「もうこんな時間か……早く帰って食事の支度をしなくては……」
人馬宮の寝室で、情事の後の気怠い身体をアイオロスの腕に抱かれて横たえていたサガは、窓の外に夜の帳が降り始めたことに気付き、慌ててその身を起こした。 「サ、サガ?!」 床に散った服を手早くかき集めて身に付け、慌ただしく帰り支度を始めたサガを、アイオロスは呆然と見つめた。サガと肌を触れ合わせてせっかくいいムードで夢回廊を彷徨っていたのに、いきなり現実世界に引き戻されたアイオロスは、たちまち不機嫌になった。 「サガ、何を慌てることがある?。まだやっと7時になったばかりだ。夜はこれからだと言うのに……」 ベッドから降り、アイオロスは背後からサガを抱き締め、耳元で囁いた。もう少しこのまま休んでから食事をして、風呂に入って、それからまたサガとゆっくり……と言うプランを頭の中で思い描いていたアイオロスは、もちろんこのままサガを双児宮に帰す気など毛頭なかったのである。 「すまない、アイオロス……」 サガは背後から回された手をそっと外すと、アイオロスの方に向き直った。 「カノンが8時過ぎに仕事を終えて帰ってくるんだ。お腹を空かせているだろうからね、食事の支度を整えておいてやらなければならないんだよ」 カノンは今日は教皇宮の夕勤番であった。アイオロスとサガは今日は休日であったから、昼過ぎからカノンが不在になる間を狙ってアイオロスはサガを誘いだし、上手くここまで事を運んで来たのだった。カノンがいるとサガがカノンのことを何かと気にしすぎて、心置きなく時間を過ごすということがなかなかできないのだ。 「カノンだってもう子供じゃない。1人で何だってできるだろう……お前は少し、過保護にしすぎではないのか?」 幼少の頃より、薄幸であった弟をサガが気づかう気持ちはわかる。双子として生まれながら強制的に引き離され、兄弟として過ごした時間が希薄だった分、サガ自身がそれを取り戻したいと言う思いが強いのだと言うことももちろんわかってはいるが、それを差っ引いてもサガのカノンへの過保護ぶりは些か度を越しているようにアイオロスには思えてならなかった。 「私が仕事の時は仕方ないが、休みの日に食事の支度もしてやらないのでは可哀相だろう。それにあれは……びっくりするほど何もできなくてね。今までどうしていたものやら、不思議に思えるくらいなんだ」 休みの日とサガは言うが、仕事がある日にだってサガはカノンの食事の支度をしてやり、掃除から洗濯、何から何まで全てをやっていることをアイオロスは知っていた。 「それは休みの日に限ったことではないだろう。お前だってたまには家事を放ってゆっくりとする権利はあるはずだぞ。何度も言うが、カノンも子供じゃないんだから何から何までお前が構ってやらなくても……」 アイオロスは尚も言い募ったが、 「ありがとう、心配してくれて。でも私は私で、カノンの世話をするのが結構楽しいのだ」 そう言ってサガは、くすっと笑った。 それならば私の世話もやいてくれ!と喉まで言葉が出かかったアイオロスであったが、さすがにそれを言ったらかなり情けないので、慌てて言葉をグッと飲み込んだのである。 「それじゃ」 衣服を着用し終えたサガは、アイオロスの頬に軽くキスをして、双児宮へ帰っていった。 「サガ………」 目論みの外れたアイオロスは、まだサガの小宇宙が微かに残る自分の寝室で、がっくりと肩を落としてうな垂れた。
翌早朝、兄とともに朝のトレーニングに出ようと人馬宮を訪れたアイオリアは、リビングの惨状に目を剥いた。 ビール、ワイン、ウイスキーなどの空き瓶が散乱し、部屋中にアルコールの匂いが充満している。そして兄はその状態の中、ソファに四肢を投げ出して寝ていた。いや、寝ていたというよりはソファに撃沈して潰れていたと言ったほうが正解かも知れない。 そのあまりの悲惨さに呆気にとられたアイオリアは、だがすぐに正気を取り戻し、慌てて兄の体を揺すった。 「んぁ〜〜?、ああ、もう朝か……」 アイオリアに起こされたアイオロスは、虚ろな目を弟に向けてから、のろのろと体を起こした。が、体を起こしたその瞬間 「うおっ!頭痛てぇ〜」 アイオロスは頭を抱えて絶叫し、再びソファに沈んだ。