぜってーあんなこと言ったりするような奴じゃなかったはずなのに……おかしい、ぜってーおかしい!。はっきり言って、怖かった……」

信じられない出来事に遭遇したデスマスクは、カノンの様子に言い知れぬ恐怖心すら抱いたのである。あんなのはカノンじゃない!とデスマスクが力説すると、それまで黙っていたシュラがもう我慢できないとばかりに盛大に吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。

「ななな……何が可笑しいんだよ?!」

デスマスクは真剣であった。ゆえに、何故こんなにもシュラに爆笑されなければいけないのか、わからなかったのである。シュラの隣のカミュはと言えば、シュラほど爆笑はしていないものの、珍しくはっきりと唇を綻ばせていた。

「いや、その……実はそれはだなぁ〜……」

シュラは懸命に笑いを押さえ込んで、デスマスクに先日の件を話した。話を聞いたデスマスクは、初め呆然としてポカンと口を開けままマヌケ面をしていたのだが、やがて完全に自分の中で整理がつくと、今度はあまりの馬鹿馬鹿しさに脱力せずにはいられなかった。

「つまりカノンのあの頭おかしくなったとしか思えない極端な変わりようは、お前のアドバイスを実践した結果っつーことか?」

「どうやらそうらしいな。まぁちょっと解釈が間違ってるって言うか、著しく方向性が違うと言うか……」

シュラは再び込み上げてきた笑いに、小刻みに肩を震わせた。自分は手の平の上で遊ばせろとは言ったが、無条件に甘やかせと言った覚えはない。勘違いも甚だしいと言うか、見当違いも度が過ぎると言うか、思考回路が極端と言うか……カノンがカノンなりに頭を悩ませた結果であると言うことが手に取るようにわかるだけに、余計におかしかった。

「でもよ、カノンは大真面目だったみたいだぜ」

「だろうな。でなきゃあのカノンが素面でそんなこと言う訳ないもんな。はははっ、案外あいつも可愛いとこあるじゃんか」

自分の方が5歳も年下だということをコロッと忘れて、シュラは失礼極まりないことを言う。

「にしてもホンットにあいつって、直球しか投げられないんだな。いや、今回のは変化球を投げようとしてすっぽ抜けて、大暴投になっちまったと言った方が近いのかな」

またわけのわからない比喩を使って、シュラは楽しげに笑い声を立てたが、一方のデスマスクの方は一通りの事情を聞きながらも、まだどこか腑に落ちなそうな顔で首を傾げていた。

「どうしたんです?、デスマスク?」

デスマスクの様子がおかしいことに気付いたカミュがそう尋ねると、デスマスクは更に首を捻って

「いやさぁ〜、何かどうも納得いかねえんだよな」

「何がです?」

「ン?、いや、経緯はわかったんだけどよ、あのカノンがそれを素直に受け容れて、あまつさえ実践してる、ってかしようと努力してるってとこが、オレにはどうも納得いかねえんだよ」

「何で?」

「だってよ、カノンだぜ、カノン!、あのカノンだぞ!。ポセイドン誑かしていいように操ったり、冥界三巨頭の1人を骨抜きにしてメロメロ状態にしちまった実績を持つあのカノンだぜ?!。ミロくらいの小僧、それこそ手玉に取るのは赤子の手を捻るより簡単なはずだろうが。それが何で、カノンの方が振り回されてんだよ?!」

デスマスクとしてはその点が、どうにもこうにも解せないのである。ラダマンティスはともかくとして、あの海皇ポセイドンをも手玉に取っていたカノンが、ミロ如き小僧1人御しえないとは、デスマスクには到底思えなかったのだ。

「おいおい、お前も意外に鈍いんだな。わかんないのかよ?」

「わかんねーから聞いてんじゃねえか!」

シュラはニヤッと意味あり気に笑い、言葉を接いだ。

「答えは簡単。何だかんだ言っても、カノンもミロに惚れてっからだよ。だからこんな下らないことに悩みもするし、振り回されたりするのさ」

カノン自身が何とも思っていない相手であれば、それこそ軽く弄んで自分の思うがままに動かせたであろう。カノンがそのくらいのことなど簡単にやってのけれる人間だと言うことくらい、シュラにももちろんよくわかっている。そしてミロにそれが出来ないのは、カノンにとってミロが特別な人間であるからに他ならないのだと言うことも。

