それから約1週間、カノンは宣言通りみっちりサガに特訓されて今日のこの日を迎えたのであった。

とにかく複数レパートリーを覚えさせ、それをカノンに体得させるだけの時間的余裕はなかったから、サガはメニューを先に決めて徹底的にそれだけをカノンに教え込んだ。

そしてそれが全て、今天蠍宮のダイニングテーブルに乗っているものであった。

パンをフレンチトーストにしたのは、練習と称して考えもなしにカノンが割るだけ割ってしまった卵を無駄にしないために、サガが機転をきかせたのである。元々これは牛乳と卵を溶いたものをパンに付けて、フライパンで焼くだけの簡単メニューで、仕上げにパウダーシュガーやシナモン、メイプルシロップなどをかければ出来上がりである。これならカノンにも出来るはずだし、普通のトーストよりはちょっと洒落た感じも与えられていい感じだろう。

ただ焼くとなると当然それを焦がしてしまう危険性が生じるわけだが、どうせカノンは普通のトースターでもパンを焦がすのだから、結局のところ背負うリスクは同じである。案の定、カノンはここに来るまで結構な量のパンや卵、牛乳を炭の固まりに変えていた。

そして卵料理のスクランブル・エッグ。カノンが一番失敗なく作れるのは茹で卵であるのだが、時間がかかってその分早起きしなきゃいけないから嫌だと我儘を言うので、仕方なくスクランブル・エッグを代打に立てたのだった。スクランブル・エッグであれば短時間で出来るし、しかも簡単で味も形も誤魔化しがききやすい。調理は卵を加熱しながらかき回せば何とか出来てしまうものだし、味は最初から付けておかなくても出来上がったものに好みで塩や胡椒、ケチャップなどをかければいい。

ソーセージはカノンが茹ですぎたり半生にしたりする恐れがあるので、加熱調理の必要のないロースハムを並べるだけ。

サラダも下手に凝ったものを作らそうとすると大失敗して悲惨な結果になるので、レタスを千切ってキュウリとトマトをスライスしたものを乗せるだけの簡単グリーンサラダ。もちろん、ドレッシングは市販のものをかけるだけ。

ヨーグルトはこれまた市販のフルーツの缶詰とヨーグルトを混ぜ合わせただけの、簡単フルーツヨーグルト。

これだけ並んでいれば、一応朝のテーブルをそれなりに見目よくは飾れる。とにかく簡単で、そこそこの格好はつくようにと、サガが弟のために苦心してくれた結果であった。

もちろん、カノンが少なからず苦労したであろう事は察していたミロも、目に見えない部分でサガがあれこれお膳立てしてくれていたことなど知る由もなく、ただただ念願叶った喜びに感動することしきりであった。

直線単純思考のミロは、これなら今すぐにでもカノンと結婚できる!と言う、新たな夢すら抱いてしまったくらいである。

「それじゃ早速、いっただきまぁ〜す!!」

ひとしきり感慨に浸った後、ミロはありがたくカノンの努力と苦労の結晶であるその朝食を堪能することにした。

「って、あれっ?、カノンの分はぁ?」

ナイフとフォークを手に取ったところで、はたっ、とミロが気付く。と言うより今更気付くなと言う感じではあるのだが、テーブルの上に用意されていたのは自分一人分の朝食だけだったのである。

「ああ、何か作ってたらそれだけで腹一杯になっちゃってさ。あんま食いたくないから、これだけでいい」

カノンは曖昧にそう言いながら、アルデバランからもらったコーヒーだけを入れ、ミロの正面に座った。

「何だ、一緒に食いたかったのに」

ちょっとがっかりしたようにミロは言ったが、気を取り直してフレンチトーストにナイフとフォークを入れた。湯気とともに甘い香りがふわっとミロの鼻腔をついた。

だが幸せ一杯に最初の1口を口に入れた直後、瞬時のミロの顔色が変わった。

「どう?」

さすがにカノンもミロの反応が気になるらしく、すぐにミロに感想を求めてきた。

「……う、うん、美味しいけど……随分香ばしいフレンチトースト、だね……」

ミロは何とかそれを飲み下すと、引きつった笑顔をカノンに向けた。香ばしい、と言うのはもちろんミロにしては上出来の建前で、本音の意味するところは「苦い」が正解であった。

