その日、教皇宮の宿直当番明けだったオレは、仕事を終え、まだうっすらと朝靄の残る十二宮の階段を降りていた。
今日のひまわり当番はオレなので、帰りに天蠍宮に寄ってひまわりに水をやってから帰らなくちゃいけない。 種を植えてから3ヶ月。ひまわりは順調に育って、今やオレ達の背丈くらいまで大きくなっていた。芽が出たときにはあまりにもプチだったので、まさかここまでになるとは想像できなかったのだが、これってやっぱりシャカの小宇宙のお陰なんだろうか? 花はまだ咲いてはいないが、時期的に言ってもそろそろだろう。それにしてもオレ(ミロもだけど)、よく3ヶ月間毎日面倒見たよなとちょっと自分で自分に感心してみたり。 そうこうしているうちに天蠍宮へ辿り着いたオレは、真っ直ぐに裏庭へ向かった。どうせこの時間じゃミロはまだ起きてないだろうし、徹夜明けで疲れてるからとにかくさっさと水やってさっさとウチ帰ってさっさと飯食って風呂入って寝たいのだ。余計な寄り道はしてられない。 欠伸を噛み殺しながら天蠍宮の裏庭に入った瞬間、オレは目の前に広がる光景に思わず息をのみ、立ち止まった。 ひまわりが……昨日まで蕾だった天蠍宮のひまわりが、一斉に大輪の花を咲かせていた。黄金色の見事な花が太陽光にその花びらを煌めかせて、天蠍宮の裏庭で燦然と輝くように咲き誇っている。太陽に向かって真っ直ぐに伸びているひまわりは、まるで太陽に付き従っているようにも見えるが、それでいて凛とした芯の通った力強さを感じさせた。 生まれて初めて見るその見事な光景に、オレはしばし言葉を失って立ち尽くした。 そしてその真ん中に……数多のひまわりに囲まれ、一際見事な光を放つ黄金色があった。それは…… 「ミロ……」 小さくオレが呟くと、ミロは豪奢な金髪を僅かに揺らして、オレの方を振り返る。その一瞬、ひまわりの群れに囲まれて立つミロが、まるでその中から抜け出してきたひまわりの精霊の姿ように見えた。 「カノン!」 ミロが嬉しそうにオレの名を呼ぶ声で、オレはハッと我に返った。……えっ!? オレ、今自分で何考えてたの? ミロが精霊……ひまわりの? い、いかんいかん、きっと今オレ、寝不足で感性と視力が麻痺してるんだ、そうに違いない!! 「お帰り!」 ミロがオレに向かってニッコリと笑う。ミロのその笑顔に、太陽がキラッと反射した……ように見えた。うわ、オレってマジやばいんじゃ……。 「随分、見事に咲いたな」 間近で見ると、本当に大きく花を付けている。1つの大きな花なのかと思っていたら、近くで見ると小さな花がいくつも集まって出来ている。でもその外観は、本当にデフォルメした太陽のようだ。 「カノンが降りてくるころ見計らって起きて庭に出たらさ、こいつらが咲いてたんだよ。昨日までまだ蕾だったのに、こ〜んな大きい花咲かせてるんだもんな、びっくりしたよ」 ミロは自分とほぼ同じ背丈のひまわりの花びらを指先で触りながら、やや興奮気味に言った。オレはそんなミロと、ひまわりの花を交互に見比べて……そしてやっと本当に、キグナスやサガの言っていた意味が理解できたような気がした。 その姿形だけででなく、天真爛漫な明るさ、無邪気さ、そして太陽の方へ真っ直ぐに伸びていくひたむきさと力強さ、ひまわりの持つ雰囲気全体がミロと重なるんだ。本物のひまわりの花を目の当たりにして、オレもようやく納得した。別にキグナスの目が腐ってたわけじゃなかったんだな……お前がこれを天蠍宮に咲かせたかったワケ、わかるような気がするよ。 「でもよかった、元気に咲いて。最初はシャカにはいじめられるわ面倒臭いわで、鬱陶しくも思ってたけど……何かこうやって無事に育て上げると、スッゲー嬉しい。プチ子育てした気分」 よく言うよ、オレが手伝ってやったお陰でもあるんだからな、感謝しろよ。それにしても、プチ子育てか……それってある意味的を射てるかも知れないな。バカだけどたまに上手いこと言うんだよな、こいつ。 「なぁ、カノン……やっぱこの花、オレに似てる?」 ミロはいきなり顔をオレの方に向けると、いきなりそんなことを聞いてきた。キグナスの言ったこと、さすがに覚えてたのか……。 「おお、似てるよ似てる、そっくり! この真っ黄色でヒヨコみてーな色が特に」 オレはミロの髪を一房掴み、開いてる方の手でひまわりの花びらを指差しながら言ってやった。 「真っ黄色!? ヒヨコ!?!」 