SELFISH

一方のアイオリアも、自宮で一人酒を煽っていた。
ミロのようにヤケ酒というほどの飲み方ではなかったが、普段よりは明らかに酒量は多かった。

どうしてミロは、ああもわがままなのだろう?。
21年の人生のうちの四分の三を一緒に過ごしてきて、ミロの性格は知り尽くしている。いつもはあのわがままが可愛いと本気で思っているのだが、それでも今日のわがままはさすがに度が過ぎていて腹も立とうというものだった。
確かに悪いのは誕生日を間違えていた自分だ。それに異論を挟む余地はない。だがそれを差し引いて余りあるくらい、今日のミロは聞き分けがなさすぎであった。
ミロが意固地になればなるほどアイオリアもつられて意固地になってしまい、今回ばかりは絶対に自分からは謝らない! と何度も何度も決意を新たにしているアイオリアであった。

もう何本目になるかわからないビールのプルトップを苛立ち任せに開け、それを口に運ぼうとしたところで玄関のドアが乱暴に叩かれた。
こんな傍迷惑な時間にやってきて、こんなやかましい叩き方をするのは一人しかいない。
アイオリアは大きな溜息を吐き出すと、渋々ソファから立ち上がった。



玄関のドアを開けると、そこには予想通り兄の姿があった。

「兄さん、今何時だと思ってる? 来るなとは言わないけどせめてもう少し静かにドア叩いてくれない?」

「あぁ? 別に近所に迷惑かけてるわけじゃないんだ。文句言うな」

アイオロスは弟を睨み付け、その文句を一蹴した。

「何の用?」

この兄に常識というものを求めた自分が馬鹿だったと反省しながら、アイオリアは不機嫌丸出しの口調で兄に夜半の来訪の理由を尋ねた。

「何の用? はないだろう。オレだって好きで来たわけじゃないんだよ。アイオリア、手ぇ出せ手!」

「は?」

「は? じゃない! 手ぇ出せって言ってんのっ!」

アイオロスにどやされたアイオリアは、クエスチョンマークを飛ばしながら渋々右手を前に出した。

「馬鹿! そんなんじゃダメだ。両手を出せ!」

更にアイオロスにどやされてアイオリアはますますわけがわからなくなったが、とりあえず兄に言われた通りに両腕を出してみた。
すると

「うわっ!」

アイオロスが突然背を向け、いきなり背負っていたものをアイオリアのその両腕の中に落としたのである。
わけがわからぬまま反射的にそれを受け止めたアイオリアは、自分の腕の中に収まっているのが人間であること、そしてそれが誰であるかを認識して思わず目を剥いた。

「ミッ……! ミッ、ミロっ!?」

そう、アイオロスがアイオリアの腕の中に落としたのは、双児宮から連れ帰って来たミロだったのだ。
何でミロが!? とアイオリアは慌てたが、ミロの方はこんな乱暴な扱いを受けているにも拘らず、受け止められたアイオリアの腕の中で爆睡している。

「お前のだろ。返す」

アイオリアに再び向き直ったアイオロスが素っ気無く言った。

「どっ……どどど……どうして兄さんがミロを!?」

「どうしてもこうしても、お前達またケンカしただろう」

アイオロスに言われてミロと喧嘩していたことを思い出したアイオリアは、途端にムッと顔を歪めた。

「こいつ双児宮で大荒れで大変だったんだ。ヤケ酒飲んでカノン相手にさんっざん管巻いてな。挙句、酔い潰れてこのザマだ。お前とケンカしたせいだぞ。ったく、傍迷惑な……」

「知らないよ。こいつが勝手に双児宮に転がり込んで、勝手に迷惑かけただけじゃないか。オレは関係ない!」

「どあほう! だから言っただろう、それもこれも全部お前とケンカしたせいなんだよ! つまり責任の半分はお前にあるってことなんだ、ちゃんと自覚しろ!」

だから知らないよそんなことまで責任持てないよ……と、アイオリアは心の中でぼやいた。
口に出さなかったのは、言ったところでこの兄が自分の言い分に耳を傾けてくれるはずがないと諦めていたからである。

「とにかく、これ以上サガ達に迷惑はかけられんのでな。仕方がないからオレが引き取って、ここまで連れてきてやったんだ。爆睡してるこいつをおぶってここまで上がって来るの、結構大変だったんだぞ」

「オレは別に兄さんにミロを連れて来てくれなんて頼んでないし、そんな恩着せがましく言われる覚えはないよ。ほっとけばよかっただけのことだろ」

憮然としてアイオリアが言うとアイオロスは眉を吊り上げ、

「オレだってほっとけるもんならほっときたかったんだよ! でもサガのところに迷惑がかかるんだ、しかも原因の半分は自分の弟なんだぞ。兄貴の責任としてほっとけるわけがないだろ!」

