室内に入りアイオリアの気配を察した瞬間、シャカは愕然として思わず閉じていた目を開いた。
開けた視界に飛び込んで来たアイオリアの姿に、シャカの瞳が更なる驚愕を得て限界まで拡大する。
部屋の中央に置かれた質素な椅子に項垂れて座っているアイオリアは、シャカのよく知る陽気で明るく快活で熱意に溢れていた彼ではなかったからである。
完全に生気も生色も失った、まるで魂の入っていない抜け殻のようなアイオリアの悲壮な姿に、シャカは未だ嘗てないほどの衝撃を受け、その場に佇立した。
それと同時にシャカは、見張りがたった二人の雑兵だけであった理由を理解した。
アイオリア自身がこの状態では、逃亡する恐れどころかその可能性すらない。つまり内側からの脅威に備える必要がない、雑兵を二人もつけていれば充分だったからである。
「アイオリア……」
名を呼ぶ自分の声が微かに震えていることを、シャカは自覚した。
シャカの声が届いていないのか、いや未だ彼の訪問に気付いてすらいないのか、アイオリアは虚ろな視線を床に落としたまま微動だにしない。
ゆっくり――というより怖ず怖ずとした足取りで、シャカはアイオリアの傍に歩み寄る。
「アイオリア」
アイオリアの傍で身を跼め、もう一度静かにその名を呼んでそっと頬に手を触れる。
そこでアイオリアがようやく、ほんの僅かに身じろぎをした。シャカの手が直に頬に触れた感覚で、やっと我に返ったというところであろうか。
アイオリアは緩慢な動作で俯けていた顔を上げ、シャカの顔を見た。
「……シャカ……」
「大丈夫か? アイオリア」
何が大丈夫なのか、尋ねているシャカ本人にもよくわかってはいなかった。だが他にかけるべき言葉が見つからず、ほぼ無意識に出てしまった言葉である。
「シャカ……兄さんが……」
「うん」
「アイオロス兄さんが……アテナを……」
「うん……」
「アテナを誘拐して……それで、聖域を、オレ達を……裏切っ……」
「うん……うん……」
アイオリアの瞳から溢れ出てきた涙が、シャカの手を濡らした。
「ウソだ、兄さんがそんなことするはずないって、オレ……でも、兄さん……死んじゃ……」
アイオロスが聖域を裏切り、アテナに危害を加えたなどと信じたくない気持ちはシャカとても同じだった。
アイオロスがそんなことをするはずがない、何かの間違いだ――そうはっきりと否定することができたら、アイオロスを信じよう――そうきっぱりと断言することができたら、アイオリアはどんなに救われるだろう?。
だがアイオロスがアテナを連れ去り聖域を追われ、デスマスクらの手にかかって命を落としたことは紛れもない事実であり、現実なのである。そこから目を背けることはできない。
だからシャカは何も言えなかった。ただアイオリアの言葉になりきっていない言葉を聞き、頷くことしかできなかったのだ。
「アイオリア……」
シャカはもう片方の手を添え、涙で濡れたアイオリアの両頬を包み込んだ。
「シャ……」
瞳から更なる涙が溢れ流れ落ちると同時に、アイオリアはまるで縋るようにシャカに抱きつき、声を上げて泣いた。
そんなアイオリアを、シャカは小さな腕で優しく抱きしめた。
今の自分は、アイオリアを慰めることも励ますことも癒すこともできない。かけるべき適切な言葉も持たない。
唯一できることは、こうしてただ黙って彼の悲しみに寄り添うことだけである。
最も神に近い男――まだ幼いシャカを、畏敬を持ってそう褒め称える者も少なくない。そしてそう言われていることをシャカ自身も知っていたが、自分の大事な友がこれほどまでに苦しみ、悲しんでいる時に自分は何もできずにいる――そんな自分のどこが最も神に近いというのであろうか?。
号泣するアイオリアを懸命に抱きしめながら、何もできない己の無力さにシャカは悔しさともどかしさと腹立たしさを覚え、内心で臍を噛んでいた。