同じ頃・双児宮ー


「カノン……ちょっと話があるのだが……」

昼食の片付けを終えたサガは、リビングでのんびり雑誌を読んで寛いでいるカノンに声をかけた。

「何?」

カノンが雑誌から目を離してサガの方へ移すと、サガは何とも言えぬ複雑な表情を浮かべてカノンのことを見下ろしていた。サガは数秒ほどそのままカノンを見つめた後、カノンのすぐ隣に腰掛けた。

「……どうしたの? そんな改まった顔して……何か良くない話でもあんの?」

サガの様子がいつもと違うことを敏感に察したカノンは、やや身構えながらサガに尋ねた。ここのところケンカも無断外泊もしてないし、結構真面目に暮らしているのでサガに怒られる覚えもないカノンは、サガの用件の見当がまるでついていなかった。

「いや……良くない話、と言うわけではないのだが……」

やはりいつものサガらしくなく、歯切れが悪い。これだけでもちょっと話しづらいことなのだと言うことは、容易に見て取れる。

「じゃ、何?」

再度カノンが促すと、サガは一旦カノンから視線を外し、それを床に落としてから意を決したように顔を上げた。

「お前に聞きておきたいことがある」

「聞いておきたいこと?」

「……ミロのことだ」

「ミロ?」

いきなり出てきたミロの名前に、カノンはきょとんとサガの顔を見返した。

「あいつがどうかしたの?」

続けてカノンが聞き返すと、

「いや、違うな……ミロのと言うよりはお前のことだ、聞きたいのは」

「オレ!?」

カノンがビックリしたように声を張り上げた。

「オレ、別に何もしてないけど? あいつに悪い遊び教えた覚えもないし……」

ミロ絡みのことでサガに何かを聞かれるような覚えは、カノンにはなかった。確かにミロとはよく遊んでるし、年中一緒にはいるが、別に悪さをしているわけでも何でもない。カノンにはサガが何を言いたいのか、まるでわからなかった。

「そう言うことではない。私が聞きたいのは……」

サガはそこまで言って一旦言葉を切り、小さく一息ついた。カノンはやぱりわけがわからず、ただ黙ってサガの次の言葉を待つしかなかった。

「カノン、お前とミロが仲がいいのは知っている。いや、元々ミロにお前のことを頼んだのは私なのだから、ミロとお前が仲良くしてくれるのは私としても嬉しいことだ」

「……はぁ……」

カノンは、何となく気の抜けた返事を返した。当然ながらこの時点でも、カノンにはサガの言いたいことが見えていなかった。

「だが、ここのところのミロの様子を見ていて気付いたのだが……どうやらミロは、その……お前に友達以上の好意を持っているようなんだが、お前はそのことに気付いているのか?」

珍しく言いづらそうに言葉を詰まらせながらも、サガは一気にそこまで言って、伺うようにカノンの方を見た。カノンは目をぱちくりとさせながらサガを見ていたが、やがて

「……変に改まって何を聞きだすのかと思えば、何だ、そのことか」

まるで拍子抜けしたかのような感じでそう言って、カノンはホッと息を吐きだした。あまりにサガが深刻そうな顔をしているので何を言われるか、内心でカノンはヒヤヒヤしていたのである。

「何だ……って、お前それじゃやっぱり……」

だがそれを受けて、今度はサガがビックリしたように声をあげた。

「気付いてたよ、もちろん」

カノンはこれまた至極あっさりとそう答えて、くすっと笑った。

「わかんないわけないじゃん。あいつ、思考回路と感情と行動が全部直結してんだから……。どんなに鈍感なヤツでも気付くっての」

苦笑しながら、カノンが肩を竦める。サガに言われるまでもなく、カノンの方もとっくの昔にミロの気持ちには気付いていたのである。

「まさかとは思ったが……」

こんなに簡単にあっさりとカノンが肯定するとは思わず、サガはまた複雑な表情を作った。

確証と呼べるものは全くなかった。ただ何となく、最初の頃に比べてミロのカノンに対する態度が変わったような気がする、と言う程度だったのだが、最近になって頓にミロがカノンの為にあれこれと奔走している姿を見て、サガはもしかして……と言う思いを深めるようになったのだ。

カノンも言ったように、ミロは思考回路、感情、行動が完全に1本に直結している。それは幼いころからミロの面倒を見てきたサガもよく知るところだったし、それだけに自分の疑念は十中八九間違いないとは思っていたのだが、実際に確証を得るとまたそれはそれで単純ならざる思いを感じずにはいられなかった。何しろ、ミロが想いを寄せている相手は自分の弟なのだ。

確かに、事あるごとにミロにカノンの面倒を頼んでいたのは自分である。ミロはそんな自分の頼みを受けて、何くれとなくカノンのことを気にかけてくれた。カノンが思いの外早くに十二宮での生活に慣れ、他の黄金聖闘士達との関係を修復できたのも、ミロがいてくれたからこそだ。カミュとは違った意味で、ミロはカノンにとって親友と呼べる存在になってくれるのではないか……そんな期待もあったことは事実だが、まさかそれが転じてこんなことになるとは、さすがのサガにも予想できなかっただけに、少なからず困惑していることも事実であった。

「カノン、お前もミロももう大人だし、私が口を出すようなことではないのだが……」

サガは少しの間考えを巡らせた後、再び口を開いた。

「お前はミロの気持ちに気付いていると言ったが、今現在お前は友達としてしかあいつには接していない。それくらいは私にもわかる。今まではそれでよかったとして、この先どうするつもりなのだ? ずっと知らぬふりを決め込んで、このままでいるつもりなのか?」

