◆幕間小劇 『ラヴ・シエスタ〜ロスサガそれからの巻〜』
カノンが気を利かせて双児宮から出て行ってから、30分――。
サガはずっと床に座り込んだまま、飽く事なくアイオロスの寝顔を見ていたが、そののんびり穏やかで、本人無自覚ながらも幸せな時間は、唐突に終わりを迎えた。
緩く閉じられていたアイオロスの瞼が不意にピクリと動き、それを縁取っている睫毛が揺れる。
それはほんの微かな動きではあったが、聖闘士であるサガの目はしっかりとそれを捉えており、アイオロスが目覚めた事を瞬時に察したサガは慌てて――だがしっかりと気配を殺して物音を立てずにその場を立ち上がると、静かにソファに腰を下ろし、超能力でテーブルの上の本を手元に寄せた。
さも読書をしていましたよという風を装いながらアイオロスの様子を見守っていると、間もなく、ゆっくりとアイオロスの目が開いた。
「やっと起きたのか?」
いささかわざとらしくサガが声をかけると、アイオロスは寝ぼけ眼を数回瞬かせてから、むっくりとソファの上に横たえていた半身を起こした。
直後、
「何じゃこりゃ!?」
自分が腕の中にしっかりと抱き込んでいる物に気付き、目を丸めて間抜けな声を張り上げる。
いつの間に眠り込んだのかすらわからないが、それでも寝る前にこんな物を抱え込んでなど居なかった事くらいは覚えている。
アイオロスはそれでもしっかり抱えたままのドナル●ダックをマジマジと見下ろしながら、本気で首を捻った。
「ドナル●ダックだ。シオン様と老師様からいただいたお土産のな」
さらりと答えたサガは、だが実はこの時笑い出しそうになるのを必死で堪えていたのだった。
「そんなのはわかってるけど、何でオレがこんなモン抱っこして寝てるんだよ!?」
いつもリビングボードの上に置かれているこれを、わざわざ持って来た抱きかかえた覚えなど、当然の事ながらアイオロスにはない。
「手持ち無沙汰そうにしていたのでな。試しにこれを傍に置いてみたら、勝手に抱き込んでしまったんだ」
寝ているのに手持ち無沙汰もクソもないだろうとアイオロスは思ったが、サガ的には嘘を言ったわけでも何でもない。
というより、要約しまくってはいるが、事実である事に間違いはなかった。
無論サガは、どんな風に手持ち無沙汰にしていたのかまでは、言うつもりはなかったが。
「つまりお前がふざけてこれをオレの傍に置いた結果が、この有様というわけか?」
「別にふざけたわけではない。経緯はどうあれ、それをしっかりと抱き込んだのは他ならぬお前自身なんだからな」
サガのおふざけを咎めようとしたアイオロスだったが、間髪入れずに、しかもどこか自信満々といった感じで切り返されては、ろくに反論する事も出来なかった。
サガにとっては幸いな事に、ドナル●ダックの前に寝ぼけてサガを抱き込んでいた事はアイオロスの記憶に全く残っておらず、また一方でアイオロス自身が自分の抱き癖を自覚しているということもあり、サガの一見無茶苦茶な返答にもそれなりの説得力というか信憑性があったからだ。
多少訝しく思いつつも、納得せざるを得ない部分の方が大きかったのである。
アイオロスはあからさまに大きく溜息をつき、
「オレ、これ抱えたまま何時間寝てたんだ?」
完全に反論することを諦め、新たな問いを投げた。
確かサガが三時のお茶を入れに席を立った事までは覚えているが、そこからプッツリ記憶が途切れている。もちろん、茶を飲んだ覚えもない。
「二時間半くらいだな」
言いながらサガは、促すように視線を流した。
その先には時計があり、その針は5時40分を指している。
「うわ、もうこんな時間かよ!?」
予想外に時間が経ってしまっている事に、アイオロスは驚いた。
ほんの数十分うたた寝した程度だと思っていたのに、うたた寝どころか爆睡してしまっていたようである。
しかも二時間以上も。
「そろそろカノンも帰って来る頃じゃないか。危なかったな……」