最初の1口を口に入れた瞬間に、恐ろしい苦味とメイプルシロップの甘さがブレンドされて口の中一円に広がり、ミロの舌の上でとんでもない不協和音を奏でていたのであった。

「ああ、ちょっと焦したからな」

あっさりとカノンに言われ、ミロは恐る恐るフレンチトーストの裏側を覗いて見たが、それを見た瞬間には言葉を失った。

ちょっとどころの騒ぎではない、裏は真っ黒焦げだったのである。

これじゃ苦いはずだよ、と思いつつ、さすがに今日この場で文句を言うわけにはいかなかった。

「別にいいだろ?。こう言うのって少し焦げてた方が美味いって言うし。日本人なんて、好んで焦げた飯食ってるってんだから、基本的に焦げた部分ってのは美味いんだよ」

カノンが言っているのは恐らく『お焦げ』のことであろうが、はっきり言ってそれとこれとは話が別だし、重ねて言うがこの焦げ具合はちょっとなんてレベルではない。上っ面がキレイに焼けていただけに、まさか裏がこんな悲惨な状態になっているとは思わなかったミロは、正に口の中にカウンターパンチを食らったような思いであった。

ミロは引きつり笑いで誤魔化しつつ、さり気なくフォークをスクランブル・エッグの方へ移動させた。

塩と胡椒を適量と、少しケチャップをかけて、さり気なく焦げてないかを確かめた。これは焦げているどころが、程よく半熟で絶妙な固まり加減であった。内心でホッとしつつ、ミロはそれを口の中に運んだ。

が……

「……カノン……」

1口噛んで、それをまた無理やり飲み下してから、ミロは控えめにカノンを呼んだ。

「何だよ?」

「何か、口の中でジャリって言ったんだけど……」

「ああ、卵割るときにちょっと殻が入っちゃって。一応、取ったんだけど残ってたんだな。大丈夫、卵の殻はカルシウムだから」

またもや事も無げに、あっさりとカノンが言った。この歯ごたえ豊かな殻の感触からして、恐らくこれもちょっとどころの騒ぎじゃないはずだ。
無意識のうちに『サガと同じ味』を期待していたミロは、この時夢と現実のギャップの大きさを痛感させられていた。と同時に、この時点において自分がこれら全てを無事に食べきれるかどうか、不安を覚えずにはいられなかった。

「……不味いか?」

だが一転して不安そうな顔でにカノンに聞き返されると、ミロは内心に生まれたそんな不安を瞬時に丸めて意識の外へとポイ捨てした。

「そんなことない、美味いよ」

ニッコリとそう微笑みながら答えると、ミロは意を決して再びフレンチトーストを口にした。口の中では不協和音でも、腹に入ってしまえば同じである。

ただやっぱり今すぐには結婚できない……と、先刻抱いたばかりの新しい夢を、また封印せざるを得ないことにはなったが。今日が終わったらこっそりサガのところへ行って、カノンに少しずつ料理を教えてもらえるよう頼み込もうと、ミロは秘かに決意していた。

無論、既に1週間、サガの猛特訓を受けた結果がこれであると言うことを、この時点でミロはまだ知らないのだが。

ミロが元気よく食べ始めたのを見て、カノンは小さく安堵の溜息を漏らした。こんな苦労するのは2度とゴメンだとは思うものの、それでもミロが嬉しそうに自分の作ったものを食べてくれているのを見て、カノンは今まで感じたことのない幸福感を味わっていた。

「なぁ、ミロ。食い終わったら街に出ようぜ。サガがさ、お前に何でも好きなもの買ってやれって言ってるし、アイオロスの野郎もさ、2人で食って来いってホテルの豪華ランチ予約してくれてるんだぜ」

