「何でカノンが隣にいるのに、サガの方に落っこちてくるんだよ、コイツは……」
サガの膝の上ですやすやと眠るミロを見ながら、アイオロスが苦々しげに呟いた。 久しぶりに休日の重なったこの日、アイオロスとミロは双児宮へ押しかけ、互いの恋人であるサガとカノンと一緒に、のんびりとした時間を過ごしていた。 四人でサガが作ってくれた食事を堪能し、その後ゆっくりリビングでテレビなどを見ていたのだが、お腹がいっぱいになって眠気を催したミロが、テレビを見ているうちにいつの間にか寝てしまい、何故かサガの膝の上に落っこちてきて、そのままそこで気持ちよさそうに寝ているのである。 反対側の隣にはミロの恋人たるカノンがいるというのに、何故サガの方へ落っこちてきて、サガの膝枕で寝息を立てているのか。アイオロスにとってはそれが甚だ疑問で、更に言うなら面白くないことこの上なかった。 本来自分だけのものであるはずのサガの膝の上を占拠されたこともそうだが、当のサガが嫌な顔も困った顔もせず、それどころか思わず見惚れてしまうほど慈愛に満ちた優しい表情で、膝の上で眠るミロを見守っているからだ。 「こいつ、腹一杯になるとすぐ眠くなるんだよ。いつものこった」 カノンはちらりと横目でミロを見遣り、ほんの少し苦笑が入り混じったような笑いを溢した。 「ああ。そういうところは、子供の頃から変わっていないな……」 懐かしそうな、愛おしむような口調でそう応じながら、サガはそっとミロの頭の上に手を置いた。 そんな様子を見て、アイオロスがヤキモチを妬かないわけがない。 「子供の頃から変わってないって……20歳にもなって、全く進歩してないってことじゃないか」 「そうは言っても、こういうのは一種の体質みたいなものだ。年齢はあまり関係なかろう」 サガは先刻より隣でミロがうとうととまどろみ始めていたことに気づいていた。ミロは子供の頃からお腹が一杯になるとすぐに眠くなってしまう子で、そのことを熟知していたサガは、あくびを連発しているミロに気づかぬふりをして知らん顔をしながら、ミロの様子を見守っていたのだ。 案の定、しばらくするとサガの肩にトンッと何かが落ちてきた。それと同時に頬にふわりとした感触を感じたとき、サガにはそれがミロの頭であることがわかった。 反対側のカノンも無論それに気づいていたようだったが、別に気にもしていないのか何も言わずにテレビの方に夢中になっていたので、サガも何も言わずにそのまま肩の上でミロを寝かせていたのだが、しばらくしてミロの頭は次第にサガの肩からずり落ちて、最終的にはサガの膝の上に落ち着いてしまったのである。 アイオロスもテレビに夢中になっていたので、ミロがサガの肩の上で寝ている間は全く気づかなかったのだが、さすがに膝の上にこんなでかいのが転がって来たら気づかないわけもない。 そして呆気に取られた次の瞬間には、嫉妬の炎がメラメラである。 なぜなら、こんなことは自分は間違ってもできないからだ。相手がミロだからサガも優しく見守っているが、もし自分がミロと同じことをしようものなら、サガは容赦なく自分の頭を膝の上から叩き落とすだろう。言い換えればこれは、ミロにだけ許された特権のようなものなのだ。 そうとわかっていても、いや、そうとわかっているからこそ、アイオロスもヤキモチを妬かずにはおれないのである。 「図体ばかりでかくなりやがって、中身は7歳児のままかよ!。ったく、幾つになっても進歩がないっていうか、甘ったれっていうか、子供なんだからな!」 不機嫌を露わにして、アイオロスが言う。 「みっともねぇなぁ……お前の方こそ、いい年こいてミロにヤキモチなんか妬くなよ」 サガは呆れて何も言えなかったのだが、そんなサガの内心を代弁するかのごとく、大きく溜息をつきながらアイオロスを窘めたのは、カノンであった。 「ヤキモチを妬いているわけではない!」 ウソつけ!とカノンが思ったことは、言うまでもない。 「というか、お前は何でそう平然としてるんだ?!」 「はぁ?」 「ミロはお前の恋人だろう!。恋人のお前が隣にいるのに、何でお前じゃなくてサガの方に倒れてきて、サガの膝枕でなんか寝てるんだ!。おかしいと思わないのか?!」 