そう言ってアイオリアの頭を叩いた。
ミロが転がり込んだのが双児宮でなければ絶対に放っておいたくせに……と、アイオリアは都合のいいことばかりを言う兄に白い目を向けた。

「最初は帰り道だからついでに天蠍宮に置いていこうと思って連れ帰って来たんだが、それよりもここに置いてく方が早かったんでな」

それってただ単に途中で面倒くさくなっただけじゃないかと、アイオリアは思わず声を張り上げて反論しそうになった。

「何でオレのところに置いていく気になってんだよ? 迷惑だよ、兄さんが引き取ってきたんだから責任持って天蠍宮まで連れてってくれよ!」

「迷惑って、ミロはお前の恋人だろうが! お前が何とかするのが筋ってもんだろう!」

「オレ達はケンカ中なんだよ! 兄さんだってそれ知ってんだろ? 知ってて何でわざわざミロを連れて来てここに置いていこうとするんだよ!」

よりにもよってケンカをしたばかりで互いにまだ腹を立てている最中にこんなことをされても、はっきり言って迷惑以外の何物でもないのである。

「ケンカの原因は聞いたがな、くっだらない理由じゃないか。こんなことでバカみたいに大ゲンカするなよ、みっともない」

「下らなくて悪かったね」

「自覚があるんならさっさと仲直りしろ」

「やだよ! ていうか、言っとくけどオレは別に好きでケンカしたわけじゃないんだ。ミロが……勝手にプンプン怒って、それで……」

「元はと言えばお前がミロの誕生日を間違えたから悪いんだろう」

「それもわかってるよっ!」

「だったらミロに謝れ」

「謝ったよ! さんっざん謝ったよ! 無茶苦茶謝ったよ! でもこいつが許してくれないんだからどうにもならないっていうか、これ以上オレにどうしろってんだよっ!?」

どこまでも無責任(にしかアイオリアには聞こえない)なアイオロスの物言いに、苛立ちを顕にしてアイオリアが言い返した。
先刻のミロと同じような勢いでプンプン起こっている弟を少し高い位置から見下ろしながら、アイオロスはまたまたまたまた溜息をついた。

「っとに、よりにもよってどうして恋人の誕生日を忘れるかね?」

「忘れてたんじゃない! 日付を間違えてただけだ」

「同じようなモンだろう。恋人の誕生日なんて普通は忘れたくても忘れんものだろうし、まして間違って覚えてるなんてあり得ないと思うんだが。オレなんかサガの誕生日だけはしっかり覚えてるし、当たり前だが間違えたことなんかないぞ」

「そりゃ兄さんとサガはきっちりきっかり半年違いだもんな。こんなに覚えやすいんだ、忘れたり覚え間違えたりする方がどうかしてるだろ」

皮肉たっぷりに言って、アイオリアは不貞腐れたように兄から顔を背けた。

「屁理屈言うな!」

弟の態度にムカついて、アイオロスはアイオリアの頭を殴った。

「ったいなぁ〜、何で殴るんだよ! さっきから何発目だよ!」

「うるさい! とにかくつべこべ言わずにさっさとミロに謝って仲直りしちまえっつってんだよ。ケンカするたび周りに迷惑かけやがってこのバカ共が!」

「迷惑かけてるのはミロであってオレじゃない」

「何度も言わせるな! そのミロはお前の恋人だろうが! つまりお前にも責任はあるってことなんだ、わかったか!」

「だからぁ〜、オレがいくら謝ってもミロが勘弁してくれないんだからしょうがないだろう。正直、オレだってお手上げなんだよ……」

いい加減うんざりして、アイオリアは投げ槍に言った。

「本当に情けないなぁお前は。ていうか、何も難しく考えることないだろう。ミロの言う通り8日のシフトを誰かに代わってもらえばいいじゃないか。それでミロの気も済むんだろう、簡単な話じゃないか」

「どこが簡単なんだよ? 代わってもらえって簡単に言うけど、誰に代わってもらうんだよ?」

「お前ね、黄金聖闘士は十三人いるんだぞ。まぁ仕事が違うからオレとサガ、あとそもそも十二宮におられない老師は除くとしてもあと十人、当事者のお前達を除いて八人、前後のシフトを考慮したとしても五〜六人は代わってもらえそうな人間はいるだろう。簡単な算数だ。そいつらにお前が片っ端から頭下げればいいじゃないか。誰かしらが代わってくれるはずだぞ。それくらいの骨は折れよな、元々お前が悪いんだから」

