黄・金・色・猫
時を遡ること三日前――。
教皇宮の一角にある聖域図書資料館のインターネットコーナーで、アイオリアは困り顔で目の前の端末と向き合っていた。
このコーナーに陣取って一体どれくらいの時間が経ったか……1〜2時間程度で済まないことは確かだが、占有時間を気にしている余裕などこの時のアイオリアにはなかった。
「アイオリア」

食い入るように画面に張り付き、一心不乱にマウスを動かしキーボードを叩いていたアイオリアは、不意に背後から声をかけられ作業の中断を余儀なくされた。
何だよ今忙しいんだよと心の中で文句を垂れながら振り返ると、すぐ後ろにシュラとアフロディーテが並び立って自分を見下ろしている。

「あれ? シュラにアフロディーテ」

こんな近くに立たれているのに、声をかけられるまでアイオリアは二人の存在に全く気付いていなかったようである。
きょとんと自分を見上げるアイオリアに、シュラとアフロディーテは顔を見合わせて苦笑を交換した後、

「曲がりなりにも黄金聖闘士が声をかけられるまで人の気配に気付かないなんて、不覚もいいところだぞ」

再びアイオリアに視線を戻し、アフロディーテがからかい混じりに言った。
アイオリアは非常に気まずそうに眉尻を垂れ下げ、ちょっと……取り込み中で……と、モゴモゴと言い訳することしか出来なかった。
確かにアフロディーテの言う通り、黄金聖闘士ともあろう者がこんな至近距離に居る人間の気配に気付けないとは不覚以外の何ものでもないからである。

「そうみたいだね。さっき見かけたときと同じ場所で同じことしてるんだから」

言いながらアフロディーテは、同意を求めるようにシュラの方に顔を向けた。
シュラが頷いたのを見て、アイオリアは目を丸めて聞き返した。

「さっき見かけたって、いつ?」

「もう軽く3時間は経ってるな。それどころか4時間近く前になるんじゃないか?」

今度はシュラがアフロディーテに聞き返すと、アフロディーテも「そうだね、それくらい経つかな」と頷いた。
それを聞いてアイオリアは唖然とした。
1〜2時間程度ではすまないだろうとは思っていたが、まさかその倍近くの時間が経っているとは思っていなかったからである。

「4時間近くも何をやってるのかと気になったからね。声をかけさせてもらったってワケ」

「で? 何してるんだお前。調べ物か?」

長時間インターネットに張り付いているということは、何か厄介な調べ物でもしているのかとシュラは思ったのだが、問われたアイオリアは曖昧な表情で小首を傾げ、少し考えるように黙ってから答えた。

「調べものっていうか、探し物」

「探し物?」

アイオリアが頷くと、アフロディーテとシュラは目を丸めてから立て続けに問いを投げた。

「その様子だとまだ見つかってない、ってことだよな?」

「4時間近くも探してて?」

またしてもアイオリアが無言で頷く。

「聞いてもいいか? 一体お前はそんなに必死になって何を探しているんだい?」

聞いてもいいか? と言っておきながらその答えを聞かずに、アフロディーテが更に問いを重ねる。
アイオリアは気まずそうな顔で少しだけ沈黙した後、諦めたように口を開いた。

「ミロの誕生日プレゼント」

「は? ミロの?」

アフロディーテとシュラが声をハモらせて聞き返す。

「うん。明々後日、11月8日があいつの誕生日なんだ」

「それは知ってるけど……」

アイオリアとミロが少し前から恋人付き合いをしていることは、十二宮では周知の事実である。
幼なじみの延長線上のような感じではあるが、付き合いが長い分そのラブラブっぷりは相当なもので、なるほどその可愛い恋人の為なら一生懸命にもなるわけだとシュラもアフロディーテも納得はしたが、それにしてもたかが――と言ってはなんだが誕生日プレゼント一つでここまで一生懸命を通り越して必死になるものだろうか? という疑問は残った。

「ミロの誕生日プレゼントってのはわかったが、4時間近く探しても見つからないようなレアな物を贈ろうとしてるのかお前は」

「うん、まぁ……レアな物なんだろうなとはオレも思う」

なんだろうなじゃなくて完璧にレア物だろうそれはと、シュラは心の中で呟いていた。

「何を探してるんだか知らないけど、どうしてもそれじゃなきゃダメなのか? これだけの時間探してもダメなら見つかる確率は低いだろう? 何か他の物に切り替えることは出来ないのか?」

どうやらアフロディーテも同じことを思ったらしく、他のもっと入手しやすい物に代替できないのかと暗に提案したのだが、アイオリアは小さく首を左右に振りながら溜息をつき、言った。