「おかしいも何も……寝ちまってる相手に何を言いようもないし、第一怒るようなことでもないし」 カノンはどこまでも冷静というか、落ち着き払っていて……というよりは、全く気にもしていないようで、視線などテレビのほうに向いたままである。 「腹立たないのか?!」 「別に」 「お前の膝の上じゃないんだぞ。サガの膝の上にいるんだぞ。お前の恋人が!」 「だから何?」 「平気なのかよ?」 「平気だっつってんだろ、最初から」 「お前なぁ……」 「五月蝿いなぁ。いいんだよ、こいつはサガの前だと子供に戻っちまうんだから。要はマザコンと同じようなもんなんだ、ギャーギャー言ったところで言うだけ無駄なんだから、お前もシカトしてりゃいいじゃん」 カノンは落ち着いているというよりも、むしろ諦めきっているといったほうが正解のようだ。 そう言われれば確かにそうで、ミロのサガへの甘えっぷりはむしろカノンよりもアイオロスの方がよく知っているのだが、あれはまだミロが幼い子供だったから許せたわけで、20歳にもなって、こんなに図体でかくなってまで昔と同じようにサガに甘えられたのでは、はっきり言って堪ったものではないのである。 「出来るか!馬鹿もん!」 そんな過去を経てきているせいもあり、アイオロスはカノンの何倍も諦めが悪かった。 ダメだこりゃ、と、カノンは思わず頭を抱え込んだ。 「静かにしろ、お前達。ミロが起きてしまうだろう」 このままでは埒が明かないと察したサガが、ようやく口を開いて言い争いをする二人の間に割って入った。だが、それがアイオロス的にはますます面白くなかった。 「別に起きたって構わん!。ていうか、寝るならカノンのところへ行け!」 言うなり、アイオロスはサガが止める間もなく、むんずとミロの猫っ毛を掴んで持ち上げた。 「痛てててっ!!」 さすがにミロも悲鳴をあげて、目を覚ました。 「アイオロス!」 サガが乱暴を働くアイオロスの手をピシャリと叩き、キッとアイオロスを睨んだ。 「あれ〜?、オレ寝ちゃってたぁ?」 アイオロスの手が離れ、再びミロの頭はポテンとサガの膝の上に落ちた。そのサガの膝の上で大きな目をパチクリと瞬かせながら、ミロは聞くともなしにサガにそう尋ねた。サガはそんなミロを見下ろすと、優しい笑顔をたたえて頷き返した。 「ごめ〜ん、オレ、腹いっぱいになると眠くなっちゃうんだよね」 ミロはそういうと、ちょっと照れくさげに小さく舌を出した。 当のサガはいいんだよ、とミロに優しく言ったが、 「謝るなら早くサガの膝から降りろ!」 まだちゃっかりサガの膝枕状態にいるミロに、アイオロスが叱責の声を飛ばして横やりをいれた。 「あ、ごめんごめん」 サガがいいと言っているのだからアイオロスに怒られる筋合のものではないはずなのに、そこら辺は深く考えていないミロは素直に謝りつつ、ようやくサガから離れてソファの上に身を起こした。 「ったく、寝るのは構わんが、隣にカノンがいるのに何でサガの方に落っこちてくるんだ、お前は」 「えへへ、何でかなぁ?」 それでも全く悪びれる様子もなく、屈託なく笑うミロを睨みながらアイオロスはブツブツと文句を言った。そんなアイオロスのことをサガは再び呆れたように睨んだが、アイオロスは知らん顔でプンプン怒っている。 カノンにいたっては完全無視の姿勢で、視線をテレビの方に向けたまま、ちらりともこちらを見ようとしなかった。 「子供じゃないんだから、テレビを見るなら見る、寝るならカノンの膝の上か、ちゃんとベッドに行って寝るかにしろ!」 「わかったよ。わかったから、そう怒るなってアイオロス」 サガとカノンからすれば、こんなことくらいで真剣に怒っているアイオロスの方がミロに負けず劣らずというか、よっぽど子供だと思うのだが、当の本人はやっぱりどこまでもそのことがわかっていないようだった。 とりあえずミロが謝った?のでアイオロスも渋々ながら納得し、それ以上は何も言わなかったが。 そんな一騒動があった後、再び四人でテレビを見始めたのだが、 「こいつはまた!」 三十分程の時間が経った後、またもやアイオロスの絶叫に近い声が響き渡った。 どうやら完全に目が覚めていなかったらしいミロが、またサガの膝の上にこてんと落っこちてきて、そこで寝始めたからである。 「つい今しがた注意したばかりだってのに!」 