◆幕間小劇 『エンジェル〜ロスサガの巻〜』
「なぁ、サガ」

「うん?」

リビングに戻りソファに腰を下ろすが早いか、アイオロスは隣に座るサガの方へ身を捩り、その顔を覗き込むようにしながら名前を呼んだ。

「何だ?」

「いや、あのさぁ……」

サガがアイオロスに視線を合わせて問い返すと、アイオロスは言葉尻を濁しながら、まるで少年のようないたずらっぽい笑みを浮かべた。

「……どうした?」

「頼みがあるんだけど」

「頼み?」

サガが不審そうに僅かに眉間を寄せると、アイオロスは更に笑みを深めて、

「膝枕」

「は?」

「膝枕をしてくれよ、私にも」

膝を指差しながら言うアイオロスにサガは一瞬返す言葉を見失い、目を丸めて呆然とその顔を見遣った。

「ミロにだけしてやるのはズルイぞ。と言うより、ミロよりも私の方がよっぽどお前の膝を独占する権利があるはずなんだから、いいだろう?」

「…………お前、自分の年齢を自覚しているか?」

呆れるを通り越して脱力したサガは、これみよがしに大きな溜息をついて皮肉混じりにアイオロスに問い返した。
28歳にもなって20歳のミロと本気で、しかもこんな下らない事で張り合うなんて、バカバカしいにも程がある。

「さっき年齢なんて関係ないと言っていたのはお前だろう」

「それとこれとは話は別だ。意味がまるで違う」

「違わない。私にとっては同じだ」

無茶苦茶な事を平然と言い放ち、アイオロスはまたしてもサガを呆れさせた。

「お前は人前では私に絶対そんなことはしてくれんからな。だが幸いにして今ここにはお前と私の二人きりだ。こういう時でもないと、頼むに頼めんじゃないか」

論点そのものが根元から食い違っているんだと言おうとして、だがサガはその言葉を飲み込んだ。
アイオロスが時々突拍子もなく子供みたいなわがままを言うのは今に始まったことではないのだが、言い出したら聞かないという難点つきなので困りものであった。

「まったく、改まって頼みがあるなどとというから何事かと思えば……そんな下らん事を真面目に頼むなど、却って虚しくならんか? アイオロス」

「虚しいもくそも、OK取らずに勝手に膝の上に寝転んだら、お前怒るだろうが」

「その程度のことでは怒らん」

嘘だ! とアイオロスは思ったが、それをそのまま口に出すという愚行は犯さなかった。
本来だったら恋人である自分こそが、一番サガに優しくしてもらって然るべきはずの人間なのに、ふと気づけば一番厳しい扱いを受けているような気がするのは、被害妄想というものだろうか?。

「とにかくさ、ちゃんと頼んだんだからいいだろう?」

いずれにしてもこれ以上下手な押し問答になると別の意味でサガが機嫌を損ねる危険性があるので、アイオロスは些か強引に話の軌道を元へ戻した。

「ダメだ」

だがサガから返って来たのは、恐ろしく冷たく素っ気ない却下の答えだった。

「何で!?」

「何でも」

「どうして!?」

「どうしても」

アイオロスが理由を問い質しても、サガは鸚鵡返しをするだけで一向に明確な答えを返してくれようとしなかった。
しかもサガの口元には意地悪っぽい微笑が刻まれていて、どうやらからかわれているらしいとわかったアイオロスは、あからさまにムッと表情を動かした。

「だから何がどうしてダメなのか、ちゃんと具体的に答えてくれなきゃわかんないだろ! 何で後輩のミロが笑って許してもらえて、恋人の私がダメなんだよ? 納得いかないじゃないか」

元々頭に血が上り易い性質のアイオロスは、無意識のうちに声を荒げてのらりくらりと躱すサガに詰め寄っていた。
他人が聞いたらバカバカしい以外の何物でもない話だが、少なくとも一方のアイオロスは真剣そのものであった。
ムキになって詰め寄ってくるアイオロスをチラリと一瞥すると、サガは今度は先刻よりも更にはっきりと、意地悪っぽく唇の端を持ち上げ、