物凄い頭痛が、アイオロスを襲ったのである。 「う〜……頭ガンガンする〜、気持ち悪い〜〜〜」 クッションを抱え、アイオロスが苦しげに呻く。 「こんなに飲んだら二日酔いになるのは当たり前だよ」 苦しんでいるアイオロスに、呆れたようにアイオリアが言った。原因を問い質すまでもなく、二日酔いであることはこの部屋の状態を見れば一目瞭然だからである。 「この程度で二日酔いになるか!」 アイオロスは強がったが、はっきり言って説得力は皆無であった。 「……この程度……ね」 アイオリアはごろごろと転がっている空き瓶を眺めながら、溜息をついた。確かに酒には強い兄ではあるが、この量はアイオリアの目から見ても兄のアルコール許容量を大幅に超えている。 「兄さん、どうしたの?。サガとケンカでもしたのか?」 兄の深酒の原因などこれ以外には考えられなかったが、アイオリアは念のため、アイオロスに尋ねてみた。 現世に生き返ってきた当初は、己が罪を悔いるサガがアイオロスと顔を合わせるのを嫌い、2人の間はギクシャクしていたが、それも長くは続かず、アイオロスの必死の努力(本人曰く愛の力)と互いの弟達や周囲の助力の甲斐もあって、程なく2人は元の恋人同士と言う鞘に無事収まったのだ。 以来、十二宮内公認カップルとなっている2人であるが、特にアイオロスのサガへの執着ぶりは有名で、その想いの強さがいかほどであるか知らぬものは居なかった。とにかく感情がダイレクトに表にでるアイオロスは、サガに対しての愛情表現もど真ん中ストレートの豪速球で、弟であるアイオリアですら赤面せざるを得ないことも多く、それだけに兄の感情がいかにサガの存在、一挙手一投足に左右されるのかを嫌というほど知っているのである。 「ケンカなどしていない!。ケンカなんかするわけがない!!」 憮然とアイオロスが答える。 「じゃどうしたって言うんだよ?。ケンカじゃないなら、サガと何があったの?」 だがサガが関係していることだけはまず間違いないと確信したアイオリアは、重ねてアイオロスに尋ねた。 「……アイオリア……」 急にしょんぼりとした面持ちになって、アイオロスはアイオリアの方へ顔を向けた。 「アイオリア……オレにもお前という弟がいるから、サガの気持ちはわかるんだ。弟ってのは確かに可愛いさ、愛しいよ、大事だよ。でもな……サガは少し弟を猫っ可愛がりしすぎだと思うんだ」 「はぁ?!」 アイオリアは頭の周辺に「?」をいっぱい飛ばしながら、兄の顔を見返した。何の前置きもなくいきなりそんな話から始められても、アイオリアには全く理解が出来なかった。 「そりゃ、あそこの兄弟は事情が複雑だし、カノンのことはオレも不憫だとは思うがな……でもだからと言ってあそこまでサガが身を粉にしなくても……」 アイオリアに話をしていると言うよりは、独り言を呟いていると言った方が正解かも知れない。アイオロスは床に視線を落として、ブツブツとわけのわからないことを言っていた。 「兄さん……カノンがどうしたって言うんだよ?。あいつが何か関係あるわけ?、ケンカの相手はカノン?」 「カノンとなんか、ケンカするわけないだろう」 アイオロスは思いっきり酒臭い溜息を吐いた。 「じゃ、一体何なんだよ?。話が全然繋がらないよ」 一向に埒のあかない兄の説明に、アイオリアは右に左に首を傾げた。アイオロスはまた酒臭い、深い溜息をついてから、昨日のことを話始めた。 ようやくまとも(?)な説明を得て、アイオリアは事の次第は納得したものの、その内容の馬鹿馬鹿しさにはやはり呆れずにはいられなかった。 結局のところ、アイオロスはカノンにヤキモチを妬いているだけなのである。いい歳をして、よりにもよって恋人の弟にヤキモチを妬くなど、アイオリアでなくても呆れるであろう。 「……ウチみたいに年が離れてると言うならともかく、サガとカノンは双子だぞ、同い年だぞ。全然子供じゃないんだから、何から何までサガが面倒をみてやらなくてもいいし、カノンだってそこまでサガを頼らなくてもいいだろうに」 と言った兄の言葉に、人のこと言えないだろうと弟ながらにツッコミを入れたくなったアイオリアである。