「眠いのだから仕方ないだろう」 「眠いのはいいさ!。だから寝るならカノンの方に行くか、ベッドに行けと言ったんだ!。それなのにまた……」 「カノンだろうが私だろうが、大差あるわけでもあるまい。そのようにムキになることもなかろう」 サガは眉を顰めて溜息をついたが、 「大差ないわけないだろう!。ミロの恋人はカノンで、そのカノンは隣にいるんだぞ!。なのに、何で私の恋人であるお前の膝の上に落っこちてきて、そのまま独占して、気持ちよさそうに寝てるんだ!。これはなぁ、指定席を間違えて座ってるのと同じようなものなんだぞ!」 説得力があるんだかないんだが、よくわからないことをアイオロスは捲し立てた。 「お前はどうしてそう大人気ないことを言うんだ……」 さっきから大人気なさ全開のアイオロスを窘め、サガは嘆くように首を左右に振った。 「大人気なくて結構!。おい、カノン!」 「あぁ?」 相変わらずテレビから目を離さず、カノンが面倒くさそうに返事をする。 「こいつお前の膝の上に移すか、ベッドに連れてってくれ」 「はぁ〜?!」 思わずカノンは、アイオロスの方に向き直った。 「何でオレがそんなことしなきゃいけねえんだよ?。大人しく寝てるだけなんだから、このまま放っておきゃいいだろうが」 「このままじゃ、私の精神衛生上よくないんだ!。いいか、もう一度言うぞ。こいつの頭をお前の膝の上に移すか、どうせここに居たってテレビ見ないで寝てるだけなんだから、もういっそのことベッドに移してそのまま思う存分寝かせてやれ」 「やだよ、面倒くさい」 カノンは思いっきり嫌そうに表情を歪めて、アイオロスを一瞥した。 「面倒くさいじゃない!。お前の恋人なんだから、お前が責任持て!」 「知るか!。責任持てもくそも、別に大人しく寝てるだけなんだからこのまま放っておきゃいいだろが!。ギャーギャーるせえんだよ!」 「お前の膝の上に転がってるなら文句なぞ言わんわ!。サガの膝の上だから問題あるんだろう!」 「たかだかサガの膝枕の一つや二つで、目くじら立てて騒いでんじゃねーよ」 「たかだかぁ?!。サガの膝枕は、そんな安っぽいもんじゃないんだよ!。とにかく、何とかしろ!」 「やだっつってんだろ!。オレはテレビ見てんの!。いいとこなんだ、邪魔すんな」 いい加減うんざりしたカノンは、突き放すようにそう言うと、後はアイオロスが何を言っても一切聞く耳持たん!状態で、テレビの方へ視線も神経も固定させていた。 「いい加減にしろ、アイオロス。あまり騒ぐとミロが起きてしまうと言っただろう」 サガの口調にも表情にも、疲れが見え隠れしていた。サガは仕方がないなと言わんばかりに大きく溜息をつくと、ミロの首の後ろに手を入れ、ミロの頭を少し浮かして自分の身体を横にスライドさせた。つまり、ミロを自分の膝の上から下ろしたのである。 それを見たアイオロスはホッと胸を撫で下ろしたが、ホッとしたのも束の間であった。 サガはソファから腰を浮かすと、静かに寝ているミロの前に回り込み、何とミロの身体を抱き上げたのである。 これにはアイオロスのみならず、カノンもビックリ仰天で目をまん丸く見開いた。 「サッ、サガっ…!お前、何を……?」 アイオロスが目を白黒させながらサガに抱き上げられているミロを指差すと、サガは冷やかな目でアイオロスを見て、 「ここにいるとお前が五月蝿いからな。ミロが可哀相だから、客間のベッドに運ぶんだ」 と、視線に負けず劣らずの冷やかな口調で言った。 「客間のベッドに運ぶって、何でお前が……。そ、そんなでかいの……」 「カノンは面倒くさいと言うし、私が運ぶより仕方あるまい。ここに寝かせておけばいいものを、誰かさんが大人げなく騒ぐからな」 更に嫌みったらしくアイオロスに言ってから、サガは抱き上げたミロに視線を落とした。 確かにミロは185cm84kgと立派に大きく育ったが、サガとて黄金聖闘士。ミロ一人抱き上げるくらい、雑作もないことだった。 「待てっ!待て待て!!」 サガがそのまま客間の方へ行こうとすると、焦ったアイオロスが大慌ての様子で引き止めた。 「今度はなんだ?」 「私が運ぶ!」 今度はアイオロスがサガの前に回り込むと、半ばやけっぱちの様子で声を張り上げた。 