◆ 大切な人、特別な誕生日

そして13年後の現在――

兄アイオロスの13年ぶりとなる28歳の誕生日を目前に控え、アイオリアは改めてサガの元を訪れていた。
事前に何の連絡もなしに双児宮にやってきたアイオリアを、サガは少しだけ意外そうにしながらも快く迎え入れ、茶を振舞ってくれた。

「どうした? お前が一人で私のところへ来るなんて珍しいこともあるものだな」

アイオリアの正面に腰を下ろしながら、サガは彼に突然の訪問の理由を尋ねた。

「うん……実はサガに相談があって……」

「お前が? 私に?」

一層目を丸くして、サガがアイオリアに聞き返した。

そんなに驚いた顔しなくても……と、アイオリアは苦笑しながら言葉を継いだ。

「うん。あのさ、もうすぐアイオロス兄さんの誕生日で……って、サガならわかってると思うけど……」

サガは黙って頷いた。

「13年ぶり、いや正確には14年ぶりの誕生日だし、誕生日プレゼントとかどうしようかなって考えてそれで……」

そこまで言った瞬間、サガの表情が目に見えて曇ったことに気付き、アイオリアは途端に慌てふためいた。

「あ、えっとその、誤解しないで欲しいんだが、オレは別に昔のことでサガに文句を言いに来たわけでも恨み言を言いに来たわけでもなくて、単純にその、誕生日に兄さんに喜んでもらえるプレゼントをしたくて、それでサガに相談とお願いに来ただけで……」

あわあわするアイオリアの様子がおかしくて、サガは堪えきれずに小さく吹き出し、くすくすと楽しそうに声をたてて笑った。
一頻り笑った後、サガは困り果てたように眉尻を垂らしているアイオリアを見る目をふっと細め、

「13年前にもお前は私に、『アイオロスの誕生日に何をプレゼントしたらいいか?』と聞いたことがあったな。覚えているか?」

「ああ」

即座にアイオリアは首を縦に振った。
忘れるはずがない、サガに相談をした自分の誕生日の夜のことも、アイオロスに『誕生日プレゼント』を贈ることができたあの日のことも――。

「サガの助言のお陰で、黄金聖闘士になった姿を兄さんに見てもらって喜んでもらうことができた。サガが言った通り兄さんがそれを心から喜んでくれたこと、幼心にもちゃんとわかったしね。最高の誕生日プレゼントになったって、今でも思ってる。サガに相談してよかった、ともね」

ただ時期はちょっと早かったけどな、と心の中でだけ付け加え、アイオリアはサガに向かって微笑んで見せた。

「それでまた私に相談に来た、と?」

「うん、今も昔も兄さんのことはサガが一番よくわかってるはずだから。今兄さんが欲しがってる物とか、何かして欲しいこととか、サガなら知ってるんじゃないかって思って」

アイオリアの言葉に、サガは少しだけ戸惑ったように表情を動かした。

「それは買い被りすぎというものだな。実の弟であるお前以上に、私がアイオロスのことを理解しているとも思えぬが……」

サガはそこまでで一旦言葉を切ると、興味深げな目でアイオリアの顔をじっと見つめた。
十数秒程度だろうか? 無言でアイオリアを見つめた後、サガは再び口を開き、

「ただ今年に限っては、一つだけ提案できることがある」

「え?」

途端にアイオリアが期待を込めて表情を閃かせたのを見て、サガが微苦笑を零す。
あまり期待値を上げられても困るのだが参考程度にはなるだろうと、サガは言葉を継いだ。

「お前がアイオロスと差し向かいで酒を酌み交わすこと」

「え?」

丸くした瞳を瞬かせたアイオリアに、十三年前の小さかったアイオリアの顔が重なった。
すっかり大人の顔つきになったアイオリアだが、こういうふとした拍子に見せる表情には、まだまだ少年の頃の面影が色濃く残っている。
懐かしさにサガは頬を緩ませた。

「あの日……お前が獅子座の黄金聖衣を教皇より賜った日の夜、アイオロスは私にこんなことを言ったんだ。『次はあいつが大人になった時、サシで酒を酌み交わしながら夜通し語り合いたい。それがオレの新しい夢というか願い事だな』とね。当時まだ15歳にもならぬ身で、まるで息子を持つ父親のようなことを言うのだな、と私は少々呆れ気味にアイオロスに応じたものだが……」

アイオリアが正式に黄金聖闘士となったのは、女神が降臨する直前。
女神の降臨は即ち、近い将来必ずや地上の覇権を争う神々の聖戦が勃発するという証であり、その戦いは決して避けることはできない。
戦の火蓋が切られた刹那から自分達聖闘士は女神を守護する為に戦火に身を投じ、最前線で戦わねばならないのである。文字通り命を賭して――。
大人になったアイオリアと酒を酌み交わしながら夜通し語り合う、そんな細やかな望みですらも叶うことはあるまい――あの時のアイオロスは、恐らくそんなことを考えていたのだろう。
そして実際にアイオロスは――彼自身が漠然と想定していた形とは違ったであろうが――その望みを叶えることなく冥府の門を潜っている。
叶わぬものと半ば諦めていたからこそ、心の底からそれを願ってやまなかった――アイオロスのそんな胸の内にサガが気づいたのは、サガ自身が彼を失った後であった。