「無理。ミロ本人のリクエストだから」

「ミロ本人のリクエストぉ?」

「うん」

アイオリアは頷いた後、すぐに言葉を繋いだ。

「最初はオレも自分で考えてプレゼント贈るつもりだったんだけど、何がいいかと散々考えても今イチ思いつかなくてさ。要らない物とかあげてもしょうがないから、もう開き直って本人に聞いたんだよ。誕生日プレゼント何が欲しい? って。そしたらさ……」

「そしたら?」

「……猫が欲しいって」

「は?」

「ネコぉ!?」

「そう、猫」

アイオリアがそう繰り返して頷くと、アフロディーテとシュラは顔を見合わせ、

「十二宮で勝手にペットを飼っていいのかどうかはともかく、猫ってそんなに難しいリクエストとも思えないが……」

シュラが言うとアフロディーテも頷き、

「猫なんて聖域にもたくさんいるだろう。適当に一匹拾って来るか、雑種じゃない猫がいいならペットショップで買ってくればいいだけじゃないか」

割と簡単なリクエストなのに何でそんなに困っているんだ? 4時間もネットに張り付いて探すほどのことか? と口には出さないまでもシュラもアフロディーテも少しだけ呆れていた。
だがアイオリアはまたまた溜息をつき、

「猫なら何でもいいってワケじゃないらしいんだ」

「猫種でも指定されたのか? それならもっと簡単だろ。それこそペットショップに行きゃいいんだから」

「そうじゃなくて……」

シュラの言葉にアイオリアは力なく首を左右に振った。

「猫の種類が指定されてるならいいよ、シュラの言う通りペットショップに行けばいいんだから何も難しくはない。でも指定されたのは猫の種類じゃないんだ」

「猫の種類じゃないなら何を指定されたって言うんだ?」

アフロディーテが問い返すと、アイオリアは短く答えを返した。

「毛の色」

「毛の色ぉ?」

「うん、そう、毛の色」

「毛の色と言うと、白とか黒とか茶色とか三毛とかトラとか……だよな?」

シュラが問いを重ねながら、それならそれこそそんじょそこらに――と思っていると、アイオリアはだからそんな単純なモンだったら苦労しないんだってとまた溜息をついて、

「栗色の毛で、なおかつ太陽の光で金色に輝く猫が欲しいって言うんだ……あいつ……」

「はぁいいぃ〜〜〜!?!?」

シュラとアフロディーテが、異口同音に素っ頓狂な声を上げる。

「栗色の猫なら五万と居るけど、太陽の光で金色になる猫なんて聞いたこともなくて……それでずっとネットで探してるんだけど全然見つからないんだ」

はぁ〜……と今度は疲労困憊の大きな溜息をついて、アイオリアは肩を落とした。
シュラとアフロディーテはそんなアイオリアをしばしポカーンと見つめていたが、

「ぷっ!」

やがてアフロディーテが堪えきれんとばかりに盛大に吹き出し、そのまま床に踞って文字通り腹を抱えて笑い出した。

「えっ……? な、何?」

わけがわからず、アイオリアが笑い転げるアフロディーテと明らかに笑いを堪えているシュラを交互に見遣る。

「何だ、どんな希少種の猫かと思ったら……いや、まぁ、ある意味希少種と言えば希少種か。超希少種」

「そうだな。世界中のどこを探しても一匹しか居ないからな」

二人はそう言い合った後、先刻よりも更に盛大に吹き出して笑った。

「世界に一匹だけの猫!? 二人ともその猫のこと知ってるのか? その猫、どこに行けば手に入るんだ? ていうかそんな希少種、そもそも個人で飼っちゃいけないんじゃ……」

意外にもこの二人がその猫を知ってるらしいことがわかり安堵したのも束の間、超希少種と聞いてアイオリアは一人でオロオロし始めた。
その様子を見てますます笑いが止まらなくなり、シュラとアフロディーテは場所も弁えず人目も憚らず大きな声で爆笑した。
図書資料館の利用者はアイオリアだけではなく、二人の行為は明らかに他者の迷惑になっていたが、黄金聖闘士に文句を言える人間などいるはずもなく、二人の笑い声は静かな館内にしばしの間高らかに響いていた。

二人はひとしきり笑った後、ようやくアイオリアに向き直り、

「その猫はギリシャにいるよ。しかもここ聖域にな」

「えっ!? 聖域のどこ!?」

灯台下暗しとはこのことか! と、アイオリアは食いつくようにシュラに聞き返した。
聖域にいるというが、アイオリアはそんな猫を見たこともなければ居ると言う話すら聞いたこともない。
かなり特殊な毛色の猫なのだから噂にくらいはなっててもおかしくなさそうだが、いずれにしてもアイオリアにはその猫の居場所の見当すらつけられず、目の前の二人の情報に頼るしかないところだった。

