◆ これからのこと

生まれて初めて双児宮の私室に足を踏み入れたカノンは、何とも形容し難い複雑な心境で室内を見渡した。

女神アテナの力により現世に再生を受けたカノンは、双子の兄サガと共に正式に双子座の黄金聖闘士として任命され、ここ双児宮でサガと共に暮らすことを許されたのだが、正直なところ、今現在は喜びの感情よりも困惑の方が若干ではあるが上回っていた。
何故なら、サガと離れていた期間があまりにも長すぎたからである。
離れていた――というのは、物理的な距離よりもむしろ心の距離的な意味合いの方が強い。
自分達兄弟は置かれていたその特殊な環境から長い間互いを疎み、憎み合って生きてきた。今はもうそんな負の感情は欠片も残ってはいないし、それはサガも同じであろうと半ば確信もしているが、双子の兄弟でありながら一切の蟠りなく仲良く暮らしていた期間があまりに短く、またあまりに遠い昔の幼き頃の記憶しかないこの状態でいきなり一緒に暮らせと言われても、戸惑うなと言う方が無理な話であろう。

そしてそれはサガの方も同じようで、教皇の間から双児宮に来るまでの道中から今なお二人の間には殆ど会話らしい会話はなく、それどころかまともに視線を合わせることすらない有様で、気まずい空気だけが重く纏わり付いている。
とにかくこの空気を何とかしないと、居た堪れないなんてもんじゃない……と、この空気に耐えかねたカノンがそれを打破すべく懸命に会話の糸口を探していると、ここに入ってからずっと背を向けたままだったサガが突然振り返り、カノンを呼んだ。

「カノン……」

よもやサガの方から先に口を開くとは思わず、カノンは驚いて「え? あ? うん?」と間抜けな返答しか出来なかった。
だが呼びかけたサガも明確な意図を持って声をかけたわけではどうやらないようで、その先の言葉が続かず、決まりが悪そうにしながらカノンから微妙に視線を外しながら決まりが悪そうにしているだけだった。
どうやらサガもカノンと同じように今のこの場の空気を何とかしようと試みたらしいのだが、上手くいかなかったようである。

「あ、その……カノン……」

しばしそんな状態でまごまごしてから、サガが改めて口を開いた。

「うん?」

カノンが再び短く返事をするとサガは、ここで初めてカノンの視線に自分の視線を合わせ、

「大きく……なったな……」

照れているのが丸わかりのぎこちない口調で言って、極微かに口元を綻ばせた。

「……は?」

先刻よりも更に間の抜けた声を上げ、カノンは目を丸めて兄の顔を見つめ返した。
大きくなった? 大きくなったって言ったよな、今……と兄に言われた言葉を心の中で反芻しながら、微苦笑している兄の顔をまるで穴を開けるかのような勢いで凝視していたカノンは、十数秒ほどして堪えきれずに盛大に吹き出し、声を立てて笑い始めた。
それはそれは楽しそうに――。

「大きくなったって、ちょっと待ってくれサガ、それ28歳にもなってる弟に向かって言うことか?」

一頻り笑い倒してからカノンは、目の端に薄ら浮かんだ笑い涙を指先で拭いながら思わずサガにそう問い返した。
問われたサガの方と言うと、多少なりとも自覚はあるのかはますます決まりが悪そうに縮こまり、

「だってお前と会ったのは十三年ぶりだし……いや、正確には冥界との聖戦が始まった時に女神神殿でほんの僅かな時間顔を合わせはしたが、あの時はこんな悠長なことを言っていられる状況ではなかったし……だから、その、素直に思ったままのことを言っただけで……」

そう言ってカノンから視線を外したが、その頬にははっきりとした朱色が差していた。

「確かにこうしてきちんと顔を向い合わせるのは十三年ぶりだし、その間にお互い大人になって外見もそれなりには変わったかも知れないけど、でもオレ達は双子なんだぜ? サガ。例え何年何十年離れて暮らしていたところで、鏡に自分の姿を映せば相手の今の姿も大体の見当がつくだろう?」

