◆ 君の生まれた日〜 Happy Birthday〜

この日カノンは、重い足取りで十二宮の階段を昇っていた。
足取り同様気持ちも重く、目的地である第八の宮・天蠍宮を視界に収めた途端にカノンは大きな溜息をついた。

今日11月8日は、天蠍宮の主蠍座のミロの誕生日である。

そのミロの誕生日を祝おうとカノンは彼の守護する天蠍宮へ向かっているわけだが、祝い事で訪れようとしているのに何故こんなにも気持ちと足取りが重いのか?。
ミロの誕生日を祝いたくないと言うわけではもちろんない。それどころか祝う気は文字通り満々なのだが、目的が明確であるにも拘らずカノンは彼への誕生日プレゼントを何も用意しておらず手ぶらの状態で、それが彼の気持ちをどんよりと重くしていたからである。
ただ正確に言うのなら、意図して用意しなかったわけでは決してなく、用意しようとして結局出来なかっただけなのだが……。
カノンは誕生日プレゼントに何を贈ろうかと一ヶ月以上も前から頭を悩ませていた。だが連日連夜どれだけ頭を悩ませてもどうしても『これ!』と言う決定的な物が思い浮かばず、悩めば悩むほどどんどんと頭の中身が散らかっていって収拾がつかなくなり、結局何も決められないまま今日という日を迎えてしまったというのが今に至る経緯であった。
それがカノンの気持ちと同様に足を重くしている最大の原因なのだが、何故たかが誕生日プレゼント1つにカノンがここまで頭を悩ませたのか?。

その答えは単純明快、カノンがミロに対して明確な恋愛感情を持っていたからである。

自分が8歳も年下の小僧に恋愛感情を持っているとカノンがはっきり認識したのはいつだったか、カノン本人も正確には覚えていない。気付いた時にはその感情は確固とした形を為していて、もうどうにもできないレベルになっていたのだ。
自分自身の気持ちにいつまでも気付かないというのも問題だが、気付いたら気付いたで対処に苦慮する感情というものもある。それは人それぞれに個人差があって文字通り千差万別だが、カノンの場合は正にこの『恋愛感情』が後者に相当するものであった。
何故ならカノンには他人を騙したり欺いたりする為の手段としての疑似恋愛の経験は豊富だが、本物の恋愛経験、しかも自分の方から誰かに恋愛感情を持つという経験が皆無だったからである。
他人を籠絡する術には長けていても、本物の恋愛に関しての経験値はゼロに等しい――何とも情けない話ではあるが、嫌でも自覚し直視せざるを得ない現実でもあった。

現状は自分の片想い状態で、ミロの気持ちは一切わからない。あくまで『友達』としてそれなりに大事に思ってくれていることは間違いないのだが、それ以上の感情の有無などわかるわけもなく、かと言ってそれ以上の感情を抱いてもらう為に自分がどうすればいいのかもわからない。
そんなこんなでここ最近のカノンは心情的に二進も三進もいかない状況にいるわけだが、それでも、いやだからこそ自分が好意を寄せる相手の誕生日は特別なものがあり、是が非でもミロに喜んでもらえるプレゼントを贈りたいと考え、限界を超えるまで頭を悩ませていたのである。

だかそれほどまで悩み抜いても結局めぼしい物は一切思い浮かばず、かと言って妥協したくもなく、悩んで悩んで迷って迷って最終的にカノンが出した結論はと言えば、

『ミロ本人に欲しい物を聞く』

であった。

それはそれでやっぱり非常に情けないことに変わりはないのだが、自分基準で妥協した物を贈るよりは本人に欲しい物を聞いてしまった方がサプライズ要素はなくても確実に喜んでもらえることだけは間違いない。
最後はサプライズ要素を取るか最も現実的で手堅い方法を取るかで悩み抜いた結果、カノンは後者を選んだのだった。

そうは言ってもせめてケーキか花束くらいは持って来るべきだったか? とこの期に及んでもまだ若干後悔の種が残っていたりもするのだが、ケーキは誰かと被る可能性が大でそうなった場合に始末に困るし、花束は気障ったらしくて嫌だしで、これもまた考え込んだり後悔したりしたところでどうしようもないことにも変わりはなかった。

グダグダ悩みながらノロノロ歩いていても足を止めずに前に進めている限りは必ず目的地には着くわけで、普段の倍近くの時間はかかったもののふと気がついた時にはカノンはもう天蠍宮に到着していた。

「ここからは腹を括るしかない、か……」

そもそも直前になってもまだ心を決めかねたまま悩んでいること自体が著しく自分らしくないのだが、その自覚があったところで最早どうにかできることでもない。
わざと言葉に出すことでその通りに腹を括り、カノンは大きく深呼吸をしてから天蠍宮の私室に繋がるドアを叩いた。