もちろん、本人にその自覚が全くないだけに言っても無駄なことはわかりきっているので、何を言う気もなかったが。 「あ〜、ダメだ、マジで頭痛ぇ、気持ち悪ぃ。今日の朝トレ、勘弁してくれ、アイオリア」 文句を言いたいだけ言ったアイオロスは、クッションを抱き込むとバフンとソファに倒れ込んだ。トレーニングなど出来る状態じゃないことは、言われなくともわかる。アイオリアはこの部屋に入った時点で、早々にそれは諦めていた。 「兄さん……どうせならベッドで寝なよ。こんなところで潰れて、みっともないよ」 「るせー。潰れてなんかねぇよ……それに、ここはオレん家だぁ〜、文句言われる筋合いはねぇ……ぞぉ〜……」 延ばした語尾に、すぐに寝息が重なった。瞬く間に眠りに落ちてしまった兄の姿に、やれやれとアイオリアは肩を竦めた。こうなるともう、ちょっとやそっとでは起きないだろう。ベッドに運ぼうかとも思ったが、いかに黄金聖闘士のアイオリアと言えど、自分より体格のいい兄を抱えるのは難儀なので、このままにしておくことにした。ただ、風邪を引かれるのも困るので(大丈夫だとは思うが)、一応毛布だけは兄の体にかけてやってから、アイオリアは人馬宮を後にした。
何かの物音がアイオロスの鼓膜を刺激し、アイオロスを眠りの渕から呼び戻した。アイオロスはまだ半分以上寝ぼけた状態で、うっすらと重たい瞼を開いた。 確か朝、アイオリアが来て、何かを話した記憶があるのだが、詳しいことはさっぱりと覚えていなかった。それどころか、今何時なのかとか、一体何がどうしてどうなったのかとか、自分が置かれている状況すらよくわかっていないアイオロスであった。 「やっと起きたのか?。もう昼はとっくに過ぎているのだぞ」 だが直後にかけられたその声に、アイオロスは弾かれるようにソファからその身を起こした。 「いっ、痛たたたたっ……」 そして次の瞬間には、またお約束のように頭痛に襲われ、アイオロスは両手で自分の頭を抱え込んだ。 「大丈夫か?」 「サ、サガ……」 目の前には優しい微笑みをたたえたサガが、立っていた。 「何の返事もないから勝手に入ってきてしまったぞ」 自分を見上げたまま言葉を失っているアイオロスに、更にサガが言うと、アイオロスはうんうんと大きく頷いて 「いいんだ、いつでも自分の家と思って入ってきてくれ!」 嬉しそうにそう言って、サガの手を掴んで無理やり横に座らせた。 「それにしても、随分と派手に散らかしたものだな」 ソファに座らされたサガは、改めてリビングを見回して苦笑した。言われてアイオロスも視線を移してみたが、確かに物凄く散らかってはいるものの、朝目を覚ましたときに比べて幾分片づいているように思える。気のせいかとも思ったが、すぐにサガが片付け始めていてくれていたのだと言うことにアイオロスは気づいた。さっきの物音は、サガがここを片付けている音だったのだろう。 「無茶な飲み方はするな。体を壊すぞ」 サガは静かに、アイオロスを窘めた。 「すまん。深酒するつもりはなかったんだがな」 バツが悪そうにそう言って、アイオロスは頭を掻いた。 「でもサガ……その、こんな時間にどうしてここに?。いや、来てくれたのは嬉しいのだが、その……カノンは……?」 休みの日は家事とカノンの世話で忙しいと、つい昨日言っていたばかりのサガが、午後もまだ早い時間に自分の元へ訪れてくるなど、アイオロスも全く予想してなかった。それだけに嬉しさ倍増ではあるのだが、やはり昨日の今日のことだけに、アイオロスもいつも以上にカノンのことが気になっていた。 「今日はデスマスクと遊びにでかけてしまったよ。シュラとミロとアイオリアも一緒だった」 「アイオリアも?」 「ああ、珍しくアイオリアが皆を誘ったらしいぞ。どういう風の吹き回しだかな」 でかしたぞ、アイオリア!!と、アイオロスは心の中で叫んだ。何だかんだ言いつつも朝の兄の様子に同情したアイオリアが、カノンと仲のいいデスマスクやミロ達を上手く巻き込んで、カノンを連れ出したのだ。 実のところアイオリアは兄が荒れまくりで手に負えないことをこっそりとサガに伝え、ちゃっかりと後始末をサガに頼んでいったのだが、そんなことは知る由もないアイオロスは心底いい弟を持ったと幸せに浸っていたのである。 