ミロは自分の頭を押さえ、素っ頓狂な声をあげた。バ〜カ、真に受けてやんの(笑)。 「オレ……自分の金髪、結構いい線行ってると思ってんだけどなぁ〜。サガには小さい頃からお前の金髪は綺麗だって褒められてたし、この前だって見事な金髪って言ってくれたし……それが真っ黄色……ヒヨコ……」 ヒヨコと言われたのが心外らしく、ミロは1人でブツブツと文句を呟いていた。だから真に受けんなって(爆笑)。 「朝っぱらから人からかってんじゃねえよ!」 だって面白いんだもん、お前からかうの……とオレが言おうとしたら、ミロの野郎、いきなりオレの腕を掴んで力任せに引っ張りやがった。完全に油断してたオレは思いっきり無様によろめくと、ミロは狙ったかのように(って明らかに狙ってたんだろうが)よろけたオレを抱き留め、光速でオレにキスしやがった! うわっ! バカッ! 朝っぱらからこんなとこでっ!! うっ、うわわわっ、舌入れんじゃねぇ!! ヤバイ、ヤバイ、こいつをこれ以上放っておいたら暴走する! 危機感を覚えたオレは一気に小宇宙を燃焼させて、思いっきりミロを突き飛ばした。 「ってぇ〜……何もそんなに力一杯突き飛ばすことねえだろ!?」 オレに跳ね飛ばされてモロに尻餅をついたミロは、尻を擦りながらぶーぶー文句を言った。文句言いてえのはこっちの方だっ! こんにゃろう! ホントに油断も隙もありゃしねえ! 「てめぇが朝っぱらから変なことしやがるからだ! 自業自得!」 「カノンが朝っぱらから人からかって遊ぶからだろ! 仕返しだ!!」 何が仕返しだ! こんな変な仕返しがあってたまるか、スケベ小僧! オレはトドメにもう1発ミロの頭を叩いて、とっととミロに背を向けた。 「お、おいカノンっ……どこ行くんだよ!?」 オレがさっさと歩きだすと、途端に情けないミロの声がオレの背中を追っかけてきた。 「カノン、怒ったのかよ、なぁ!?」 どうやらミロは、オレがマジで怒ったと思っているらしい。声の調子でそれがありありとわかる。ったく、素直っつーか単純っつーか……お前のすっとこどっこいな行動には慣れてんだ、オレがこの程度のことでマジギレするわきゃねーだろ。 「……双児宮に帰って、サガにキグナス呼んでもらえるよう頼むんだよ。お前、このプチ子育ての成果、キグナスに早く見せたいんだろーが」 思わず溜息の方が先に出たが、オレはミロを振り返ってミロの思い違いを正した。早くしないと、今度はサガが仕事に行っちゃうんだよ。 「えっ!? ホント!」 ミロはたちまち表情を明るくすると、素早く立ち上がってオレの側に駆け寄ってきた。 「じゃ、オレも一緒に双児宮行く!」 ……言い出すと思ったよ。半分は朝飯目当てだな、こいつ。ま、今更何を言っても無駄だけどさ。サガも慣れてるから、いきなりこいつが飛び入りしても朝飯くらい作ってくれんだろ。 も1つ溜息をついて、オレはミロとともに双児宮への帰路についた。
オレの頼みを受けてサガはすぐにテレポートで日本に行き、女神に頼んでキグナスを連れ帰ってきてくれたのだが……やってきたのはキグナスだけじゃなかった。 「こんにちは、カノン、ミロ」 ニコニコと笑いながらオレ達に向かって頭を下げたのは、アンドロメダだった。あれ? オレ、キグナス連れて来てくれとしか言わなかったのに、何でアンドロメダまで? オレがこっそりサガの小宇宙に語りかけて聞くと、何でもキグナスがアンドロメダを一緒に連れて行きたいと言い出したので、サガはアンドロメダの分も女神に許可をもらって2人一緒に連れて帰ってきたらしい。 ふぅ〜ん、ま、こいつらがそう言う関係だってのは知ってたけど、無茶苦茶仲いいじゃん、このチビカップル。 「ミロ、本当に天蠍宮にひまわりを植えてくれたんですね」 キグナスがミロに駆け寄って、妙に嬉しそうにワクワクとした様子でミロに話しかけた。クールが売りのカミュの弟子(の弟子)だから、こいつも鉄面皮かと思ってたけど、案外感情が素直に表に出るんだな、こいつ。まぁ、14歳くらいのガキのうちから鉄面皮ってのも困るけど、同じくカミュの弟子(の弟子)だったアイザックは、将来絶対カミュクラスになるであろう鉄面皮の持ち主だったな……。 「もちろんだ、氷河。せっかくお前が持ってきてくれたものだ、このオレがぞんざいに扱うわけがなかろう?」 あ、スカしミロだ、スカしミロ! よく言うぜ、面倒臭がってたクセに。