Happy Birthday to Milo
カチャッとドアの開く音で、カノンは緩く落としていた瞼を持ち上げた。
枕の上で僅かに首を傾けて視線をそちらへ流すと、中を伺うようにひょっこりとミロが顔を出しているのが見えた。
ミロはカノンと目が合うと照れ臭そうに微笑し、静かに中に入って来た。

「具合どう?」

ベッドサイドに椅子を持って来て、そこに腰を下ろしながらミロがカノンに状態を尋ねる。
もう何も隠す必要がないので、カノンは率直に答えた。

「何か気ィ抜けたら、どっと悪くなった……」

「そりゃそうだろ。てかさ、よくここまで我慢したっつか、よくぶっ倒れなかったって思うくらいだぜ」

ミロの口調は呆れるを通り越して感心しているといった風であったが、

「この程度の風邪でぶっ倒れてたまるかよ」

可愛げの欠片もなくそう応じたものの、この様では負け惜しみ以外の何ものにも聴こえないだろう。

「何にせよ、お前も無茶するよな。オレが最後まで気付かなかったらどうするつもりだったんだよ?」

「…………」

どうするもこうするも、その方が良かったに決まってるじゃねえか! とカノンは心の中で軽く悪態をついた。
心持ち唇を尖らせて拗ねたように沈黙しているカノンに、ミロは小さな忍び笑いを零し、

「もう少ししたらサガが薬持って来てくれるってさ。それ飲めば少しは楽になるだろ。あとはとにかくゆっくり休む事」

年長者が年少者に言い聞かせるように言った。
いつもと立場が逆転している事にカノンは一層不満げな顔をしてみせたが、すぐに表情を改め、

「……ごめん」

一転して神妙な面持ちで、ミロに謝った。

「え?」

「お前の誕生日――台無しにしちまってごめん」

ごめん、を繰り返して、カノンは枕の上でミロに向かって頭を下げた。
ミロは面食らったように目を丸くした後、

「お前達、兄弟揃って同じ亊言うなよな……」

そう言いながら困ったように苦笑いをした。

「何か二人それぞれに同じ亊言ってる気がするけど、オレは別に台無しにされたなんて思ってないって。むしろそのせいでカノンに無理させちゃったから、オレの方が悪い事したって思ってるくらいなんだけど」

「それことオレが勝手にやった事だ。お前が気にする必要なんてない」

結論から言うとどちらが悪いという問題ではないのだが、言い合っている二人は大真面目であった。

「うん。でも正直言っちゃうとオレさ、悪いなって思う反面、嬉しかったのも事実なんだよね。だってさ、カノンはオレの為にこんな無理をしてくれたんだろ」

「お前の誕生日なんだから、お前の為に決まってるだろうが」

照れ隠しである事は明白だが、カノンの受け答えはどこまでも可愛げがなかった。
もう少ししおらしくしても良さそうなものだが、ミロもハナからそんな期待はしていないし、はっきり言ってもう慣れっこなのでこの程度の事は気に止めたりもしないのである。

「だーかーら嬉しかったって言ってんじゃん」

カノンの枕元に肘をつき、上からカノンを覗き込むようにしてミロはニコッと笑った。

「何が嬉しかった、だよ。オレは約束破っちまったんだぞ」

「約束?」

今日のデートの事を言っているのなら、確かに後半はキャンセルということになったけれど、半分くらいは予定通りに行動できたわけだから、約束を破ったとまでは言えないだろう。
ミロがハテナマークを浮かべて小首を傾げていると、

「お前……オレに一日中一緒に居てくれっつってただろうが!」

憮然と言い捨てて、カノンはミロから視線を外した。
だがミロから返ってきたのは、拍子抜けしたようなあっけらかんとした答えだった。

「ああ、その事か。約束破ったなんていうから何の事かと思ったよ」

「は?」

自分で言っといて忘れたのかこいつ……と、カノンがミロに視線を戻すと、

「約束なんか破ってないじゃん」

「はぁ〜!?」

妙に自信満々にそう断言するミロを、カノンが不思議なものでも見るように凝視する。
そんなカノンを同じく不思議そうに見返しながら、

「だって今もこうやって一緒に居るんだから、約束なんか破ってないだろ」

事も無げに言ってミロは軽やかな笑い声を立てた。
カノンは思わず絶句し、穴があくような勢いで更にマジマジとミロの顔を凝視した。
返す言葉を失ってしばし沈黙していたカノンは、やがて疲れたような溜息をつき、