ぬいぐるみを抱いて爆睡している姿を見られる前に目が覚めてよかったと、アイオロスは心の底からホッとして胸を撫で下ろしたのだが、
「カノンならとっくに帰って来たよ」
安心したのも束の間、サガのその一言でアイオロスの顔から血の気が引いた。
「えっ……? 帰って来た……って? マ、マジッ!?」
「ああ、30分くらい前にな。またすぐに出て行ったけどね」
サガは事も無げに言ったのだが、アイオロスにはかなりの衝撃であった。
「てことはオレがここに寝てる間に帰って来たってことだよな?」
「そうだ」
「つまりオレはこのマヌケな姿を、バッチリ見られてると?」
「まぁそういうことだ。カノンがすぐに出て行ったのは、お前を起こさないように気を使ってくれたかららしいぞ」
カノンは別に気を使ったわけではなく、どちらかというと半分……というより完全に当て擦りのようなものだったのだが、その辺の事はサガもあまり深くは考えていなかった。
「あちゃぁ〜、カノンに見られたのかよ……」
暢気なサガとは正反対に、アイオロスは逞しい眉を八の字に垂らして情けないしかめっ面を作った。
「まずったなこりゃ。後で何言われるかわからん。というより、完璧バカにされるんだろうなぁ……」
よりにもよって一番厄介な相手にとんでもない姿を見られたもんだと、アイオロスは頭を抱えた。
恐らく次にカノンに会った時、大爆笑されて思いっきりバカにされるのだろう。
しかもカノンに見られたという事は、ほぼ確実にミロにも知れるということで、あの二人に揃って小馬鹿にされることになるのかと思うと、憂鬱にもなるというものである。
一気に落ち込んだアイオロスだったが、
「その心配はいらん」
サガが即座に否定して、アイオロスのその心配を一笑に付した。
「へ? 何で?」
常日頃の自分とカノンの関係を考えると、残念ながらバカにされる事は避けられないと思う。
ここぞとばかりにカノンは自分を笑い者にするだろう――と、アイオロスはほぼ確信に近いものを持っていた。
サガにだってそれくらいわかっているはずなのに、きっぱりと否定をするその様子は妙に自信たっぷりで、アイオロスは思わずきょとんと目を丸めて聞き返してしまった。
「あいつにも同じような癖があるからな」
「同じような癖?」
「抱き癖だ」
と、サガは笑って言った。
「え、ウソ!? あのカノンが!?」
「ああ。寝る前にわざわざ何かを抱いて寝るような事はないのだが、寝ているうちに毛布やら枕やら、手近にあるものを抱え込んでしまう癖が、子供の頃からあいつにもあってね。それが未だに直ってないらしい。一応本人もその癖を自覚してる。だからあいつは内心はどうあれ、面と向かってお前を笑う事は出来ないんだよ。だから安心しろ」
「へぇ〜、あのカノンがねぇ……」
初めて聞いたカノンの意外な一面に、アイオロスの目が今度は点になった。
それからすぐに何かを考えるような素振りを見せ、思いの外真面目な顔でサガに聞き返した。
「つまりカノンは寝ているうちに、手近にあるものを片っ端から抱っこする癖があるわけか」
「片っ端からというのは少々大袈裟かも知れんが、それに近いものがある事は事実だな」
「てことはさ、今はミロを抱っこして寝てる事が一番多いってことか?」
「は?」
「だって、傍にあるもの抱き込むんだろ? だったら今あいつの傍で寝る機会が一番多いのって、ミロじゃないか。それこそ毎日……ではないにせよ、しょっちゅう隣に寝てるんだからさ、必然的にミロを抱っこする事になるだろうと思ってさ」
「………さぁ。そんな事は私は知らん」
くだらない事を真面目に言うアイオロスに、サガは一転して投げやりに答えた。
必要以上に素っ気なくなったのは、自分のことを言われているわけでもないのに妙に気恥ずかしくなってしまったからだが。
「ちぇ、羨ましいなあいつ。っつか双子なのに、何で肝心の片割れの方にそういう癖がないのかね?」
