感謝と愛と誕生日プレゼント

時は流れ――
21歳の誕生日当日、シャカはそのうち来るであろう恋人を自宮でのんびりと待っていた。
いや、「来る」という言い方は正確ではなく、正確には「戻ってくる」である。
何しろアイオリアは昨夜一晩をここ処女宮で過ごし、つい先程までずっと居て、今は予約をしてくれていたらしいバースデーケーキを受け取りに出かけているだけだからだ。
具体的な時間はわからないが、そうそう手間取るようなことでもないだろうし、あと小一時間もすれば戻ってくるだろうとシャカは踏んでいたのだが、ぼんやりとそんなことを考えているところに居住エリアの玄関扉が開閉する音が聞こえてきた。
思っていたより随分と早かったなと思いながらアイオリアを出迎えようとシャカが座っていたソファから立ち上がったのと、彼がリビングに入ってきたのはほぼ同時であった。
だがアイオリアだとばかり思っていた相手はアイオリアではなく、

「……アイオロス?」

アイオリアとよく似た、だが明らかに彼ではない小宇宙――。そんな小宇宙の持ち主など一人しかいない。
そう、アイオリアの実兄であるアイオロスである。

「ご名答」

アイオロスは軽い調子でそう応じたが、処女宮を訪れることなど滅多にない恋人の兄が突然現れたことに、シャカは少なからず驚いていた。
もちろんそんなことはおくびにも出さなかったが。

「アイオリアなら今買い物に出ていて不在だが?」

アイオロスが自分に用事があるとは思えず、となると恐らく獅子宮に不在のアイオリアがここにいるだろうと見当をつけてやってきたに違いないとシャカは見当をつけたのだが、またしても意外なことにアイオロスは首を横に振り、

「ああ、それは知ってる。ていうかオレは別にアイオリアに用事があってここに来たわけじゃないんでな」


「アイオリアに用事があるわけではない? では何故?」

思いもよらぬ答えに、シャカは思わず首を傾げた。

「何故? ってお前、今日誕生日だろう?」

「……そうだが?」

「だからほら、これ」

言いながらアイオロスは、何かをシャカの眼前に突き出した。
ふんわり優しい芳香に鼻腔を擽られ、シャカが反射的に瞑っていた瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは香りと同様とても優しくふんわりとした色合いのピンクの薔薇の花束だった。
一体全体これはどういうことなのか? と珍しく現状を把握しきれず戸惑いがちに目を瞬かせているシャカを見て、アイオロスはくすっと笑いを零し、

「誕生日おめでとう」

改めてシャカに向き直ると、祝福の言葉と共にほら受け取れとばかりに薔薇の花束を差し出した。
つまりこの薔薇の花束は、アイオロスからシャカへの誕生日プレゼントということなのであろう。
全く思いもよらなかった相手からの突然の誕生日プレゼントに、シャカの目が丸くなる一方であった。

「あなたが? 私に?」

シャカからすればそれは素朴な、そして至極当然な疑問であろう。
シャカが聞き返すとアイオロスは少し決まりが悪そうな、照れているような何とも微妙な笑みを浮かべ、

「お前にはアイオリアが……弟がずっと世話になってるからな。まぁ何というか、兄として偶には礼の一つも言っておかなきゃならんとずっと思ってはいたんだが、なかなかその機会がなくてな」

捲したてるように言ってアイオロスは微妙にシャカから視線を外した。
相当に照れくさいのであろう、その頬には薄っすらとした赤みがさしている。
あまり、というより初めて見るアイオロスの様子に、シャカの唇からも微笑みが零れ落ちた。
なるほど、それで誕生日にかこつけてこんなことを――とシャカもようやくアイオロスの意図を理解したのだが、それならそうと最初から言ってくれればよかろうにと思わずにもおれなかった。

「ありがとう」

だが今日のところはアイオロスの言う通り、素直に彼の厚意を受け取ることにしよう――と、シャカは礼を言って彼の手から花束を受け取った。

「とても見事な薔薇だが、わざわざ私のために買いに行ってくれたのか? アイオロス」

「いや、わざわざ買いに行ったわけではない。だって十二宮には薔薇の花が腐るほどある宮があるからな、外に買いに行く必要なんてないだろう」

「……アフロディーテのところか?」

確認を求めてシャカが問うとアイオロスは頷き、

「そうだ。お前の誕生日プレゼントに持っていきたいから、適当に綺麗な薔薇を見繕って花束作ってくれってアフロディーテに頼んでおいたんだ。それであいつが作ってくれたのがこの花束ってわけだ」