「それはそうだが、そもそも私はお前が生きているとは思っていなかった。死んだものと思っていたお前と、まさか十三年も経って再会するとは思ってもみなかったから……」

十三年前、自らの手で弟をスニオン岬の岩牢に閉じ込め決別した時点でサガは、カノンは死んだものとして自分自身の中で弟の存在を抹消していた。だからよもや後年、成長した弟とこんな風に対面する日が来ようとは、当然ながら思いもしなかったのである。
確かにカノンの言う通り、自分の今現在の姿を鏡に映せばカノンの成長した姿を思い描くことは容易かっただろう。だが死んだものと信じ込んでいた弟の成長した姿など思い描く必要はそもそもなく、ましてや自分自身の現在の姿から弟の姿を推察するなどという発想自体がサガにはなかった。
だから素直に、純粋に、単純に成長した弟の姿に感慨を覚え、それを率直に口にしただけにすぎないのだが、間が抜けていると言われたらそれまでであることもまた事実だった。

「まぁ、あの状況じゃサガじゃなくても死んだと思うわな、普通。と言うより、あの状況で生き伸びたこと自体が奇跡以外の何ものでもなかったんだから」

そこでカノンは一旦言葉を切った。サガは無言だったが、それはカノンの言葉を肯定したということでもあった。

「サガだって、確実に死ぬだろうと思ってオレをあそこに閉じ込めたわけだしな。よもやしぶとく生き残るなんて思うはずがない」

カノンの声には自嘲の成分が多量に含まれており、もちろんサガもそれに気付いていたのだが、敢えてそれには触れず短くカノンに問い返した。

「……お前は私の心が痛みを覚えなかったとでも思っているのか?」

「あの時はそう思ってた。でも今は思ってない」

簡潔に、だが明瞭にそう答えてからカノンは改めてサガに向き直った。

「あの時のサガには他に選択肢がなかった。そしてそこに至るまでの間、他の選択肢を悉く潰したのはオレ自身、つまり自業自得だってことは理解してる。だからオレはサガに、十三年前の恨み言を言うつもりはこれっぽっちもない」

意図して口調を軽くして、カノンは先を続けた。

「だからそのことは横に置いておくとして、サガの微妙と言うより絶妙なそのズレっぷりって言うかボケっぷりは十三年前、いや子供の頃から全然変わってないんだなってことはよくわかった。オレもついさっきまで柄にもなくあれこれ考えたりもしてたけど、何かサガのお陰で一気に全部吹っ飛んだ気がするよ」

そう言ってカノンは、またくすくすと楽しそうに笑い始めた。
つい今し方まで色々と余計なことをごちゃごちゃ考えていたことが、途端に全部バカバカしくなってどうでもよくなってしまったのである。これは怪我の功名とでもいうべきか、いずれにしてもサガの意外なというより頓珍漢な一言が、状況を一変させたことは間違いない。しかも良い方向に――。

サガの方はと言えば、自分の何がズレていて何がボケているのか、実はよくわかっていなかった。それでもカノンの言わんとしていることは理解できただけに、先刻とはまた別の意味で複雑な心境にならずにはおれなかったのだが――。
ただサガも、今現在自分達兄弟を取り巻いている空気がつい数分前までのそれと完全に入れ替わっていることには気付いていて、状況が確実に良い方向に変わったのだということも気付いていた。

「まぁ十三年ぶり……いや実質二十年以上ぶりにはなるのかな、に一緒に暮らすとなると、この先も色々あるにはあるだろうけど……」

それでもかつてのように、本気で疎み合い憎み合うようなことはないだろう。それだけは確信できるし断言も出来る。

「改めて、これからよろしく。兄さん」

言いながらカノンはサガに無邪気な笑顔を向け、そして右手を差し出した。

一瞬面を食らったように目を瞠った後、サガもふっと表情を和らげ、

「ああ。よろしく、カノン」

同じく無邪気な笑顔でカノンの手を強く握り返したのだった。


END
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2016/05/21:双子座ワンドロ&ワンライのお題「サガ・カノン」にて書きました話です。
ちょっと子供っぽいやり取りをする二人を書いてみたかった、ただそれだけです(笑)。


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