「……こんな夜中に何の騒ぎだ? アイオリア」
まだ起きていたから良かったようなものの……とアイオロスが眉を顰めて嗜めると、けたたましく駆け込んできた張本人のアイオリアは「ごめん」と短く謝ってから兄に向き直り、軽く姿勢を正した。
何やら挙動のおかしいアイオリアに、アイオロスは一層眉を顰めて不審そうに首を傾げる。
すると、
「アイオロス兄さん」
「うん?」
「誕生日おめでとう!」
またしても唐突に祝いの言葉をかけられ、アイオロスの目が大きく、そして丸くなった。
「誕生日……え?」
その丸くなった目で壁の時計に目をやると、時刻は午前0時を数十秒ほど回ったところであった。
つまり日付は既に11月30日に変わり、アイオロスはめでたく28歳の誕生日を迎えていたのである。
「真夜中に騒いでごめん。でも今日は、今年の今日だけは、この時間じゃないと意味がなくて……兄さんにどうしても一番におめでとうって言いたくて、それで……」
言い訳ではないのだが、いざその時を迎えて感極まったのか、アイオリアはまるで子供が必死に自分の気持ちを訴えているようなやや拙い言葉でその思いの丈をアイオロスに伝えた。
アイオロスはそんな弟を見る瞳を優しく細め、微笑みながら「そうか……」と頷き、
「ありがとう、アイオリア」
短くだが心のこもった返礼をし、アイオリアの頭をくしゃりと撫でた。
兄に頭を撫でられ嬉しそうに破顔していたアイオリアだったが、程なくして表情を改めると、
「こんな風にまた兄さんの誕生日を祝える日が来るなんて、思ってもみなかった」
感慨深げにそう呟き、薄っすらと瞳を潤ませた。
アイオリアが感極まるのは無理もない。何故ならこれは13年前に永久に失われたはずのものだったのだから――。
「そうだな、オレだってまさか自分がこうして28歳の誕生日を迎えられる日が来るなんて、思ってもみなかったよ。ま、思いたくても思えなかったけどな、死んでたから」
しかも間を随分豪快にショートカットしたしなーと冗談口で応じながら、アイオロスは楽しそうに声を立てて笑った。
「言われてみればそうだね。14歳から28歳、一気に倍になったんだ」
アイオロスに調子を合わせて答え、アイオリアも楽しそうに笑い声をあげた。
「13年前はまだオレも小さくて、兄さんの誕生日なんてまともに祝ったことなかったし、おめでとうの一言すら満足に言えなかったから……」
「うん」
「だからさっきも言ったけど、今回だけはどうしても一番最初に兄さんにおめでとうを言いたくて、それでサガに頼んで先に時間をもらったんだ」
「サガに頼んで?」
唐突に出てきたサガの名前に、アイオロスは再びきょとんと目を丸めた。
「うん。サガは快諾してくれたけど、でもサガだって本当はオレと同様できることなら真っ先に兄さんに誕生日おめでとうって言いたかったはずだからね。サガはそんなこと一言も言わなかったけど、でもそういう思いは間違いなくあっただろうって思ってる。それはオレもわかってたけど、でもこれだけはどうしても譲れなくて……それでサガに頼みに行ったんだ、先にオレに10分だけ時間をくれって」
「そんなことわざわざ頼まなくても、サガならわかってくれてたと思うぞ」
「うん。でもお互い何も言わずに今日を迎えて変に鉢合わせとかしたら気まずいし、何より格好悪いだろう?」
「それはまぁ、確かにな」
同意しながらアイオロスはプッと吹き出した。
「その約束通り先にきっちり10分、時間をもらったから……」
そう言うとアイオリアはチラリと時計を見やった後、おもむろに両目を閉じた。
その様子からしてどうやら誰かにテレパシーを送っているらしいが、まさかそれを盗み聞きするわけにもいかず、アイオロスは弟のその意味不明な行動に小首を傾げていた。
すると間もなく、再び玄関のドアが開閉する音が聞こえた。と思ったら、今度はミロがなんとサガの手を引いてリビングに入ってきたのである。
「ミロ? ……って、サガ!?」
ミロに引っ張っられてきたサガの姿を見て、アイオロスは今度は驚愕に目を大きく見開いた。
アイオロスが驚いたのはミロに片手を引かれているサガの出で立ちで、引かれてない方の腕にはとんでもなく大きな薔薇の花束を抱え、頭に上には大きなリボンが結いつけられていたからである。
当のサガはと言えば、困惑を露わに眉尻と目尻を下げ、何とも言えぬ情けない表情でアイオロスの顔を見ている。
