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「で?、女神はお元気でいらっしゃるのか?。ここのところ私達も忙しくて、日本の方にもお伺いできずにいたが……」 十数分後、サガが入れてくれたコーヒーの香気が立ち上る中、向かい合って座った3人は和やかに歓談を始めた。 「うん、元気だよ。元気すぎるくらいだね」 サガの入れたコーヒーを嬉しそうに啜り、その風味を感慨深く味わいつつ、星矢は笑いながらアイオロスにそう答えた。 そのコーヒーが上質の豆から挽かれたものであることは星矢にも容易にわかったが、コーヒーの質などこの際はどうでもよかった。 アイオロスと同様、サガが入れてくれたというだけで、ただそれだけで星矢にとっては何にも勝る最高のものなのである。 「そうか、それならよかった」 アイオロスは心底安心したように言い、軽く頷いた。 「沙織さん、今仕事でアメリカに行ってるんだ。氷河と瞬が通訳兼ボディガードでついていってる。その帰りにここに寄って少しゆっくりしていくって」 「それでは女神も一緒にこちらにお見えになるのか?」 少しビックリしたように、今度はサガが星矢に聞き返した。 沙織が聖域に立ち寄るという話はサガはもちろんアイオロスも聞いてはおらず、アイオロスも『えっ?』というような顔で星矢を見返していた。 本来、女神である沙織が常に居て然るべき場所はここではあるのだが、平和な世となった今は沙織はグラード財団総帥としての務めを優先しており、聖域のことは完全にアイオロスとサガ任せにして殆ど口も手も出さない状態だ。 とはいえ、ここに沙織が来るともなればそれまでに準備を整えておかなければならないことが色々とある。となるとこんな風にのんびりと茶を啜ってなどいる場合ではない。 「いや、沙織さんはそのままフランスに行くって。そのあとイギリスって言ってたかな。ボディーガードだけ邪武と市に交代するんで、お役ご免の瞬と氷河がこっちに来るんだ」 それを聞いてアイオロスもサガも、ホッと安堵した。 さすがに何の前触れもなく明日だか明後日だかにいきなり来られては、こちらにしてみても何かと不都合があるのである。 「まぁ沙織さんのことだから、フランスやらイギリスやらの仕事の具合によっては、帰りに寄るって言い出すかも知れないけどね。今のところはその予定はないよ」 「そうか」 サガは端的にそう応じたものの、これは立ち寄ると仮定して準備は整えておいたほうがよさそうだと思っていた。 「それにしても女神もお忙しい方だな。今は春休みなんだろう?。せっかくの休みだというのに、仕事仕事ではな」 アイオロスが言うと、サガも黙ったまま頷いた。 確かに18歳ともなれば、人生一番楽しい盛りであるはず。それが数多の責務と仕事とに忙殺されていては、見ている方も気の毒になってしまう。 「う〜ん、でも沙織さん自身は仕事が楽しいみたいだよ。大学に入る前、春休みのうちに片付けられることは片付けておかなくちゃって、いつに増して熱心に仕事しているし。分刻みのスケジュールで動いてる方が、性にあってるって自分で言ってた」 「女神ともあろう御方がなぁ……」 それはそれで責められる筋のものではなく、むしろ感心すべきことではあるが、それでもアイオロスは何となく苦笑してしまった。 「でもご本人が充実しておられるのなら、それでいいではないか」 「まぁな……」 どことなく気の抜けたように答えて、アイオロスはコーヒーを一口啜った後、ふと気付いたように視線を星矢に戻し、 「あれ?、ちょっと待てよ。女神が大学生になるってことは……お前もか?」 と、何を今さらなことを、真顔で星矢に聞き返したのである。 「お前は何をバカなことを言っているんだ?。先月、大学に受かったと星矢から報告の電話があったとお前にも言っただろう!」 だがそれに答えたのは当の本人の星矢ではなく、眉尻を軽く吊り上げたサガであった。 「あ、そうだったっけ?。それって紫龍だか氷河じゃなかったか?」 