「なぁ、サガ……」

それから数日経った、ある日の夜。
明日は久しぶりに揃って休みということで、サガは仕事帰りにそのまま人馬宮に泊まりに来ていた。

「何だ?」

一緒に済ませた夕食の片付けを終え、リビングに戻ったサガは、珍しく神妙な顔つきをしたアイオロスに名を呼ばれ、返答しながらアイオロスの隣に腰掛けた。

「えっとさ……」

「ん?」

「いや、その……」

呼びかけたくせにモゴモゴしたまま、一向に話が先に進まないアイオロスに、サガは訝しげな視線を向ける。

「どうした?」

短く促してみると、アイオロスは一回口を噤み、十秒ほどしてから再度口を開いた。

「いきなりこんなこと聞いたら驚くかも知れないけど……」

「……だから何だ?」

「別に答えたくないなら答えなくてもいいから……」

「だからそれが何なのか、聞いてみなければわかるまい」

いつもであればこんな回りくどい言い方などせず、真正面からストレートに切り込んでくるアイオロスが、今日は明らかに様子がおかしかった。
ますます訝しく思いながら、サガはアイオロスが言葉を接ぐのを待った。

「サガはさ、昔……私がお前を好きだって言った時、大して驚きもせずにこう答えてくれたよな。『僕もだよ』って……覚えてるか?」

「えっ?!……あ、ああ、まぁ、一応……」

突然そんなことを聞かれてサガは驚いて目を瞠ったが、曖昧気味に言葉を濁しながらもそう答えて頷いた。
一応、とは言ったものの、本当ははっきりと記憶しているのだが、何しろもう15年も昔の話であり、サガにとっては持ち出されると気恥ずかしい思い出の1つであった。
何故そんなことを急にアイオロスが言い出したのか、サガにはさっぱりわからなかった。

「私はそのだな、サガにそれを打ち明ける結構前からサガのことがずっと好きで……いや、と言うよりもどうやら一目ボレだったらしいんだが……その……」

「………アイオロス、一体お前は私に何を聞きたいのだ?」

何か聞きたいことがあるのだろうということはわかったが、一体それが何なのか、サガにはさっぱり見えてこず、首を傾げる一方であった。

「だから、サガの方はいつから……」

「え?」

「サガはいつからその、私と同じようにだな、私のことを……好きでいてくれたのかって思ってな」

ようやくそこまで言うと、アイオロスは肺が空になるのではないかと思えるほどの、深く大きな吐息をした。
サガの方はアイオロスの口からいきなり飛び出してきた、予想だにしていなかったその質問に、大きく見開いた目をパチクリと瞬かせた。

「突然何を聞きだすのかと思えば……」

しばし唖然とアイオロスを見つめていたサガが、今度は呆れたように呟き、軽く頭を左右に振った。

「何故そんなことを聞く?」

そのまま無視を決め込んでも良かったが、付き合い始めた当初から一度もそんなことを聞いてきたことのなかったアイオロスが、今になって何故そんなことを改まって自分に聞いてきたのかサガは不思議でならず、その理由(ワケ)をアイオロスに問い返した。

「この間の休みの時に……」

アイオロスは正直に、先だっての休みの日に会った出来事を説明した。

「ミロ達にそれを聞かれて、そう言えば私もそのことをサガに聞いたことなかったなと思ってな。昔のことだし、今更それを聞いても……とも思ったんだが、気になり始めたら気になってしまって」

「それで突拍子もなくこんなことを聞いてきたのか」

「うん、まぁ……」

中途半端に頷くアイオロスを見ながら、サガは三度呆れ顔を作った。

サガが自分の想いを受け入れてくれただけで充分だとアイオロスはミロ達に言ったし、無理に聞こうとも思わないとも言った。
その考え自体はもちろん今も変わっていないのだが、やはり全く気にしていなかったときとは違い、気になり始めたら気になって仕方がなくなってしまったのだ。
そしてアイオロスは少しだけ頭を悩ませた結果、一度だけサガにそのことを聞いてみることにした。
一度だけそれを聞いてみてサガが答えてくれなければ、二度とは聞くまい……そう決めてアイオロスは、今日初めてサガに向かってその問いを口にしたのである。