そんな二人の様子などお構いなしに、ミロはアイオリアに目配せをしてから引っ張ってきたサガをアイオロスの方に押し出し、何事が起こっているのか把握しきれていないアイオロスに向かって「オレが先に言っちゃマズイから」と困惑に拍車をかけるようなことを言って無邪気に笑って見せた。
「ほら、サガ」
そうしてからミロはアイオロスの真正面で呆然と佇立しているサガに、促すように声をかける。
サガはミロに歯切れの悪い返事をしてから、アイオロスではなくアイオリアの方へと視線を転じた。視線が合ったアイオリアが無言で頷くと、サガも小さく頷きを返してから改めてアイオロスに向き直り、
「誕生日おめでとう、アイオロス」
ようやく彼に誕生祝いの言葉をかけ、持ってきた特大の薔薇の花束をアイオロスに差し出した。
困惑していたアイオロスは更に一瞬だけ面食らったような表情を動かした後、一転してそれを和らげて満面の笑顔を浮かべ、
「ありがとう、サガ」
サガに礼を言いながらその花束を受け取り、嬉しそうに笑みを深めた。
アイオロスのその笑顔を見て気が緩んだのか、サガがホッと安堵の溜息を零したところに、アイオロスの小さく短い笑い声が重なった。
「頭のリボン……」
「えっ?」
「可愛いな、それ。どうしたんだ? 自分でつけたのか?」
それはない絶対にない! と思いつつ、ちょっと悪戯心を出して聞いてみると、サガは途端に顔を真っ赤にし、そんなわけあるか! と吐き捨てるように呟いてアイオロスから顔を背けた。
そしてここでようやくオレの出番とばかりにミロが口を開いた。
「そのリボンがけの演出はオレとアイオリアからの特別サービスだけど、プレゼントと思ってくれてもいいや。で、サガにそれを結んだのはオレ。というわけで、アイオロス誕生日おめでとう」
最後に祝いの言葉をかけて笑うミロに、なるほどさっきの「オレが先に言っちゃマズイ」というのはこのことかと、アイオロスはここでようやく先刻のミロの謎の言葉の意味を理解した。
「ありがとう、ミロ」
アイオロスが礼を言うとミロは得意気に胸を張り、サガの頭に結いつけたリボンを指差しながら「な? それ、可愛いだろ?」とアイオロスに問い返した。
「ああ、可愛い。すごい可愛い。でもリボンがちょっと曲がってるぞ? 不器用だな〜お前」
そこだけ減点1な、とアイオロスが笑うと、
「言っとくけど、それはオレが不器用なんじゃなくて全部サガのせいだから。時間がないのにサガが嫌がって、なかなかリボン結ばせてくれなかったからだよ。焦ってやったからそうなっちゃっただけなの!」
ミロはちょっと不満そうに表情を曇らせて、自分に落ち度はないと主張する。
さぁ? どうだか……という代わりに無言で肩を竦めて見せてから、アイオロスはサガの方に視線を戻した。
ミロの器用不器用問題はさておき、サガが嫌がったというのは間違いなく事実だろう。
ただそれでも頭にこうしてちゃんとリボンが付いているということは、嫌がってはいても全力で拒否するまでには至らなかったという証でもある。もしサガが本気で嫌がって断固拒否した場合、ミロ一人でどうにかできたわけがないからだ。
気が進まないながらも超渋々ながらもこうやって頭にリボンをくっつけてきてくれたということは、サガもアイオロスが少なからず喜ぶ、もしくは面白がることがわかっていたから、つまりアイオロスの為に承諾してくれたと考えるのが自然であろうし、アイオロスは知らないが実際ミロがそう言ってサガを丸め込んだことも事実であった。
「しばらくそのまま楽しんでもいいし、すぐにリボンを解いて開けてもいいよ。後はアイオロスのお好きにどうぞ」
さらりとさり気なく際どいことを言って、ミロはサガの隣にいるアイオリアに目顔で頷いて見せた。
アイオリアもミロに頷きを返すと、
「それじゃあサガ、この後のことは頼んだから。兄さんをよろしく」
サガに兄のことを頼み、踵を返して帰ろうとミロを促した。
「何だよもう帰るのか? 茶くらいは出すぞ、少しゆっくりして行けよ」
アイオロスが二人を引き止めるとミロが振り返り、
「十三年ぶりの誕生日なんだから、オレ達に余計な気を使わずサガと二人で過ごしなよ。時間なんかいくらあったって足りないだろうから、一分一秒を大事にしないとな」
とからかうように言って、悪戯ぽく笑って見せた。
「あ、でも一応今日の夕方からみんなで集まってアイオロスの誕生パーティーをする予定だから、そのつもりでいてくれよな。なのでまぁ、それまでの間はどうぞごゆっくり」
