今日でちょうど6年前になるその日のことを思い出し、ミロは獅子宮の私室のドアの前で大きな溜息をついた。ノックしようと片手を上げてはドアを叩かずそれを下げる、そしてもう片方の手に持つケーキの箱を見て溜息をつく――という行動をこの短時間の間に何回繰り返したことか。
6年前のアイオリアの誕生日のことは、ミロの中に苦い記憶として今なお色濃く残っていた。それが今のミロの行動に、大きくブレーキをかけていたのである。
「ったく、サガも何で今更こんなことオレに押し付けるんだよ。いい迷惑だっての!」
ほぼ自縄自縛のこの状態がもどかしく、ミロは思わずこの場にいない、だがある意味事の元凶であるサガに対して恨み言を漏らした。
ミロがサガに突然呼び出されたのは今日の午後のことである。
サガからの何の前振りもない、本当に突然の呼び出しを不審に思いつつ、断る理由もそもそも断る気もないミロは素直にそれに応じて双児宮へ行った。
するとサガはまた突然に「買い物に付き合え」と言って、ミロの答えも聞かずに彼を伴いアテネ市内へと繰り出した。
いつになく強引なサガの行動に若干面食らいはしたものの、服でも見立てて欲しいのかと軽く考えてサガについていったミロだが、そんな予想に反してサガがミロを連れて行ったのは、ミロも数回来たことのある瀟洒な佇まいの洋菓子店であった。
え? 何で? サガがどうしてこんなところに? と状況が読めないミロが内心であたふたしている間に、サガはどうやら予約をしていたらしい商品を受け取り、支払いを済ませていた。
どうやらそれはケーキだったようだが、たかがケーキを買いに来るのに何でオレを連れてきたんだ? とミロがハテナマークを浮かべていると、会計を終えたサガは何食わぬ顔で、だが有無を言わせる間もなく受け取ったばかりのそのケーキの箱をミロに手渡し、
「これをアイオリアに届けてくれ」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
「はぁーーー!?」
ミロが思わず素っ頓狂な声を上げると、店内にいた他の客の目が一斉にミロの方に向けられた。
「こんなところで大声を出すな、みっともない」
「は? 誰のせいだと……」
皆まで言う前に、ミロはサガに腕を掴まれ店の外へと連れ出された。
「何でオレがこれをアイオリアに届けなきゃいけないんだよ!? ていうか何でケーキなんか……って、あ……!」
店を出るなりサガに猛抗議を始めたところで、ミロは今日の日付を思い出した。
今日は8月16日、アイオリアの誕生日である。つまりこのケーキは――
「これ、アイオリアへの誕生日プレゼント……ってこと?」
それ以外に理由などないはずだが、確認を求めてミロが聞くとサガは黙って頷いた。
次の瞬間、思い出したくもない6年前の記憶が脳裏に鮮明に蘇りミロの胸裡を騒つかせた。
「それなら……サガが自分で届ければいいじゃないか。サガからあいつへの誕生日プレゼントなんだろ? これ。それを何でオレに届けさせるんだよ? もう正体を隠してるわけじゃないんだから、オレが代わりに行く必要なんてないだろ」
面倒なことをオレに押し付けないでくれよ……と、ミロは懸命に平静を装いつつもサガから背けるように顔を伏せてそう吐き捨てたが、直後にフッと頭に手を置かれる感覚でミロは再び伏せた顔をあげてサガを見た。
「誤解をするな、私の代わりをお前に押し付けようとしているわけではない。ただお前に行ってもらった方がいい、いやお前に行ってもらわなければ意味がない、そう思ったからお前に頼んでいる。それだけの話だ」
サガは一際優しく微笑み、ミロの髪を撫でた。
だがサガは具体的なことは何一つ言ってくれず、ミロは何だよそれ意味わかんねえよと思わず不満を零したのだが、そうは言いながらもミロは漠然としたレベルでサガの言わんとしていることは理解していた。
サガが起こした十二宮の乱が終結した直後から海界、冥界との聖戦、そしてアスガルドの戦いと立て続いたせい、或いはそのお陰で禍根を残す間もなくミロとアイオリアの関係はなし崩し的に修復していたが、ミロは6年前のアイオリアの誕生日に自分がとってしまった非常に失礼かつ不快な態度を今も彼に謝ってはいない。
6年前、ミロがアイオリアに対してあんな態度をとってしまったのは、当時彼の兄アイオロスが聖域に反逆した大罪人だとされていたことに起因していたわけだが、つまるところサガは6年前のアイオリアの誕生日に――具体的に何があったのかまではわからないまでも――二人の間にあったのであろう出来事が今なおミロの心の奥底に蟠りとして残っていることを察し、それを払拭しようと考えてこんな行動に出たのだろう。
サガが自分を心配し、気遣ってくれていることはわかるのだが、正直なところミロにとってそれは余計なお世話以外の何ものでもなかった。
6年前のことが原因で未だ自分とアイオリアの仲が目に見えてギクシャクしているというのならともかく、全くそうではない。アイオリアが内心どう思っているのかまではわからないが、とりあえずは良好な関係を保っているのだからそれでいいじゃないか、今更ほじくり返すようにしてまで向き合うような過去でもないとしかミロには思えないからである。
尤もそれが逃げの思考でしかないことは、ミロ自身もよくわかってはいるのだが――
サガは不貞腐れたように黙り込んだミロの頭を今度はくしゃっと掻き回すと、「頼んだぞ」と念を押してから反対方向へ踵を返した。
「えっ? ちょっと、どこに行くんだよサガ!」
聖域とは反対方向へ歩を進めるサガを。ミロが慌てて呼び止めた。
てっきりこの気まずい空気のまま一緒に聖域へ帰らねばならぬものと思っていたのに、自分を残してサガは一体どこへ行こうとしているのか?。
「これからアイオロスと約束があってな。待ち合わせをしているんだ」
「アイオロスと待ち合わせって、えっ? それってアイオロスとデートの約束してるってことだろ? アイオリアの誕生日なのにアイオロスを取っちゃう気かよ!?」
取っちゃうとか何子供じみたことを言ってるんだオレはと心の中で即座に自己ツッコミは入れたものの、出してしまった言葉はもう引っ込められない。
取っちゃう発言はさすがに想定外だったのか、サガは彼らしくもなく目を丸め、直後にプッと小さく吹き出した。
「その件については心配無用だ。アイオロスにはきちんとアイオリアへの誕生祝いを済ませてから来るように言ってあるし、本人もそのつもりでいたからな。そういうわけだから、あとのことはお前に任せる」
それじゃあな、とサガはミロに手を振り、心なしか軽い足取りでその場を後にしていった。
有無を言わせず連れてこられた挙句一人取り残されたミロは、呆然と立ち尽くしてサガの後ろ姿を見送りながら呟いた。
「あとは任せるって、何を任せるっていうんだよ、任せられても困るんだよ……」