「あのな、オレが言いたいのはそういう意味じゃなくて……」

風邪のせいとは違う類いの頭痛を覚えつつ、カノンは言葉の意味の取り違いを修正しようとした。

「わかってるよ。でも今はこうして一緒に居るわけだし、この後もオレがずっとここに居れば約束破ったって事にはならないよね」

「って、おい、お前これからずっとここに居るつもりかよ!?」

「当然。それで万事解決っつか、約束してくれた通りになるじゃん」

無邪気に笑顔を深めるミロを、カノンは唖然と見遣った。

「お前ね、風邪っぴきで寝てる人間の傍にくっついてるだけで、何が面白いわけ?」

「面白いとか面白くないとかの問題じゃないんだけど。最初に言っただろ? オレはカノンが一日中オレと一緒に居てくれれば場所なんてどこでもいいんだって」

確かにミロはそう言っていた。
が、いくらそう言っていたからとはいっても、せっかくの誕生日に風邪っぴきの付き添いなんてあんまりにあんまりだろう。
それでなくとも楽しい予定をぶち壊してしまったと言うのに、これ以上ミロにつまらない思いをさせるのはカノンは嫌だった。

「オレに余計な気使うなよ。まだ時間はたっぷりあるんだし、オレは付き合ってやれねえけど、カミュかアイオリアにでも付き合ってもらって出かければいいじゃないか。そうだ、何ならサガ貸してやってもいいぞ。お前もサガならいいだろ? っつか嬉しいだろ?」

ミロはサガに懐きまくっているし、サガはミロを猫っ可愛がりしているし、オマケに姿形は同じだし、自分の代打としてサガ以上の適任者は居ないだろう。
名案とばかりにカノンは表情を閃かせたが、反してミロは思いっきり表情を曇らせて、

「気なんかこれっぽっちも使ってないよ。オレはここに居たいから居たいっつってんの。それにさ、カノン公認でサガ貸してもらえるのは確かに嬉しいけど、そんなことがアイオロスに知れたら後でメチャクチャ怒られるじゃんオレ。さすがにそれは勘弁だから、全力で遠慮しとく」

「……別にやましいことしなきゃメチャクチャは怒られんだろう」

大袈裟なと言わんがばかりにカノンが顔をしかめてみせる。

「やましいことなんか断じてしないけどさ。つか万一にでもそんなことしでかしたら、アイオロスに怒られるどころか殺されるよ、オレ。そういう意味じゃなくて、理由はどうあれサガとデートの真似事なんかしたら、アイオロスにヤキモチ妬かれて怒られるに決まってるだろってこと。アイオロスはサガのことになると途端に目の色変えるってか、大人げなくなるからな」

「大人げないのはいつもの事だろ。むしろあいつに大人げなんてモン、最初からあった試しもないけどな。何せ脳みそ14歳で止まったままで、その上スカスカなんだから」

今に始まったことではないが、アイオロスが聞いたら憤慨しそうな酷い言い草で、カノンはミロの言う事を肯定した。
うんそうだね、と同意をするわけにはいかず、ミロは乾いた笑いで誤摩化したが、具合が悪くても悪態をつく元気は残っているらしい事に少しホッとしていた。
アイオロスには申し訳ないような気はもちろんしていたが、言わなければわからないのだからいいだろう。

「とにかくさ、オレは今日はこのままここに、カノンの傍にずっと居たいんだよ。居てもいいだろ? ダメ?」

「ダメってわけじゃないけどよ……」

本人の自覚は薄いが元々ミロに甘いカノンである。
甘えるような仕草でこんな事を言われて、ダメと言えるわけがない。

「オレは寝てるだけなんだから、傍にくっついてたって退屈なだけだと思うんだがな」

盛大に溜息をつきながら、更に遠回しな言い方で、結局カノンはここに居たいというミロの希望を受け入れた。
いくら引き離そうとしても無駄だと、諦めたからでもある。
ミロの表情に、再び明るさが戻った。

「平気だよ、退屈なんかしないから」

んなわけねーだろ、とカノンは思ったが、口に出して言ったのは別の事だった。

「伝染っても知らねえからな」

「大丈夫」

自信満々に断言するミロに、ま、何とかは風邪ひかねーしなと憎まれ口を叩いて、カノンはベッドの中で肩を竦めてみせた。

「そうだ、お前さっきしこたまマンガ買ってたよな? それでも読んでれば?」

今の今まですっかり忘れていたが、そう言えば先刻ミロがマンガを盛大に大人買い(正確にはお金を出したのはカノンだが)していたことをカノンは思い出した。
全部読むのに何日かかるんだよ? と思わずにはいられない程の量を買い込んでいたのだから、この先数時間の暇を潰すには充分すぎるくらいだろう。

「あー、うん、でもアレここにあるわけじゃないからな。取りに行くのメンドくさいし……」

「そういえばお前、アレどこに移動させたんだよ? 天蠍宮か?」

一瞬の出来事だったのであの時は深く考えている暇もなかったが、あの大量の荷物をミロは一体どこに移動させたのか?。
普通に考えれば天蠍宮か双児宮(ここ)だろうが、ミロ自身がここではないと言っているということはあとは天蠍宮しかないということになるだろう。
となると確かに取りに戻るには億劫な距離かも知れない。

「うん、多分」

「多分って、何だよそのはっきりしない答えは」

「いや、あん時とにかく焦ってたからさ、しっかり天蠍宮に着地点定めてたわけじゃなかったんだよね。何も考えずにとにかく送っちまえって思って飛ばしたんだけど、でもまぁ方向は間違ってないし、双児宮(こっち)には届いてないみたいだから天蠍宮に届いてるんじゃないかなって思って」

