双児宮ではきっとカノンがやきもきしながらサガの帰りを待っているだろう……と踏んでいたアイオロスだったが、その予想に反して双児宮はもぬけのカラであった。 「あいつどこに行ったんだ?」 帰宅したらカノンの嫌みと皮肉のオンパレードが待ってるだろうと覚悟していた2人は、何となく肩透かしを食ったような気分で、人気のないリビングに佇んだ。 「ん?」 何気なく目を遣ったテーブルの上に紙が置かれているのを見つけて、サガが小さく声を上げた。 「どうした?」 「メモが置いてある。多分、カノンだ」 言うが早いか、サガは小走りにテーブルへ駆けよって、置いてあったそれを手に取った。紙面に目を落とすと、そこには間違いなくカノンの字でこう書かれていた。
それを読み終えたサガは、思わず軽い眩暈を覚えた。カノンはカノンなり気を利かせてくれたつもりらしいが、露骨といえば露骨で、これでは対処に困ってしまう。もちろんカノンは、これを読んだサガがどう言う反応を示すかわかった上で、面白半分でやったに決まっているが。 「貸し2つかぁ……あいつの貸しは高くつきそうだなぁ……果たして後で何を請求されるものやら、ますます怖くなってきたな」 背後から降ってきたアイオロスの声に、サガはビックリして振り向いた。いつの間に来ていたのやら、アイオロスが後ろからそのメモを覗き込んでいたのである。 「アイオロスっ!」 サガは思わずカノンのメモを握り潰すと、慌ててそれをジーンズのポケットに押し込んだ。 「何も慌てて隠すこともないだろ? それにもう遅いよ、読んじゃったし」 あっけらかんと答えるアイオロスは、妙に嬉しそうであった。それもそのはず、こんな風にしてカノンの『公認』が得られることなど、まず滅多にあることではないのだ。無論、これが100%の厚意から成り立っているものだとは、アイオロスも思ってはいなかったが。 「まぁ、後で何言われるかわかったもんじゃないけど、せっかくこう言ってくれてるんだし、今晩のところはカノンの厚意に甘えるとしようか?」 「何が厚意だ……。あいつは単に面白がってるだけだ」 「別に面白がってるだけでもいいさ。この機を逃したら、今度はいつあいつがこんな気紛れ起こしてくれるかわからんしな」 アイオロスが口にした通り、これはカノンの気紛れ以外の何物でもないだろうが、どっちみちそうそうこんな機会に恵まれることもないだろう。後のことは後のこととして、今晩は素直にありがたくその気持ちを受け取っておこうじゃないかと、アイオロスはますます嬉しそうに満面に笑みを浮かべていた。余りに能天気なアイオロスに、サガが何かを言い返そうと口を開きかけた時、 「ところで、お前、風邪は治ったのか?」 アイオロスが不意に真顔に戻り、いきなりそうサガに尋ねた。 「……あれから何日経ってると思ってる。とっくに治ってるよ」 呆れたようにサガが答えると、アイオロスはそうか……と呟いてホッと吐息を漏らした。少し切なげなアイオロスの表情に、瞬間サガが気を取られて言葉を失っていると 「うわっ!」 その隙をついたかのように、アイオロスは目にも止まらぬ早さでサガの腰を掴んで引き寄せると、その身体を抱きしめてサガに口付けたのである。突然のことに一瞬自分の身に何が起こっているのかわからず、サガはアイオロスの腕の中で硬直した。 「バッ、バカ!いきなり何をするっ!?」 間もなくアイオロスの唇が離れると、同時に我に返ったサガが、即座に抗議の声を張り上げた。 「キスだけど……」 「キスだけど、じゃないっ!。こ、こんなとこで人の隙をついていきなりっ……」 「別にいいじゃん、今晩はここでオレとお前2人っきりなんだし♪。そのせっかくの時間を、無駄にしちゃ勿体ないからな」 「そういう問題じゃない!」 「そう言う問題だよ」 悪びれもせずにあっさりと言ってのけると、アイオロスはサガが文句を言うのを楽しんでいるかのようにニコニコ笑いながら、今度はサガの額にキスをした。 「アイオロス!」 「そう怒るなって。もう8日……いや、その前も何だかんだと忙しくて、10日以上お前にろくに触れてなかったんだ。いい加減、オレの我慢も限界だよ」 言いながらアイオロスは、きゅっとサガの身体を強く抱きしめる。 「特にこの5日間は地獄の責め苦みたいなもんだったな。ケンカして頭に来てるのに、気付けばお前のことばっかり考えててさ。そんな自分に余計に腹立てて……悪循環もいいとこだったよ」 腕に中のサガにそう語りかけながら、アイオロスは自嘲気味に笑った。 「………私もだ……」 おとなしく抱かれたまま沈黙していたサガが、ポツリと小さな声で呟いた。そしてサガはアイオロスに応えるようにその背に手を回して、逞しいアイオロスの身体を抱き返した。 「もうこんなケンカは懲り懲りだな。ホント、精神衛生上これほど良くないモンはないな」 心底嫌そうに呟くアイオロスの言葉を聞いて、サガはアイオロスの肩口でくすっと笑いを溢した。