SELFISH

「これは一体どういうことだ? アイオリアっ!」

突然獅子宮の私室に飛び込んできたミロは、そこにアイオリアの姿を見つけるなり端正な顔を怒りに歪め、鬼のような形相でアイオリアに詰め寄った。

「は?」

のんびりと寛いでいたところにいきなり怒鳴り込んで来られたアイオリアは、まるで状況が飲み込めずにミロの顔をポカーンと見上げたまま間抜けな声で短く聞き返した。
ミロは両方の眉毛を限界近くまで吊り上げて、アイオリアを睨み据えている。

「は? じゃねえよ! は? じゃ! これだよこれっ!」

アイオリアのその鈍い反応にますます憤ったミロが、更に声を張り上げて一枚の紙片をアイオリアの眼前に突き付けた。

「これ?」

また短く聞き返しながら突き付けられたその紙を受け取ったアイオリアは、紙面に目を落としてその内容を確認すると、

「……って今月のシフト表じゃないか。これがどうしたって?」

このシフト表とミロが怒鳴り込んで来た現状の関係性がまるで理解出来ず、アイオリアは更に首を捻りつつミロに問い返した。

「どうした? じゃねえよ! だからこれは一体どういうことかって聞いてんだ!」

「どういうことかって聞かれても、お前が何を聞きたくているのかがオレにはさっぱりわからんのだが? 一方的に怒ってないで、ちゃんと順を追って説明してくれよ」

そもそもミロが何を聞きたくて何に怒っているのかがわからないので、どんなに詰問されても答えようがないのである。
とにかくまずはその理由をちゃんと説明してくれと困惑を露にしながらアイオリアが言うと、ミロは怒りの中に失望を滲ませたような表情を浮かべ、これみよがしに大きく溜息をついてから怒鳴るようにアイオリアに言い返した。

「オレの誕生日だよっ!」

「誕生日? 誕生日がどうした?」

今月にミロの誕生日があることは、今更言われずともアイオリアも知っている。
もちろん当日には誕生日デートの約束をしており、誕生日休暇が与えられるミロはもちろんのことアイオリアも既に休暇を申請して承認済であった。

「オレの誕生日には休みを取って、丸一日二人っきりで過そうって約束したじゃないか!」

「はぁ?」

「はぁ? じゃないっ! 前々からそう約束してたのに、何でその当日しっかり仕事に入ってるんだよお前! しかも日勤でシフトに入ってるじゃないかっ!」

「ええっ!?」

それを聞いて驚いたのはアイオリアの方である。
そんなはずはない、その日だけは間違いなく休暇をもらっているのだからシフトに入っているわけがない。
もちろん恋人の誕生日だからと馬鹿正直に理由を書いたわけではないが、かなり余裕を持って申請をしてほぼ即日で承認をもらっているのである。
よってシフトに入っているはずがないのだが、何かの手違いということもないわけではない——というよりはむしろいくらでもあり得ることなので、アイオリアは慌ててシフト表を見直した。

「……ちゃんと休みになってるじゃないか」

やはりミロの誕生日当日の欄にアイオリアの名前はなかった。
その日の日勤はアルデバランで、夜勤にも宿直にもアイオリアの名前はない。何度も日付を確認し、目力で穴を空けそうな勢いで紙面をガン見したが、やはりどこをどう見ても自分の名前は入っておらず完全オフになっているというのに、ミロは一体何を勘違いしているのだろうか?。
翌日に宿直が入っているからそれと見間違えでもしたのかと思ったアイオリアだったが、先刻ミロははっきり日勤のシフトと言っていたので翌日の見間違えという線も薄い。さっぱりわけがわからずアイオリアがシフト表を凝視したまま訝しげに首を傾げていると、その視界の中にスラリとした長い指が入ってきた。
その指はアイオリアの視線が定められている所から、ほんの僅かに外れた場所を指し示していた。

