Be with you

アフロディーテが言った通り、教皇宮を出るとミロが居た。
手持ち無沙汰そうにボケッと階段に腰掛けていたミロは、カノンが出てきたのを認めるなり、表情をパァッと明るく一変させて、軽い足取りでカノンに駆け寄ってきた。

「お疲れ! カノン」

カノンに労いの言葉をかけながら、ミロは無邪気な笑顔を満面に浮べた。

「……お疲れ、じゃねえよ」

ニコニコと嬉しそうなミロとは対照的に、カノンの表情には困惑と疲労の色が浮かんでいた。
カノンの様子がおかしいのは一目瞭然で、それに気付いたミロはすぐに笑顔を消すと、きょとんとカノンを見返した。

「どうしたの? カノン?」

「どうしたの? じゃねえよ。ったく、用事もないのに迎えになんか来るなって、こないだも言っただろうが!」

カノンはミロを睨み据えると、緩く握りこんだ拳でミロの頭を小突いた。

「痛てっ! 何だよ、仕事中に乱入してるわけじゃないし、迎えに来るくらいいいじゃないか!」

「そういう問題じゃない! オレが恥ずかしいんだっつっただろうが。まだわかんないのか、ボケ!」

「恥ずかしいって、何で? どうして?。オレ達のことは聖域では周知の事実だぜ? 今更隠すようなことじゃないんだから、堂々としてればいいじゃん、別に」

「だから、そういう問題じゃねえっつってんの!」

カノンは声を荒げると、今度は平手で、だが先刻よりも強くミロの頭を叩いた。

「痛ってえなぁ〜、何だってんだよ、もう! 何が気に食わないんだよ? カノン!」

ミロは叩かれた頭を擦りながら、口を尖らせた。

「お前ね、少しは人目ってものを気にしろよ」

「はぁ!?」

ミロは小首を傾げて、ますますきょとんと目を丸めた。

「ここんとこバカみたいにお前がこうしてオレにくっついてるから、それ見て周りに面白がられてんだよ」

「面白がられてるって、何で?」

「何で? 何で? ってお前なぁ……」

疑問符を連発するミロに、カノンは脱力感と軽い眩暈とを同時に覚えた。

「恋人を迎えに来ることが、そんなにおかしいことか?」

納得いかないとでも言いたげに、ミロはカノンに聞き返した。

「おかしいとかそういうことじゃなくて、お前のは度を越してるの! 女子供じゃあるまいし、階段降りるだけで帰れるってのに、わざわざ迎えになんぞ来る必要がどこにある?」

「理由や必要がなきゃ、迎えに来ちゃいけないのかよ?」

「当たり前だ。何の必然性もないのに毎回これじゃ、他の奴等に面白がられるに決まってるだろう! 今だって、オレがアフロディーテにからかわれてきたんだぞ!」

「からかわれたって、何て?」

「忠実な愛猫だね、可愛いじゃないか……だとよ」

アフロディーテに言われた台詞をそのままミロに言って聞かせると、ミロは不満げに眉間を寄せて言った。

「愛猫って……人を猫扱いするなよな……」

ツッコミ所はそこじゃないだろう、と思いつつ

「猫の方がまだマシだ。可愛げもあるし、飼い主の言うことはちゃんと聞くからな」

そう言ってカノンは冷やかな目をミロに向けた。
カノンの口が悪いのは今に始まったことではないが、わかってはいてもやっぱりその言い草にムッとしてしまい、ミロはあからさまに表情を動かした。
もちろん、その程度のことをいちいち気に止めるカノンではなかったが。

「膨れっ面してる暇があったら、これまでの自分の行動の幼稚さを少し反省するんだな」

素っ気無くカノンは言い放ったが、ミロはやや上目遣いに睨むようにしてカノンを見上げると、

「心配なんだから、しょうがないだろ……」

明らかに不貞腐れたように言ったが、その声にはどこか切なげな響きがあった。

「心配って、お前ねぇ……」

何が『心配』なのか、聞き返さずともカノンにもわかっている。
原因が夢の中の出来事なだけに馬鹿馬鹿しさも募るが、とは言え、何だかんだ言ってもミロにこんな顔をされるとカノンも弱かった。
今まで物分かりの悪いミロに少なからず本気で腹を立てていたのに、自分の中のそれが急速に萎んでいくのを、カノンは自覚せざるを得なかった。

「どれほどリアルな夢を見たんだか知らんがな、何度も言ったけど所詮それは夢の中の出来事なんだ。そんなこといつまでも気にしたり心配したりしたところで、神経と時間の無駄遣いだぞ」

「それはわかってるけど……」

ミロは心持ち唇を尖らせて、視線を地面の方へ落とした。

「わかってるならもう忘れろ。夢は夢。そうそう正夢になんてなって堪るかよ」

「……だって、アイオロスが……」

やっぱりミロはアイオロスの言ったことを少なからず、いや、相当気にしているらしい。
夢の内容もさることながら、むしろミロの胸に大きく引っ掛かって必要以上に不安感を煽り立てているのは、アイオロスが軽い気持ちで何気なく言ったのであろうその一言だったのだ。
カノンは呆れ果てたように肩を竦めて、