「あの面子で出かけていったのでは、そう早い時間に帰宅はしないだろうな」 「そ、それじゃ……」 途端にアイオロスは、目を輝かせた。 「この状態ではお前を放ってもおけんだろう」 呆れ半分でそう言って、サガはクスリと笑った。 「泊まって行ってくれるか?」 「いや、それはできない」 更に期待に胸膨らませ、目を輝かせるアイオロスにサガはきっぱりと言った。 「何で?。やっぱりまた、カノンが帰ってくるまでにはウチに帰るとか言うのか?」 たちまちアイオロスの表情が一変し、捨てられた子犬のような目でサガを見た。さすがにサガもこれには弱いらしく、困ったようにアイオロスを見つめ返すと 「そうではない。明日はもう仕事があるんだぞ。ここに泊まってここから出勤するわけにもいくまい」 努めて優しい口調で、アイオロスにそう言い聞かせた。 「別にそうすればいいじゃん」 アイオロスが口を尖らせる。ここからの方が双児宮より教皇宮に近いし、その分朝もゆっくりできるし、結構メリットはあると思うのだが。 「冗談じゃない、お断りだ。私には私の都合がある」 泊まったりなんかしたら最後、アイオロスがまともに寝かせてなどくれないことはわかり切っている。別に黄金聖闘士たるもの1日2日の寝不足などどってことないと言えばないのだが、生真面目なサガは個人的な理由からの寝不足状態で執務に就くことを、極端に嫌うのである。 一言の元にサガにお泊まりを拒否され、再びしょぼんとなってしまったアイオロスを見ながら、サガは溜息とともを漏らした。 「日付が変わるまでには帰らせてもらうからな」 少ししてサガがそう付け加えると、また一転してアイオロスの表情が明るくなった。サガの一言一言で、アイオロスの表情はまるで猫の目のようにコロコロと変化する。 「それじゃ……今日の23時59分まではここに居れるよな!」 光速で十二宮を駆け降りれば、ものの数秒とかからずして双児宮には帰れるのだ。アイオロスが嬉しそうに言うのを見て、サガも苦笑しながら頷いた。泊まれというアイオロスの希望をダメ押して断った形になってはいるものの、実のところサガはアイオロスの要望の半分は受け容れたのである。 「サガっ!」 途端にアイオロスはサガに抱きつき、そのままサガをソファに押し倒した。今日はいつもより時間はたっぷりあるし、カノンの存在にそれが左右される心配もないが、それでもアイオロスは1分1秒が惜しかった。二日酔いの頭痛も気持ち悪さもキレイさっぱりと吹き飛ばして(現金な奴である)、そのままなし崩し的に行為に及ぶべく、アイオロスがサガにキスをしようとしたその時、 「ふがっ!」 あと数ミリでサガの唇に届くと言うところで、無情にもサガの手がそれを阻んだのである。 「酒臭い!」 サガはアイオロスをキッと睨みつけ、そのままアイオロスの顔を押し返しつつ 「しかもこんな汚い場所でなど、冗談じゃないぞ」 チラリと横目で部屋の惨状の一部を見て、サガは顔をしかめた。几帳面でキレイ好きのサガにとって、いくら自分の家ではないとは言っても、この散らかり方は目に余り、しかもそんな状態の中で行為に及ぶなど言語道断のことであった。 「とにかく!」 サガはアイオロスの体を引き離し、ソファから下りた。 「私はここを片付けるから、お前は風呂に入ってアルコールを抜いてこい!」 アイオロスにそう厳しく言い渡すと、サガはさっさとリビングの片付けを始めたのだった。アイオロスとしてはここが嫌なら寝室で……とも思ったのだが、場所を移動したとて自分に固着している酒臭さまでは取れないし、自業自得なので誰にせいにもできないから、ここはおとなしくサガの言うことに従うことにした。今日はいつもより時間はたっぷりあるのだから、1時間くらい入浴で費やしても問題はないだろう。 それにこうやって自分の宮の掃除なんかをしているサガを見るのは、決して悪い気分ではなかった。と言うか、むしろ新婚気分に似たものを味わえて、まんざらでもなかったりするアイオロスは、ニヤニヤとしながら掃除をしているサガを見つめていた。 「何をしている、さっさと風呂に入ってこい!」 アイオロスの視線に気づいたサガが、片付けの手を止めてアイオロスを振り返り、叱責した。本当はずっとサガが掃除している姿を見ていたいのに〜と思いつつ、酒臭さを取らないとこのあとイイことができないので、アイオロスは渋々と立ち上がって浴室へと向かった。