嬉々としてそう話しかけてくるカノンのその笑顔に、ミロもまた別の幸福感が自分を満たしていくのを感じ取っていた。

作ってくれた朝食の味の方はともかく、カノンが『夢を叶える』と言う形で自分に幸せをプレゼントしてくれたことだけは紛れもない事実。

ミロにとってはそれが何よりも嬉しく、味覚的にはちょっとツライ一面もあったが、文字通り最高の誕生日となったのである。






時を同じくして双児宮では、見た目、質、味、量とも文句ナシのサガの朝食を食べ終えたアイオロスが、大満足状態で食後のコーヒーを飲んでいた。

「ミロの奴、今頃幸せ一杯に浸ってる頃だろうなぁ〜」

昨夜、カノンが天蠍宮に行ったと入れ違いに、それを見越したアイオロスが双児宮にやってきて、ちゃっかり泊まっていたのである。ミロの望みを叶える手助けをしてやった上に、ホテルの豪華ランチまでつけて奮発してやったのだから、このくらいの役得はあってもいいだろうと、アイオロスは勝手に思っていた。

だが浮かれ顔のアイオロスとは正反対に、サガの表情は朝から暗かった。

「どうした?、サガ」

サガが溜息をついているのを見て、アイオロスが心配そうに声をかける。

「私はミロの腹が心配だ。カノンの作ったものを食べて、腹を壊したりしないだろうか?」

入れたコーヒーに口もつけず、サガはまた溜息をついた。

「別に古い食材でも使わない限り、腹なんか壊したりはせんだろう」

アイオロスはそんなサガの心配を一笑に付した。

「そう言う意味ではない!。あんな不味いものを食べたら、きっとミロの胃がビックリして、胃痙攣を起こしかねん!」

そう言うサガの面持ちは、真剣というよりは沈痛であった。

「大丈夫大丈夫。あいつの胃はそんなにヤワじゃないって。ちっとやそっとの不味いもの食ったくらいじゃ、ビクともしないさ」

アイオロスの笑い声がサガの耳の中で非常に気楽に無責任に響いたが、一度たりともカノンの作った物を食べたことのないアイオロスであるから、それは無理もないことかも知れなかった。

「……あとせめて一週間あれば……」

サガはまた大きな溜息をついた。

この一週間、みっちりカノンを特訓したサガではあったが、28年の人生の中で培われてきた不器用さはそう簡単に修正できるものではなく、この短期間では何とか辛うじて一番最初よりはマシ……と言うレベルに持っていくのが精一杯だったのである。サガが言葉にした通り、あと一週間あればまだもう少し何とかしてやれたとは思うのだが、もうどうしようもない。あとは幸運と奇跡が重なれば、美味いものが出来ているかも知れないが……サガとしては最早それを祈ることしか出来なかった。

「まぁ、お前はやれるだけのことはやったんだし、あとはあいつらの問題だ、心配はいらんよ。それにこう言うのは気持ちの問題だからな。味なんか二の次だろう。今頃ミロは、嬉しくて感涙にむせんでるかも知れんぞ」

相変わらずお気楽なアイオロスであったが、その推察は半分だけ当たっていた。

「そうだな……そうあって欲しいが……」

苦笑を浮かべて頷きながら、サガは来年のミロの誕生日……いや、それよりも何よりも2人の将来の為に、カノンの不器用を何とかして矯正しなければいけないと、決意を新たにするのであった。


END

★Happy Birthday MILO!★

と言うことでとにかく幸せで甘々トロトロな誕生日を目指してみましたが、トロトロになりすぎて液状化してしまったような感もなきにしもあらずです(^^;;)。
今回は「僕の告白・2」をベースにして書いてみたのですが……せっかくの誕生日に、ミロには可哀相なことをしてしまったかも知れません(笑)。私もミロの胃がさすがに心配です。胃痙攣など起こさなければよいのですが……(^^;;)。
因みにカノンがしでかした失敗の数々は、実話も多く含まれています。ええ、もちろん殆どが自分がしでかした失敗です。
自らの恥を晒しまくっていますが、使えるネタは何でも使うと言う姿勢で創作活動を続けてきた私ですので、自分自身の赤っ恥もかいた側からネタ箱行きです。
そんな私でも、さすがに電子レンジで茹で卵を作ることまではしませんでしたが(^^;;)。


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