だが実際にその問いをサガに投げ、それを受けたサガの呆れ顔を見た瞬間、やはりこれは答えてはもらえそうにないなとアイオロスは早くも諦めモードに入っていた。
最初からわかりきっていたことではあったのだが、やはり心のどこかで期待もしていただけに、少なからず残念に思う気持ちは拭えなかったのだが……。

「そんなに気になるのか?」

下らんことを聞くな、とでも言われてお終いかと覚悟していたアイオロスだったが、意外にもサガはそんな風にアイオロスに聞き返してきた。

「いや、まぁ……うん……」

何だかんだ言いつつもしっかり頷くアイオロスに、サガは思わず小さく苦笑した。

「そんなことを聞いてどうする?」

「いや、どうするって言われても困るんだが……。ただ知りたいから、じゃダメか?」

元よりご大層な理由があるわけではない。アイオロス自身が口にした通り、ただ知りたいだけ、本当にそれだけなのである。
サガはすぐには何も言わず、その深くて静かな蒼の瞳でじっとアイオロスを見つめていた。いつ叱り飛ばされるか、それとも笑い飛ばされるかと内心でハラハラしているアイオロスだったが、向けられたサガの瞳はいつに変わらず穏やかで優しい光に溢れていた。

「……お前と同じだよ……」

たっぷり30秒が経過した後、不意にサガは表情を和らげると、口元に微笑を浮べながらそう言った。

「えっ?」

サガの言っている意味が分からず、アイオロスはきょとんとしながら間の抜けた声を上げた。

「私もお前と同じだと言ったんだよ」

サガはもう一度、それを繰り返す。

「オレと同じ……って……」

まだわかってないようなアイオロスに、サガはやれやれと溜息をついた。

「初めて会った時からだ」

サガのその返答に、アイオロスは両目をこれ以上ないくらいに大きく見開き、同時に口までもポカンと開けた。

「初めて会った時って……」

「教皇の間で、初めて教皇様に引きあわされたあの時だ」

そこまで言わなければわからんのか?と、サガがちょっとだけムッとしたように表情を動かした。

「あの……時に、もう……?」

「だからそうだと言っているだろう」

あからさまに信じられません、という顔をするアイオロスに、サガは疲れたように言った。

「ほ、本当に?」

「……こんなことで嘘をついてどうする?」

何がそんなに信じられないのか問い質したい気分にサガはなったが、とりあえずここはそれをグッと押さえ込んだ。
普段こんなことなど言ってはくれないサガなだけに、アイオロスのこの反応は至極当然といえば当然のものであったのだが、サガの方からすれば聞かれたことを正直に答えたに過ぎないわけで、サガはサガでアイオロスとのこの噛み合わないやり取りに少なからずの疲労感を覚えていた。

「だって初めて会ってからしばらくの間、サガは私を避けてたじゃないか。私が仲良くなろうとして近付いても、冷たいし素っ気無いし迷惑そうにしてたし。だからあの時私は、てっきりサガに嫌われてるものだと思い込んでいたんだぞ」

アイオロスがそう思ったのも当時の経緯からすれば無理もない話で、それが今になって初めて会った時から、つまりは一目ボレだったと言われても、サガを疑いたくはなくてもやはりそう簡単には信じられなかった。

「あの時の私には、お前に隠しておかなければならないことがあったからな。まだ子供だったからそれを上手く隠す自信がなくて……。仲良くなってしまったら絶対にボロが出ると思っていたから、極力他人との接触を避けてたんだよ」