少ししてそのドアが中から開き、主がひょこっと顔を覗かせる。

「あれ? カノンじゃん。何だよ、オレが出て来るの待ってないでさっさと入って来てくれてよかったのに」

ミロは来訪者がカノンであることを認めると、いつに変わらぬ明るい笑顔でそう言って玄関のドアを大きく開いた。
中に入れ、ということである。
サンキュ、と短く礼を言ってから、カノンは天蠍宮の私室へと入った。

「ミロ」

「うん?」

ドアを閉めたミロの方に向き直ると、カノンは出し抜けに彼の名を呼んだ。
ミロが短く返事をするとカノンは一瞬の間を作った後に、

「誕生日おめでとう」

またしても出し抜けに、ミロに誕生祝いの言葉を贈った。
それを聞いたミロは少し驚いたように大きな薄青色の瞳を丸めたものの、

「覚えててくれたんだ? サンキュー!」

すぐにまたいつもの人懐こい笑顔に戻って、カノンに礼を言った。

「あ、もしかしてカノン、その為にわざわざここに来てくれた?」

ミロにそう問われ、カノンが黙って頷きを返す。

「それは嬉しいな。重ね重ねサンキュ♪」

本当に嬉しそうに重ねて礼を言いながらミロはカノンの腕を取って自分の腕を絡ませ、彼を軽く引っ張るようにしてリビングの方へと誘った。
ミロと腕を組んだ状態のまま馴染みある天蠍宮のリビングに入室したカノンは、室内を見回して他に誰も居ないことを視認してからミロに問いかけた。

「お前、一人か?」

「うん、そうだけど……」

え? 何で? と聞き返しながらミロが小首を傾げる。

「いや、別に大した理由はないけど……誕生日だから誰か来てるのかなって思ってたから。カミュとかアイオリアあたりが、さ」

カノンに対しての態度を見てもわかる通り、ミロは気性の激しいところはあるものの陽気で気さくで誰に対しても分け隔てのない性格の持ち主ゆえに必然的に友人が多い。
中でもカミュとアイオリアは親友とも呼べるほどミロとは仲がいいので、他の人間はともかくこの二人、或いはどちらかが既にここに来ているだろうとカノンは何となくレベルで予想していたのだが、どうやらその予想は見事に外れたようである。

「ああ、カミュは今朝来てくれたぜ、ケーキ持って。でもこの後仕事だからってすぐ帰っちゃったけどな。アイオリアも同じで、今日は仕事だからって昨日の晩に飯奢ってくれたよ」

「そうか、ということはあいつらからの誕生祝いはもう済んでるってわけか」

「そういうこと」

カノンの言葉に頷いて、ミロは無邪気に笑って見せた。

「あ、そうそう、そのカミュが持って来てくれたケーキなんだけど、実はまだ食べてないんだよ。カミュの奴、奮発してくれたみたいでそれは嬉しかったんだけど、ぶっちゃけこれをオレ一人でどうしろと? ってくらい大きいホールケーキくれたもんでちょっと途方に暮れてたとこなんだ。だからカノンも食べるの手伝ってくんない?」

「え? あ、ああ……うん……」

やっぱりケーキは持って来なくて正解だったなと思いながらカノンがやや歯切れ悪く返答すると、それを聞いてミロはおや? という風に表情を動かし、

「もしかしてカノン、甘い物苦手とか?」

「あ、いや、違うそうじゃなくて……」

カノンが慌てて首を横に振る。
それを見たミロがますます不思議そうな顔で小首を傾げたところで、遂にカノンは意を決し、改めて口を開いた。

「実はオレもお前の誕生日を祝いに来たんだが……」

「うん、それはわかってる。だってつい一分くらい前におめでとうって言ってくれたばかりじゃん」

はっきりと祝いの言葉をかけてもらった直後なのだから、カノンの訪問理由くらいは言われなくともわかっている。
ますます意味がわからない、という顔をしているミロに、カノンはいやそういうことじゃなくて……と前置きをしてから、

「それはそれというか、それだけじゃないっていうか、つまりその……誕生日を祝いには来たんだが、あの、実は誕生日プレゼントに何を贈ったらいいのかが最後までわからなくて、色々考えたんだけどどうしても決められなくて……それで結局この通り手ぶらで来ちまったんだ」

言いながらカノンが手を広げて見せる。

「手ぶらで来るよりは何かしらプレゼントを持って来た方がいいだろうとも思ったんだが、あれこれ考えたあげくに要らない物を渡すよりは、直接お前に欲しい物を聞いた方が早いと思って……」

カノンはまたそこで言葉を切った後、すぐに言葉を続けて本題を切り出した。

「お前、誕生日プレゼント何欲しい?」

「カノン」

間髪入れずと言うよりも語尾に被せる形で、ミロが答えを返した。
その返答を受けたカノンは、だがポカンとしたように目を丸めて数秒ほど絶句した後に「……は?」と間の抜けた声で聞き返すことしか出来なかった。
完全に現状を理解していない様子のカノンを見てミロは微苦笑し、補足を加えてもう一度同じ答えを返した。