「つまりあなたは単にアフロディーテに丸投げしただけ、と?」

「丸投げしたつもりはないんだが、まぁ他人から見るとそう見えるかもな」

誰がどこからどう見ても丸投げした以外の何ものでもないだろうとシャカは思ったが、とりあえずそのことについては何も言わず、

「それにしても、随分と可愛らしい色の薔薇だな。双魚宮にこんな可愛らしい色の薔薇も咲いているとは知らなかった」

アフロディーテが戦闘に使う赤と白、そして黒の薔薇しかないものと思い込んでいたシャカは、可愛らしいピンク色の薔薇を興味深げに眺めた。

「オレもアフロディーテがこの薔薇の花束を渡してくれた時にはビックリして、こんな色の薔薇もあったのか!? って思わず聞いてしまってあいつに呆れられたけどな。何か他にも黄色とか白とピンクが混じってるやつとか、色んな薔薇を育てて咲かせてるそうだぞ。その中から何でこれをセレクトしたのかその理由を聞いたら、アフロディーテ曰く、自分の恋人ならともかく、弟の恋人に赤や白の薔薇を渡すのはまずいだろうってことでこの色にしたんだそうだ」

「色? 色に意味があるのか?」

シャカが小首を傾げて聞き返すとアイオロスは頷き、

「ああ、オレは全然知らなかったんだが、同じ薔薇の花でも色によって意味っていうか花言葉が違うんだそうだ。赤や白の薔薇の花言葉は恋人へのプレゼント向きで、ピンクの薔薇には『美しい少女』とか『可愛い人』とか『しとやか』とか、あとえーっと何だっけ? あとまだ何かあった気がするがまぁいいや、とにかくそういう意味があって恋人以外に贈っても問題ないと言うことらしい」

シャカのイメージとはかけ離れた可愛らしい色合いの薔薇の花束を渡された挙句、それ以上にイメージのかけ離れた単語を列挙されて、正直いくらなんでもそれは似合わないにもほどがあるとアイオロスは思わず心の中で呟いていたのだが、それがあからさまに顔に出ていたのか或いは心の声が漏れ聞こえでもしたのか、絶妙なタイミングでアフロディーテはこんなことを言ったのだという。

「尤も『シャカ本人には似つかわしくない花言葉ばかりかも知れないけど、でも彼の守護星座的にはこの色も花言葉も一番合ってると思うよ』ってあいつ笑ってたけどな」

自分が心の中でどう思っていたのかということはちゃっかり黙ったまま、アイオロスはアフロディーテが言っていたことだけをそのまま伝えて楽しげに笑った。
似つかわしくないだのなんだのと割と失礼なことをストレートに言われたシャカだが、聞き流しているのかそもそも聞いていないのか自覚が全くないのか気に止める様子も見せず、

「なるほど。いずれにしてもアフロディーテにとっては迷惑な話だな、すっかり花屋扱いではないか」

そうアイオロスに苦言を呈した。
だがアイオロスの方もまたそんなことを言われても気にする風でもなく、

「花屋扱いしているわけではないが、手間をかけさせたのは事実だからな、その点については申し訳なく思う気持ちもある。でもこれだけ見事な薔薇はギリシャ中、いや恐らく世界中を駆けずり回って探してもないんだから、アフロディーテに頼むより他仕方がないだろう。というか、お前もこういう時は素直に喜んでおけよ。相変わらず可愛くない奴だな」

今回に限ってはシャカの方が真っ当なことを言っているのだが、その辺は綺麗にスルーを決め込んだ挙句にシャカの可愛げのなさを指摘してやれやれとばかりに肩を竦めて見せた。

「でもまぁ、そういうところがお前らしいとも言えるがな。何はともあれ、誕生日おめでとう。これからもアイオリアと仲良くしてやってくれ」

最後の一言は親が子供の友達にかけるべき言葉で、兄が弟の恋人にかけるにはちょっとずれているのではないだろうか? とシャカは思ったが、指摘したところで時間を空費するだけのような気がしたので敢えて突っ込まず、無難に
「ありがとう」と応じるにとどめておいた。
周りから空気が読めない読む気がないと公然と囁かれているシャカだが、今回はきちんと空気を読んだ――かどうかは不明だが、適切な判断をしたと言えるだろう。