それじゃあね! と矢継ぎ早かつ一方的にアイオロスに告げてからアイオリアに視線を戻したミロは、彼の目の端に浮かんでいる涙に気づき、ごく自然にさり気なく指先でそれを拭った。
少し驚いたように目を瞠ってから照れ臭そうに微笑んだアイオリアに、ミロは人懐こく明るい笑顔で応える。どちらからともなく手を繋いで、二人は仲良く人馬宮を後にしていった。
さて、残された――というのもやや不自然だが、アイオロスとサガはといえば、二人が出ていった途端に何故か妙におかしくなり、三たび人馬宮の玄関のドアが開閉する音を聞いた瞬間に顔を見合わせ同時に吹き出した。
「夕方から誕生パーティーとか今初めて聞いたぞ。何で本人に事前に確認を取らないで勝手に決めるかね? あいつらは。ま、いいけど」
独り言のように言ってからアイオロスはサガに、
「それにしてもあいつら本当に慌ただしかったな。こんな夜中にバタバタとやってきて、またバタバタと帰って行きやがった」
と、呆れたように言ったが、アイオロスの顔が嬉しそうに緩んでいることをもちろんサガは見逃してはいなかった。
「そうだな。だがあの二人はあの二人なりに私達に気を使ってくれたのではないか? それに……」
「うん?」
「私達のことばかり言っていたが、アイオリアとミロも二人きりで少しでも長く時間を過ごしたいのだと思うぞ」
そう言ってサガも楽しげに笑った。
「ああ、そういうことか。ていうかあいつらさぁ、オレが死んでるうちにちゃっかりデキてたもんなぁ〜。チビの洟垂れ小僧だったくせに生意気な」
アイオロスの記憶には6〜7歳頃までのアイオリアとミロしかおらず、そこから一気に20歳の現在に飛んでいる。
あの二人は確かに子供の頃から仲が良かったが、生き返ったら大きさはほぼ倍くらいにはなっているわ声変わりもしているわ、オマケに幼馴染の関係が恋人に変化までしていたのだから、アイオロスも当初は大いに困惑したものである。
しかも綺麗に抜けているのが彼らの思春期のあたりなので、アイオロスの主観的には何から何まで「いきなり」感が満載で、そのせいもあってかサガや他の黄金聖闘士達と違って変なところに感慨深くなることもあった。
「アイオリアもミロももう立派な大人だぞ?」
「わかってるよ。でも何だかんだと未だにあいつらを子供扱いしているお前がそれ言っちゃうわけ?」
「そう言われてしまうと私も返す言葉がなくなるな」
一応それなりに自覚はあるのか、サガはアイオロスの言うことをあっさりと認めて微苦笑を零した。
「まぁそれはそれとして」
十三年ぶりの誕生日の夜、せっかくサガとこうして二人きりになれたのだから、いつまでも大人だ子供だと弟達の話に時間を費やすこともなかろうと、アイオロスはここで話題を変えた。
「ありがとう、サガ」
「えっ?」
「アイオリアに、時間を譲ってやってくれて」
当の本人であるアイオロス自身は自分の誕生日のことなど気にも止めていなかったのだが、弟であるアイオリア、そして恋人であるサガ、この二人には恐らくそれぞれに特別な思いがあったのだろう。だがサガは自分自身のその思いはひっそりと胸に収め、アイオリアに彼の思いを叶える機会を譲ってくれたのである。
そんなサガに対し、アイオロスはアイオリアの兄として、素直な気持ちで謝意を示さずにはおれなかった。
サガは少しだけ驚いたように目を瞠った後、
「いや、礼を言われるようなことではない。そもそもお前に対しては、私より実弟であるアイオリアの意思が最優先されるのは当然なのだからな。むしろたった10分程度の短い時間で良かったのかと、今も申し訳なく思っているくらいだ。アイオリアが一日中お前と一緒にいたいと望むのであれば、私は遠慮するつもりでいたのだが……」
「子供じゃあるまいし、アイオリアだってもう一日中オレにべったりなんてしていたくもないだろ。その証拠にほら、自分の目的果たしたらさっさとミロ連れてどっかに行っちまったじゃないか」
「それはそうかも知れないが、アイオロス、お前今の発言が先刻の自分の発言と矛盾していることに気がついているか?」
「え?」
「アイオリアのこと。子供だと言ってみたり子供じゃないと言ってみたり、自分の都合で言うことがころころ変わっているのだぞ」
そう言ってサガはまたしても楽しげにくすくすと笑った。
「あー、まぁそれはしょうがないと言うか……兄貴ってのはそういう生き物だってアイオリアもよく言ってるし、あいつ本人もわかってるんだからいいんじゃないか? それはそれで」