サガは疑わしげな目でじ〜っとアイオロスを見たが、アイオロスは 「お前に運ばせるより、私が運んだ方が何倍もマシだ!」 そう投げ槍に言い放ったのである。 とどのつまりは、これもヤキモチからくる言動なわけだが。 「大きな声を出すなと言ってるだろう」 「はいはい!。ほら、もう、ミロ貸せっ!」 いい加減な返事をして、アイオロスはサガの返事を待たずに、サガからミロの大きな身体を抱き取った。 何が悲しくて、ここまで育ったミロをお姫さま抱っこしてベッドに運ばにゃいかんのじゃ……とアイオロスは心の中で嘆いたが、言い換えれば自業自得なのだということにはまったく気付いていなかった。 「静かに運べよ。起こすなよ」 「はいはいはいはい!」 憮然と肩をいからせながら客間に向かうアイオロスの背中を、サガは苦笑しながら見送った。 「ったく、いつまで経ってもガキなんだからな、こいつは。これならウチのアイオリアの方が、まだしもしっかりしてるぞ。同い年なのに……」 ミロを客間のベッドに寝かせたアイオロスは、ミロの身体に毛布を掛けつつ、まだブツブツと文句を言っていた。 ミロの子供の頃からの癖というか、習性のようなものはアイオロスとてもちろんよく知ってはいるが、若干それが残っているという程度ならともかく、ミロは特にサガの前だと完全に昔に戻ってしまうのだから困りものである。 そんなミロを、昔と同じように甘やかすサガにも問題があるといえばあるのだが―――。 至近距離でアイオロスがプンプン怒っているというのに、その怒りの矛先にいるミロは相も変らずまったく目を覚ます兆しもなく、気持ちよさそうに眠っている。というより、完全に熟睡している。 「こいつはホントに邪気のない顔して、まぁ……」 アイオロスはベッド脇にしゃがみ込んで、ミロの寝顔を覗き込んだ。 人の苦労も知らないで……と思いながらも、どうもこの寝顔を見ていると憎めなくなってしまうのが不思議だった。 起きているときにはいっちょ前に生意気な口もきくようになったくせに、寝顔はまだまだ幼くて、子供の時の面影が色濃く残っている。 そんな無邪気な寝顔を見ているうちに、不満爆発でブーブー文句を垂れていたはずのアイオロスの怒気が急速に萎み、その頬がいつしか自然と綻んできていた。 無論、アイオロス自身それを自覚してはいなかったのだが、結局こうしてミロに見事に毒気を抜かれてしまったあたり、サガのことを甘いだの何だのと文句を言ってはいても、アイオロスもそのサガと大差ないようである。もちろんアイオロス自身は、そのことにも気付いてはいなかったのだが……。 「こうして大人しく寝てるだけなら可愛いんだが……どうしてああもベタベタベタベタ、サガに甘えるのかね?、こいつは」 言いながらアイオロスは、ミロの柔らかな髪の毛に軽く触れ、そっと撫でた。 そう、アイオロスが唯一にして最大に気に入らない点は、正にその一点だけなのである。それさえなければ子供だろうが甘ったれであろうが、構わないのだ。大層勝手ではあるが、アイオロスは真剣にそう思っていた。 サガとカノンにさんざん指摘されたにも関わらず、そうやって本気でミロにヤキモチを妬いているあたり、自分もミロとレベルが変わらないのだということにも、やっぱりアイオロスは気づいていなかった。 「……ロス、アイオロス」 静かに身体を揺り動かされる感覚と、優しい声で名を呼ばれ、眠りの世界にいたアイオロスの意識がこの場へと引き戻された。 「あ、あれっ?」 目を開けると、そこには苦笑混じりの微笑みを浮かべたサガの顔があった。 一瞬状況判断が出来ず、アイオロスはキョロキョロと辺りを見渡したが、 「オレ、寝ちゃってたのか?」 いつに見慣れぬ部屋と、そしてベッドの上ですやすや眠っているミロの姿を見て、アイオロスはようやく今自分がどこにいるのか、何故ここにいるのかを思い出した。 と同時に、記憶が一部見事にすっ飛んでいることも自覚し、その確認を求めてサガにそう聞き返したのだった。 アイオロスのその問いに、サガは黙って頷いた。 「あちゃ……」 案の定の答えを得て、アイオロスはバツが悪そうに眉間を寄せた。 「ミロを運んでいったきりいつまでも帰ってこないから、心配になって様子を見に来てみたら……」 プッ、と小さくサガは吹き出した。 