「それじゃあな」

用事は済んだとばかりに(実際に済んだわけだが)さっさと処女宮を後にしようとするアイオロスを、シャカが少し慌てたように引き止めた。

「待ってくれ、アイオロス」

「ん? 何だ?」

まさか引き止められると思っていなかったアイオロスは、少し驚いたようにシャカを振り返った。

「私はあなたに、ずっと聞きたかったことがあるのだ」

「オレに聞きたいこと? お前が? へぇ〜何?」

アイオロスは意外そうに、だが興味深げにシャカの顔を見つめた。
シャカは数秒の間を置いた後、意を決したように口を開いた。

「あなたは何故……」

「うん?」

「十三年前のあの時、アイオリアを連れていかなかったのだ?」

「え?」

突然シャカにそれを問われたアイオロスの顔から、笑みが消えた。
そう、シャカがずっと聞きたかったこと。だがアイオリアの前では、というより第三者のいる場所では決して聞けなかったこと。それは十三年前の真相――アイオロスが何故アイオリアを一人残し単身で逃亡する選択をしたのか、その真意である。

「あなたは逃亡する際、アイオリアの元に立ち寄っている。連れて行こうと思えば、その時にアイオリアを連れて行くことは可能だったはずだ。無論、女神のお命を守ることが最優先だったという事情は理解しているが、アイオリアとてただの子供ではない。あの時にはもう黄金聖闘士になっていたのだぞ。一緒に連れて行ったからとて、決して足手纏いにはならなかったはず。にも拘わらず、あなたはアイオリアを残し逃亡した。私にはそれがどうしても解せぬのだ」

アイオリアも兄と共に行くことを望んだはずなのに――。
もしアイオロスがアイオリアを連れて逃げていれば、たとえ共に反逆者の汚名を着せられたとしても、十三年もの長きに渡り逆賊の弟という辛酸を嘗させられることはなかったはずなのに――。

「もう一度問う。真相の一端をも告げることなく、針の筵のような未来が待ち受けているとわかっていながら、何故あなたはアイオリアを一人聖域に残して行ったのだ?」

シャカの問いに、だがアイオロスはすぐには返答しなかった。思案顔で幾許かの時を流した後、アイオロスはようやく重い口を開いた。

「確かにそれはお前の言う通りだ。オレがアイオリアを聖域に残したことにより、あいつの十三年を辛いものにしてしまった。その自責の念はオレにもある。それでも……」

「それでも?」

「オレと一緒にいるよりは安全だと……少なくとも命を脅かされる危険だけはないと、そう思ったからだ。だからあいつを聖域に残した」

アイオリアの命が脅かされる危険、それは間違いなくあっただろう。実際にアイオロスは、逃亡直後に討伐を命じられたシュラによって殺害されているのだから。
もしあの時アイオロスがアイオリアを連れて行っていたら、或いはアイオリアも一緒に命を落としていたかも知れない。だが、まだ幼いとはいえ当時既にアイオリアも黄金聖闘士となっていた。シャカ自身も経験があるが、一人で一度に黄金聖闘士二人を相手にするとなれば、いかな実力者であっても苦境に立たされることは避けられない。つまりいくら赤子の女神を連れているからとて、黄金聖闘士が二人がかりで迎撃すればシュラを退けることも可能だったはずなのである。
むしろ一人聖域に残されたアイオリアに、別の刺客が差し向けられる可能性すらあった。サガはアイオロスの討伐を命じたシュラの他に、当時のアイオリアよりも確実に実力が上である黄金聖闘士を二人も手駒に持っていたのだから。
アイオロスがその可能性を考慮に入れなかったとは思えない。となれば、その危険性を充分承知の上で、それでも敢えてアイオリアを聖域に残していったということになる。
アイオロスが読み違えれば破滅を招いていたであろう冒険に打って出たのは何故なのか――答えは一つしかなかった。

「つまりあなたは信じていたのか? サガのことを。邪悪に墜ちていない彼の半身が必ずアイオリアを守る、決して殺しはすまいと――」

アイオロスは静かに微笑み返しただけで何も言わなかったが、それは即ち肯定であるとシャカは理解した。

「何故そこまでサガを信じることができたのだ? サガは……あなたを反逆者に仕立て上げ、あまつさえシュラを擁してあなたを殺した張本人なのだぞ」

重ねられたその問いはより核心をつく辛辣なものであったが、アイオロスは微笑を絶やさず、余裕綽々といった様子で即答した。

「あれはサガであってサガではない。それくらいのことはお前にだってわかっていたはず。そうでなければ、お前ほどの男がおとなしく偽教皇に従っていたはずがない。正体を知らなかったとはいえ、邪悪の反面にある善の人格を正しく見抜いていたからこそ、お前はサガに従っていた。そのお前なら、敢えて聞かずともオレがサガを信じた理由はわかるはずだろう。違うか?」