「何がそれはそれでいい、だ。本当にどこまでも勝手なことばかり言う奴だな」
サガは呆れ果てたが、言っても無駄と諦めたか軽く肩を竦めただけでそれ以上は何も言わなかった。
「ところでお前、さっきものすごい絶妙なタイミングでミロに連れられてここに入ってきたけど、あれってやっぱり事前に三人で入るタイミングとか打ち合わせして決めてたわけ?」
「いや、アイオリアとミロの間で段取りは決めていたと思うのだが、私は一切関与していない。実を言うと、私は今夜はここに来るつもりはなかったのだ。アイオリアは10分と言っていたが、そうもいかぬだろうと思っていたからな。とりあえず明朝になってからと考えていたのだが、0時少し前にミロが双児宮に来て問答無用で連れ出されてな」
「え? それってつまりミロがお前を迎えに行ったってこと?」
「そういうことになるのだろうな。おかげで着替えている暇すらなかった」
時間的にはそれからまだ30分程度しか経ってはいないが、まったく予期せぬ形で忙しなく双児宮を連れ出されここに引っ張ってこられたので、事の最初からとにかく嵐のような慌ただしさだったことは事実である。
「このリボンは? 双児宮を出る前にくっつけられたのか?」
アイオロスがサガの頭のリボンを指差して問うと、サガは嫌そうに眉間を寄せ、首を左右に振る。
「これは……人馬宮に着いてから中に入る前にミロに無理やり……」
リボンに関しては嫌がるサガと絶対に押し問答になると判断したミロが、時間的状況的にギリギリのところまで引っ張ってサガの文句と抵抗を最小限に抑え込むという作戦に出た結果こうなったというのが実は真相なのだが、そんなことなど勿論サガは知る由もなく――。
『時間がないんだから!」「アイオロスを喜ばせるためなんだから!」「おとなしくしてくれよ!」と言われ、怯んでしまった隙に強引にこれをくっつけられてしまった、つまりまんまとミロの思惑に乗せられ、嵌められてしまったというわけである。
戦闘時ともなれば鋭敏すぎるほど鋭敏なくせに、日常生活においては少々天然ボケの気質のあるサガはまったく気付いていないようだが、アイオロスはミロのその行動の裏にある彼の意図を鋭く見抜いていて、へぇ〜、あいつ意外に考えてるじゃん、策士だなと感心していた。
もっともそれは絶対にサガには言えぬことではあったが。
「そんな感じだったから、双児宮からはその花束を持って出るのが精一杯で……」
「ああ、この花束な。本当大きいよな、最初お前がこの花束抱えてるの見た時にはあまりの大きさにびっくりしたぞ。いや綺麗だし嬉しいんだけど、オレが両腕で抱えていっぱいになるくらいの大きさで、しかもかなりずっしりとした重みも感じるし相当だよな。しかもこれ、全部薔薇の花じゃないか。これだけの薔薇を一体どうやって……って、それは聞くまでもないか」
自分の質問がとてもお間抜けであることに言っている途中で気づき、アイオロスは自らそれを修正した。
質量美しさの三拍子がこれだけ見事に揃った薔薇のあるところなど一つしかないし、そんな薔薇を育てられる者も一人しかいない。
「察しの通り、その薔薇は全部双魚宮でアフロディーテが育てたものだ。彼にお前に渡す花束を作って欲しいと頼んだのは私だが、実を言うとここまで大きな花束を作ってくれるとは正直私も思っていなくてな、アフロディーテがこれを持って出てきた時には驚いた」
日付が変わってしまっているのでもう昨日の夕方のことになるが、サガが頼んでいた花束を受け取りに双魚宮へ赴いた際、出てきたアフロディーテが自分の想定よりも遥かに大きなこの花束を抱えているのを見た時には、さすがのサガも目をむいて驚いたのである。
「それじゃアフロディーテが独断でここまで花束を大きくしたってことか?」
「独断というか……彼が言うには『十三年分の誕生祝いを凝縮させたのだから、これでも小さいくらい』なんだそうだ」
あまりの大きさに驚いたサガがやんわり大きすぎると伝えたところ、アフロディーテから返ってきた答えがこれであった。
「なるほど、十三年分の誕生祝い、か」
腕いっぱいに抱えた薔薇の花束を見つめ、何か思うところのあるような口調でポツリと呟いたアイオロスは、少ししてサガの方へ視線を戻し、一瞬だけ何かを考えるように表情を動かしてから改めて口を開いた。
「でもお前はこの十三年間、オレの誕生日には必ず墓前に花を手向けてくれていたんだろう? 毎年欠かすことなく祝いの花を」