客間にミロを運んでいったアイオロスが一時間近く経ってもリビングに戻ってこず、どうかしたのか、何かあったのかと心配になったサガが様子を見に来たら、何とアイオロスはベッドの脇に座り込み、頭だけをベッドに預けた状態で、ミロと一緒にカーカー気持ちよさそうに眠っていたのだ。 それを見た時にはサガの目も点になったが、正にミイラ取りがミイラになったアイオロスの姿に、思わず笑いを誘われずにもおれなかった。 「寝るつもりはなかったんだが、こいつの緊張感のない寝顔見てたらいつの間ににやら……」 「寝顔に緊張感があるわけないだろう」 素直に可愛いとか無邪気と言えばいいものをとサガは思ったが、それはアイオロスに求めても無理な話だと思い直した。単純なようでいて素直じゃないところが、アイオロスにもあるからだ。 「お前は昔からそうだったな」 「は?」 「ミロ達がまだ候補生だった頃、お前は子供達を寝かしつけたりしながら、よく一緒になって自分も眠りこんでしまっていたじゃないか。今と同じように」 言いながらサガはまた笑った。 アイオロスは、羞恥で自分の頬がカッと熱を持ったことを自覚した。 「いや、その……それはそうなんだけど……。どうもその、何だ、私は人が寝てるとつられて眠くなるらしくてな」 あはは、とアイオロスは乾いた笑い声を立てた。 そんなアイオロスに、サガは好意的な微笑みを向ける。 ミロのことを子供だの何だのと散々言っていたわりには、その張本人たるアイオロスも結局のところ昔から殆ど変わっていないのでは世話はない。と、思ったりもするのだが、一方ではアイオロスのそんな部分を愛しく思っている自分がいることもサガは知っている。 サガも大概意地っ張りで素直ではないので、そんなことは口が裂けても言葉にしたりはしないが。 「どうする?。今晩はここでこのままミロと一緒に寝るか?」 冗談めかした口調でサガが言うと、照れ笑いをしながら頭を掻いていたアイオロスは表情を一変させて 「何で私がミロと添い寝なんぞせにゃいかん。冗談じゃないよ、こんなデカネコお断りだ」 首をふるふると左右に振りながら、アイオロスは立ち上がった。 「昔はよくアイオリアとミロを両脇に抱えて、一緒に寝てたじゃないか」 「十何年も前の話じゃないか、それ。お前、私のことをからかって遊んでるな」 アイオロスはわざとらしくしかめつらしい表情を作って、緩く握りこんだ拳で軽くサガの頭を小突いた。 アイオロスの言う通りサガは、彼にしては珍しくあからさまにアイオロスをからかって遊んでいたのである。 「お前ならともかく……ていうか、お前以外の人間と添い寝なんてゴメンだよ。それにカノンにも悪いしな」 「別に構いませんよ〜。一緒に寝たきゃ、どうぞご自由に」 サガの背後から突然サガと同じ声が響き、アイオロスとサガはびっくりして二人同時にその声の方へ向き直った。 そこには開けっ放しの部屋のドア枠に凭れて、カノンが立っていたのである。会話に夢中になっていた(二人の世界に浸っていたとも言う)二人は、不覚にもカノンがやって来たことに気付いてもいなかったのだ。 「ったく、寝た子の側でイチャイチャと。お熱いことで結構ですね」 はぁ〜やれやれ……と、カノンは顔を引きつらせる二人に向かって肩を竦めて見せた。 「いや、別にイチャイチャしてたわけじゃないが……」 言い訳がましくアイオロスは言ったが、アイオロス的には言い訳ではない。 イチャイチャしているという意識は、アイオロスにはこれっぽっちもなかったからだ。 カノンはそんなアイオロスに思いっきり疑わしげな視線を送ると、凭れていたドア枠から背を離し、二人の側へと歩み寄った。 「自分の都合のいいように、オレをダシに使うんじゃねーよ。言っとくけどな、オレはお前みたいに子供じみたヤキモチは妬かないの!」 アイオロスに顔を近づけて上目遣いで睨みつけた後、カノンはいきなりアイオロスの腕を掴んで引っ張り、アイオロスとサガを自分の前に並べると、すぐにグイッと二人の背を押した。 「なっ、何だっ?!」 いきなり背を押され、何事かとアイオロスは抗議めいた声をあげたが、カノンは構わずグイグイと二人を押し続け、あっという間に二人を部屋の外へポイと出してしまったのである。 