自分が立ち入るべきか否か、サガも相当に迷ったのだがやはり放ってはおけなかった。ミロの気持ちは理解できた。何事にも一途で真っ直ぐなミロであるから、その想いがどれほどのものかも想像に難くはない。だが一方のカノンの方はと言えば、双子の兄であるサガにすらその真意は掴めないのである。

「さぁて、どうすっかねぇ〜」

カノンはどこか人事のように、気のない返事を返した。

「カノン、まさかとは思うが……」

今一つ真剣味に欠けるカノンの態度に、サガは思わず眉を顰めた。

「お前、あいつの好意の上に胡座をかいているわけではあるまいな? あいつの気持ちを、ただ自分の都合のいいように利用しようとしてるんじゃ……」

かつて邪悪に身を染めていた時の弟ならいざ知らず、今のカノンにそんな真似はできないだろうとサガも信じていた。だが目の前のカノンの様子にやはり一抹の不安覚えたのも事実で、そうなると不本意ながらサガもそれをカノンに問い質すしかなかった。

「兄さん……」

怒りだすかと思いきや、カノンは静かにサガの言葉を遮ると、穏やかな笑顔をサガに向けた。

「オレはあいつに対してそんなことは絶対にしないよ。だから安心して」

カノンはサガの心配をきっぱりと否定した。そして、

「あいつは、オレにとっても特別で……大事なヤツなんだから……」

サガから視線を外し、少し赤らめた顔を俯けて、カノンは照れ臭そうに……だがはっきりと自分の本当の気持ちを口にしたのである。

「カノン、それじゃお前……っ」

サガは思わずカノンの両肩を掴んだ。カノンは気恥ずかしさに頬を赤く染つつ小さく頷いてから、

「ったく、ミロのことはわかったクセに、何で弟のオレのことがわかんなかったんだよ!」

サガに向かってそう文句を言った。双子の兄弟なんだから言わなくてもそれくらいわかるだろう……とカノンは思ったのだが、ミロの心配ばかりが先に立っていたサガには恐らくカノンの心の機微に気付いている余裕などなかったのだろう。口では文句を言いつつも、そんなところが兄らしいと心の中でカノンは忍び笑いを漏らしていた。

「そうか、それなら良かった……」

心底安心したように、サガが呟いた。実際問題、サガもカノンとミロの8歳の年齢差を少なからず気にしていた部分はあった。ミロはともかくとしてカノンの方が、8歳も年下のミロをそう言う対象としては見れないのではないかと懸念していたのである。もちろんそれはそれで仕方のないことで、カノンを責めることなどできようはずもなかったが、下手したらせっかく築いたミロとカノンの友情関係すらも壊すことになりかねなかっただけに、心配せずにはいられなかったのである。

だがそれは完全に杞憂だったようで、カノンもミロと想いを同じくしていたのだとわかってホッとした。また甘いと言われるかも知れないが、サガはミロに悲しい思いはさせたくはなかったのだ。

「だがカノン……何故それならそうとミロに言ってやらないのだ? お前自身が迷っていると言うのならともかく、はっきりとそれを自覚しているのなら一歩先へ踏み込むことは容易かろう?」

カノンの気持ちがわかったところで、サガの中にはもう1つの疑問が生まれた。カノンはミロの気持ちを知っていて、なおかつ自分も同じ想いを抱いていると言うのに、何故か友達としての関係を崩そうとはしていない。カノンが一言その気持ちを口にすればすぐにその先に進める状態にありながら、カノンは敢えてそれをしようとはしないのだ。最早、障害は何もないと言うのに……。

「だって、あいつが何も言ってこないんだもん」

あっけらかんとしたカノンの答えに、サガは思わず唖然とした。

「……それじゃお前は、ミロの方から何かを言ってくるまで、ずっと知らん顔して待つつもりなのか?」

「当然」

間髪入れずにカノンに答えられ、瞬間サガは絶句した。

「何故だ? ミロの気持ちがわかっている分、お前の方が言い出しやすかろう。何もそんな焦らすような真似をしなくても……」

「イヤだよ! 8つも年下のガキ相手に、オレの方からなんて言える訳ないだろ!? 絶っっ対にヤダ!」

サガに説教めいたことを言われても、カノンにはカノンのプライドがあった。別に焦らしてなどいるわけではなく、8歳下のミロに自分の方から好きだなんて口が裂けても言えないのだ。

「何を下らない意地を張っているんだか……」

呆れてサガは、小さく頭を振った。サガに言わせてみれば、結局のところカノンだってその『8つも年下のガキ』であるミロを本気で好きになっているのだから、話は同じである。はっきり言ってカノンの言ってることは矛盾してると思うし、それより以前にそんな下らないことに拘らなくてもいいではないか、と思わずにはいられないサガであった。

「何とでも言ってくれ。でもヤなもんはヤなの。絶対にオレからなんて言わないもんね」

ここはカノン自身、絶対に譲れない部分であった。とにかくカノンはミロの方から「好きだ」と言わせたいのだ。見方によってはミロの気持ちがわかっているからと言う余裕の現れでもあったが、長期戦になっても別段カノンの方としては構わなかったのである。

「まったく……しょうがない奴だな、お前も……」

カノンが嫌だと言い張る理由もサガから見れば子供っぽい以外の何物でもなく、ただただ呆れ果てるしかなかった。

カノンを諭してもよかったのだが、気持ちが通じ合っているのならばいずれはなるようになるだろうと思い直し、サガはそれ以上は何も言わなかった。とにかく、カノンの気持ちがはっきりとわかっただけでも、サガとしては充分満足すべきことであった。

あとはカノンとミロ、2人の問題なのだから……。