「紫龍と氷河は去年の話だ!。今年は星矢と瞬だと言ってあっただろう。まったく、お前は一体何を聞いていたのだ?」 「すまん、ちょっと記憶が混同してしまってな」 あっけらかんとそう答えて、アイオロスは笑い声を立てた。 「何が混同だ。さてはお前、私の話を聞いていなかったのだろう」 「いや、そんなことない!。聞いてた聞いてた、ちゃんと聞いてたよ」 「嘘をつけ!。ちゃんと聞いてたなら、今さら星矢にこんなこと聞いたりするわけなかろう。そうか、よくわかった、お前にとって私の話などその程度のものだったのだな」 「違う違う、そんなんじゃないって。ホントに記憶が混同しちゃっただけっていうか、こいつらの年を1歳間違えてただけって言うか……ホラ、ここのところ私も忙しかったから、つい……」 明らかに機嫌を損ねたサガに向かって、星矢の前であるということも忘れてアイオロスはあたふたと言い訳をしたが、完全にアイオロスの方が旗色は悪かった。 サガはむすっとした顔で黙ったまま、冷たい視線でアイオロスを睨んでいる。どうやらアイオロスが自分の話をいい加減に聞き流していたことが、腹立たしくて仕方がないらしい。 アイオロスは必死にサガに言い訳を続けていたが、その姿はとても全聖闘士の頂点に立つ教皇とは思えず、星矢の笑いを誘ったが、同時に胸の片隅に切ない思いが微風のように吹き抜けた。 『カノンとミロのこと、言えないじゃん』 目の前の大人げなさ全開の2人を見ながら、星矢はさっきアイオロスが愚痴混じりにミロとカノンのことを言っていたのを思い出していた。 星矢が見るかぎり、今のアイオロスとサガは、そのミロとカノンと大差ないのではないかと思う。 だがそれは同様に、やはりアイオロスとサガの関係が極めて良好であることを示す何よりの証拠である。それを嬉しく思う反面、やはり胸の片隅の同じ場所にチクリとした擽ったいような痛みが走る星矢だった。 「取り込み中のところ悪いんだけど、オレの前で痴話ゲンカするのやめてもらえないかな?。リアクションに困るんだけど……」 その痛みを払拭するように小さく首を振ってから、星矢ははっきりとした笑顔を作り、わざとからかうような口調でアイオロス達に言った。 アイオロスとサガが同時に星矢の方に向き直り、そして大人げない自分達を自覚して、これまた同時に頬を朱に染めた。 「あ、あ〜、言っとくけどこれは痴話ゲンカなんかじゃないぞ。誤解を解くための話し合いだからな」 何故か突然背筋を正し、わざとらしく咳払いをして、アイオロスは星矢に言った。 はっきり言って説得力の欠片もなかったが。 「ま、どっちでもいいけど……。でもさアイオロス、余計なお世話を承知で言うけど、あんまりサガ怒らせたりしたらダメだよ。また家出されちゃっても知らないからな」 星矢は冗談めかしていいながらくすくす笑ったが、アイオロスの方は真剣な顔を強張らせて、 「………嫌なこと思い出させるなよ………」 と、憮然とした。 これもちょうど5年前の話であるが、アイオロスと大喧嘩をしたサガが聖域を飛び出し、いきなり星矢のところへ転がり込んできたことがあった。 そのままサガは、根負けしたアイオロスがカノンにせっつかれて迎えに来るまで、5日間星矢の家で星矢と生活を共にしていたのだった。 もちろんこんなことは後にも先にもこの一回きりだったが、これはアイオロスにとっては口にした通りの嫌な思い出であり、サガにとっても非常に気恥ずかしい思い出であった。 だが星矢にとっては忘れ得ぬ、大切な思い出なのである。 星矢は照れ臭げにというか困惑したように微苦笑するサガの方へ、視線を転じた。 もし今この人が、あの時と同じように自分の元へ傷心の身を寄せてきたら…… もしあの時の自分が、今の年齢であったなら…… きっと自分はその身を抱き締め、決して離さなかっただろう。 そしてきっと、アイオロスの元へ帰したりはしなかっただろう。 ずっと側にいて欲しいと願って願って、その手を離そうとしなかっただろう。 あの時の自分はまだ幼かった。