「やだよ! 別に頭を下げるのはいいけど、こんな直前になってからそんなこと頼むのは迷惑以外の何物でもないし、しかもこんな個人的な理由で仕事を代わってくれなんて勝手なこと言えるわけないだろっ」

天然ボケの上に融通が利かない、オマケに頑固——何とまぁ厄介な性格に育ってしまったものかと、アイオロスは呆れるを通り越して感心しながら弟の顔を見返した。

「二人揃って同じように意地を張ってたんじゃ、仲直りできるものも仲直りできんだろうが。少しは『折れる』ってことを覚えろよ」

アイオロスは少し口調を和らげて言ったが、あまり効果はなかった。

「とにかく今晩はミロここに置いてくから、明日の朝にでももう一回ゆっくり冷静に話し合え」

これ以上の押し問答をしていても堂々めぐりになるだけで埒が明かないので、アイオロスは強引に話を打ち切りさっさと獅子宮を立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってよ、兄さん! 勝手にミロを置いていかないでくれ、困るよっ!」

「何も困ることはないだろう」

「さっきから何度も何度も言ってるだろ? オレ達ケンカ中なんだよ! そんな時に置いていかれたって困るだけなんだってば!」

何でわかってくんないのかなぁ〜? と、アイオリアは兄の無神経さに泣きたい気持ちにすらなっていた。

「だから仲直りをする機会をこうして作ってやったんだろう。感謝される道理はあっても文句を言われる筋合はない」

「何が感謝しろだよ、途中で面倒臭くなって放っぽって行こうとしてるだけじゃないか。ミロを引き取ってきたのは兄さんなんだから、最後まで責任持ってミロを送り届けてくれよ、天蠍宮までっ!」

「……ほう、それじゃ断固としてミロの受取りを拒否すると?」

アイオロスは再びアイオリアの方に向き直り、斜に構えて睨みつけるように弟を見下ろした。

「当たり前だろ。てか、さっきからずっとそう言ってるじゃないか!」

「本っ当ーに薄情な奴だな、お前は。そんなに心の冷たい人間になってるとは思わなかったぞ。可哀相にな、ミロの奴……」

腕組みをしながら殊更大袈裟に溜息をついて、アイオロスは嘆かわしいと言わんばかりに頭を振った。

「わかった。そんなにイヤならミロはこのままオレが連れて行こう」

また怒鳴られるか殴られるかと身構えていたアイオリアは、予想外のアイオロスの返答に思わず「えっ?」と呟いて目を丸めた。

「あ?あ、本当に可哀相だなミロは。いくらわがまま言ったって、オレとお前を間違えるほど本当はお前のこと好きなのにな」

「……えっ?」

「片やお前の方は平然と恋人を見捨てるようなこと言うし。ホンットに酷い話だよな」

「見捨てるって……オレは別にそんなつもりじゃ……」

とんでもない方向に曲解されてアイオリアはうろたえた。

「目が覚めてこのこと知ったら、ミロも悲しむだろうなぁ……」

「…………」

顔を引きつらせて絶句したアイオリアを見ながら、アイオロスはアイオリアにわからないようにこっそりとほくそ笑んだ。

「でもま、それもしょうがないな。そんなお前を選んだのはミロなわけだし、自分にオトコを見る目が無かったものと諦めてもらうしかないだろう。はいはい、それじゃどうも夜分にお邪魔しましたね。ミロちゃんはオレが連れて帰りますよっと」

厭味ったらしくそう言うなり、アイオロスは唖然呆然として固まっているアイオリアの腕の中からミロを抱き取った。

「あ〜そうだ、実を言うと今日はオレも結構酔っ払っちゃってるんだよな〜。しかもちょっと足にも来ててなぁ〜。ミロを抱えてちゃんと天蠍宮に辿り着けるかどうか不安な状態なんだよな?」

独り言を装って思いっきりわざとらしく言いながら、アイオロスはミロを抱き上げた。

「万一途中で落としたりでもしたらミロが可哀相なんだよな。まぁ黄金聖闘士だから地面に落とした程度じゃどうにもならんだろうが、でもやっぱり可哀想だよなぁ。あ、そうだ! そんな可哀想なことにならないよう、ミロはシャカの所にでも置いていくか! 処女宮はこのすぐ上だしな。それに最近シャカの奴、ミロに興味があるっぽくて時々ちょっかい出してるみたいだから、頼めば喜んでミロを預かってくれるだろう。うんそうだそれがいい、そうしよう!」