今度はシャカが、アイオロスの問いに無言の頷きを返した。
アイオロスの言う通り、シャカは偽教皇に扮していたサガの善の心と歪みのない正義を信じていた。だからこそ全面的にサガに従っていたのである。
だが裏を返せば、自分は最後までサガの邪悪な面を見抜くことができなかった――ということでもあるのだ。
違和感や疑念を抱いたことがないわけではない。今にして思えば、ということが何回かあったことも事実だが、それでもシャカは自分が看取した教皇の善良な心と歪みなき正義を信じた。信じるに足るだけのものがあったからである。
自分の目が狂っていたとは今も思ってはいないが、それでも当時抱いた違和感や疑念を放置していなければ……と、後悔とは少し違うが或いは違った現在(いま)があったのかも知れないと思うことはあった。
いずれにしても、サガを信じるに足る確固とした理由がアイオロスにはあったし、彼が彼なりにベストとは言わぬまでもベターな選択をしたことはシャカにも理解できた。アイオロス自身の口からそれを聞いてようやく腑に落ちた面もあったが、それはそれとしてもう一つ。

「それでもアイオリアはあなたと一緒に行くことを望んでいた。それはあなたもわかっていたはず。ならばアイオリアを一緒に連れて行けないまでも、せめて真相の一端だけでも伝えてやればよかったのではないか? いつも肝心なことは何も言わずに一人で行動する、それはあなたの悪い癖だと私は思うが?」

「お前は本当に人の痛いところを容赦なくついてくるな。まぁその通りなんだが……それに関してはアイオリアからも散々文句と恨み言を言われたよ」

あはははっ……とアイオロスは楽しげに声を立てて笑った。
思いっきり嫌味を込めて欠点を指摘したというのに見事に笑い飛ばされ、シャカは思わず呆れたようにアイオロスの顔を凝視した。
だがアイオロスの様子を見る限り、反省する気も行動を改める気もまるでなさそうだなとしか読み取れず、シャカは呆れ顔を強くして溜息をついた。
一頻り笑った後、アイオロスは珍しくはっきりと感情と表情を直結させて自分を見上げているシャカを少しの間興味深く観察してから再び口を開いた。

「シャカ、お前が言った通りオレはサガを全面的に信じてアイオリアを聖域に残した。サガへの信頼が一番大きな理由であったことは確かだが、それ以外にももう一つ理由がある」

言いながらアイオロスは、シャカの眼前で人差し指を一本立てて見せた。

「もう一つ? それは何だね?」

シャカが問い返すとアイオロスは今度はシャカの頭にポン、と手を置き、

「仲間だよ」

「仲間?」

「そうだ。オレがいなくなった後にアイオリアがどれほど辛い立場に置かれたとしても、あいつが本当に苦しい時には必ず手を差し伸べ、そして支えてくれる仲間がいることを知っていたからだ。もちろん全員が全員じゃなくても、必ず一人はいるはずだと信じていた。そして実際その通りになった」

アイオロスは頭に置いた手で、くしゃくしゃとシャカの髪を掻き混ぜるように撫でた。

「シャカ」

「うん?」

短く返事をした次の瞬間、アイオロスは撫で繰り回していたシャカの頭をそっと抱き寄せた。
予想だにしていなかったアイオロスの突然の行動に、シャカは思わず身を強張らせ息を飲む。アイオロスはシャカを片手で軽く抱きながら、しなやかな金髪を今度は優しく撫で、そしてその耳元に囁くように言った。

「ありがとう、ずっとアイオリアのことを支えてくれて」

「アイオロス……」

たった今アイオロスが言った『必ず手を差し伸べ、支えてくれる仲間』とは自分のことも含まれていたのだと、シャカはこの時になってようやく気がついた。

「お前があいつに手を差し伸べ、ずっと傍で支えていてくれたから、あいつも心折れることなく、聖闘士としての自分の使命や責務を見失うこともなく、強く在り続けていられたのだと思う。兄として心の底から感謝している、ありがとう」