あんなに散らかりまくりだったリビングはサガの手ですっかり元通りに……いや、それ以上にキレイに整えられていた。 「サガ、ありがとう。手数をかけてすまんな」 アイオロスはサガに礼を言いながら、サガが用意しておいてくれた冷たいトマトジュースを飲んだ。二日酔いにはこれが結構効くのだ。最も、サガが来てくれたことと風呂に入ったことで、気分はすっきりさっぱりと好転していたので、もうこれの助力を借りるまでもなかったのだが。 「サガ、もういいだろう?」 トマトジュースを飲み干すと、気が急く一方のアイオロスは我慢できんとばかりに傍らに立っているサガを引っ張り、その身体を抱き寄せると、先刻同様にソファに押し倒した。 部屋もキレイになったし、自分もアルコールを抜いてきたし、今度こそサガもすんなり受け容れてくれるだろうと思いきや、 「まだダメだ!」 またもやアイオロスの唇は、サガの唇に触れる寸前でそれを阻まれた。 「何で?!」 アイオロスが声をあげると、サガは眉を顰めて 「まだ酒の匂いが残ってるぞ。アルコールが抜けきってないんだ」 言いながらまた、アイオロスの体を強引に引き離した、 「ええ〜?!、そんなことないぞ」 アイオロスは自分で自分の匂いを嗅いでみたが、酒の匂いなどしない。湯上がりの匂いがするだけだ。 「自分のことだからわからないだけだ。まだ結構酒臭いぞ、もう1回風呂に入ってこい」 「また?!」 「そうだ」 サガは情け容赦なくそう言うと、念動力で新しいバスタオルを出し、それをアイオロスに渡して有無を言わさず風呂場に逆戻りさせた。
「サガ……これで大丈夫だろう」 2度目の風呂から上がったアイオロスが、自信満々に胸を張って、酒臭さ解消をサガにアピールした。 サガはアイオロスの顔に顔を近づけ、くん、とその匂いを嗅いでみた。その時、ふわりとサガの髪がアイオロスの頬に触れ、アイオロスが堪らずサガを抱き締めようと手をあげたその時、 「ダメ。まだ残ってる」 サガはすぐに近づけた顔をアイオロスから離すと、また風呂場の方を指差した。もう一度入ってこいと言うことである。 「ええ〜、そんなバカなぁ〜………」 自分ではとても酒の匂いが残っているとも思えないのだが、サガがダメだと言う以上はダメなのだろう。さすがに3度も風呂に入りたくなどないが、とにかく酒の残り香が消えない限りサガが触らせてくれないのだから、アイオロスとしても必死にならざるを得なかった。アイオロスは3度目の入浴をすべく、渋々と浴室へと引き返した。 だが3度目の入浴の後、アイオロスはもう1回サガにダメ出しを食らい、何と合計4回にも渡ってリビングと浴室とを往復する羽目になったのであった。 最早拷問に近い4度目の入浴を終え、アイオロスはヘロヘロの態でリビングに戻って来た。 サガはアイオロスが入浴している間に、ついでに寝室やら書斎やら人馬宮の私室内全部の掃除を済まし、すっきりとした顔でソファに座っていた。 アイオロスはどっかとサガの横に腰掛けると、背凭れにどっぷりと身を沈めてサガのチェックを待った。 「……やっと全部酒が抜けたようだな」 サガがアイオロスに顔を近づけると、アイオロスの身体からやっと酒の残り香が消えていた。アイオロスからアルコールの匂いが完璧に抜けたことを確認し、ようやくサガはOKを出した。 アイオロスは天井に向かって大きく息を吐きだした。さすがにこれ以上の入浴は、いくら何でもキツイものがあるからだ。 「サガ……」 OKが出ると同時に、アイオロスは背凭れから体を起こし、サガの方へ向き直った。そしてサガの両肩を掴んでその身体を引き寄せると、何時にない素早さでサガの唇を奪った。苦節4時間強、ようやく、ようやく辿り着いたサガの唇を丹念に味わった後、アイオロスはそのままサガをソファに押し倒そうとした。アルコールの残り香が抜けたお陰か、サガもおとなしくアイオロスのされるがままになっている。 『っしゃあ!!』 