キグナスの前だといつも大人ぶってカッコつけて、喋り方まで変えやがんの。 「嬉しいです、ミロ!」 キグナス、騙されるな……それは本当のミロじゃない。 「良かったね、氷河!」 アンドロメダが言うと、キグナスはアンドロメダを振り返って大きく頷いた。 「私はこれから仕事に行くが……一緒に天蠍宮まで上がるか?」 聖衣を着て出勤準備を整えたサガに聞かれ、オレ達はサガと一緒に天蠍宮まで上がることにした。ホント言うと風呂入って寝たいんだけど、仕方がない、付き合ってやるか。さっさと天蠍宮のひまわり見せて、その後はこのチビカップルをカミュとミロに押し付けりゃいいだけの話だからな。 てなワケで、オレ達は出勤するサガと一緒に、揃って双児宮を出た。 「うっわあぁぁ〜〜〜……」 裏庭に入ると同時に、キグナスとアンドロメダが同時に声をあげた。咲き誇る見事なひまわりの群れに、瞬く間に感動したらしい2人は、ダッシュでひまわりの側に駆け寄ると、 「すごい、すごい!」 自分たちよりも遥かに背の高いひまわりを見上げながら、目をキラキラさせてすごい!を連発していた。 それにしてもこの花、夏には日本ではそんじょそこらにうじゃうじゃしてんだろうに……そんなに物珍しげに見るようなモンでもないだろう? 「すごいです! ミロ!!」 更に目をキラキラさせてキグナスがミロを振り返ると、ミロはスカした態度は崩さないまま、超嬉しそうに頷いた。 「まるであなたがたくさん居るみたいだ……」 キグナスはミロの手を取って、より一層目をキラキラさせながら言った。……いや、まぁ、似てるっつーのはわかったケド、そんな手をしっかり握り締めて熱い眼差し向けて力説するようなことか? 「城戸邸のひまわりより、何倍も立派だね。同じ種類のはずなのに……」 ミロの手を取って感動に浸っているキグナスに向かって、アンドロメダが言った。ふぅ〜ん、城戸邸にもひまわり植えてあるんだ……っつーか、あの広さなら畑くらいの面積にダーッとひまわりが植えられてても不思議じゃねーけど。 「やっぱり植える場所が違うと、育ち方も違うのかな? この子達にはここの土が合っていたのかも知れないね。こんなに元気に丈夫に大きく育って、この子達は幸せだよ」 アンドロメダは手を伸ばして、指先でそっと花びらを撫でた。 「うん、こんなにまで立派に育つとは思わなかった。やっぱり天蠍宮に持ってきて良かった!」 いや、だからそれは多分、シャカのお陰なんだってばキグナス。処女宮に持ってってたら、もっと立派に育ってたかも知れねーぞ。 「オレとカノンとで、一生懸命育てたからな。オレ達の愛情もいっぱいつまってる。言わば、オレとカノンの愛の結晶、と言ったところかな」 相変わらずカッコつけモードを崩さぬままキグナスにそう言って、ミロはバサッと自分の髪を掻き上げた。 「それじゃ、このひまわり達は……ミロ、あなたとカノンの子供のようなものなのですね」 だから、ミロの言ってることを真剣に受け取るんじゃねぇ! キグナス!! 「ま、そんなようなものかな」 お前もカッコつけながら素直に肯定してんじゃねぇ! どあほう! 「カノン!」 オレが調子に乗ってるミロの後ろ頭を叩こうとしたところへ、いきなりキグナスとアンドロメダがオレの元へやって来て、ガシッとオレの手を掴んだ。なっ、何だ何だッ!? 「カノン……ありがとうございます。これからも我が師・カミュの親友、ミロのことをどうぞよろしくお願いします!!」 い、いや……よろしくお願いします!って言われても……。 「カノン……ありがとうございます。これからも僕の大事な氷河の師のカミュの親友、ミロのことをどうぞよろしくお願いします!!」 いや、だからそんなこと言われても……っつーか、アンドロメダ、お前よく舌噛まなかったな。にしても、お前らリアクション大袈裟すぎるんだよ! オレは有無を言わさず付き合わされただけで、渋々育ててたんだから、愛情なんてこめてねーっつの! オレが返す言葉を見失って絶句していると、言いたいこと言って満足したらしいチビカップルはさっさとオレから離れ、ひまわりの方へ戻って行ってしまった。 何なんだ、こいつらは、ホントに……。 でもってチビカップルはひまわりを見ながら、元気がいいだの大きいだの綺麗だの可愛いだのと騒ぎ、あげくミロをその真ん中に立たせてやれ似てるだの、ひまわりはミロの分身だの、ミロは太陽神だの(何だそれ?)わけのわからん美辞賛辞を連発してキャピキャピ喜んでいた。さすがのミロもぎこちないお愛想笑いを浮かべているだけが精一杯だったようだ。完璧、こいつらの感性についていけてないのがありありと見て取れて、それはそれで面白かった。