「でも、生き返ってから兄さんとは何回か飲んでるし……って、あ……」

確かにアイオリアは兄と既に何回か酒席を共にしていたが、そういえば兄弟二人きりで差し向かいで飲んだことは一度もないことに、今更ながらに気がついた。
つまり十三年以上前からアイオロスが抱いていたその望みは、未だ叶っていないことになる。

『今年に限って』『一つだけ』とサガが注釈していたその理由を、アイオリアはようやく理解することができた。
それと同時に、当事者の自分ですら今の今まで気づいていなかったことにサガがしっかり気づいていたことで、アイオリアはサガがいついかなる時も兄を気遣い、さりげなく見守り、心身共に寄り添ってくれていることを再認識し、彼のの兄に対する深い愛情を実感したのである。

「私達兄弟と違って、お前達兄弟には結構な年齢差がある。かつてのお前はアイオロスの庇護対象だったが、今のお前はもう立派な一人前の大人の男だ、彼の庇護は必要ない。大人になったお前と、対等な立場でじっくり語らいたい……アイオロスはそんな思いをより一層強くしているはずだ。だからその願いを叶えてやるといい。今のアイオロスにとっては、それが何よりのプレゼントになると思うよ」

サガの助言に、アイオリアは照れ臭そうに微笑みながら頷いた。
だが直後、また何かに気づいたように表情を動かし、

「でもサガ」

「うん?」

「兄さんさ、14歳で死んでるせいだと思うけど、実はまだ味覚が成人してないというか、酒の味に舌が馴染まないみたいであんまり飲めないんだよね……」

要は「身体は大人でも子供舌なので、実は酒を飲んでも美味しいとは感じてない。だから一晩中飲み明かすのは難しい」ということが言いたいらしい。
思い当たる節のあるサガは、あ……と短く呟いた後、「ちょっと待っていてくれ」とアイオリアに言い残し、席を立った。
サガはリビングボードの上のメモ帳に何やら書き記してから戻り、そのメモをアイオリアに手渡した。

「これは?」

「その銘柄のワインは甘くて口当たりがよく、ジュースのような感覚で飲めるからアイオロスのお気に入りなんだ。だから私がアイオロスと飲む時には、必ずこのワインを用意するようにしている」

兄の好んでいるワインを初めて知ったアイオリアは、メモに書かれているサガの文字を見つめながら、やっぱりサガは本当に兄さんのことをよく見てよく知っているんだな。さっきはあんなこと言ってたけど、実際弟のオレよりもサガの方がずっと兄さんを理解している……と心の中で感嘆混じりに呟いていた。

「とはいえワインはワインだからな、飲みすぎると悪酔いするので注意は必要だが」

だからアイオロスの方は適度なところでジュースに切り替えてやってくれ、とメモをじっと見つめているアイオリアに更なる助言を与え、サガはくすりと笑った。

「ありがとう、サガ」

十三年も前の、しかも自分の預かり知らぬところで交されていた会話に答えがあった。
サガに聞かねばわからなかったことであり、また本来たわいもなかったはずのその会話をサガがしっかりと記憶してくれていなければ、アイオロスがそんな願いを持っていたことすら知らぬままで、当然叶えてやることはできなかった。
――尤も、当のアイオロスが覚えているか否かという一抹の不安は残るのだが、それはそれでまた別の話である。
心から礼を言い、アイオリアはサガに頭を下げた。
サガからすれば単純にかつてアイオロスが言っていたこと、望んでいたことをそのまま伝えただけで、こんな風に改まって礼を言われ頭を下げられるほどのこととは思えなかった。
だがアイオロスも含め、もし自分達に新たな生が与えられていなければ実現不可能であったことは事実なのである。
そう考えると、礼を受ける側としての照れはあるが、アイオリアの気持ちが理解できないわけではない。