ボソボソとアイオロスが小声で呟く。
片割れとは言うまでもなくサガの事である。
もしサガにもカノンと同じような抱き癖があったとしたら、一番その恩恵に預かれるのは間違いなく自分――のはず――だからだ。
そうすれば結果的に自分とサガ、双方が互いを抱き合ってという美味しい状況になるはずなのに、双子のくせに何でそういうところが似ないかねと、アイオロスは非常に残念に思わずにはいられなかった。
それと同時にアイオロスは、きっとかなりの頻度でカノンに抱っこされてるのであろうミロを、本気で羨ましく思った。
「何か言ったか?」
「いや、何でもない何でもない」
サガに軽く睨まれ、アイオロスは慌てて首を左右に振った。
普通の人間には可聴レベル未満の、殆ど声にはなっていない呟きだったが、相手は黄金聖闘士。しかもこの至近距離では、聞こえていないわけがない。
だがそれを面と向かって言うとサガが機嫌を損ねる事は確実なので、アイオロスはわざとらしくごまかし、
「でもまぁ、確かにこれ抱えて寝てると、気持ちはいいがな……」
サガの注意を逸らすため、未だしっかり自分の腕の中にいるドナル●ダックの方へ視線を向けた。
「それならこれから毎晩それを抱えて寝ればいいじゃないか。人馬宮にもあるだろう? 同じくらいの大きさのぬいぐるみが」
「人をからかうな。いい歳こいて、何で毎晩ぬいぐるみ抱えて寝なきゃいけないんだ」
目一杯嫌そうに顔をしかめてから、アイオロスは持っていたドナル●ダックをおもむろにサガに押し付ける。
サガは反射的にドナル●ダックを受け取ってしまったが、アイオロスはその隙を見事に突き、目にも止まらぬ早さでいきなりサガの身体を引き寄せ、ぬいぐるみごとサガを両腕の中に抱き込み、
「どうせ抱いて寝るなら、やっぱこうでなくちゃな!」
満面の笑顔で満足そうに頷いた。
ぬいぐるみを抱っこしたまま、問答無用でアイオロスの腕に抱き込まれたサガは、一瞬我が身に何が起こったのかわからずきょとんとしてが、やがて、
「ぬいぐるみと私とを、一緒に抱え込んで寝る気かお前は」
厭味混じりに言って、溜息をついてみせた。
腕の中でジタバタ暴れるであろうと半分覚悟していたアイオロスは、反してサガが意外なほど大人しい事に些か驚きはしたものの、
「ぬいぐるみは抜きで、お前だけを抱いて寝たいぞ。出来れば毎晩な」
即座に気を取り直すとサガの厭味などものともせず、しれっとそう言いながら嬉しそうにその青銀の髪に頬をすり寄せた。
「……そんなことはいつもやっているだろうが」
「でも毎晩じゃない」
それが不満であると言わんがばかりの口調のアイオロスに、サガは文字通り呆れ果てた。
はっきり言ってそれは、屁理屈と言うものである。
少なくともサガにはそうとしか思えなかったが、一方のアイオロスには言うまでもなく屁理屈をこねているなどという意識はなく、素直に思っている事を口にしているに過ぎなかった。
サガはひたすら呆気に取られて絶句していたが、アイオロスはサガが大人しくなったと勘違いしたようで、
「やっぱぬいぐるみより、お前抱っこしてる方が何倍もいいや。抱き心地最高!」
すっかり機嫌を良くして言うなり、しっかりとサガの身体を抱き直した。
ぬいぐるみも一緒なんだがな……とサガは内心でツッコミを入れていたが、抱き込まれた腕の中で、何でこんな事になったんだろう? と真面目に考え込みながら、盛大に溜息をつく事しか出来なかった。
「何かこうしてると、また眠くなってくるな」
「今の今までさんざん寝ただろう。まだ足りんのか?」
「ん〜、まぁそうなんだけど、でも人間って心身が癒されると眠くなるんだよ」
お前はオレにとって何よりの癒しだからと言って、アイオロスは腕の中のサガに微笑を向ける。
よくも恥もてらいもなくぬけぬけと……と、サガは赤面した。
全く、言っている方より言われている方がよっぽど恥ずかしい。