「これ。どこからどう見ても『アイオリア』って書いてあるようにしか見えないんだけど? それとも『アイオロス』とでも書いてあるのをオレが見間違えてるだけなのか?」

教皇補佐官であるアイオロスとサガのスケジュールは他の黄金聖闘士とは全く別に組まれているので、このシフト表にアイオロスの名前が載ることはあり得ない。つまりミロはアイオリアに皮肉を言っているわけだが、残念ながらと言うか通常運転と言おうか、その皮肉はアイオリアには一切通じていなかった。
アイオリアが視線をミロの指先が指し示している場所へ移動させると、確かにそこには自分の名前がしっかりと記載されていた。
アイオリアの目が驚愕に大きく見開かれ、澄んだ緑色の瞳が文字通り点になった。

「……え?」

「え? じゃない! これお前の名前だろうがよ。これをどう説明するんだよ? これでもちゃんと休みを取ったって言い張れるわけ?」

ミロがまた語気を強めてアイオリアに詰め寄ると、アイオリアは点目のまま緩慢な動作でミロを見上げ、

「お前の誕生日って……8日だったっけ?」

「は?」

だが思いもかけぬことを聞き返され、今度はミロが目を点にした。

「いや、だから……お前の誕生日って、8日?」

「……そうだけど……」

人間という生き物は余りに予想外の方向から虚を突かれると、一瞬思考回路の機能が全停止し、その後しばしの間正常に動作しなくなってしまうものらしい。
何故今になって誕生日の日付を確認されなければいけないのだろう? と不思議には思ったものの、その発言の意味するところがミロには全く理解出来ていなかった。
アイオリアがその理由を、はっきりと口にしてくれるまで。

「すまん……8日だったのか、誕生日……」

「は?」

「ごめん、オレずっと、ホントに今の今までお前の誕生日は10日だと思ってた……」

次の瞬間、ミロの大きな目が限界にまで拡大した。

「なん……だと……?」

「いや、だからオレはお前の誕生日を11月10日だと思い込んでたんだよ。だから8日じゃなくて10日を休みにしちまったんだ」

言いながらアイオリアが10日のシフト欄を指差した。
どこをどうしてそうなったのかは自分でもわからないが、とにかくアイオリアは本当に今の今までミロの誕生日は10日だと信じて疑っていなかった。
その勘違いを元に10日に休みをとることしか考えていなかった為、本当のミロの誕生日である8日のことは頭の片隅にもなかったのである。
どうりで話が噛み合わないわけだとアイオリア自身はようやく合点がいったのだが、それで済まないのはミロの方であった。
茫然自失の時間を脱すると、ミロは既に吊り上がっていた眉を今度こそ限界まで跳ね上げて、アイオリアの胸倉を掴んだ。

「おい、てことは何か? お前は恋人の誕生日を覚えてなかったってことか!?」

「覚えてなかったんじゃない、勘違いしてただけだ」

律義にアイオリアは訂正したが、それはミロの怒りの火に油を注ぐことにしかならなかった。

「オレにとっては同じことだっ! 他の人間ならいざ知らず、何でお前がオレの誕生日をちゃんと覚えてくれてないんだよっ!? オレ達はなぁ、ただの友達同士ってワケじゃないんだぞっ!」

確かにアイオリアは昔から天然ボケではあった。
しっかりしているようで間が抜けていてとんでもない大ボケをかますことも珍しくなかったが、まさか恋人である自分の誕生日をこうも見事に間違えて覚えていたとは思わず、怒りとともに悔しさと悲しさがこみ上げてくるミロだった。
これはミロが怒るのは当然であるとアイオリアも全面的に自分の非を認め、情けなく眉尻と頭を下げてひたすらミロに謝った。

「だから、すまん。でも決して悪気があったわけじゃなくて……どうしてかはわからないけどずっとそう思い込んでて、間違えて覚えてたなんて思ってもみなかったんだ、本当にごめん」