とアイオロスが内心でガッツポーズを取り、そのまま一気に行こうとしたその途端に 「う、うおっ……」 激しい眩暈がアイオロスを襲った。サガを押し倒そうしていたアイオロスだが、体に力が全く入らず、そのままヘナヘナと紙飛行機が失速したときのような感じで、サガの膝の上に倒れ込んでしまったのである。 「あ、あれぇ?!」 何か頭の中がぐるぐると回っていて、体がふわふわふわふわと浮いているような、変な感覚がアイオロスの全身を駆け巡っていた。何だこれは?、どうしたんだ一体?!とアイオロスがぼうっとした頭で考えを巡らせていると、 「……どうやら湯中りしたようだな」 間もなく、冷静なサガの声が頭上から降ってきた。 「サガぁ〜……」 アイオロスは懸命に体を起こそうとしたが、頭がぐるぐるぐるぐるしていてそれもままならなかった。 「少しじっとしていた方がいいぞ。動いたら余計に気分が悪くなるのはお前だ」 あくまで冷静なサガの物言いに、アイオロスはそんなぁ〜……と情けない声で呻いた。 二日酔いの気持ち悪さが抜けたと思ったら、何と今度は湯中たりで気分が悪くなるとは、踏んだり蹴ったりとは正にこのことであろう。サガが酒臭いのが嫌だと言うから、必死で何度も風呂に入ってアルコールを抜いてきたのに、これでは元の木阿弥ではないか。 「全く……これに懲りて、今後は深酒など慎むことだな」 そう言ってサガは、湯中りでのぼせたアイオロスの額に、そっと自分の手を当てた。 冷んやりとしたサガの手は火照った肌に心地よく、しかも気付けば図らずもサガの膝枕ゲットで、アイオロスの気分はたちまち好転した。相変わらず頭ぐるぐる体ふわふわで気持ちは悪かったが、この状況はそれなりにアイオロスに幸せなを味わわせてくれていたのだ。 「なぁ、サガ……」 「うん?」 「こう言うのも、結構悪くないな。こうしてお前の膝枕で寝てると、気分が安らぐよ……」 言いながらアイオロスは、のろのろと手を上げてサガの膝を抱き込んだ。 「おい、こら……アイオロス……」 サガはアイオロスの行動を窘めたものの、それは口先だけで、アイオロスを自分の膝から振り落とそうとはしなかった。何だかんだ言いつつも、サガにもそんなことをする気は全くないのである。 「いいじゃないか。もう少しこのままいさせてくれ。たまには私にお前を独り占めさせてくれてもいいだろう?。いつもカノンに取られてるんだから……」 サガの膝枕の心地よさに身を委ねつつ、アイオロスは子供のようなワガママを口にした。 「カノンは弟だぞ。弟と張り合ってどうするんだ」 サガは思わず忍び笑いを漏らした。アイオロスがこんな子供じみたことを言うことは時々あるのだが、さすがに弟相手にヤキモチを妬いているとは思わなかった。 「弟だからだ」 そう言ってアイオロスは、より強くサガの膝を抱き込み、そこに深く自分の頭を埋めた。 こんなこと、サガはもうアイオロスにそれこそ何度もしてやっているのだが、何故だか今日のアイオロスはいたくこれが気に入ったようで、サガを離してくれようとはしなかった。 カノンに張り合って子供のように甘えるアイオロスにやや呆れ半分で眉を顰めはしたものの、アイオロスの深酒の原因が元を正せば自分にあることがわかっていたサガは、今日のところはそのまま黙ってアイオロスの好きにさせてやることにしたのだった。 やがて、アイオロスの静かな寝息が、サガの耳に届いた。 あんなに寝ていたクセに、まだ寝たりなかったのか?とこれまた呆れつつ、アイオロスの寝顔が余りに幸せそうで、それを見ているとやはり何も言えず、それどころか自分の頬が僅かに綻んでいることすらわかる。そんな自分に軽く赤面しつつ、サガはそっと自分の膝の上のアイオロスの髪を愛おしげに撫でた。 そんな子供じみたところも全てひっくるめて、サガはアイオロスを愛しているのだ。面と向かっては、口が裂けても言えないけれど……。
END
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【あとがき】
甘々ベタベタなロス×サガが書きた〜い!!と言う発作が起こり、突発的に書いてしまいました。 ちなみに、西洋人はヘモグロビンの関係で「二日酔い」というものは基本的にはしないそうです。 |