デスマスクはシュラのその答えを聞いて、最初わけがわからないような顔をしていたが、少ししてやっと理性と感情の両方でシュラの言っていることを理解すると、面白くもなさそうにケッ、と呟いて、騒いで損したとばかりに行儀悪くテーブルの上に足を投げ出し、天井を仰いだのだった。そんなデスマスクを見ながら、シュラとカミュは同時に小さく苦笑を溢した。

「いつまで続くかはわからないけど、しばらくはあそこも平和だろう。方向性は間違ってるかも知れないが、まぁ、いい傾向じゃないか?」

シュラがそう言うと、カミュはそうだな、と短く答えて頷いたが、デスマスクはもう知らんとばかりに無言を通した。

まぁシュラの言う通り本当にいつまで続くかわからないし、どうせそう長いことでもないだろうと、カミュも思ってはいたのだが。






そして案の定、一週間後。

カノンとケンカをしたと言って、今度はミロがカミュの元へ飛び込んできた。

何故かいきなり優しく穏やかで寛容になったカノンに大喜びで甘えていたミロであったのだが、無理に無理を重ねたカノンの方が遂に爆発してブチギレ、一週間我慢し続けた反動も手伝って、結局喧々囂々の大喧嘩になったのである。

こうして天使のように優しいカノンは、僅か一週間であっけなく姿を消した。

わけのわからぬまま天国から地獄に突き落とされたミロの嘆きたるや相当のものではあったが、既に予測済だったシュラとカミュは驚きもせず、溜息混じりに事の次第を受け止めた。本音を言えばあともう少し保つ(もつ)かと思っていたのだが……と言うより、保って(もって)欲しかったのだが。

そもそもカノンが自分達のアドバイスを曲解して、極端から極端に走るからこんなことになるんだとさすがにシュラも呆れたのだが、これもデスマスクから話を聞いた時点で予測の範疇に入っていたので、今更それについてとやかく言う気にはならなかった。

どっちにすっ転んでも、結局ここはこうなる運命だったんだな〜と思いつつ、もう自分達の手には負えないから勝手にしてくれと、シュラは内心で投げやりに呟いていた。まぁ、カミュがミロの親友である以上、今後もカノンとミロのドタバタに巻き込まれる可能性は高いのだが……。今になってやっと、サガとアイオロスの苦労が骨身に染みてわかるような気がするシュラであった。

最も、こうして年中ギャーギャーやってる方が、こいつららしいと言えばこいつららしいのかな?、などと、カミュがミロをなだめすかしたり励ましたりしている様を目の当たりにしながら、シュラは微笑ましいようなやっぱり迷惑なような複雑な気持ちで、1人苦笑めいた笑いを溢すのだった。


END

【あとがき】

とんでもなくお待たせしたあげく、こんなわけのわからない話になってしまいまして申し訳ございません。
リクエストをくださったゆば様には、ただひたすらお詫び申し上げるより他、術がございません(泣)。どあほうと言うのは、正に私の為にあるような言葉かも知れないです。本当に申し訳ございません>ゆば様
ゆば様がシュラスキーでいらっしゃるとお伺いして、当初の予定よりシュラの出番を増やしてみたのですが、何か却ってわけがわからない人になってしまったような気がいたします(^^;;)。真剣に心配してやってんだか面白がってるんだか、疑問が残るところです。
オマケに話の都合上とは言えミロはいつも以上にガキっぽくしてしまったし(出番も少ない^^;;)、カノンもカノンで変だし、デスマスクはただひたすら損な役回りだし……何か目茶苦茶ですね。すみません(激反省)。
一応、シュラとカミュだけはラブラブさせてみたんですけど、これってただひたすらに私の趣味のような気がいたします(^^;;)。


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