シャカはすぐには何も言わなかった。いや、何も言わなかったのではない、言えなかったのだ。何故ならこの時、常に冷静かつ理知的で鋭利聡明なシャカにしては極めて珍しく、嬉しいような、恥ずかしいような、照れ臭いような、切ないような、胸の隅がむず痒くなるような、何とも表現し難い様々な感情が渦を巻いて彼の心の裡を掻き乱していたからである。
つまり端的に言うと、胸が詰まって言葉が出ないという状況にシャカは陥っていたのだ。
シャカのそんな複雑な心理状況を察知したのか、アイオロスは彼にわからぬよう忍笑いを零し、一層優しい手つきで彼の金髪を撫でた。
最も神に近い男と崇め讃えられ、或いは畏れられているシャカも、極々稀にこんな普通の青年らしい一面を見せることがある。特にアイオリアのことが絡むとそれは顕著だった。
『態度と物言いがあんな感じだから誤解されがちだけど、シャカはね優しいんだ。本当はとても優しいんだよ……』
弟が瞳を細めて惚気ていたことを、アイオロスは思い出した。
そうだな、確かにお前の言う通りだアイオリア。普段の言動に可愛げがないだけで、心根は本当に優しい奴なんだな――アイオロスは今更ながら、心の中でその時の弟の惚気に同意をしたのだった。

「……私、だけではない」

少しして今度はアイオロスの耳にシャカの囁くような声が届いた。

「ん?」

よく聞き取れずアイオロスが聞き返すと、シャカは今度は幾分はっきりとした口調で言葉を繋いだ。

「アイオリアを見守っていたのは、私だけではない。確かにアイオリアの傍にいたのは私だが、シュラも、そしてアイオロス、あなたが愛してやまない人も、ずっと陰ながらアイオリアを見守り、時に間接的ながらも手を差し伸べてきたのだ。だから私だけが彼を支えてきたわけではない。見えないところで何人もの人間がアイオリアを見守り、助け、支えていた」

つまり全てあなたの目論見通りになっていたというわけだ……と、シャカはくすりと笑った。

「お前、気づいていたのか? シュラのこと……」

それを聞いたアイオロスは意外そうに目を瞠り、シャカに問い返した。
シャカはアイオロスの肩口で頷き、

「シュラ自身にはそれと気取らせるような言動は一切なかったが、彼の性格を考えれば容易に察しはつく。シュラは教皇……サガに命じられてあなたを討伐したが、あくまでそれは聖闘士としての責務を果たしただけのこと。彼個人の感情はまた別であろう。師匠とも実兄とも慕っていたあなたを討伐することに彼の胸が痛まなかったとも思えぬし、逡巡しなかったはずがない。恐らくは相当大きな自責の念を抱えていたに違いなかろう。その自責の念から、シュラは遺された弟のアイオリアのことを常に気にかけていたはずだ。だが彼の立場的に、表立ってアイオリアを支援することはできない。そんな彼にできたこと、それはずっと陰でアイオリアを見守り続ける……それだけだったはずだからな」

シャカもアイオリアを見守るシュラの姿を見たわけではなく、気配を感じたことすらただの一度もない。つまり何一つ確証を得ていたわけではないのだが、それでもシャカは自分の推察は間違っていないと確信していた。そして実際、シャカのその推察は全て正鵠を射ていたのである。

「当の本人のアイオリアですら全く気づいていなかったというのに、本当にお前って奴は……」

感服したように言いながら、アイオロスは片手に抱いたシャカの頭をまたポンポンと叩いた。

「あなたとて知っていたではないか、シュラがずっとアイオリアを見守っていたことを」

「全部後で知っただけだ。当時から、たとえ何となくレベルであってもそれを察していたお前とは違うよ」

やっぱり恋人には敵わないな、降参降参……と殊更冗談めかしてアイオロスは笑った。

「なぁシャカ、そう言えば今思い出したんだが、アフロディーテがくれたピンクの薔薇の花言葉には『感謝』という意味もあるそうだ」

「感謝……?」

「ああ」

アフロディーテは『シャカ本人には似つかわしくないとしか思えないかもかも知れないけど』と茶化して笑っていたが、自分が簡単に告げた要点から最も大きな割合を占めていた『感謝』の気持ちを察し、それに重点を置いてこのピンクの薔薇を選んでくれたのかも知れない。今更ながらにそんな気がするアイオロスであった。

「だからもう一度言わせてくれ、ありがとう。そしてこれからもあいつのことよろしく頼むぞ」



最後に軽い調子で、だが精一杯の感謝を込めてアイオロスは言い、少しだけ力を強めてシャカの頭を抱いた。

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