隠しておかなければいけないこと、それはもちろんカノンのことである。
当時まだ6歳だったサガは、その年齢の割にはかなりしっかりとした子供ではあったが、それでもカノンの存在を完璧に隠しきる……要は他人に対してその嘘を完璧に貫き通せる自信がなかったのだ。
誰かと仲良くなってしまったら、何かの拍子に絶対に守らねばならないその秘密を漏らしてしまうかも知れない。子供心にそんな恐怖を抱いたサガは、他人と接触しないという方法で自衛をしていたのである。

増してアイオロスは、サガが生まれて初めて『惹かれた』相手だった。
元々、サガの生い立ちは決して幸福と言えるものではなかった。それでも幼少期を両親と双子の弟とともに慎ましく過ごしていたのだが、その両親を突然亡くしたことでサガの運命は狂った。いや、運命の歯車が正常に回り始めたといった方が、いいかも知れない。
サガもそしてカノンも、いわゆる普通の子供ではなかったからだ。
両親を亡くすとほぼ同時にサガはカノンとともにここ聖域に連れてこられ、その時からサガは存在を隠さねばならなくなった双子の弟の人生と、そして黄金聖闘士としての宿命とを、その小さな双肩に有無を言わさずに背負わされることになった。
その宿命の元に生まれてきた人間とは言え、それはやはり6歳の子供が背負うには余りにも大きすぎるものだった。その負担が幼いサガの心に裡に深い影を落とし、その影はいつしかサガから笑顔というものを奪っていた。
笑顔を忘れていたサガの目には、明るい生気に満ち溢れた健康的なアイオロスが太陽のように眩しく見え、その子供らしい無邪気で陽気な笑顔は、ギリシア神話の風の神と同じ名前が表すかの如く、優しく爽やかな微風を思わせた。
だからこそサガは一目で惹かれたのだ。自分にないものを全て持ちあわせている、アイオロスに。
そのアイオロスと仲良くなってしまったら、心を許してしまったら、絶対にカノンの存在を隠しきることが出来ないと、当時のサガはアイオロスに惹かれたが為に尚一層の警戒心を抱き、アイオロスを避けることそれ以外の術を見出すことができなかったのだ。

「そのことはカノンのことを知った時点でわかってはいたが……」

それから数年を経て態度を急変させたサガに、当時のアイオロスは大きな戸惑いと困惑を覚えたが、サガにとってはその理由は至極単純なものであった。
その数年の間にサガが極度なくらいに抱いていた警戒心が漸く解けて、アイオロスに対しても、またどんな状況下にあってもカノンのことを隠し続け、守り続けることが出来る自信ができたからだった。

「でもまさかあの時だなんて、思ってもみなかった。と言うか、思えないだろう普通」

事情は察してはみたものの、やはりあの時点のサガの様子からではとてもじゃないがそんなとは考えられず、しかも自分で自分がサガに一目ボレしていたことすら、数日前カノンに指摘されるまでアイオロスは気がついていなかったのだから、想像もつかないというか、考えが及ぶべくもないのは当然だろう。

「私は聞かれたことに正直に答えたまでだが、別に信じるのも信じないのもお前の勝手だ。好きにしろ」

くどくど説明するような類いの話でもないし、面倒くさいので、サガはそう素っ気無く言い置いてアイオロスから視線を外した。

「し、信じる、信じるよ!。いや、信じさせてくれ!」

アイオロスは大慌てでぶんぶんと首を左右に振ると、ガシッとサガの両肩を掴み、もう一度サガを自分の方に向き直らせた。
信じさせてくれって、本当のことを言っているというのに何故そんなことを頼まれなければならんのだ?とサガは呆れたが、アイオロスがかなり必死の様子なので結局は何も言えなかった。
アイオロスはそのままサガの身体を引き寄せて、腕の中にすっぽりと抱き締めた。