「ごめんで済むことかよ!」

「そんなこと言ったって、オレはごめんとしか言えないよ」

不可抗力と言えないこともないが、非が全面的に自分にあることは明白だ。たった今言葉にした通り、ごめんと謝ることしかアイオリアには出来なかった。

「それで? どうすんだよっ?」

「どうするって?」

「誕生日っ!!」

「どうするって言われても……」

どうしようもないんだよなぁ〜、と、アイオリアは一層情けなく眉尻を下げた。

「約束したんだからな! ちゃんとオレの誕生日当日、8日に休み取り直してくれよ」

ミロに言われてアイオリアはびっくりしたように表情を動かすと、即座に首を左右に振った。

「ちょっ……無理言うなよ、もうシフト決まっちゃってんだぞ。今になって休みなんか取れるわけないじゃないか」

「誰かとシフト代わってもらえばいいだけの話だろ」

ミロはアイオリアの胸倉から手を放すと、アイオリアの手にあるシフト表を改めて覗き込んだ。

「ここ」

そうして10日の日勤番であるアルデバランの名を指し示し、

「アルデバランに代わってもらえばいいじゃん。あいつなら多分イヤとは言わない」

「バカ、勝手なこと言うなよ」

「それが一番手っ取り早いだろうが!」

「お前な、きちんと前後のシフトも見ろよ。アルデバランは7日の宿直だぞ。8日の日勤のオレと代わったりしたら、ぶっ通しの連続勤務になっちゃうじゃないか」

「黄金聖闘士なんだからたかが十数時程度の連続勤務なんてどうってことねえよ」

「だから、そういう自分勝手なこと言うなって言ってるだろ!」

アイオリアが思わず声を張り上げて叱責すると、ミロの表情が一層険しいものになった。

「オレのことを自分勝手って言うけどな、元はと言えばお前が悪いんだぞ。それわかってんのかよっ!?」

「わかってるよ! だからそのことについてはさっきから謝ってるじゃないか!」

「謝って済むことと済まないことがあるんだ! 何でもゴメンで済んだら警察要らないだろっ!」

「だ〜か〜らっ……お前はオレにどうしろって言うわけ!?」

悪いのは100%自分とわかってはいてもミロのこの物言いにさすがにカチンと来て、アイオリアは思わず語気を強めて言い返した。

「何度も言わせんじゃねえ! ちゃんと約束通り、誕生日に休みを取り直せって言ってんだよ、さっきから!」

「それは無理だってオレもさっきから言ってるだろ! 8日までなんてあと一週間もないってのに、今更誰かに代わってくれなんて頼めるわけないだろう!」

「手当たり次第に頼めば誰か一人くらい都合のつく奴はいるよっ!」

「あのなぁ、よほど切迫した事情があるっていうならともかく、こんな下らないことで他人に迷惑かけるわけにはいかないんだよ。わかってくれよ」

「下らないぃ〜!? お前オレとの約束が、オレの誕生日が下らないことだって言ってるわけ!?」」

アイオリア的には深い意味もなしに何気なく発した一言だったのだが、それがミロの虎の尾ならぬ蠍の尾を踏むことになってしまったらしい。しまった! とアイオリアは不用意な一言を後悔したが、時既に遅しであった。

「いや、それは違う、そうじゃない! オレ達にとっては下らないことじゃないぞ全然。むしろ大事なことだ、オレもそう思ってる。でもこれはあくまでオレ達二人に限ってのことであって、他人からすれば下らないって言われても仕方ないことって意味で、つまりその、どっちにしろ理由が個人的すぎるってことなんだよ。とても仕事代わってくれなんて、頼めるようなことじゃない」

どう考えても自分の方に非があることは事実なので、これ以上ミロを刺激しないようにとアイオリアは言葉を選んで殊更口調を和らげて言った。
だがそれは最早焼け石に水以外の何ものでもなかった。

「それじゃ何か? お前は8日はシフト通りに仕事に行くつもりなのか?」

「当たり前だろう。こうなった原因はオレの思い違い、つまりオレのミスなわけだし」

「オレはどうなる? 誕生日の約束は?」

「お前にはホンットにすまないと思うし申し訳ないと思うし深く反省する。今後二度とこんなことがないよう肝に命じる。だがごめん、今回ばかりはお前の方に折れて欲しい。約束は8日じゃなくて10日にしてくれないか、頼む!」