「……お前、ほんっとにいい加減だな」

「そうかな? まぁ後で気が向いたら取りに行って来るよ」

呆れるカノンに軽い調子で答えて、ミロは話を終わらせた。

「てかさ、オレの事なんか気にしてないでカノンは寝なよ。しんどいだろ」

結局何だかんだと結構カノンを喋らせてしまっている事に今更ながらに気がついて、ミロは慌ててカノンに寝ろと促した。

「そうしたいのは山々なんだがな、サガが薬持って来てくれない事には寝たくても寝れないの」

「あ、そうでした」

カノンと話しているうちにその事をコロッと忘れてしまっていたミロは、バツが悪そうに苦笑してみせた。

「でもちょっと遅くないか? サガ」

「薬飲む前に何か食えって言ってたから、何か作ってるんだろ。食っても味わかんないからいらないっつったんだけど、胃を壊すからダメだとか何とかうるさかったからな」

薬を飲まなくてもうるさく言われるので、それなら薬だけさっさと飲んで寝たいというのがカノンの本音なのだが、サガがそれを許してくれないのである。

「それはサガの言ってる事の方が正しいね。っつか、オレもサガに同じように言われた事あるな。子供の時の話だけど」

実際のところミロもどちらかと言わなくてもカノンと同じタイプなので、カノンの気持ちはよくわかるのだが、どう客観的に見ても言っていることはサガの方が正しいので、ここはカノンに同意するわけにはいかなかった。
何だかんだ言っても他人事だから客観的に見れる、というのはもちろんあるのだが。

「オレ、ちょっと様子見て来ようか」

「ああ、いいよ。もうちょっとしたら来るだろうから、お前はここに居ろ」

立ち上がりかけたミロを、カノンが気怠そうに制止した。

「ミロ」

ミロが僅かに浮かせた腰を再び椅子に戻した時、再びカノンが口を開き、ミロの名を呼んだ。

「ん? 何?」

応じてミロが視線をカノンに向ける。
カノンは言いづらそうな顔で数秒の無言の時を流してから、意を決したように、

「埋め合わせは後で必ずするけど、今日のところは、とりあえず……」

早口でボソボソ言いながら僅かに上体を起こし、ゆっくりと腕を伸ばした。
その手で軽くミロの頬に触れてからそれを首の後ろに回し、カノンはいきなりぐいっとミロの上半身を引き寄せた。
完全に無防備だったミロが、あっさりと前のめりに体勢を崩す。
突然のことに状況が飲み込めずミロが目をぱちくりとさせているところへ、ふと額に温かな物が触れた。
一拍の間を置いた後、それがカノンの唇である事にミロは気付いた。
ミロのよく知るその唇は、発熱のせいでいつもよりずっと熱く、触れている場所にまるで小さな火が灯ったかのようだった。
それに呼応したように、ミロの頬もにほんのりとした朱色が差した。

「カノ……」

「続きはまた今度だ。……誕生日、おめでとう」

くしゃりとミロの猫っ毛を撫で、微笑むと、カノンは一気に脱力したようにベッドに身を沈めた。
ミロは大きな瞳を限界まで見開いて、穴が開く程の勢いでカノンを見つめていたが、間もなく今度はその目を愛しげに細め、

「サンキュ」

短く、だが目一杯の感謝の気持ちを込めて言ってから、寝ているカノンの肩口のところへポテンと頭を落とした。

「あんまくっつくなって。マジで伝染るぞ」

「大丈夫だってば。ちょっとだけこのままでいさせてくれよ」

その体勢のまま、ミロがくすくすと笑う。
首筋に思いっきり髪の毛が触れて擽ったかったが、カノンには強引にミロを引き剥がす気力は残っていなかった。
いや、気力が残っていなかったというよりも、そもそもその気がないと言った方が正解かも知れない。
無意識のうちにミロの頭に置かれたカノンの手が、何よりもはっきりとカノンの内心を物語っていた。


予想外のアクシデントに見舞われた誕生日だったが、それによって図らずもカノンの気持ちが再確認できたような気がする。
カノンにとっては散々な一日だったであろうが、ミロにとってはそれを実感できた事で充分満足な、そして幸せな誕生日となったのだった。
post script
HAPPY BIRTHDAY ミロ!

実はこの話は2年前のミロ誕に合わせて書きかけてたんですが、結局間に合わず、途中で止まったまま今年まで持ち越していた話でした。
誕生日ネタだから誕生日に合わせて出さないとなぁと、未完成のまま結局2年も寝かせてしまったわけですが、今にして思えば変に拘らずにさっさと書き上げてしまえばよかったのかも知れません。

それから「まーた風邪ネタかよ!?」というツッコミは、胸の内にしまっておいてやっていただけると嬉しいです(;^_^A。
既に書きかけていたので修正利かなかったと言いますか、これ外しちゃうと話そのものが成り立たなくなるので、大目に見てやってください。

それにしてもミロはやっぱり可愛いなぁ〜v。



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