「ありがとう、サガ」

抱き締めたサガの耳元で、アイオロスが囁くように言った。

「礼を言われる筋合いのものでもないんだがな……」

ここまで来るとサガももう苦笑しか出なかった。
変なことを頼んでみたり礼を言ってみたりと、わけのわからないことで忙しい男である。

「正直言うとな、サガ。こんなことを聞いてみたところで、お前は素直には答えてくれんだろうと思ってた。一笑に付されるか、怒られてはね付けられるかのどっちかだと思ってたんだ。だから答えてくれて嬉しかった、ありがとう」

だがアイオロスが突然に礼を言い出したその理由は、サガが思っていたこととは別にもう1つあったようだ。

「そう思ってて、何故聞いた?」

最初に答えたくなければ答えなくていいと言っていたのは、一種の保険の意味だったのかと、サガは納得した。

「気になって仕方がなかったからっていうのが一番大きな理由だけど、何て言うか……今を逃したら一生聞けずに終わるような気もしてな。まぁ、ダメもとのつもりで聞いてみたんだ。もし答えてくれなかったら、もう二度と聞くつもりはなかったけど……」

アイオロスは少しサガから身体を離すと、十数センチ高い位置から覗き込むようにしてサガと瞳を合わせた。

「でもお前もよく答えてくれる気になったな。どういう風の吹き回しだ?」

いつものサガであれば、きっとアイオロスの予期していた通りのリアクションを返しただろう。
それが素直に、しかもあっさりと答えてくれたは、アイオロスにとっては嬉しい誤算としか言い様がなかった。
随分な言い草をするアイオロスであったが、サガは気を悪くした風でもなく、

「何となくその気になったから、かな?。一言で言えば、気紛れというやつだ」

そう答えて、悪戯っぽい光をその瞳の中に閃かせた。

「気紛れ?」

「そうだ。もし別のときに聞かれてたら、お前が予想していた通りの結果になった可能性が高いぞ」

サガはそう言いながら、くすくすと笑った。

「そうか。それじゃ私は幸運だったということか?」

「さぁ?。そんなこと私に聞かれても知らん」

さらりとそれを躱して、サガは軽く首を横に傾げた。

「思いきって聞いて良かったよ」

言うなりアイオロスはもう一度、そして先刻よりも強い力でサガを抱き締めた。

「なぁ、サガ……」

「ん?」

抱き締められた腕の中で、サガは大人しくその身をアイオロスに預けたまま、短く返事を返した。

「改まってこんなこと言うのも変だけどさ……」

「うん?」

「やっぱり私達が出会ったのは、運命だったんだな。出会ったあの瞬間から、こうなることが定められてたんだ。今日、それを確信できたよ……」

歯の浮くようなアイオロスのそんな言葉を、いつもであれば赤面してとても聞いていられなかったであろうが、今日に限ってはサガもそれを素直に嬉しいと感じられた。
自分自身が口にした通り、どうやら今日の自分はいつになく大層な気紛れを起こしているらしかった。
でもたまには、そう、ごくたまにはこういうことがあってもいいだろう。

「……ああ、そうだな……」

サガは素直な気持ちのままでアイオロスにそう答え、そっと両腕をアイオロスの背に回したのだった。


END


【あとがき】

キリ番30,000リクエスト、どうもありがとうございました。
雪華様、大変長らくお待たせいたしまして、申し訳ございませんでした。
もう、お詫びのしようもないというのは正にこのことで……寛容なお言葉に甘えて長々とお時間をいただいてしまいました。
で、出来上がったのがこれでは、お詫びはおろか顔向けのしようもございません。
ロスとサガが互いを意識しあうまで、というリクエストをいただきまして、いくつかパターンを考えました。最初はもう初っぱなから最後までラブラブで行こうと思ったのですが、始まりが芳しくないほうが大恋愛に発展するパターンが多かったりするしなぁと思い直し、ちょっと路線を変えてみたのですが、出来上がってみたら結局は2人の一目ボレ初恋物語というわけのわからないオチになってしまいました。
さんざん待たせてこれか?!と呆れられたことと思います。本当にすみません、重ねてお詫び申し上げます。