「今日はお前に膝枕をしてやりたい気分じゃない」

と、相変わらず素っ気ない口調で言った。
気分かよ!? とアイオロスが突っ込みを入れるより先に、フッとアイオロスの視界からサガの姿が消えた。
え? と思うと同時にアイオロスの膝――正確には太腿――に、ふわっと温かな重みがかかった。

「………サガ?」

反射的にアイオロスが視線を転じると、そこには今までとは打って変わって柔らかな微笑みを浮かべているサガが自分を見上げていた。
そしてその深い濃蒼色の瞳が、今度はいたずらっぽく煌めいている。

「今日は私の方が、こういう気分だからだ」

鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして自分を凝視しているアイオロスに向かって、サガは瞳を細めてみせた。
驚愕と言うよりも事態を把握しきれていないという感じで瞠られていたアイオロスの薄青色の瞳が、ぱちくりと瞬いた。
そしてその半瞬後、固まっていたアイオロスの表情が、喜色満面へと文字通りに一変した。
その変化はまるで黒が白へといきなり変化を遂げたかの如く極端かつ顕著で、予測していたとはいえ、それでも苦笑を誘われずにはおれないサガだった。
だがこれはアイオロスからしてみれば無理もないことであった。
サガは目下の者には優しく、というより甘く、先刻のミロのように甘えられれば無条件で甘やかすが、何故か恋人たる自分だけは同じように甘えさせてはくれないし、甘やかしてもくれない。
それがアイオロスにとっては大きな不満の種でもあるのだが、それ以上にサガがこんな風に自分に甘えてくれる事などまず滅多にあることではなかった。何故ならサガの場合は『甘える』ことよりも、『甘えてもらう』ことの方が、遥かに困難だからである。
自分達の関係を考えると変な話ではあるが、これはどうした風の吹き回しかと思わずに居られないほどに意外なことで、驚くなという方が無理な話だった。
同時に、喜ぶなというのも無理な話である。そもそも恋人に甘えられて喜ばない男などいないだろうし――もっともその恋人も同じ男なのだが――、特にアイオロスの場合、普段色々と我慢を強いられているだけに、その喜びもひとしおというものだった。

「そっか、それならゆっくりしていけ。ここは永久にお前専用指定席なんだからな」

アイオロスはこれ以上はないのではないかと思われるほどの明るい笑顔を思いっきり深めてサガの髪を愛しげに撫でた後、大きな身を思いっきり屈めて自分の『指定席』にいるサガの唇に自らの唇を重ね合わせた。

アイオロスの口付けを受けながら、サガは内心でいくつかの異なる感情が綯い交ぜになったような複雑な溜息を漏らしていた。
アイオロスの子供っぽさとわがままに呆れる反面、そんなアイオロスを愛しく思い、彼の残している少年の部分を大切にしていきたいとも思う。
喜怒哀楽が激しく、自分の気持ちに正直すぎるのも困りものだと思うが、反面そんな純粋な部分を貴重にも思う。
だからと言って年がら年中ミロや他の後輩達、そしてカノンと張り合われても困るが、それでもたまにはこういう形でアイオロスのわがままを聞いてやるのもいいだろうとサガは思っていた。
そう、本当にごくごくたまには――。

そして思いもかけずに得られたこの幸福に思いっきり浸っているアイオロスは、サガが実は自分に甘えるふりをしながら、それによって逆に自分を甘えさせてくれているのだということに、やっぱり気づいていなかった。
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Web拍手に掲載しておりましたSSです。
拍手に掲載しておりますSSは、今まで書いた話の一場面抜き出しSSになっております。
派生元の話はタイトルにあります通り『エンジェル』ですので、よろしければそちらもご覧いただけたら嬉しいです。

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