自分の気持ちに気付くことすらできなかった程に。 とてもこの人を守る力などなく、ただ尊敬と憧憬の眼差しを向けることしか出来なかった。 でも今なら……今の自分なら…… そこまで思考を進めた後、星矢は思わず自分で自分に嘲笑の混じった苦笑を向けていた。 そんな仮定が無意味なものであることくらい、今の2人を見ていれば嫌でもわかることだ。 この2人の間には、自分には想像もつかない程、とてつもなく深くて強い絆がある。 アイオロスの幸せはサガと共に在ることであり、サガの幸せもまたアイオロスと共に在ることなのだ。 そこに自分が入り込む隙など、あるわけもないのだから。 「どうした?、星矢?」 呼ばれて我に返ると、自分の視線の先の、サガが自分を心配そうに見る瞳と自分の瞳がぶつかった。 「えっ?」 少し頭がぼうっとしているような感じだった。いつの間にかまた自分の思考世界に入り込んでいたようで、星矢はどこか間の抜けた声を上げていた。 「先ほどから私の顔をじっと見たまま、ボケッとしているから……。どうかしたのか?」 冗談口を叩いていた星矢が突然黙り込み、自分の顔を凝視したまま微動だにしなくなったので、さすがにサガも不審に思ったのだった。 「うっ、ううん、別に何でもない」 星矢は慌てて首を左右に振り、努めて笑顔を作った。 「本当か?。疲れているのではないのか?」 「ううん、全然疲れてなんかないって、ホント!。大丈夫、ちょっとサガに見とれてボ〜ッとしちゃっただけだから」 「……何を言っているんだか……」 冗談めかして言う星矢に、サガは何とも言えぬ表情で眉間を寄せたが、サガの隣のアイオロスはと言えば、当然だろうとでも言いたげに胸を張り、その前で偉そうに腕を組んでどこか得意げな笑顔を浮かべていた。星矢はそんなアイオロスを、ほんの少し複雑な思いで見つめていた。 もちろん冗談めかしてはいても、星矢は冗談を言ったわけではない。それは本心からの言葉であり、本当のことであったのだが、サガには冗談と思われてた方が良かった。 自分のこの想いはサガには届かないほうがいい。 届いてしまったら、きっと少なからずサガを苦しませてしまうから。 例え自分自身の手では叶わなくとも、サガが幸せでさえいてくれればいい。 そしてこれからもこのままほんの少しだけ離れた位置で、サガの笑顔を見ていることが出来るなら、そして時折その笑顔を自分に向けてもらえるのなら、星矢はそれで充分だった。 手の届く場所にいるけれど、決して手の届かない人。 サガは星矢にとって、今後もそういう存在であり続けるに違いない。いや、あり続けて欲しいと星矢は思うのだ。 「なぁ、サガ、今日はサガのところに泊めてよ。それで久しぶりにサガが作ってくれた物食べたいな。アイオロスも一緒でいいからさ」 ほんの少しだけしんみりとしてしまった自分の気持ちを奮い立たせ、星矢は明るい表情と声でいつも通りにサガに甘えてみる。 サガにとって星矢は年の離れた可愛い弟のようなもの。甘えられて悪い気がするはずもなく、そして星矢自身もそのことをよく分かっていた。 「おい、私をオマケ扱いにするな!」 憮然としながら、アイオロスが片方の眉を軽く吊り上げた。 星矢がどれほどサガを慕い、サガに懐いているかアイオロスもよく知ってはいるが、自分には絶対できないことなだけに、アイオロスは半ば本気でやきもちを妬いていた。 「下らんことで年甲斐もなく拗ねるんじゃない!」 サガは隣のアイオロスを一睨みしてから星矢の方へ視線を戻し、 「もちろんそれは構わんが、いいのか?、私の作るもので。まだ時間はあるし、今から教皇宮付のシェフに作らせても充分間に合うぞ」 少し不思議そうに星矢に再度聞き返した。 教皇宮付のシェフというのは、俗世間一般的に分かりやすく言えば超高級三つ星レストランのシェフのようなもので、当然作られるものは最高級の素材を使った豪勢なものである。 「うん!。ていうか、サガが作ってくれた物が食べたいんだ」 だが星矢にとってはどんなに腕のいいシェフがどんなに高価な料理を作ってくれても、サガの作ったものに勝るものはないのだ。 