「サガに相談して良かったよ、本当にありがとう」

重ねて礼を言うアイオリアに、サガはぎこちなく微笑み返しながら小さく頷いた。

「あ、そうだ、このワインとジュースの他にあとは何を用意すればいいと思う? ケーキはやっぱりあった方がいいよね?」

「そうだな、13年、いや14年ぶりのことだし、大きなバースデーケーキを用意してやってくれ。それから……」

サガはアイオリアの手からメモ用紙を取ると、ワインの下にいくつかアイオロスの好物を書き加え、再びアイオリアにそれを返した。

「ありがとう。何から何までサガに頼りっぱなしでごめん」

「いや、私は私が知っていることをお前に伝えているにすぎん。気にすることはない」

恐縮するアイオリアに、サガは努めて軽い調子で応じた。

「それからサガ」

「うん?」

「実はもう一つ、相談じゃなくてサガに頼みたいことがあるっていうかできたんだけど」

「頼み?」

何だろう? と小さく首を傾げてからサガは、「私にできることなら何でもするが……」とアイオリアにその内容を聞き返した。

「サガにできることっていうか、サガにしかできないことだよ」

笑いながらそう答えてから、アイオリアは先を続けた。

「誕生日、サガも兄さんのことを祝ってやって欲しい」

「えっ!?」

言われずともそのつもりでいたサガは、思わず面食らったように短く声をあげたのだが、アイオリアのこの発言にはある意図があった。

「夜が明けてから、もちろん昼になってからでもいいけど、11月30日のまだ時間が十分残ってる時にちゃんと人馬宮に、兄さんのところに来て欲しい。そして残りの時間を兄さんと過ごしてあげて欲しいんだ」

「え……?」

アイオリアも、サガが恋人である兄の誕生日を無視するわけがないことくらいはわかっている。彼なりにアイオロスの誕生日をどう過ごすか、何を贈るか考えていたに違いないことも。
ただ――

「サガ、こういう展開になったから、兄さんの誕生日当日は丸一日オレに時間を譲るつもりになっていただろう?」

そう問い返しながら、アイオリアはお見通しですよとでも言いたげにちょっとだけ意地悪に笑って見せた。
そしてアイオリアの指摘は正に図星で、サガは今度は返答に窮して絶句した。
やっぱり……と今度は微苦笑してから、アイオリアは先を続けた。

「アイオロス兄さんが、大人になったらオレと飲みながら語り明かしたいって願ってくれていたことは本当に嬉しいし、オレは精一杯兄さんのその希望を叶えるつもりでいる。兄さんも間違いなく喜んでくれると思ってもいるけど、でも多分それだけじゃダメなんだよ。サガ、兄さんはそれと同じか或いはそれ以上に、愛する人と一緒に誕生日を過ごしたいと願っていると思う。いや、間違いなくそう願ってるはずだよ」

アイオロスの愛する人、それは言うまでもなく目の前にいるサガのことである。

「アイオリア……」

「サガがオレのこと、オレ達兄弟のことを思って全てを譲ってくれようとしていることはオレにもわかってる。でもね、それじゃ兄さんを100%喜ばせてあげることはできない。サガが兄さんの傍にいてあげてくれないとダメなんだ。それに……」

そこでアイオリアはくすっ、と笑いを零し、

「さすがに兄さんと二人きりで丸一日中顔を突き合わせてるのなんて無理だよ、いくら実の兄弟だって言ってもね。ずっと飲み続けてるわけにもいかないし、話題だって尽きるしな」

そこまで言って、アイオリアは今度は楽しげに声を立てて笑った。
言われてみれば確かにその通りかも知れないと、サガも納得せざるを得ない。

「だからサガ、こうしようよ。前半はオレが時間をもらうからサガは後半ってことで、誕生日当日は必ず兄さんのところに来て兄さんを祝ってあげて欲しい。兄さんの傍に居てあげて欲しい。これはサガにしかできないことだから……頼むよ」

ね? とアイオリアに重ねて切願されたサガは、ほんの一瞬だけ考えを巡らすような表情を浮かべたものの、すぐにそれを払拭し、微笑みながらしっかりと頷いた。

「わかった、誕生日当日は私も必ずアイオロスのところへ行くよ、約束する。ただそういうことならば一つ、私からもお前に頼みがある」

「ん? 何?」

「アイオロスが酔い潰れたりしないよう、注意してくれるとありがたい。確かにあいつはさほど酒は飲めないが、お前と二人で飲みながら語らうことはあいつの念願だった。楽しくてつい自分の酒量を忘れ、潰れるまで飲んでしまうかも知れない。あいつは酔い潰れて寝てしまうとちょっとやそっとでは起きないし、半日、いや丸一日平気で眠り続けるからな。寝ているうちに誕生日が終わってしまうという間抜けな事態にもなりかねない。そうなるとお前がどんなにお膳立てをしてくれても、全てが水泡に帰すことになってしまうからな」

言われてその危険性に気づいたアイオリアは、確かに……と呟きながら頷いた、

「うん、わかったよサガ。それは十分肝に銘じて注意しておくから」

二人は改めて顔を見合わせるとほぼ同時に吹き出し、そして軽やかに笑いあった。

「それじゃサガ、11月30日に……約束だよ」

「ああ、11月30日に……約束だ」

11月30日――サガとアイオリア、それぞれがそれぞれに大切に思う人の誕生日。その大切な人の笑顔の為に、二人は固い約束を交わしたのだった。

END
post script

HAPPY BIRTHDAYアイオロス!

……とはいえ肝心の本人が出ておりませんが、特にアイオロスを大切に思っているであろう二人に、こんな風にアイオロスを喜ばせる相談をしてほしかったのです。


Topに戻る>>