口にはしなかったが、それはサガもアイオロスと全く同感であったのだ。 「ところでお前、少し痩せただろ。腰の辺り細くなってるぞ。ちゃんと飯食ってたのか?」 言いながらアイオロスは、サガの身体を抱き直すと、確かめるかのようにサガの腰に手を這わせた。 「食事はちゃんとしてたし、痩せてなんかいないよ。お前の気のせいだ。やめろ、擽ったい」 アイオロスにウエストから腰をさわさわと撫で擦られて、サガは擽ったさに身を捩る。 「い〜や、痩せた!。オレの目と手は誤魔化せないぞ、サガ」 だがアイオロスは左手でしっかりサガを抱きかかえていて離そうとはせず、腰を撫で擦りながらそう断言した。 「痩せてないってば!」 確かに体調を崩して寝込んでいたから、そうは言ったものの少しは痩せたのかも知れない。体重計になど乗ってないから正確にはわからないが、たかが数日程度で鍛え上げた筋肉が触ってすぐにわかるほど激減するわけもなく、サガはアイオロスの言うことは大袈裟だと思っていた。 「絶対痩せたって!。……まぁ、それはこれからベッドの中で確かめればいいか」 言うが早いか、アイオロスはひょいとサガの身体を自分の肩に担ぎ上げた。 「なっ! 何するんだ!? アイオロス!!」 「ん? いや、寝室に行こうと思ってな。別に私はここでもいいが、お前、嫌だろう?」 「当たり前だ!」 「だろ? だから寝室へ運ぼうとしてるんじゃないか」 「バカ! それ以前の問題だ!。離せ! 恥ずかしい!!」 「いいじゃないか、別に誰が見てるわけでもないんだし。あ、それとも何か? お姫さま抱っこして運んだ方がいいか?」 「どっちも嫌だ!。下ろせ! 自分の足で歩く!」 「や〜だよ」 アイオロスは、サガの言うことに聞く耳を持たなかった。 「やだじゃない!。下ろせってば下ろせ!」 サガはアイオロスの肩の上でじたばたと暴れたが、アイオロスは涼しい顔をしたまま意にも介さず、暴れるサガの身体を器用に押さえ込んでいた。 「わかったわかった、寝室まで行ったら下ろしてやるよ、ベッドの上にな♪」 そしてアイオロスはサガを抱えたまま、サガの文句には一切構わずに喜々として寝室へと向かった。 こうしてサガとアイオロスは、約10日ぶりに2人きりの濃密な夜を過ごし、心身ともに無事に仲直りを果たしたのであった。 一方その頃天蠍宮では、表向き気を利かせて双児宮を出てきたカノンが、ミロを相手に兄とアイオロスに対する文句と愚痴とをぶちまけていた。 ケンカの原因自体がバカバカしすぎて呆れて物も言えないだの、何であんなことでサガが家出するほどのケンカになるんだだの、あまつさえその家出先が青銅の小僧のとこなんて恥ずかしくてしょうがないだの、カノンの口からは次々に文句が飛び出しくる。 まぁ確かに喧嘩の原因そのものについては、ミロもカノンと同じように思わないでもなかったが、常日頃の自分達を顧みるととてもそんなことを言えた義理ではない。サガ達より自分達の喧嘩の方が遥かに大人げない理由に起因していることを、ミロは一応自覚していたのである。その辺り無責任に棚上げしているカノンより、ミロの方が少しだけ大人なのかも知れないが、カノンの場合はアイオロスに対する複雑な心理が作用している部分もあるだけに、下手なことを言って返すわけにはいかなかった。迂闊なことを言おうものなら、今度は間違いなく自分達が大喧嘩する羽目になるからだ。それを的確に理解していたミロは、引きつり笑いを浮かべながら、ただひたすらうんうんとカノンの言うこと大人しく聞いていたのだった。 ミロ的には自分達の方がサガ達に対して明らかに負債が多いし、たまにこれくらいのことはしてもバチは当たらないと思っているのだが、これを言ったところでカノンが素直に聞くわけもない。 まぁ大事なサガに家出された上に、教皇に乗り込まれて無理難題を押し付けられ、アイオロスの説得までやらされたカノンの心情は察して余りあるが、結局のところカノンも誰よりもサガ達のことを心配していたからこそ、何だかんだ言いつつその面倒な役割を全て引き受け、結果2人の仲直りに大きく貢献したのだ。しかもこうしてサガとアイオロスに2人きりの時間なんかも作ってやってるくせに、自分で自分のその行動を素直に認められないのだから世話はない。全く根っからの捻くれ者と言おうか何と言おうか……。それも今に始まったことではないので、幸か不幸かミロもすっかり恋人のそんな性格には慣らされていて、今更何を言う気も起こらないのだが……。 いずれにせよ、今晩は自分がカノンの何時終わるとも知れないこの愚痴に延々付き合わねばならないだろう。 サガとアイオロスが無事に仲直りしてくれたのは嬉しいが、思わぬ形で自分に弊害が及んだことについては、溜息をつかずにはいられないミロであった。 |
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