「わかった、それならばお前の好きなものを作ろう。何かリクエストはあるか?」 サガは星矢の気持ちに嬉しそうに口元を綻ばせて、星矢に食べたいものを聞いた。 「サガが作ってくれたものなら何でもいいよ、任せる」 間髪入れずに返ってきた答えに、サガは困惑したように目を瞠った。 「何でもいいって……食べたいものくらい何かあるだろう?。遠慮しなくていいんだぞ、好きなものを言いなさい」 サガが念を押すようにもう一度聞くと、星矢もまた首をぷるぷると左右に振って 「遠慮なんかしてないよ。本当にサガが作ってくれたものなら何でもいいんだ」 と繰り返した。 サガはそれでも少し不思議そうな顔で目を2〜3回ほど瞬かせていたが、 「わかった。それでは久しぶりに気合いを入れて作るとしようか」 やがて星矢から本気を見て取ったらしく、間もなくその表情を緩めて優しい微笑みを返しながら言った。星矢の大きな瞳が更に大きく見開かれ、嬉しそうにキラキラと輝く。 「ありがとう、サガ!。晩飯がすごい楽しみだよ」 「あまり過度な期待はしないでくれ。そう大したものが作れるわけではないんだからな」 褒め言葉と一緒に期待に満ちた目を向けられ、サガは思わず決り悪いそうに苦笑いした。 「大丈夫、サガが作ってくれたものは何でも美味しいんだから!。な?、アイオロス」 期待に目を輝かせたまま、星矢は何故か自信満々にアイオロスにそう同意を求めた。 「ああ、その通りだな」 案の定、アイオロスも間髪入れずに星矢に同調した。 星矢と、星矢に同意して頷くアイオロスの似た者射手座コンビを見ながら、サガはやれやれと肩を竦めつつ、そう言えば星矢には5年前に、アイオロスにはもう20年も前に同じことを言われたことがあったなと思い出していた。 「おだてても特別なものは何も出ないからな」 とは言っても2人の冗談だか本気だかわからない軽口に真剣に取りあうのも時間の無駄なので、サガも何気ない調子でそれをさらりと流したのだった。 「そんなものは期待してないよ。でもそうだな、晩飯の話なんかしてたら急に小腹が空いてきたな。せっかく美味いコーヒーを飲んでることだし、ケーキくらいは出してもらえないかな?」 「……わかりました、教皇」 さり気なく調子のいいことを言うアイオロスに呆れたように溜息をついてから、サガはソファから立ち上がった。そして自分の執務机のところに行くと、その上の内線電話を取り、教皇付の神官に電話をしてケーキを3つ持ってくるように指示をした。 「実はな、さっきアフロディーテからお土産だって美味そうなケーキもらったんだよ。でもなかなか食いたいって言い出す機会がなくってさ、お前、本当にいいタイミングで来たよ、ラッキーだったな」 アイオロスはソファから星矢の方へ身を乗り出すと、後ろで電話をかけているサガに聞こえないように小声でそう星矢に囁いた。 「それってオレがラッキーなんじゃなくて、アイオロスがラッキーなんじゃないの?」 星矢がツッコミを入れると、そうとも言うかも知れないなと応じてアイオロスは笑った。 つられて星矢も笑いを溢す。 ひとしきり笑った後、星矢は目の前で無邪気に笑うアイオロスと、そしてその後方で電話をかけているサガの秀麗な横顔とを、交互に見つめ直した。 2人を取り巻く空気は、ともすれば泣きたくなるほどに優しく、穏やかであった。 星矢の中にアイオロスを羨む気持ちがないわけではない。2人を見ていてこんな風に切ない思いに駆られることもある。 だが今のこの状態が、自分にとって一番幸せな形であることだけは間違いはない。 だからずっとこのままで居たいと、いつまでもこの優しい時間(とき)が続いて欲しいと、星矢は胸に残る幾許かの痛みとともに、心の底からそう願わずにはいられなかった。 END 今一つオチのない話ですみません。 |
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