◆幕間小劇 『エンジェル〜ミロカノの巻〜』
サガとアイオロスを客間から追い出したカノンは、ベッドの縁に腰を下ろして、何となくぼんやりとミロの寝顔を眺めていた。
ミロの寝顔などそれこそ飽きるほど見ているし、恋人の寝顔に見とれるなどという甘い趣味は基本的に持ち合わせていないはずなのに、それでもこうしていると自分の胸の内側がほんのりとした暖かみに包まれていくのがわかる。
らしくないな……と、カノンは思った。
だがミロと付き合い出してから、カノンは時々こんな風にらしくない自分自身に気付いてびっくりすることがある。
そしてそれを自覚すると、途端に気恥ずかしくて堪らなくなるのだ。

「ま、アニマルテラピーみたいなモンかな」

それを誤摩化すかのように小憎らしい独り言を呟きながら、カノンはそっと手を伸ばして指先でミロの髪に触れた。
柔らかな癖毛が、ふわっとカノンの指に絡む。カノンはその感触が、実はとても好きだった。

本格的に寝入ったミロは、ちょっとやそっとのことでは目を覚まさない。
それこそぶん殴りでもしない限りは。
無意識のうちにそう安心しきってミロの髪を弄っていたカノンだが、次の瞬間、まるでそれを裏切るかのようにミロがパチッと目を開けた。
さすがにこれには虚をつかれ、カノンは咄嗟に手を引いた。

「何だ、目、覚めたのか?」

ヤベ、起こしちまったと思いつつ、表面上平然とカノンはミロに問いかけた。
ミロはパチパチと眠たげに瞳を瞬かせ、ゴシゴシと乱暴に擦った後、

「カノン……」

カノンを見上げて、小さな声でその名を呼んだ。
ミロのその様子からしてまだ寝ぼけている事は明らかだったが、例え寝ぼけていてもミロは絶対にカノンとサガを見間違えたりすることはない。

「ん?」

カノンが短く返事をするとミロは、

「……ごめんね」

そう唐突にカノンに謝ったのだ。
これにはさすがのカノンも面を食らい、絶句した。
ミロに謝られる理由など、今のカノンには全く思い当たる節がなかったからだ。

「ごめん……」

鳩が豆鉄砲を食らったときのような顔をしているカノンに、ミロはもう一度短く詫びの言葉を投げかけた。

「…………何が?」

やっとこさっとこ気を取り直してカノンが聞き返すと、ミロはカノンのその問いに答える前に、毛布から両手を出してゆるゆるとそれをカノンの方へ伸ばした。
そうして軽くその両手をカノンの首に回してからゆっくりと自分の半身をベッドの上に起こし、そのまま甘えるようにポテンとカノンの肩口に頭を落とした。
カノンはますます「???」となる一方だったが、それでも片手が条件反射的にミロの背後に回っていた。

「カノン」

「ん?」

「オレさ、サガのこと好きだよ、大好き」

「は!?」

またいきなり何を言い出すんだこいつは? と、カノンは文字通り目が点になった。
第一今更言われなくとも、そんなことは嫌という程わかっている。

「……知ってるけど……」

ミロが何を言いたいのか、カノンにはさっぱりわからなかった。
あー、まだ寝ぼけてんのかな? とカノンが思っていると、

「サガのことは好きだけど、でも、カノンのことは愛してるから」

「はぁ!?」

これまた何を今更なことを言われ、カノンは思わず素っ頓狂な声を上げた。

「オレが愛してるのは、カノンだからね」

カノンが明らかに戸惑っているのがわかっているのかいないのか、ミロは愛しているという言葉を繰り返して、背後に回した両手にキュッと力を込めた。
ミロの不可解なこの言動に首を傾げっぱなしのカノンだったが、少ししてふと原因と思しき事に見当がついた。
と言うよりも、このタイミングではそれしか考えられない。

