ふと体に何かを掛けられる感触で、カノンは目を覚ました。うっすらと開いた視界に飛び込んできたのは、自分と同じ顔の兄の姿であった。

「起こしてしまったか?、すまない」

目を覚ましたカノンに、サガは少し申し訳なさそうにカノンに言った。
どうやらソファでうたた寝をしてしまっていたらしいカノンに、いつの間にか帰宅していたサガが毛布を掛けようとしてくれていたのだ。

「いや、いいんだ……。寝るつもりじゃなかったんだけど……」

ソファに半身を起こして、カノンは大きく伸びをした。そうしてからカノンは、思わず辺りをグルリと見回した。広い室内、高い天井……ここは自分が隠棲生活を強いられていたあの小さな家ではない。ようやくその存在を認められ、兄とともに住まうことを許された、双児宮のリビングだった。そして同時に、すっかり成人した穏やかな兄の顔を見て、夢だったのか……と、カノンは無意識のうちに安堵の吐息を漏らしていた。

「……どうした?……」

そんなカノンに、サガが不審げに声をかけた。

「ん?、いや……何でもないよ。あ、お帰り、サガ」

「あ、ああ、ただいま」

唐突なカノンの言葉に、サガは苦笑しながらも律義に答えた。

「今日は少し早いね。仕事、一段落したのか?」

時計に目を遣り、カノンは思っていたより早いサガの帰宅に少し驚いた。ここ最近仕事が立て込んでいたらしいサガは毎日帰りが遅く、日付をまたいでから帰宅するような日が続いていたのである。だが今日は、日付が変るまでまだ優に1時間強の時間があった。それはそれで早いと言いきれる時間でもないのだが。

「ああ、面倒な仕事がようやく片付いてね」

「そっか。それならよかった。ここんとこ夜は遅いし休みはないしで、心配してたんだ」

黄金聖闘士だし、多少の激務はどってこともないはずだが、それでもこうも多忙な日々が続けばカノンでなくとも心配の1つや2つはするだろう。

「そうか、それはすまなかったな。でももう大丈夫、心配には及ばないよ。それに明日は休みももらえたしね」

「え?、休みなの?」

カノンが声を上げると、サガは小さく微笑みながら頷いた。因みにカノンも明日は休みである。

「ここのところ忙しくて家のこともろくにしていなかったから、色々やらなきゃいけないこともあるがな」

だが続けて発せられたサガのその言葉に、カノンは思わず眉間を寄せて顔をしかめた。

「せっかくの休みだってのに、家のことなんか気にすることないじゃんか。少しのんびりすれば?。大体サガは働きすぎなんだよ」

言ってることは立派なのだが、カノンが家のことを何もしないからサガがやらざるを得なくなっているのわけで、サガを休ませたいと思うのならカノンが少し家のことを手伝ってやればいいのである。だがカノンは、その矛盾には全く気付いていなかった。

「そんなこともないと思うが……」

そして幸か不幸かサガもそのことには気付いていなかった。と言うよりも、物心ついたときからカノンを庇って生きてきた習性みたいなものがどうやらサガにはあるらしく、何かをカノンに頼ろうとか、任せようとか、そう言う意識自体が希薄なようで、何でも自分がやるのが当たり前と思っているフシがあった。

「そんなことあるって!。家のことなんかちょっとくらい放っておいたって構わないさ。そんなこと忘れてさ、リフレッシュも兼ねてたまには2人でどこかに……」

そこまで言って、カノンは急に言葉を切った。

「……カノン?……」

不自然に言葉を切ったカノンに、サガは訝しげな視線を向ける。

「なぁサガ……海に行こう」

「えっ?」

「海、行こうよ」

唐突に言うなり、カノンはソファから立ち上がった。

「海って……どこの海だ?」

サガが聞き返すとカノンはニコッと笑って、

「そこの海だよ」

と言いながら、サガの手を取った。

「は?」

突然な展開に、サガは思わず目を丸くして彼らしくもない間抜けな声を上げた。

「行こう」

だがカノンはそんなサガの様子には構いもせずに、くいくいとサガの手を引っ張った。

「行こう……って、今から行くのか?!」

「そうだよ」

あっさりと答えると、カノンはサガの手を引いて歩きだした。

「おっ、おい、カノンっ?!」

サガはカノンに理由を問うたのだが、カノンはそれにはろくすっぽ答えることもせず、ひたすらサガの手を引っ張って双児宮を飛び出したのだった。

何故いきなりこんなことを言い出したのか、カノンが何を考えているのか全然わからないまま、サガはカノンと一緒に夜の海へと繰り出す羽目になったのだった。


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