支える者、見守る者

アイオリアと喧嘩をした――。

教皇宮からの帰りがけ、アイオリアが飛び出したのと入れ違いに人馬宮を訪れたサガは、目に見えてご機嫌斜めのアイオロスからその話を聞き出し、彼曰く「不貞腐れて捨て台詞吐いて出て行った」というアイオリアを追ってこの獅子宮まで降りて来ていた。

サガがこうしてアイオリアの後を追ってきた一番大きな理由は、兄弟喧嘩の仲裁をする為というよりも、同じ弟を持つ兄であり恋人でもあるという立場から主にアイオロスの言動についてフォローをする為であった。

もちろん余計なお世話であることは承知しているし、逆効果になるかも知れないこともわかっていたのだが、それでもサガはアイオリアのことをどうしても放っておけなかったのである。

だが獅子宮の通路に入るとすぐ、サガは柱の陰に身を隠すようにしている先客の存在に気づいた。

「シュラ?」

思わずその名を呼ぶと、先客シュラは人差し指を唇に当ててからサガを手招きした。

サガが小首を傾げてシュラの元へ行くと、シュラは自分同様サガを柱の陰に引き込んでから、

「その様子だと、アイオロスと喧嘩して不貞腐れたアイオリアを慰めに来たのか?」

と微苦笑交じりにサガに尋ねた。

「いや、慰めに来たというわけでもないのだが……と言うことはシュラ、お前もあの二人が喧嘩したことを知っているというわけだな?」

「ああ。オレの宮にまでにまで派手に兄弟喧嘩してる小宇宙が伝わってきたからな」

嫌でもわかったよ、とシュラは苦笑を深めてそう言いながら肩を竦めて見せる。

確かにシュラが預かる磨羯宮は人馬宮の隣宮、二人の兄弟喧嘩の小宇宙を一番真近で感じ取れる位置関係ではある。

最もそれを言うなら反対側の天蠍宮も条件は同じなのだが、幸いな(?)ことに天蠍宮の主であるミロは今日は仕事で郊外の村に出かけていて不在であった。

「なるほど。それでアイオリアを心配してここへ?」

「心配というほどでもないが、気にはなったからここに来たってことはまぁ事実だな。だが……」

サガの言葉を暗に肯定しつつ、シュラは柱の陰からこっそりと反対側の出入口の方を指差した。

なぜ自分はシュラと二人こそこそと柱の陰に身を隠してこんなことをしているのだろう? と現状に疑問を抱きつつ、サガが彼の指差した方向に視線を転じる。

すると、

「アイオリアと……シャカ?」

それなりに距離があるので見える姿は小さいが、アイオリアとシャカが二人並んで出入口の階段に腰掛けているのだということはサガにも容易に判別できた。

二人が並んで座っているだけで、話をしている様子がないということも――。

「何故シャカがあそこにいるのだ? アイオリアと話している様子もないが、あいつは一体何を……」

「シャカはああやって慰めているんだよ、アイオリアのことを」

サガの疑問にシュラが簡潔に答えると、サガは「えっ?」と少し意外そうな声をあげてシュラの顔を見た。

シュラは視線を二人に向けたまま、補足するように言葉を継いだ。

「子供の頃からずっとあんな感じ。シャカはアイオリアが落ち込んだり元気がなかったりしている時には、ああやって黙って隣に座るんだ。何時間でも半日でも丸一日でも、ああして付かず離れずの距離でただじっと座っているんだよ、アイオリアの気が済むまでいつまでも……な」

「アイオリアの気が済むまで?」

「ああ、それがシャカなりの慰め方みたいだぜ。アイオリアにしても、言葉で下手に慰められるよりああしてただ黙って傍に居てくれる方が心地いいみたいだ。気持ちが楽になるんだろうな。シャカもそれをわかっているから、何も言わずに傍にいる。アイオリアの望む通りに。そうやってあの二人は絆を深め、強めて来たんだ」

「それで今がある、と?」

「まぁそういうことだな」

いつ頃からなのか詳しいことはわからないまでも、アイオリアとシャカが恋人関係にあることはもちろんサガも知っている。

だがあの二人が幼少の頃からそんな風に関係と絆を深めてきたという話は、今の今まで知らなかった。

「オレ達にとっては……まぁサガ、あんたにとってはそうでもないだろうが、シャカは風変わりで偉そうで何を考えているのかわかりづらいところがあって取っ付きづらくて、苦手意識というとちょっと違うが癖のある少々扱いの難しい男って認識だ。でもアイオリアにとってのシャカは違う……誰よりも安心と癒しを与えてくれる、そんな存在なんだよ」

だからこそ恋人関係になってるんだろうが、やっぱりちょっと意外だよな、だってあのシャカだぜ? と冗談っぽく言ってシュラは笑った。

「誰よりも安心と癒しを与えてくれる存在……か」

シュラの言う通り、サガ自身はシャカに対して癖が強いとか変人だとか取っ付きづらいとか、その手の認識は持っていない。

これはシャカの方がサガに対しては一目を置き、一歩引いた態度で接しているせいもあるのだろうが、いずれにしてもシュラ達とサガの持っているシャカに対しての認識に差異があることは事実である。

ただシャカが誰に対しても『安心と癒しを与えてくれる存在』では決してないということだけは、アイオリア以外の人間に等しく共通する認識で、これに関してはサガも例外ではなかったが。

「つまりアイオリアにとってのシャカは、アイオロスにとってのサガ、あんたみたいな存在ってわけだ」

からかうように言って、シュラは声を立てずに笑った。

シュラがこんな軽口を叩くのは珍しく、サガは思わず興味深げに彼の顔を見てしまったのだが、どさくさ紛れに自分達を引き合いに出されたことに関しては少々リアクションに困ったので、そこはさらりと聞き流しておくことにした。

