Happy Birthday to You
「……それで兄貴とケンカして、双児宮(ウチ)飛び出して来たってわけ?」

ミロがそう聞き返しながら、カノンに呆れたような目を向けた。
いや、呆れたようなではなく、実際呆れているのだ。
あからさまに顔と態度に出されてはさすがにカノンもムッと来たが、だからと言って今の自分はミロに文句を言える筋合いではなかった。
いきなり押し掛けて来て一方的に兄弟喧嘩の愚痴を聞かされれば、ミロでなくとも呆れるのは当然だろう。
もし立場が逆だったら――もっともミロには兄弟はいないが――恐らく自分もミロと同じような反応を示すに違いないからだ。
だがそれとわかっていても、どうにもこうにも誰かを相手に吐き出さずにはおれない時というものは誰にでもあるもので、今のカノンが正にその状態なのであった。

カノンが双子の兄であるサガと年甲斐もなく兄弟喧嘩をして、その勢いで自宅である双児宮を飛び出して来たのはつい先刻のことである。
兄弟喧嘩くらい何歳になってもするものだが、その原因が情けないというか下らないというかで、話を聞いたミロは喧嘩したことそのものではなく、むしろその原因の方に呆れていたのだった。

「ったくあのクソ兄貴、てめえの都合ばっかり押し付けてオレの都合はお構い無しで、話もろくすっぽ聞きやしねえ。いくら温厚なオレだって頭に来るっての!」

「何が温厚だよ。言うに事欠いて図々しい」

憤慨するカノンにミロは冷ややかに言って、溜息をついた。

「てかさ、オレには何でそんなことが喧嘩の原因になるのか、そっちの方が不思議なんだけど?」

「だからさっきから言ってるだろ。サガがオレの話も希望も聞いてくんないからだよっ!」

苛々をぶつけるかのように、カノンは手のひらでテーブルを叩いた。

「ヒートアップするのは勝手だけど、オレん家の家具壊すのはやめてくれよ」

相手が一般人じゃないだけに、はっきり言ってこれは洒落にならない。
ミロは冗談ではなくかなり本気でそう言ってから、

「でも話を聞く限り、お前が怒るようなことでもないような気がするけどなぁ」

小首を傾げつつ、少し温くなったコーヒーを一口飲んだ。

カノンが一人で憤慨している原因、つまり兄弟喧嘩の原因というのが、他でもない自分達自身の誕生日のことなのである。
かいつまんで言うと、誕生日当日をどうするかということでモメたらしい。
サガの話は当然聞いていないので、兄と弟、どちらの言い分が正しいのか判断はつきかねるのだが、とりあえずカノンがミロに語って聞かせたところによると、サガは『今まで誕生日に何もしてやれなかったから、今年は思う存分カノンを祝ってやりたい』と大張り切りでいるそうで、どこだかは知らないが既にディナーの予約も済ませ、好きなものは何でも買ってやるとカノンに言っているらしいのだが、何故かカノンの方はそれが不満で仕方がないらしいのだ。
第三者が話を聞く限り『何て羨ましい!』としか思えないし、何を不満に思うことがあるのか、増して怒る理由などまったく見当たらないのだが、カノン曰く、『30日が誕生日なのはサガだって同じ。なのにそのサガに自分だけが一方的に祝われるのは納得がいかない』のだそうだ。
なるほど、そういう考え方もあるのかと思わないでもないが、やっぱりそれでも今一つミロにはカノンの気持ちが解せないのだった。

「オレだって、サガがちゃんとオレの言うことも聞いてくれれば怒ったりなんかしねえよ!」

怒声に近い声を張り上げて、カノンはまたバンッ! とテーブルを手のひらで打った。

「だから人ん家の家具に八つ当たりすんなって」

このままの調子が続いたらほんとのほんとにテープルを叩き壊されそうだと、ミロは大きく溜息をついた。

「ん〜、でもさ、要はサガはお前の誕生日祝ってくれる気満々ってことなんだろ? 逆ならともかく、それって喜ぶべきことなんじゃないかと思うけど」

「だから、それはそれでいいんだって! ただ何もかも一方的なのが気に入らないっつってんの!」

「お前の言い分がわからないわけじゃないけど、オレはサガの気持ちもよくわかるよ。サガさ、今までまともにお前の誕生日を祝ってやれたことなかったんじゃないの?」

この兄弟――というか主にカノンの方だが――の不幸としか言えない過去の境遇は、既にミロのみならず聖域に住まう人間ならば誰しもが周知の事実である。
詳しいことは当の本人からも唯一そのことを知るサガからも聞いたことはないから詳しいことはわからないが、当時のカノンがどんな風に誕生日を迎え、そして当日を過ごしていたのか、知りうる限りの状況から察しを付けることなどミロでなくとも容易いことだった。

「それはまぁ……」

曖昧に言葉を濁しつつも、カノンはミロの言葉を肯定した。

「お前と違ってサガは、毎年誰かしらには誕生日を祝ってもらってたはずからな。オレもガキだったからあまりよくは覚えてないけど、サガの誕生パーティーでご馳走とケーキいっぱい食べさせてもらった覚えあるもん」

誰が主催してのパーティーだったのか、とにかく幼かった時分のことなので思い出すことは困難だが(断片的な記憶を総合する限り、恐らく教皇シオンの主催だとは思われるが)、美味しい料理とケーキをたらふく食べたとことだけははっきりと覚えている。
遊びたい盛りの年齢の時に日々厳しい修行ばかりをさせられて来たミロにとって、それは数少ない楽しい出来事の記憶だったからだ。
だが自分にとってそれはあくまで楽しいだけの思い出だが、主役であったサガにとってはきっと楽しいだけではなかったのだろう。
皆から祝われることが嬉しい反面、一緒にこの世に生を受けながらも誰にも誕生日を祝ってもらうことの出来ぬ双子の弟のことを思い、心を痛めていたに違いない。
今ならミロにも、その時のサガの気持ちがわかるのだ。