「アイオロスの言うことなんか、いちいち真に受けるな。あいつはな、お前がサガにゴロゴロ懐いて甘えるのが気に食わないだけなんだ。それでヤキモチ妬いて、意地悪したくなっただけに決まってるだろ。本気にして気にするだけ、バカを見るのはお前だぞ」

この場でアイオロスが聞いていたら、カノンのこの言い草にさすがに憤慨したであろうが、こんな風に事態が変な方向に拗れたのはアイオロスにも責任があることなのだ。
というよりも、アイオロスが余計な一言を言わなければ話はもっと簡単に終わっていたのだから、カノン的には『アイオロスのせい』で間違いないのである。
どうせ本人は居ないし、しなくていい気苦労をさせられた慰謝料代わりだと、カノンはアイオロスに全ての責任を押し付けることにした。

「ヤキモチって、オレ、アイオロスにヤキモチ妬かれるほど、サガに甘えてるつもりないけど?」

視線をカノンに戻したミロが、クエスチョンマークを飛ばしつつ、また小首を傾げた。
わかってはいたが、自覚が無いというのは怖いものである。悪気はないけど天然、というパターンと同じくらいにタチが悪い。

「ま、サガが未だにお前を甘やかしてるのも悪いんだけどな」

独り言のようにボソリと呟きながら、カノンは別れ際にアフロディーテが言っていたことを何とは無しに思い出していた。

「そんなことはともかくとして……」

これは今更何だかんだ言ったところでどうなるものでもない。というより、堂々めぐりになるのがオチである。
カノンは早々にその話題を打ち切ると、おもむろに腕を伸ばし、いきなりミロの胸倉を掴んで強くその身体を引寄せた。

「なっ……!?」

完全に虚を突かれたミロは、驚いて短く声を詰まらせたが、あっと言う間に真正面至近距離に迫っていたカノンの、驚いたミロの顔を映し返していた濃蒼色の瞳が、いたずらっぽい光を湛えて細められた。
大きな瞳を目一杯見開いて自分を凝視しているミロから視線を外すと、カノンはミロの耳元へと唇を移動させ、そこに囁きかけた。

「これだけは言っておくぞ。オレは、お前がオレと別れたいと言い出したら、拒みはせん。いつでも別れてやる。だがな――」

カノンはここで一旦言葉を切り、息を継いだ。そして再び、唇を開く。

「――オレから、オレの方からお前に、別れてくれとは言うことはない。今ここでそれを断言してやる。よく覚えておけよ、いいな」

一気にそこまで言って、カノンはミロの耳元でくすっと微かな笑いを溢した。

「カノッ……」

ミロが弾かれたようにカノンの方へ顔を向けようとすると、直後、ミロの頬にふんわりと暖かくて柔らかなものが触れた。
それがカノンの唇であることにミロが気付くまで、0.5秒の時間がかかった。

触れるだけの優しいキスをミロの頬に落とした後、そこからすぐに唇を離したカノンは、ポカーンと自分を見ているミロに呆れと照れを織り交ぜた優しい微笑を向けた。
すると、ミロの表情が見る見る間に明るくなり、透明度の高い薄青色の瞳が強い輝きを取り戻す。
やれやれ、本当に世話の焼けるやつだと内心で苦笑いしながら、カノンはミロの柔らかな髪をくしゃくしゃと掻き混ぜるようにして撫でた。

たった今、口に出して言ったことは紛れもないカノンの本心であったが、それだけに本当は口にせずに済ませたいことだった。
にもかかわらず言ってしまったのは、これをはっきり口にしなければ収まりがつかなかったからで、平静を装っているが、本当はカノンは気恥ずかしくて堪らないのである。
この二週間、仲間達に笑われ(と、カノンは信じて疑っていない)、さんざん要らぬ気苦労をさせられた揚げ句、何で最後の最後でこんなこっ恥ずかしい思いまでしてミロを宥めなきゃいけないんだ、しかもたかが夢のことで! とカノンは事の理不尽さに腹を立て、すっかり貧乏くじを引かされた気分になっていたが、もっと早い時点でカノンがきっぱりとミロを安心させてやるような言葉の一つでもかけてやれば、ここまで長引かずに済んだであろう事は事実であった。

「カノン!」

つい今し方までの膨れっ面はどこへやら、瞬時に表情を一変させたミロは、嬉しそうにカノンに飛びついた。
殆どタックルか!? と思われるほどの勢いで飛びつかれ、カノンは思わず一歩後ろに蹌踉めく。