「こんなとこで馬鹿みたいにイチャついてねーで、あっちいってやれよ」 サガではなくアイオロスに向かってそう言い放って、カノンはふん!と鼻で笑った。 「だから別にイチャついてたわけじゃなくて、ただちょっと話してただけじゃないか」 さらりと聞き流せばいいだけの話なのに、アイオロスは律義にカノンに反論をした。だがカノンの方は、当然のことながらまともにその反論に取りあうわけもなく 「はいはい、だから続きはあっちでやれっての。見てるこっちがこっ恥ずかしいんだよ」 はい、バイバイと手をひらひら振り、カノンはアイオロスが再度口を開くより先に、問答無用で客間のドアを閉めてしまったのである。 閉ざされたドアの前でアイオロスとサガは唖然呆然としたが、 「カノンの奴、うまいこと私達を部屋から追いだしたな」 「えっ?……あっ、そうか……」 サガの笑い混じりの呟きを聞いて、アイオロスはやっと自分たちが体よく部屋を追い出されたのだということに気付いたのだった。 「何だ、つまりはあいつも私にヤキモチを妬いてたってことなんじゃないか。あーだこーだと偉そうなこと言ってたくせに……」 散々大人げないだの何だの言われたアイオロスは憮然としていたが、だからと言ってカノンのこの行動をすぐにヤキモチを妬いていると決めつけるのは、些か短絡すぎるような気もするサガだった。 「ヤキモチを妬いていたかどうかは知らんが、カノンにしてはかなり早い時間に部屋に入ったことだけは確かだな」 しかも自室ではなく、ミロが寝ている客間にである。 あの様子だとミロは恐らく朝までぐっすりだろうし、宵っぱりのカノンが部屋に入ったからとてこんな時間に早々に寝るとも思えないから、大方しばらくは客間の方でテレビでも見ているつもりだろうが、何だかんだと言ってみたところで、結局のところカノンもやっぱりミロと一緒にいたいのだろう。 それならそうと最初から言えばいいものを、そんな可愛げがカノンにあるわけもなく、逆に言うならそんなところが微笑ましく思えないこともないのだが、いかんせん言うこと為すことがいちいち小憎たらしいのである。 「ま、それならそれでいいか……」 だがしかし、それを深く考えていたらキリがなさそうなので、アイオロスは考えるのをやめた。 それにミロの居眠りのお陰で思いもかけぬ方向へ回り道をさせられてしまったような気もするが、過程はどうあれ何はともあれ、物理的にも精神的にもこれからの時間は誰に邪魔されることもなくサガと過ごせるわけだから、アイオロスにしてみれば結果オーライというやつであろう。これ以上余計なことに気を煩らわせるだけ、時間の無駄遣いである。 「それじゃあサガ、カノンもああ言ってることだし、私達は私達であっちでゆっくりしようか」 「お前、もう眠くないのか?」 自分に起こされるまで気持ち良く熟睡していたアイオロスに、やや皮肉の入り交じった口調でサガは言った。 「ああ、もう全然。お前に起こしてもらったお陰で、眠気はすっ飛んだ」 「そうか。ならば起こさずにあのまま放置しておけばよかったかな」 「………今日のサガは、何か意地悪だな」 常日頃とちょっとパターンの違うサガの受け答えに、アイオロスはわざとらしく眉を顰めたが、これはこれで今日のサガがいつになく機嫌のいい証拠でもあった。 「とにかく、今から寝るなんて勿体ない真似はしないさ」 言うが早いか、アイオロスは素早くサガの肩を抱き、その身体を引き寄せた。 「せっかくカノンの公認をもらったんだからな。こんなことは滅多にあることじゃないし、時間を有効に使わなきゃ勿体ないだろう」 「何が公認だ……」 アイオロスの都合のいい解釈にサガは呆れたが、それでも抱かれたアイオロスの腕から逃げようとはしなかった。いつもだったらこんな場所でこんなことをしようものなら容赦なく怒るのに、何故だかよくはわからないがやっぱり今日の、いや今現在のサガは、いつもとちょっと違うようだった。 嬉しくなったアイオロスは大人しいサガの額に軽くキスを落とすと、サガの肩を抱いたまま、軽快な足取りで意気揚々と誰もいなくなったリビングへと戻っていったのだった。 |
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