【Count 3】2月11日:CUTE
4日目ともなるとアイオリアもすっかり慣れて、シャカがここへやってくるであろう時間には出迎える心の準備はすっかり整っていた。
その予想通りシャカは昨日までの3日間と同じ時間に獅子宮に現れたが、アイオリアがまたしても驚かされたのはシャカが文字通り抱えて来た恐らく『今日のプレゼント』と思しき物であった。
「えっと……シャカ、聞くまでもないとは思うがそれがその、今日のプレゼント?」
『それ』を指差しながらやや遠慮がちにアイオリアが聞くと、シャカは得意気に首を縦に振った。
今日のプレゼントと思しき物――それは透明の袋に入れられ綺麗にリボンをかけられた幼稚園児くらいのサイズのクマのぬいぐるみであった。
シャカはアイオリアに歩み寄ると、まるで抱っこしている子供を渡すかのようにそのぬいぐるみを彼へ突き出した。
「あ、ありがとう……」
反射的にそれを抱き取るような形で受け取り、アイオリアは小さくシャカに頭を下げる。
その表情には「何でぬいぐるみ? しかもこんなに大きな……」という疑問がはっきりと浮かんでいたが、目を瞑っているシャカにはアイオリアのそんな微妙な表情の変化は見えていなかったし、その内心など当然読み取れていなかった。
「もしかして今日はぬいぐるみの日……だったりでもするのか?」
これまでの流れからしてもそうとしか考えられないのだが、反面さすがにそれはないだろうとも思いつつ確認してみると、シャカにあっさりと頷きを返されてアイオリアはまたしても面食らったように目を瞬かせた。
「えっ? 本当にそうなの?」
「そうだ。今日はテディ・デー、お前の言う通りぬいぐるみを贈る日だ」
それはまた随分可愛らしいと言うか何と言うか、適切な言葉が見つけられず何とも言えぬ微妙な気分になったアイオリアだが、もちろん嬉しくないというわけでは決してない。
ただ自分には似つかわしくないよな――と思っただけで。
「それにしても結構大きいぬいぐるみだな」
各宮の私室は広く作られているので別に置き場所に困るというわけでもないのだが、何しろ幼稚園児くらいのサイズなのでリビングボードやサイドボードの上等のちょっとした空きスペースにちょこんと置けるサイズでもない。
「せっかくだから小さい物より大きい物を買えとミロに言われたからな」
「ミロ? あ、ということはこれを買いに行くのに付き合ってくれたのはミロか」
付き合ってくれたと言うかシャカがミロを付き合わせたと言うのがやっぱり正解なのだが、最早アイオリアにもそんなことはどうでも良く、この時はデスマスク同様ミロにも後で礼を言っておかなきゃな……ということだけしか頭の中に浮かんでいなかった。
実は昨日シャカが帰った後、アイオリアはデスマスクにシャカが世話になった礼を言いに行って来たのだが、その時デスマスクにさんざんからかわれたことを思い出し、きっとミロにもからかわれるだろうな、しかもミロの場合は同い年の同期だからデスマスクの比じゃないくらいもう遠慮なく容赦なくガンガンからかわれるだろうな……と少しだけ憂鬱な気分にならざるを得ない部分もなきにしもあらずであった。
そう言う時には逆に開き直ってガンガン惚気て反撃すればいいのだが、残念ながらアイオリアはそんな機転が利くタイプではない。からかわれたら顔を真っ赤にして俯いていることしか出来ないのである。
ま、今からそんなこと気にしてても仕方がない、その時はその時だとアイオリアは素早く気を取り直し、抱っこしていたクマのぬいぐるみをしげしげと見てから改めてシャカに尋ねた。
「でも何でこのクマのぬいぐるみを選んだんだ?」
「こいつの顔がお前に似ていたからだ」
「顔?」
シャカに即答され、アイオリアがもう一度ぬいぐるみの顔に視線を落とす。
ころんとまん丸いつぶらな瞳が可愛いこのクマのぬいぐるみとオレ、一体どこが似てるんだろう……? とアイオリアが小首を傾げていると、くすっと小さな笑い声がアイオリアの耳に届いた。
「今のお前のその顔……」
「うん?」
「少し困ったようなその顔がよく似ている」