「バカ! お前はこんなところで懐くな!」

ゴロゴロ甘えるミロの猫っ毛が頬に当たり、擽ったさにカノンは思わず顔をしかめた。
その感触が心地よくもあったが。

「いいじゃん、別に。今ここにはオレとカノンしかいないんだから」

「いつ誰が来るかもわからねえだろう! 人目を気にしろって、今さっき言ったばかりじゃねえか!」

「平気平気。今は誰もいないんだし、それに誰かが近づいてきたらすぐに気配でわかるから」

だがその程度の文句にはすっかりと慣れているミロは意に介することもなく、当然のことながらカノンから離れようとはしなかった。
二週間もの間ずっと抱えていた不安が、一気になくなったのだから無理もない。
単純とも現金とも思うが、そんなところがやっぱり憎めないのがミロなのである。

「ったく、どうしてお前はそうお気楽なんだ!」

とカノンは声を張り上げたが、威嚇したのは口だけで、結局カノンはミロを無理矢理引っ剥がすような真似はしなかった。
呆れ果てたように眉間を寄せてしかめっ面をしていたカノンだが、それから三十秒ほどの時間が経過する頃には、そのしかめっ面は小さな、それでいてはっきりとした嬉しそうな笑顔に変化を遂げていたのだった。



周囲には誰もいないと、ミロもカノンも思い込んでいたが、それは大きな間違いであった。
この時、教皇宮の出入口の大きな柱の影で気配と小宇宙を断ったアフロディーテが、苦笑混じりの微笑を浮べながら、教皇宮の前で堂々と戯れているミロとカノンの姿を見つめていたのである。

「口で言ってることと実際の行動に、随分と差があるな、カノンは。本当にどこまでも素直じゃない性格なんだな」

そう一人言ちて、アフロディーテは声を立てずに忍び笑いを洩らした。
口では素っ気無いことばかり言っていたカノンも、実際ミロと二人きりになれば見事にあの有様である。
散々甘やかしすぎだの何だのと、自分とサガに対する文句を言っていたくせに、結局のところカノンだって大差はない。いや、大差ないどころか、きっと今一番ミロに甘いのは、実のところサガでも自分でもなく、カノンであろう。
もっとも、本人全くの無自覚であることに間違いはなさそうだが。

「これじゃ私が出ていくわけにはいかないな。仕方がない、これは明日届けに行くしかないか」

アフロディーテはカノンとミロから視線を外すと、それを自分の手元へ落とした。
その視線のつきあたりにあるのは、金色に光り輝くジェミニのヘッドパーツであった。言うまでもなく、これはカノンの忘れ物である。
カノンが執務室を出ていって間もなく、アフロディーテは机の脇に置き忘れられていたこのヘッドパーツに気が付いた。
すぐにそれを持って執務室を飛びだしカノンを追いかけたところ、ちょうど教皇宮の前でミロとカノンが仲良く戯れあっている場面に遭遇したというわけである。
咄嗟に柱の影に身を隠し、二人に気づかれないよう小宇宙と気配を断ったアフロディーテは、結果的には覗き見よろしく、二人のラブラブっぷりを余すところ無く見学する羽目になったのだった。

いつ誰が通るかも知れない教皇宮の前でイチャつくなど大胆というか鈍感というか何というかだが、いずれにしても今ここで自分が出ていくのは野暮以外のなにものでもないことに変わりはない。
一番教皇宮に近い所に宮を構えているだけに、夜勤明けに遥か下の双児宮まで降りていくのは面倒だが、二人の世界の邪魔をして空気の読めない無神経な人間と思われるのはもっと不本意である。
となると、自ずと選択する道は一つに限られてくるのであった。

カノンも、そしてこの聖衣のもう一人の持ち主であるサガも、聖衣を着用している時には形式上の問題もあるのでヘッドを持参しては来るのだが、余程のことが無い限りこれを被ることはない。
基本的に被る気がないので、存在自体を忘れがちなのだろう。性格的にやや神経質なところのあるサガはそんなことはしないのだが、どちらかというと大雑把な性格のカノンは、こうして聖衣のヘッドを忘れることが度々あるのである。
今も全然ヘッドを忘れてきていることに気付いている素振りはなく、恐らくアフロディーテがこれを届けに行かない限り、カノンが自分で忘れ物に気付くことはないかと思われる。
殆ど被られず終まいになっている物だし、増して今は戦禍の中にいるわけでもない。一晩二晩これが手元にないところで、然したる問題はないだろう。

アフロディーテはそう結論付けると、すっかり油断しきって全く周りに気を配らずにラブラブしている二人を見遣り、もう一度忍び笑いを溢してから、届けに来たはずの忘れ物を手にしたまま、静かに踵を返して執務室へと戻っていった。

END



あとがき
とにかく原点に帰って、ひたすら甘々、ひたすらベタベタなミロカノを目指してみたんですが、何故かアフロディーテの方が出張ってる(^^;;)。
元々がアフロディーテにゴロニャンと甘えるミロが書きたくなって書いた話なので、それもまぁ仕方がないかと自分に言い訳してみたり。
ミロの傍迷惑な夢見癖ネタパート2ですが、たかが夢程度であのミロがここまで深刻な不安に陥るかどうかは甚だ疑問の残るところですが、その辺はあまりお気になさらずにいただければ嬉しいです。
いずれにしても言えることはただ一つ、お兄さん達、ミロを甘やかし過ぎです(笑)。