サガが驚愕に大きく目を見開き、息を飲んだ。サガはそのままの状態でしばしアイオロスを凝視していたが、やがて絞り出すような声で問い返した。
「何故お前がそのことを……?」
アイオロスの言う通り、サガはアイオロスが死んでから――正確には自分が彼を殺してから十三年間、毎年彼の誕生日の深夜にひっそりと墓参りに訪れては、墓前に誕生祝いの花を手向けていたのである。
裏切り者として聖域の郊外に打ち棄てるようにして作られた小さく粗末な墓前に、十三年もの間毎年必ず、そして欠かすことなく――。
「少し前になるかな、アフロディーテから聞いたんだ」
サガに問われたアイオロスは、指先で赤い薔薇の花びらに触れながらそう答えた。
明かされた意外なその名前に、サガは驚きを隠せなかった。
「私は……誰にもこのことを話したことはない。それなのに何故アフロディーテが……?」
当然ながらサガはこの事実を誰にも話してはいない。双子の弟のカノンにすらも。それなのに何故アフロディーテが知っているのか? 疑問は深まるばかりであった。
「誰かから聞いたわけではなく、あいつ自身が気づいたんだろう。その辺は巧くはぐらかされたから真相はよくわからんが、あいつと話して受けたオレの心象はそんな感じだった」
「聞いたわけではなく気づいた?」
「ああ。アフロディーテはお前の正体を知った上で、長い間側近としてお前に仕えてきた人間だ。それに元々あいつは頭がいいし、昔から他人の動向や気持ちにもとても敏感だったからな。お前が何も言わなくても、何か感じるところがあったんだろう。だから気づいた――オレはそう思ってるし、多分間違ってないとも思ってる」
アフロディーテがどんな意図を持ってこの話を自分にしたのか、正直言ってアイオロスにもその真意は計りかねた。
だが一つだけ確実に言えることは、彼の行動は全てサガの為を思ってのものだということ。意図や真意などわからなくとも、これだけは間違いないとアイオロスは断言できる。
「……そうだな、お前の言う通り、アフロディーテになら気づかれていてもおかしくはなかったのかも知れないな」
アフロディーテが自分の側近だったこの十三年間のことをざっと思い返しただけでも、思い当たる節はいくつもある。確かにアイオロスの言う通りであろうと、サガは感慨深く呟いた。
「多分あいつはこう思ってるんじゃないのか? 『本人が生き返ったのだから、ついでにこれまでの十三年分まとめて本人に渡せばいいじゃないか』ってね。それでこんな特大の花束を作ってくれたんだろう。で? どうなんだ?」
「どうなんだ? って、何が?」
「お前がオレの墓に手向けてくれた花束の大きさがわからんから見当がつけられんのだが、この花束はどうなんだ? 十三年分の大きさはありそうなのか?」
冗談めかして軽くアイオロスがサガに問うと、サガは改めてその花束を目測するようにじっと見つめてから、
「アフロディーテの言うように、十三年分というと少し足りない気もする……かな?」
少々無理をしているような感はあったが、サガもアイオロスに調子を合わせたように冗談めかしてそう答えた。
「そうか。それじゃ足りない分は来年の花束に足してくれ。それでも足りなければ再来年にな」
アイオロスがいうとサガは呆れたように目を瞬かせ、
「再来年まで持ち越すほどの量はさすがになかったと思うが、わかった、お前のその意向は覚えておく」
と言って微苦笑を零した。
「アイオロス」
「うん?」
アイオロスの返事を聞いてからサガは少しだけ移動して彼の左手側に立つと、
「誕生日おめでとう」
もう一度祝いの言葉を告げると、頬に軽く触れるだけのキスをした。
アイオロスは両手で抱えていた花束を片手で持ち直すと、空いた方の手でサガの腰を抱き、耳元に唇を寄せた。
「ありがとう。これからも毎年誕生日にはこうしてオレの傍にいて欲しい、サガ」
「誕生日だけでいいのか?」
「そんなわけはないだろう。いつでもどんな時でもお前には常にオレの傍にいて欲しい。ただ誕生日は特別バージョンで……っていう意味だよ」
「お前の言う特別バージョンの意味はよくわからないが、でもお前が欲張りだということだけはよくわかった」
「誤解のないよう言っておくが、オレが欲張りになるのはサガのことに対してだけだからな。これも覚えておいてくれ」
どこまでも勝手なことを言って、アイオロスは素早くサガの唇にキスをした。