そう、ミロは先刻の膝枕の件のことを言っているのだ――。

それとわかったカノンは、思わず苦笑の入り交じった微笑を溢していた。
確かに自分の恋人が隣に居るにも拘らず、その反対隣に居る恋人の兄の方に倒れ込んで膝の上で気持ち良さそうに寝ていたら、大抵の人間はカチンとくるだろう。それが普通の反応というものだ。
だがカノンはそんなことは全然気にしていなかったし、当然のことながらミロの気持ちをこれっぽっちも疑ったりはしていない。
付き合い自体はまだ短いが、それでもミロにとってサガの存在がどのようなものか、カノンは知り尽くしているからである。

「わかってるよ、そんなこと」

アイオロスにどやされたことが少なからず効いてるのかな? そう思いつつ込み上げて来た笑いを堪えながら、カノンは言った。
そう、そんなことは他の誰でもない、自分が一番よくわかっている。
カノンは片手をミロの後頭部に回し、優しくその髪を撫でた。
もそっとミロが身動く。
応じてカノンが視線を下方へ動かすと、ミロの薄青色の大きな瞳が上目遣いに自分を見上げていた。

「わかってるから……」

子供を宥めるような口調でもう一度言って、カノンは微笑した。
それを見たミロも安心したように口元を綻ばせると、再びポテンとカノンの肩口に顔を埋めた。

数秒後――。
至近距離からの規則正しい柔らかな寝息が、カノンの鼓膜を揺らした。
安心したせいかそれともカノンの温もりが心地よいのか、ミロはカノンに抱きついたままの状態で、正に電光石火の速さで眠りの世界へと戻って行ってしまったのである。

「やれやれ」

たった今まで起こっていた僅か数分の出来事がまるで嘘のように静寂が戻った部屋で、カノンはまたもや苦笑を溢した。
目もぱっちり開いていたし、口調もしっかりしていたが、やっぱりミロは半分以上……いや、完全に寝ぼけていたとしか思えない。
次に目覚めた時には、きっとこの数分間のことはきれいさっぱり忘れているだろう。
ま、その方がいいけどと、心の中でカノンは呟いた。

「なるほど、これじゃアイオロスもヤキモチを妬かずにはいられんわけだ」

っとに子供だなと思う反面、ミロのそんな子供っぽさが堪らなく愛しく思える。そして何でも許してやりたくなってしまう。
自分とサガは立場が違うし、ミロを愛しいと思うその気持ちの質もまるで違うものであるが、それでも共通する心情というものは間違いなく存在している。
これも立場の違いから表に現れる形が異なるだけで、自分にしてもサガにしてもどうしてもミロに甘くなってしまうのは、そんな感情が強く作用しているせいだろう。
自覚しているのか無自覚なのかは定かではないが、いずれにせよその辺を敏感に察しているからこそ、時にアイオロスはミロに対して本気でヤキモチを妬いてしまうのだ。
そのことにカノンは今日初めて気がついたのだった。
だからといってアイオロスがミロに対して危機感を抱いているわけでは、無論ないだろうが。

カノンはミロを起こさないよう静かに、そしてほんの僅かに身体を動かして体勢を直してから、軽く支えるようにしてミロの身体を抱き返した。
さすがに一晩中というわけにはいかないが、もうしばらくの間、こうしていてやってもいいだろう。
柄でもないことをしている気恥ずかしさはあったが、どうせミロはぐっすり寝ているし、他の誰が見ているわけでもない。極々たまにはこういうことがあってもいいさと自己完結して、カノンはそっとミロの髪に頬をすり寄せた。
柔らかなミロの猫っ毛が頬を擽る感触と、優しい香りが鼻腔を擽る感覚が、この時のカノンにはいつに増して心地よく感じられていた。
post script
Web拍手に掲載しておりましたSSです。
拍手に掲載しておりますSSは、今まで書いた話の一場面抜き出しSSになっております。
派生元の話はタイトルにあります通り『エンジェル』ですので、よろしければそちらもご覧いただけたら嬉しいです。

Topに戻る>>