アイオロスのその聞こえよがしの独り言はどこまでもわざとらしかったが、真面目、実直、正直が服を着て歩いているようなアイオリアには効果覿面であった。
特に『シャカのところに置いていく』の一言の効果が絶大であったようだ。
アイオリアは見る見る間に顔色を変えると、無言のまま、だが大慌てでひったくるようにして兄からミロを奪い返した。
そうして奪い返した自分と全く同じ大きさのミロの身体をしっかりと抱き込んで、アイオリアはキツくアイオロスを睨んだ。
そんな弟を見て、アイオロスは今度ははっきりと唇の両端を吊り上げた。
今更言うまでもないが、アイオロスは確かに酒は飲んでいるものの、本人的にはそれこそ引っ掛ける程度の酒量で全くと言っていいほど酔っ払ってなどいなかった。
足元がおぼつかないどころか、ミロを抱えて目を瞑っていても帰れる状態なのである。

「最初からそうやって素直な態度に出ていればいいものを。本当に世話ばっかりかけやがって……」

声に出さずに心の中でだけ呟いて、アイオロスは軽く肩を竦めた。

「アイオリア」

「……何だよ?」

仏頂面のまま返事をするアイオリアに、やれやれと苦笑してからアイオロスは、

「ちゃんと仲直りしろよ」

一転して優しい口調で言って再び踵を返した。

「兄さん……」

最後の一言に今までにはない暖かみを感じて、アイオリアの怒気が急速に萎んでいった。

「あ、そうだ、それからな……」

じゃあな、と言い置いて帰ろうとしたアイオロスは、だがまたすぐにアイオリアの方へ振り返り、

「8日の件はオレに任せておけ。何とかしてやる」

「……え?」

きょとんとするアイオリアに向かって、アイオロスはにっこりと笑って見せてから先を続けた。

「職権乱用にならない程度に上手く調整してやるよ」

「い、いいよ兄さん、そこまでしてもらわなくても。もう一度ミロと話して何とか納得してもらうから」

アイオリアは首を左右に振り、兄の申し入れを断った。
確かに兄であれば、黄金聖闘士のシフトなど電話一本で簡単に何とでも出来るだろう。
だが兄の権力は、こんな個人的なことに使われるべきものではない。

「話して納得させられる余地が少しでもあるって言うならともかく、ミロの様子を見る限り残念ながらそれは無理そうだぞ。そのことはお前が一番良くわかってんじゃないのか?」

アイオロスに痛いところを見事に突かれて、アイオリアは絶句した。

「元を質せばお前が悪いとは言っても、大概ミロもわがままだとはオレも思うがな。でもミロにはミロの、何か特別な思い入れもあるんだろう………と、サガが言ってた」

「サガが?」

「ああ。まぁあいつは昔っからミロには甘いからな、つい同情的にもなるんだろうが。それでもサガの言ってることは、オレもあながちわからんわけでもない。だからアイオリアよ、今年くらいはミロのわがままを聞いてやれ」

そもそもアイオリアがミロの誕生日を間違えて覚えていたりしなければこんなことにはなっていなかったのだが、これ以上そのことを言ったところで意味はない。

「仕事の方は何とでもしてやれるが、ミロの誕生日ばかりはお前じゃなきゃどうにも出来んことだ。こんな風にミロが前後不覚にでもなってくれていれば、オレが代役を勤めても通用しそうだけどな」

最後に冗談を交えて、アイオロスは軽く笑い声を立てた。
つられてアイオリアの口元がほんの僅かに綻ぶ。その顔からすっかりと険が取れているのを見て取り、アイオロスはやっと弟がその気になってくれたことに密かに安堵した。
断固として突っぱねられるのではないかと少し心配もしていたのだが、どうやら大丈夫そうだ。もうこれ以上自分が何を言う必要はないだろう。

「それじゃあな」

「うん。おやすみ、兄さん」

アイオロスの短い挨拶にアイオリアも短く応じると、間もなく玄関のドアが静かに閉められた。
閉じられたドアをしばしぼんやりと見つめた後、アイオリアはゆっくりと腕の中のミロに視線を落とした。
至近距離でこれだけ騒がれ、自分とアイオロスの腕の中を乱暴に行き来させられたというのに閉じられた瞼はピクリとも動かず、ミロには全く目を覚ます兆しはない。
こんなになるまで深酒するなよと呆れずにはおれなかったが、それでもまだ幼さの残る無邪気な寝顔を見ていると自然と目元と口元が緩んでしまう。
本気でミロに腹を立てていたはずなのに、いつの間にかその怒りがきれいさっぱり消えてなくなっていることにアイオリアは気づいた。
アイオリアはミロの身体を抱き直すと、艶やかで柔らかな金色の髪を愛しむように撫で、まだはっきりとした紅みを湛えている頬に触れるだけのキスを落とした。