この日アイオリアは、とある自分的に重大な決意を胸に十二宮の階段を登っていた。
目指す宮は十番目の磨羯宮。この宮の主に、ここ最近ずっと思い悩んでいることを相談するためである。
本来であれば相談相手として真っ先に白羽の矢を立てるべきであろう相手は実兄のアイオロスなのだが、内容が内容だけに兄には気恥ずかしさと決まりが悪さが先に立って相談できず、他に頼れそうな相手となると内容的にシュラしか思い浮かばなかったのだ。
それでもシュラに相談すると決意を固めるまで、たっぷり三日間悩みに悩んだのだが——。
正直なところシュラにこんな相談をしても鼻で笑ってバカにされて終わりになる可能性もなきにしもあらず——というより可能性濃厚で未だ気が進まない部分もあるのだが、他にアテがない以上、そうなったらそうなったで諦めるより仕方がなかった。
アイオリアが重苦しい気持ちを溜息に乗せて吐き出したその時、目前に目指す磨羯宮が見えてきたのだった。



「お、アイオリアじゃないか。どうした? シケた面して」

私室のドアを開けたシュラは、明らかに様子のおかしい来訪者のその表情を見て不思議そうに目を丸めた。

「あ、あのシュラ、今ヒマ……かな?」

「え? あ、ああ、まぁ、暇っちゃ暇だが……」

そう答えつつ、何だ何だ何事だ? と内心で小首を傾げるシュラだった。

「あのさ、ちょっと相談があって来たんだけど、時間いい?」

「相談? お前がオレに!?」

今度ははっきりと驚いて、シュラは丸めた切れ長の目を瞬かせた。

「うん」

アイオリアが頷くとシュラは物珍しげな視線を彼に向けつつ、玄関のドアを広く開けた。
それは中に入れという意味で、つまりアイオリアの相談にのってやるという意思表示でもあった。
シュラの意を正確に諒解したアイオリアは、ホッと表情を緩め、促されるまま磨羯宮の私室へ入った。



「はぁ〜? 何だよお前達、まだだったの!?」

15分後、磨羯宮リビングに驚きと呆れが入り混じったようなシュラの声が響き渡った。
アイオリアが相談があると自分のところへやって来たことも意外なら、その相談の内容はもっと意外なものであった。
シュラはまたしても切れ長の目をまん丸く見開いて、正面に座るアイオリアを文字通り凝視した。
アイオリアは居心地が悪そうに身を縮めてやや顔を俯け、上目遣いでシュラを伺うように見ながら小さく頷いた。
シュラは無言のまま更に30秒程アイオリアを凝視した後、何とも言えぬ表情を作って彼に聞き返した。

「お前達、付き合ってどれくらい?」

「えっ? ……5歳の時からだから15年だけど」

「バカ、そういう意味じゃない! 恋人として付き合い始めてからどれくらい経ったかって聞いてんだ!」

天然ボケ全開のアイオリアの返答に、シュラは頭痛を覚えた。

「あ! え〜っと……ちょうど三ヶ月になった、かなぁ?」

「三ヶ月も付き合っててまだなのかよ? 今時そんな鈍くさ……品行方正なカップルはまず滅多にいないぞ。お互い20歳にもなってるってのに、天然記念物並だなお前達」

呆れと感心とに表情を二分しながらシュラは言った。

「……だからそろそろって思って、こうしてシュラに相談に来てるんじゃないか」

憤然とした様子でアイオリアが言うと、シュラは思わずプッと吹き出し、

「ま、確かにそりゃそーだ」

そう同意をしつつ、楽しげに声を立てて笑った。

アイオリアの相談というのは、つまりは恋愛相談であった。
アイオリアには三ヶ月前から恋人付き合いをしている人間が居るのだが、その恋人とは女性ではなく男性で、しかも一般人ではなくアイオリアと同じ黄金聖闘士の蠍座のミロなのである。
二人の友情が愛情へ、幼なじみから恋人という関係に変化するきっかけが何だったのかは実は当の本人達すら定かではなかったが、いずれにしろ今の二人は晴れて恋人同士であり、それは十二宮に住まう黄金聖闘士であれば誰もが知る公然の事実であった。