そう言ってシャカはふわりと柔らかく微笑んだ。
「少し困ったような……?」
改めてクマの顔を凝視すると、確かに困ったような顔をしていると言えなくもない顔をしているような気もしないでもない。
喩えて言うなら眉毛をハの字に垂らしているような、そんな顔である。
これに似てるってことは、オレ、シャカの前でいっつもそんな困ったような顔してるのかなぁ? そんなつもりはないんだけどなぁ? と何とも言えぬ複雑な心境にアイオリアは陥った。
実際特に最近のアイオリアが困り顔になる原因の殆どは、実は他の誰でもないシャカのせいなのである。困り顔をさせている張本人が他人事のように言うなと第三者には言われるところだろうが、当の本人は言うに及ばずアイオリアにもその認識がまるでないのでそんなことには思い至りもしなかった。
最もこの2人の場合、互いの鈍感力がいかんなく発揮されているからこそ特に問題なく上手くいっているとも言えるのだろうが。
「その顔が可愛くて愛着がわいてしまったからな」
「……なるほど」
好意的な理由であることに疑いの余地はないのでそれは素直に嬉しく思うのだが、真面目な顔をして『可愛くて』とか言われると、いくら発言者が恋人とは言え胸の裡に擽ったいような痒いような変な感じを覚えるのも事実だった。
しかもクマだし……とそこまで考えたところで急に笑いがこみ上げて来て、アイオリアは思わずプッと吹き出し、くすくすと声を立てて笑い出した。
「ライオンとか猫のぬいぐるみならもらったことあったけど……」
ひとしきり笑った後、アイオリアが何気なくそんなことを言った次の瞬間、シャカが閉じた目をいきなり開いた。
「誰に!?」
そしてシャカはその目を開くなり、一転して厳しい口調で短く詰問しながらアイオリアを睨みつけた。
刹那、アイオリアの背筋にカミュの冷気を食らったかのような寒気が走り、全身が凍てついたかの如く硬直した。
「えっ!? あ……えっと、兄さんとかサガに……もちろん子供の頃の話だけど。本当にう〜〜〜んとう〜〜〜んと子供の頃の話」
少しして我に返ったアイオリアは、大慌てかつ必死に弁明した。
シャカの様子からして、自分の何気ない一言が別方面の疑念を招いたことが明らかだったからである。
「アイオロスとサガか、ならばいいだろう」
幸いなことにシャカは二人の名を出すと至極あっさりと、だが偉そうに矛先を収めてくれ、アイオリアは心底ホッと胸を撫で下ろした。
実兄のアイオロスとそのアイオロスの恋人であり自分達にとっても兄的立場であるサガは、どうやらシャカにとっては別格と言うかそういう意味での脅威ではないらしい。
一瞬肝は冷えたものの、落ち着いてみると先走りの誤解とは言えつまりシャカはヤキモチを妬いてくれたということになるわけで、そう考えると決して悪い気はしないと言うか、時折見せるこんな一面が可愛いんだよなとしか思えないところがアイオリアも大概重症と言うかシャカにベタ惚れしている証であると言えよう。
――第三者が見ていたら呆れて物も言えなくなっていたであろうが。
「では、私は帰る」
「え? あ、うん……」
止めても無駄なのはもうわかっているしその気もないので、今日もアイオリアはシャカを引き止めようとはしなかった。
「シャカ」
「うん」
「これ、どうもありがとう。大事にするよ」
もらったぬいぐるみを軽く掲げてアイオリアがもう一度礼を言うと、シャカは再び瞑っていた目を開き、そして満足そうに頷きを返してから獅子宮を出て行った。
毎日本当に忙しないな……と思いつつ、シャカもシャカでそれなりに楽しんでいる様子が垣間見えるので、最後までシャカの好きなようにやらせてやろう、そして自分はそれにとことん付き合おうとアイオリアは心に決めていた。
まずは今日これから自分がやらねばならないことは、ミロに昨日シャカが世話になった礼を言いに行くことだが、その前に――
「とりあえずこいつをどこに飾るかそれを考えないと……な?」
アイオリアはぬいぐるみに語りかけるように言いながら、ニコッと微笑んでみせた。