まぁ、こいつら喜ばせときゃ女神もお喜びになるから、それはそれでいいんだけどね。
政務室の窓からまた天蠍宮裏庭を見下ろしていたらしいシオンが、出勤早々のサガにその理由を聞いた。 「天蠍宮のひまわりが今日無事に花を咲かせましたもので、種を持ってきてくれた氷河達を日本から呼んで参ったのですが」 「楽しげに笑っておるな、嬉しそうじゃ」 「さようでございますね」 サガも天蠍宮を見下ろしながら、シオンの言葉に頷いた。 「そちの弟とミロとで協力しあって、立派に育て上げたようだの。愛の結晶というやつじゃな」 「そのような大袈裟なものではございますまい。シャカの助言あっての物種でもございますし」 シオンの物言いに、朝から嫌な予感が頭を掠めるサガであった。 「今朝ものう、カノンは仕事を終えたあとに真っ先に天蠍宮へ行ったようだぞ。そして花の前でミロと仲良う戯れておったわ。ほんにラブラブだのう……」 ますます嫌な予感が強くなり、サガは内心で焦りを覚えた。 「今日はカノンが水をやる当番だったそうですので……それで天蠍宮に立ち寄ったのでございましょう」 引きつり笑いを浮かべつつ、サガがそう応じると、シオンは深い溜息をついた。 「ミロとカノンの結婚式の時、ブーケはやはりひまわりがよいかのう? もうこれは完全にあっちの方が早そうじゃ。今のうちからそのつもりでおった方がよさそうだの……」 嫌み混じりの遠回しのシオンの物言いに、ほら始まった……と、サガも大きく溜息をついた。言わせておくだけ言わせておいて、右から左へ長そうかとも思ったが、アイオロスが出勤してきたらまた厄介なことになるので、それまでには何としてもこの話題を終わらせておかねばならなかった。 「そのようなことはまだまだ先の話でございます」 サガはきっぱりとそう言って 「教皇様、そろそろ礼拝のお時間でございます。お支度をいたしませんと遅れてしまいます。今は遥か先の不確定な未来のことより、すぐ目の前の職務のことをお考えください」 そしてこの前と同様、些か唐突に仕事を持ちだしてシオンの話の先を強引に切ったのだった。 「しかしのう、サガよ……」 「個人的なお話はいずれゆっくりとさせていただきます。アイオロスが出勤して参りましたら、すぐに礼拝堂へ行かねばなりません。教皇様が遅刻でもしようものなら、下の者への示しもつきません。早くお支度を……」 恭しく頭を下げ、サガはシオンを控えの間へと促した。 「おぬしがアイオロスと結婚して、共に教皇職を継いでさえくれれば、余もこんなに時間に追われる生活をせずともよいのに……」 シオンは往生際悪くぶつぶつと文句を言ったが、サガはこれを右から左へと聞き流し、更に強くシオンを促してやっと控えの間の方へ行かせたのだった。 「おはようございます!」 シオンが控えの間に消えると同時に、アイオロスが政務室へ飛び込んできた。 「間一髪だったな……」 飛び込んできたアイオロスを見ながら、サガがホッとしたように呟いた。 「ん? 何がだ?」 「時間がだよ。あと3分遅れたら遅刻だったのだぞ」 サガは上手く誤魔化しつつそう言って、くすっと笑った。 「ああ、そう言えばギリギリになっちまったな。いやさ、天蠍宮のひまわりが見事に咲いたんだよ。ウチからもよく見えるんで、それ見てたら遅くなっちゃって……」 「しっ!」 サガは人差し指を唇に当てて、アイオロスがそれ以上言うのを制した。そしてチラッと控えの間のドアの方を見てから、 「天蠍宮のひまわりの話は、ここでは話題にしないでくれ。帰りにゆっくりと……な」 かなり声を潜めて、アイオロスに言った。 「う……うん……」 アイオロスは気圧されたようにサガの言葉に頷いた。何で禁句なのかさっぱりわからなかったが、帰りにゆっくり……と言うところに期待して、アイオロスはそのまま何も聞かなかった。 少ししてシオンが身支度を整えて控えの間から出てくると、サガはシオンを窓際に近づけないよう気をつけながら、政務室を出て礼拝堂へと向かったのだった。 |
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