「今にして思えばだけど、多分、その時サガはお前に対して相当心苦しく思ってたんだと思うよ。自分ばっかり祝ってもらって、お前に申し訳ないって。同じようにお前のことも祝ってやりたかったんだと思う。でも置かれてた立場がそれを許してくれなくてさ、すごく歯痒くてつらかったんじゃないかな。だから何の気兼ねもしなくてよくなった今、その時の分も合わせて思いっきりお前の誕生日を祝ってやりたいんだと思う」

「……そんなことはわかってる」

ミロから微妙に視線を外し、カノンは憮然と吐き捨てた。

「わかってるなら素直にサガの言う通りにすればいいじゃん」

「だからっ! ……誕生日を祝ってやりたいのは、オレだって同じなんだつってるだろ」

「は?」

「オレだってまともにサガの誕生日を祝ってやったことなんてねえんだよ!」

「あ……」

そうか、とミロは小さく呟いた。
サガがカノンの誕生日をまともに祝えたことがないということは、つまりカノンも同じということなのだ。
そんな単純なことを、ミロは完全に見落としていたのである。

「サガがオレを喜ばそうとしてくれてんのは嬉しいけど、でもオレだって同じようにサガの喜ぶ顔が見たいんだ。だから……」

照れくささもあるのか、カノンは非常に決まりが悪そうにミロから視線を外して、ボソボソと早口でそう言った。
そんなカノンの様子を見ながら、ミロは『へぇ〜結構可愛いとこあるじゃん』と声に出さずに呟き、くすりと小さく笑った。

「何が可笑しいんだよ?」

「いや、可笑しいわけじゃなくて、それなら尚更話は簡単じゃんと思ってね」

「? 簡単って、何がだよ?」

訝しげに眉を寄せ、心持ち不機嫌そうにカノンが問い返す。

「だから、やっぱりお前がサガの言う通りにしてやりゃいいだけの話なんじゃんってことだよ」

「はぁ!?」

何でそうなるんだ? とばかりに、今度はカノンは思い切り眉を跳ね上げた。

「だってそうだろ? サガはさ、何よりもお前の喜ぶ顔が見たいんだよ。イコールそれがサガを喜ばせることになるんじゃないの?」

「…………」

ミロの言っていることの意味がよくわからないのか、カノンはあからさまに不審そうな目をミロに向ける。
ちゃんと説明してやらなきゃダメかと、ミロはすぐに言葉を繋げた。

「お前がサガに思いっきり甘えてやることが、今のサガにとって多分一番嬉しいことなんだと思う。だったら四の五の言わず、素直にサガが喜ぶことしてやりゃいいじゃんってことだよ。そうすれば『サガの喜ぶ顔が見たい』ってお前の願いも叶うことになるんだし、ついでに言えばそれがそのままお前からサガへの誕生日プレゼントにもなるんじゃないかと思うぞ。正に一石二鳥じゃんか」

結局言ってることループしてるだけなんだよなーと思いつつ、ミロは人懐っこい笑顔を浮かべた。
だがカノンの方は信じられないものでも見るような目でミロを見返して、

「……お前な、オレ達一体何歳(いくつ)になると思ってんだ? サガに甘えろってな、オレは子供じゃないんだぞ」

からかわれてるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
だがまさかこの歳になって兄貴に甘えろなどと言われるとは思わず、さすがのカノンも唖然としてしまったのだが、ミロはしれっとした顔で更にカノンに言った。

「別に歳なんか気にすることないと思うけど。どうせお前、今までろくすっぽサガに甘えることなんか出来なかったんだろ。もう何の遠慮もいらないんだし、今までの分もまとめて兄ちゃんに甘えとけばいいじゃん」

反抗したり反発したりするのも一種の甘えだが、そのことには触れずにおいて、ミロは今度は悪戯っぽく笑みを深めて見せた。

「お前、人のことバカにしてるだろ?」

「してねえよ。強いて言えば、羨ましがってるだけ」

「羨ましい?」

思いもかけぬミロの返答に、カノンがきょとんと目を丸める。

「そりゃ羨ましいよ。だってオレは、ずっとサガのこと自分の兄貴みたいに思って来たんだからな。もちろん今だってそう思ってるし、自惚れじゃなくサガだってオレのこと弟みたいに思ってはくれてるだろうけど、でもやっぱり他人は他人だからな。どう足掻いたところで、血の繋がった本物の弟には敵いっこない」

本気とも冗談ともつかぬ口調で言うミロを、カノンは何とも言えぬ複雑な表情で見つめる。
カノンが返す言葉を見つけられずに沈黙していると、ミロはそんなカノンに微苦笑を向けて小さく肩を竦め、気を取り直したように再び口を開いた。

「だからさ、たまには素直で可愛い弟やってやれよ。もっかい言うけど、それがサガへの何よりのプレゼントになると思うぜ」

「……オレはいつでも素直で可愛い弟です」

数秒の間を作った後、また吐き捨てるように言ってカノンは腕組みをしながらプイッとそっぽを向いた。
どの口がそんな大ウソを言うかね? と半ば呆れながらミロはそんなカノンの横顔を見つめたが、どうやらミロの言うことに一理を認めたらしい。
不承不承といった感じではあるが一応納得した――というより諦めて開き直ることにした――らしい様子を見て取り、ミロはやれやれと安堵の溜息をつくとともに、カノンにわからぬよう小さな小さな忍び笑いを溢したのだった。


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