「シャカはアイオリアをすぐ傍で支え続けてきた。そしてシュラ、お前はずっとこうしてアイオリアを影で見守り続けて来たのだな……」

問いかけるわけでも独り言でもないそんなサガの言葉に、シュラは無言のままごく微かな笑みを唇の端に浮かべただけだったが、元々サガもシュラからの返答を期待してはいなかった。

返答など聞かずとも、サガには彼の胸の内がわかっていたからだ。

十三年前、偽教皇に扮したサガの命を受け、アイオリアの兄であるアイオロスの討伐に向かったのはシュラである。

シュラはサガの命令を着実に遂行し、アイオロスをその手にかけた。だが元々シュラはアイオロスを師匠のように、時には実兄のように慕っており、その実弟であるアイオリアのことは実弟同然に可愛がっていた。いかに勅命とはいえ、自分がアイオリアから兄を奪ってしまったという事実は、間違いなくシュラの中に大きな罪の意識を植え付けてしまったはずである。

シュラがそれと口にしたことは未だ嘗て一度もないが、心の中に根付いた大きな罪悪感から、シュラはアイオロスをその手にかけて以来、誰に何を話すこともなくずっとアイオリアを見守り続けていたに違いない。

自身の存在を決して知らせることなく、十三年もの長きに渡りこうして影からずっと――。

シュラにそんな重い罪を背負わせてしまったのが他ならぬ自分であることはもちろんサガも自覚していたし、それに対する罪の意識や贖罪の念は今なお強くサガの裡に存在していたが、それでもサガはこれまで敢えて謝罪の言葉を口にはしなかったし、これからもそれを口にするつもりはなかった。

何故ならシュラ本人が謝罪など微塵も望んでいないこと、むしろそんなものなどいらぬとすら思っていることを理解していたからである。

サガはふっ、と自嘲をむけてからシュラに言った。

「どうやら余計な差出口を挟まぬ方が良さそうだ。と言うより、私の出る幕は最初からなかった、ということであろうな」

シュラは無言で微笑みながら頷きを返した。

「ならばアイオリアのことはシャカと、そしてお前に任せるとしよう。私はアイオロスの方を引き受ける」

「そうだな、アイオロスのことはサガ、あんたが引き受けてくれると助かる。多分アイオロスも盛大に拗ねてるだろうし、あんた以外の手には負えないだろうからな。だが……」

「うん?」

「アイオリアのことは任せると言われても、あれをよく見てくれよ。オレの出る幕なんかあると思うか?」

言いながらシュラは、親指でアイオリアとシャカの方を指差した。

サガは改めて二人の背中を見やった後シュラに視線を戻し、「確かに……」と呟くように言ってプッと小さく吹き出した。

「そういうわけだから、アイオリアのことはシャカに丸投げしてオレもこのまま退散するよ」

面倒臭いことは他人に押し付けるに限る、とシュラは言ったが、彼はその『面倒臭いこと』をこの十三年ずっと背負い続けて来たのである。誰に知られることもなく、アイオリアの為だけを思ってひっそりと。

シュラも大概素直ではないな……と自分のことを完全に棚上げしてサガは内心でそう呟いていたが、そんな不器用なところが彼らしいと言えるだろう。不器用だが優しく思いやりが深いシュラのそんな気質が、サガの彼に対する好感をより一層強いものにした。

「では私と一緒にアイオロスのところへ行くか?」

サガが誘いを向けるとシュラは思いっきり眉間を寄せて、

「それは勘弁してくれよ。言っただろ、拗ねたアイオロスはあんた以外の手には負えないんだって。オレが行ったところで、八つ当たりの格好の餌食にされるだけなのは目に見えてる。そんなところに自ら飛び込むほどオレは馬鹿じゃないぞ、真っ平御免だ!」

大袈裟に首と手を振って、シュラはサガのその誘いを全力で拒否した。

そのシュラの様子が可笑しくて、サガはこみ上げてくる笑いを抑えきれず、またしても小さく吹き出してしまったのだった。

「それにしても、アイオロスもアイオリアもいい年をしてこんな派手な兄弟喧嘩をするなんて、全く人騒がせで傍迷惑もいいところだな」

「同感だが、そればかりは今のあんたが言っても説得力ないぞ、サガ」

あ……! と決まりが悪そうに表情を動かしたサガに、堪らずシュラも吹き出した。

そんなシュラに釣られ、サガも苦笑交じりの笑いを零す。二人は一頻り笑った後、どちらからともなくもう一度アイオリアとシャカの背中に視線を転じた。

並んで座る二人の様子は全く変わることもなく、動く様子すら見られない。だがそんな二人の間に漂う空気は、確実に和やかで穏やかなものへと変化を遂げつつあった。

それを感じ取った二人はまたどちらからともなく顔を見合わせ頷き合うと、揃って踵を返し、静かに獅子宮を後にしたのだった。


post script

自分の中では話の方向性に詰まった時にはほぼ必ずシュラ(かミロ)に頼くらい日頃からシュラのことはよく書いているのですがこんな風にメイン?で書いたのは初めてかも知れません ずっと陰から秘かにアイオリアを見守り続けていたのであろうシュラの気持ちのほんの一端だけでも書いてみたかったのです。
普段シュラのサガ(とアイオロス)に対する言葉使いは基本敬語で二人称は「あなた」なのですが、今回は敢えてそれを崩して対等な感じで話させてみました。



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