アイオリアは顔の前で両手を合わせ、怒り心頭のミロに文字通り懇願した。

「オレの誕生日は8日だ。10日じゃない!」

だがミロはにべもなくそう言い放ち、アイオリアからプイッと顔を背けた。

「それは本当にごめん。でももうどうしようもないんだ、勘弁してくれよ」

「嫌だ! 約束は守ってもらう!」

「だからそれは無理なんだって。ほんっとにごめん、すまん! でも頼む、今年だけ我慢してくれ。来年は絶対、必ずお前の誕生日に休み取るから」

「イ・ヤ・だ!」

アイオリアは平身低頭ミロに謝り倒したが、ミロもかなり意固地になっていて断固として首を縦に振ろうとはしなかった。

「わがまま言わないでくれよ」

「わがままじゃない。オレは約束を守ってくれと言ってるだけだ」

「だから〜……」

それがわがままだって言うんだ! と喉まで出かかった言葉をアイオリアは懸命に飲み込んだ。

「誕生日を間違えてたのは悪かった、本当に悪かったって思ってる。お前が怒る気持ちもわかるけど、でも頼むよ、勘弁してくれ。約束は10日に延期ってことで今回は我慢してくれ。その分、10日に目一杯埋め合わせをするから、な?」

「…………」

ミロは冷やかな目でアイオリアを睨みつける。

「そうだ! 8日の日もさ、仕事が終わったら夜に食事にでも行こう」

アイオリアは必死で妥協案を出したが、ミロの機嫌も表情も一向に好転しなかった。

「嫌だっつってんだろ! アイオリアはオレの誕生日の日に一日一緒にいてくれるって約束したんだから、それじゃ約束違反だ!」

「お前なぁっ!」

こめかみのあたりで"ぶっちん"と何かが切れたような音をアイオリアは聞き、その直後には怒声に近い声を張り上げていた。
アイオリアは元より気の長い方ではない。どんなに自分が悪いんだからと言い聞かせてみても、ここまで頑なに妥協案を拒否されてしまうと、さすがに頭に来てムカッ腹も立つというものだった。

「そりゃオレが悪かったことに変わりはないが、だからってお前も強固に自分のわがままを通そうとしなくてもいいだろう。子供じゃないんだからいい加減聞き分けてくれよ!」

「じゃ、お前はどうあっても8日は仕事に行くっていうのか!?」

「当たり前だ! 元々天秤にかけられる問題じゃないんだからな!」

ミロのわがままには慣れているアイオリアでも、さすがに譲れることと譲れないことがあった。それが例え自分のミスに端を発していることであってもである。
それにミロだってもう子供ではないのだ。仕事とプライベート、どちらを優先して然るべきかの判断がつかないはずはない。
ミロが何故ここまで意固地になって誕生日当日に拘るのかアイオリアにはわからなかったし、それに加えてあまりに聞き分けのないわがままっぷりに腹を立てずにおれなかったのである。

「あーそう! アイオリアにとってオレってその程度の存在なんだ。オレより仕事の方が大事なんだ、オレのことなんかどうでもいいんだ、はいはいよ〜っくわかりました!」

「バカッ! 誰もそんなこと言ってないだろう! ただ単に子供みたいなわがままを言うなって言ってるだけじゃないか。このわからず屋!」

「わからず屋はお前だろっ!」

「オレはごく当たり前の常識的なことしか言ってないぞ! 無理難題わがまま勝手言ってるのはお前の方なんだからなっ!」

「約束を守ってくれって言ってるだけだろう! それのどこがわがまま勝手なんだよっ!」

「だ〜か〜らぁ〜……っ!」

堂々めぐりの言い合いにアイオリアは心底疲れ果てていた。
どうしてこうも聞き分けが悪いのか? 自分に非を最大限に勘案しても今日のミロの聞き分けの悪さは異常で、アイオリアの忍耐力の限界を超えていた。

「いいよもうっ! お前みたいな冷血野郎は大っ嫌いだ!」

「ああ! オレもお前みたいなわがまま野郎は大嫌いだっ!」

互いにまるで子供のケンカのような捨て台詞を吐くと、ミロは光速で獅子宮を飛び出していった。
アイオリアはもちろんミロを追いかけようとはせず、完全なる八つ当たりでリビングの床を蹴った。