だが公認のラブラブカップルであるアイオリアとミロは、実は今現在、まだ清い関係から抜け出せていなかった。
やや内向的で天然ボケでトロめのアイオリアも、さすがに付き合い始めて2ヶ月を過ぎたあたりからそろそろ……と思い始めてはいたのだが、その性格が災いして中々一歩先へ踏み出すことが出来ずに今日に至っていた。
こんなことではダメだ、自分から行動を起こさねばと決意はしたものの、男性は言わずもがな女性との経験もないアイオリアは、一線を越えると決めたはいいが具体的にどうすればいいのかわからない有様で、結局思い悩んだ末にこっち方面では最も頼りがいがありそうな先輩のシュラに、こうしてアドバイスを求めにやって来たのである。

「話はわかったが、何でオレのところに来たんだよ? アイオロスに相談すればよかったんじゃないのか? 実の兄貴なんだし……」

シュラからすればこれは当然出て来る素朴な疑問であった。
アイオリアの実兄アイオロスには、サガというれっきとした恋人がいる。
アイオロスにもサガ以外との恋愛経験はないはずなので恋愛マスターと呼べるレベルではないだろうが、それでもアイオリアの相談くらい十分のってやることはできるだろう。
それなのに何故そのアイオロスを飛び越して、自分のところに来たのかがシュラにはわからなかった。
赤の他人の自分よりも肉親であるアイオロスの方が、よっぽど話も切り出しやすいだろうと思ったからである。

「兄さんにこんな相談なんか出来るわけないだろ。バカにされるだろうし、それに……」

「それに?」

「こんなこと、バツが悪くて言えないよ」

ああ、それもそうかとシュラは頷いた。
確かに身内より赤の他人の方が言いやすいということも世の中にはあると納得したからである。

「よし、話はわかった。そういうことなら協力してやる」

シュラはオレに任せろと言わんばかりに、胸を張った。

「アイオリア、1つだけ確認しておくが、オレのところに来たってことはつまり『お前がミロを抱く』んだな? 『抱きたい』んだな?」

「……そういう露骨な言い方するのやめてくれない?」

「やめろも何も、これを聞かなきゃ話が先に進まないんだよ! 細かいこと気にしてないで、さっさと答えろ」

「うっ……うん……」

「どっちなんだ!?」

「だから、うんって……」

「よし、お前が『抱く』んだな」

アイオリアは顔を真っ赤にして、小さく二度頷いた。

「わかった。それじゃあまり細かいことは言わずに、単刀直入に行くぞ。いいか、昼でも夜でも獅子宮でも天蠍宮でも時間と場所は問わない。2人きりになってちょっとでもいいムードになったと思ったら、その瞬間に迷わずそこでミロを押し倒せ!」

「えっ!? いっ、いきなり!?」

「そうだ。お前にムード作りしてからにしろったって、無理な話だろうが。心配すんな、ミロだってお前が行動を起こしてくれるのを待ってるに決まってんだから。さすがに最初はちょっとびっくりされるかも知れんが、拒んだりするわけがない。それはオレが保証してやろう」

「うっ……うん」

そもそもシュラが保証できる類いのものではないのだが、そんなところに気付ける余裕も突っ込みを入れられる余裕もアイオリアにはなかった。

「まずは前だ、前をイカせてやれ。これは同じ男同士なんだから、いくら経験が無いっつってもどうすればいいかはわかるな?」

「うっ! う、うん……」

アイオリアは耳まで真っ赤にして、更に顔を下に俯けた。

「前が終わったら後ろだ。いいか、とにかく穴を解せ! 慣らせ! 濡らせ!」

「はぁ!?」

アイオリアは弾かれたように、顔を上げた。
その顔はシュラが吹き出してしまいそうになるくらいに、真っ赤っ赤であった。

「はぁ!? じゃないの、はぁ!? じゃ! あのな、女と違って男は自力じゃ濡れないの。ちゃんと濡らしてやらなきゃダメなんだよ、それが抱く方の大事な使命なんだ。最初に言っとくが、ろくすっぽ濡らしもせずに中途半端な状態で挿れたらミロがすっごいツライんだぞ、泣くレベルだぞ。お前、ミロを泣かせたいのか?」