「だからお前。お前をプレゼントに欲しいって言ってんだけど?」

「……オレ?」

「そう!」

また短く明快に答えてミロは大きく頷いた。
カノンは両目を大きく瞠ってミロを凝視してから、情けないくらい上ずった声でミロにその理由を聞き返した。

「え? な、何で……!?」

「何でって、オレがカノンを好きだからに決まってんじゃん」

「は?」

「だからー! オレ、カノンのこと好きなんだけど。ていうかカノンもオレのこと好きだろう?」

まるで好きな食べ物のことでも語っているかのような気軽さで、且つごくごく自然にまるで当たり前のことのように言うミロに、カノンの思考はまるでついて行けていなかった。
確かにミロの言う通りカノンはミロが好きだ。その気持ちははっきりと正確に自覚もしている。
だが『好き』と一口に言ってもその感情には多種多様な種類があって、ただこの一言だけを言われても如何様にも解釈できるものなのだ。
今回の場合は大きく分けて友情か恋愛感情かの二択になるのだろうが、自分の感情は明確に後者でもミロも同じとは限らないわけで、そう考えると喜び勇んで迂闊に首を縦に振ることは出来なかった。

「あのさカノン、プレゼントをもらう立場の方のオレが告ってんだからさ、いい加減固まってないでイエスなのかノーなのか答えてくんないかなぁ?」

自分を凝視して押し黙ったまま硬直しているカノンに焦れたミロは、少しだけ眉間を寄せて軽くカノンを睨みながら返答を催促した。

「告ってるって、それじゃお前……」

「あれ? カノン気付いてなかったの? オレ、てっきりカノンも気付いてくれてるもんだと思ってたけど。割とそう言うことには敏感なように見えるのに案外鈍いんだね」

意外そうに言いながらミロは楽しげな笑い声を立てた。
ひとしきり笑ってからミロはカノンの濃蒼色の瞳を上目遣いで覗き込み、おもむろにカノンに問いかけた。

「オレはカノンのことが好き。それは理解できた?」

カノンがこくりと頷く。

「で、カノンもオレのことが好き。これも間違いじゃないよね?」

またしてもカノンが、こくりと頷いた。

「つまりオレ達は相思相愛ってことなんだけど……」

理解した? と聞き返しながらミロは破顔した。
そんなミロをカノンは三度ポカンと見つめたまま幾許かの時間を流した後、急激にこみ上げていた笑いの衝動を抑えきれずにプッと吹き出した。

「えっ? な、何……?」

「まさかお前に自分の気持ちを読まれてるとは思わなかったな。今の今まで一人であれこれ悩んでたのがバカみたいだな、オレ」

半ば独り言のように言って笑った後、カノンは改めてミロに問いかけた。

「お前、いつからわかってたんだ?」

カノンは明確な言葉にはしなかったが、それは恥ずかしいからとか照れ臭いからという理由ではなく、今更言葉にする必要がないと思ったからだ。

「さぁ? よく覚えてない」

ミロはそう言って肩を竦めて見せた。
本当に覚えていないのか素っ恍けているのかは定かではないが、今更そんなことはどうでもいいのでカノンもそれ以上聞こうとは思わなかった。

「それで?」

「それで? って?」

「カノンはオレのプレゼントになってくれるの? くれないの? どっち?」

改めてそう尋ねながら、ミロがカノンの顔を覗き込む。
少し上目遣いに見上げて来る薄青色の瞳に宿る光と活気溢れるその表情には、揺るぎない自信が満ち溢れている。
もう答えはわかってますって顔だな……と心の中で呟きながら、カノンは小さく降参のポーズを取り、

「このようなものでよろしければ喜んで」

そう言ってミロに向かって恭しく頭を下げた。

「それじゃ遠慮なくも〜らいっ♪」

言うなりミロは飛びつくようにしてカノンに抱きつき、突風のような速さでカノンの唇を奪った。
ミロの速攻に驚いてカノンがまたしても目を丸めて固まっていると、ミロは本当に嬉しそうな笑顔でカノンに言った。

「最高のプレゼントをありがとう」

天使もしくは小悪魔の微笑みというのはこういうものかと頭の片隅で実感しながらカノンは、

「どういたしまして。改めて誕生日おめでとう、ミロ」

晴れて恋人になったばかりのミロの身体を抱き返し、今度は自分の方から彼の唇に祝福のキスを贈った。

END
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2014/11/3開催のパラ銀にて無料配布いたしました本より掲載。
ミロ×カノンともカノン×ミロとも取れる感じに書いてみましたので、この後のことは皆様のお好みの方で妄想していただければ幸いです(笑)。

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