「もう一度寝直すというなら勝手にすればいいが、寝るなら私を離せ」
「何で? オレはこのままお前を抱いて寝たいって言ってるんだけど」
「冗談じゃない。何で私がお前の昼寝に付き合わされねばならんのだ」
もう昼寝といえる時間はとっくに過ぎているのだが、そんな細かい言葉のあやなどいちいち気にかけている暇はない。
サガは身を捩って強引にアイオロスの腕の中から抜け出すと、抱えていたドナル●ダックをボフッとアイオロスの顔面に押し付けた。
「うわっぷ! 何すんだよサガ、オレを窒息させる気か!?」
「この程度で窒息などするか!」
冷ややかに言い放ってサガは立ち上がり、睨みつけるようにアイオロスを見下ろした。
「そんなに眠ければ、またそれを抱いて寝てろ」
「ヤダよ、ぬいぐるみはもう充分っつか、飽きた。オレはお前がいいんだってば」
「だから、私はごめんだと言っているだろう!」
何度同じ事を言わせるんだとばかりに、サガはもう一度アイオロスを睨みつけた。
「そんなにすごい勢いで拒否らなくてもいいだろ。それともサガは、オレと寝るのが嫌なのか!?」
「そんなことは言っていない! 時と場所と場合を考えろと言ってるんだ!」
急にわけのわからない駄々を捏ね始めたアイオロスに、サガも苛ついたように声を張り上げる。
どうしてこう極端と言うか、短絡的な方向へ思考を進めるのか、サガには理解が出来なかった。
アイオロスは反論はしなかったが、ドナル●ダックを抱え込みその頭の上に顎を乗せ、不満ですと満面に書きなぐり、口を尖らせて恨めしそうにサガを見上げた。
その姿はまるで拗ねた子供のようで、別の意味でサガを呆れさせる。
だがこんなことは、もちろん初めてではない。
アイオロスは時折、こんな風に子供のように――というよりまるっきり子供な一面を見せるのである。
もちろんそれは、サガの前だけであるが。
そして困った事に、サガはアイオロスのこの天然お子様攻撃に非常に弱かった。
アイオロスは何も言わず、ただじーーっとサガを見上げている。
口でぎゃーぎゃー言われるよりも、無言の圧力の方が精神的に堪えるもので、しばらくサガもアイオロスをきつく見据えて応戦していたものの、その頑張りは長くは続かなかった。
結局最後は根負けし、
「今はダメだ」
力なくそう言った後、大きく溜息をついてから、
「その代わり、後でゆっくり……な」
身を屈めてアイオロスの頬に唇を近づけ、そこへ軽くキスをした。
するとアイオロスの表情が、一瞬にして仏頂面が一点の曇りもない笑顔に変わる。
こんなことはいつものこととはいえ、まるで首を付け替えでもしたかのようなものすごい速度での変化に、サガは毎度呆れずにはおれなかった。
わかりやすいと言おうか単純と言おうか現金と言おうか、何とも表現の選択に困るとしか言いようがない。
だがもっと困るのは、自分がアイオロスのそんな一面を、呆れる一方で好ましくも思っているということなのである。
だからこんな風に、最後の最後にしてやられてしまうのだ。
「よし、約束だぞサガ。後でしらばっくれたりするなよな!」
「……ああ、わかってる」
約束だの何だの念を押されなくても、いつもと何が変わるというのだろう?。
本気の本気で疑問だったサガだが、アイオロスの屈託のない笑顔を見ていると何を言う気も失せてしまうのである。
言い返してやり込める事も多々あるけれど、今日のところは自分の負けだと諦めざるを得ないサガであった。
post script
Web拍手に掲載しておりましたSSです。
拍手に掲載しておりますSSは、今まで書いた話の一場面抜き出しSSになっております。
派生元の話はタイトルにあります通り『
ラヴ・シエスタ
』ですので、よろしければそちらもご覧いただけたら嬉しいです。
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