シュラに問われたアイオリアは、大きく首を左右に振った。

「だろ? ならこれだけは絶対に怠るんじゃないぞ。それにツライのはミロだけってわけじゃない、お前だってそれなりにツライ思いをすることになるんだからな。わかったな」

「は、はぁ……」

「いいか? とにかく指と舌を使って、ひたすら解せ! 慣らせ! 濡らせ!」

「うっ…う、う、う、うん……」

ど真ん中ストレートなシュラの物言いに、最早気恥ずかしさを覚えている暇すらアイオリアにはなかった。

「ああ、そうだ、これも言っておかなきゃな。指を使えとは言ったが間違っても濡れてない指挿れるんじゃねーぞ。唾液ででも何でもいいから、必ず濡らしてから挿れろ。わかったな」

「うっ……うん……」

「で、後ろも充分に解したら、いよいよ挿入だ。あ、指だけじゃなく、お前のもちゃんと濡らしてから挿れるんだぞ、いいな」

「……うっ、うん……」

アイオリアは顔と耳のみならず、首まで真っ赤にしてひたすらこくこくとシュラの言葉に頷いた。

「ん〜、でもやっぱ初めてだからな、何か濡らすもの使わないと無理だろうな」

「は?」

「だから人工的に濡らすものだよ。慣れて来りゃ唾液と精液で充分だが、初心者にはちょっとハードル高いからな」

「なっ……な、何を使えばいいんだよ?」

そんなことを言われても、アイオリアには何を使えばいいのか見当もつかない。
思いっきり眉尻を下げ、困り果てた情けない顔でアイオリアはシュラに聞いた。

「専用のジェルとか普通にいっぱい売ってるけど、お前に買いに行けっつっても無理そうだしな」

遠回しにバカにされているような気がしたが、悲しいかな否定も出来ないのでアイオリアは無言でシュラの話を聞いていることしか出来なかった。

「家にあるもんで何か代用できそうなもの……ああそうだ、オリーブオイルでいいんじゃないかな。食いもんだから体にも害ないし」

「……オリーブオイルって、すっごいベタベタしそうなんだけど」

「当たり前だろ油なんだから。ていうか、粘液が必要なんだからそれでいいんだそれで。オレも前に使ったことあるけどな、結構よかったぞ」

「そ、そうなの?」

「ああ」

シュラが頷くと、アイオリアは少しの間真剣な顔で考え込んだが、

「でもさ、オリーブオイルって普通キッチンにあるものだし……その、あの、その時にいちいち取りに行くのも何か間が抜けてるっていうか、何ていうか……」

まさか寝室だのリビングだの、そんじょそこらにオリーブオイルを置いておくわけにはいかないだろう。
雰囲気がどうのこうのと言うより、単に不自然極まりないとアイオリアですら思わずにはいられなかった。

「それじゃ化粧用のオリーブオイル買っとけば?」

「は?」

「だから食用のオリーブオイルがイヤなら、化粧用のオリーブオイルの方を買って来て置いとけばいいだろ。ドラッグストアとかスーパーで普通に売ってるから」

「化粧用のオリーブオイル? そんなのがあるの!?」

オリーブオイルと言えば食べる物と言う認識しかなかったアイオリアは、驚いたようにシュラに聞き返した。

「ああ。主に肌の乾燥防止の保湿剤としての用途で売られてるんだよ。口に入れるか肌につけるかで若干加工法やら添加物やらが違うのと、頭の呼び名が変わるだけで元は同じ物だから中身は大差ないがな。でもまぁこれなら老若男女問わず普通にスキンケアで使う物だからな、男が買ってもおかしくはないし部屋中どこにあっても不自然じゃない」

「え? ホントに?」

アイオリアの瞳に、希望に満ちたような強い光が宿った。

「ああ、本当だ。よし! 善は急げだ、お前今から行って買って来い。いつその時が来てもいいように準備万端整えておけ!」

「うん! わかった行ってくる。色々とありがとう! シュラ」

「頑張れよ〜! 無事に脱チェリーしたら、ちゃんと報告に来るんだぞ〜」

勢い良くソファから立ち上がり駆け出したアイオリアの背に向かって手を振りながら、シュラは爽やかな笑顔で彼を見送った。