「十二宮に」

そう短く答えたのは、シュラではなくアフロディーテである。

「十二宮!?」

アイオリアが素っ頓狂な声を張り上げると、シュラとアフロディーテは今度は微苦笑し、

「お前、まだわかんないの?」

「は? 何が?」

アイオリアの答えを聞いて、二人はダメだこりゃとばかりに顔を見合わせ肩を竦める。

「その猫ってのはな……」

「ここにいるんだよ」

そう言ってアフロディーテが、アイオリアの鼻先に人差し指を突きつけた。

「………え?」

アイオリアの目が、きょとんと丸くなる。
やれやれ、まぁ〜だピンと来ないのかと呆れながら、アフロディーテは指先でツンツンとアイオリアの鼻の頭を突き、

「それはお前のことだよ、アイオリア」

「…………はい?」

鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、アイオリアが短く聞き返す。

「だからミロの言う『毛が栗色で太陽の光で金色に輝く猫』ってのは、お前のことなの」

シュラがアフロディーテの後を引き取り懇切丁寧に説明してやると、アイオリアは丸めた目をぱちくりと瞬かせ、直後やっとシュラとアフロディーテの言っていることを完全に理解すると、一気に顔を真っ赤に染め上げた。

「オレのことって、えっ? な、何でオレ!?」

先程までとはまた違った意味であたふたし始めたアイオリアを見て二人は呆れ果てたように溜息をついてから、アフロディーテがアイオリアの髪を一房掴んで言った。

「お前の髪の毛の色、俗に言う栗色だよね」

「えっ?」

確かにそれはその通りだが……とアイオリアが固まっていると続いてシュラが、

「ライオンは何科の生物だ?」

と、小学校の理科の教師のような質問を投げた。

「え? ……ライオンは猫科……って、あ!」

ここでようやく、アイオリアが何かに気付いたように表情を閃かせた。

「えっ……でも太陽の光で金色に輝くって……え?」

だがまだわけがわからないとばかりに首を捻るアイオリアに、二人は更に脱力感を深め、厭味混じりにこれみよがしな溜息をついてみせた。

「オレ達の属する星座がある場所を考えろ」

「……あ!」

自分達の属する星座とは、即ち黄道十二星座。
黄道とは言わずもがな、太陽が天球上を1年かかって運行する軌道のこと。つまり『毛が栗色で太陽の光で金色に輝く猫』というのは、遠回しに『黄金聖闘士・獅子座のアイオリア』のことをさして言っているのである。

「ようやく理解したか。つまりミロは、お前自身に誕生日プレゼントになってくれって言ってたんだよ。これくらいのことその場ですぐにわかってやれよ。そうすりゃお前だって、こんなところで何時間もネットに張り付かずに済んだんだぞ」

全く鈍いにも程があると、シュラはあからさまに溜息をついてみせた。

「そんなこと言ったって……まさかそんな意味だなんて思わないし……」

ブツブツモゴモゴとアイオリアは文句を言った。
わかってみれば簡単すぎる謎謎であるが、まさか言葉の裏にそんな意味が隠されているなどと思ってもみず、言われた通りストレートに捉えていたのだからわかれと言われても無理なのである。
同時に、今までの自分のこの数時間は何だったのかと、空しく思わずにもいられないアイオリアであった。

「やれやれ、まぁ昔から鋭い方じゃないとは思ってたがここまでの鈍チンとはね。ミロも可哀想に、これじゃこの先何かと苦労するぞ……」

そこまで言ってシュラはふと、案外ミロの方はアイオリアはすぐには気付いてくれないだろうとわかった上で、敢えてこんな言い方をしたのかも知れないな、と思い直した。

「まさかプレゼントに自分自身をリクエストされるなんて思わないだろ、普通。ていうか、付き合う前ならともかく、今更オレがプレゼントになったって何の意味もないっていうか……その……」

モゴモゴ口籠りながら、アイオリアはまたしても顔を赤くした。

「もう〜、シュラの言う通り本当に鈍チンだなお前は。プレゼントって言うのは比喩で、要はミロはお前がずっと傍にさえいてくれたら他には何もいらないって言ってるんだよ」

ミロ本人から聞いたわけではないので憶測の域は出ないのだが、そういう意味でほぼ間違いないだろう。
というより、大方の人間がそう解釈するはずである。
アイオリアと同じくらいのレベルの鈍い人間でない限りは。
そのアイオリアはと言えば、アフロディーテの補足と言うかより詳細な解説を聞いて、これ以上ないくらい顔を真っ赤にして俯いている始末であった。

「ま、ひとまずこれでプレゼント問題は解決したわけだ。よかったな」

シュラがそう言ってアイオリアの肩を叩くと、アイオリアは顔を真っ赤にしたまま小さく頷いた。

Next>>