闇の中の真 交錯する偽

アイオロスが叛逆したとの報を受け、シャカが再修行先から聖域へ戻ってきたのは、騒動が一応の収束を見た直後のことだった。
シャカですら『聖闘士の鑑』と認め、尊敬してやまない先輩であったアイオロスが聖域に叛いた――聖域中央からその一報が齎された時には思わず「嘘だ……」と呆然と声を上げてしまったほどだった。
実際、今も半信半疑――というよりは信じたくないという気持ちの方が大きく、その真偽を確かめる為にシャカはここ聖域に戻ってきたのである。
だがアイオロスの叛逆が事実か否かを確かめることはもちろん、シャカにはその他にもう一つ大きな気掛かりがあった。

それは――

「ほう、これはまた随分と珍しい奴が舞い戻ってきたもんだな」

十二宮の入口である白羊宮の手前で不意に声をかけられたシャカは、その足を止め声の方向へ瞑ったままの瞳を向けた。

「……デスマスク」

小宇宙で相手を判別し、呟くようにその名を口にする。シャカの敢えて絶っているその視線の先にいるのは、蟹座の黄金聖闘士デスマスクであった。
高い岩場の上にいたデスマスクはそこから飛び降りると、ゆっくりとシャカの元へ歩み寄った。

「まだ再修行を終えたってわけでもないんだろう? 修行に励んでいるはずのお前が何でここにいるのか……って、それは愚問か」

自問自答のように呟き、短く鼻で笑ってからデスマスクは言葉を継いだ。

「アイオロスの件を聞いて、居ても立ってもいられずに戻ってきたんだろう? それもお前にしちゃ相当に珍しいことだが……」

シャカは返答しなかったが、デスマスクは沈黙は是と受け取り、先を続けた。

「事実確認をしに来たんなら、わざわざ教皇んところへ行く必要はないぜ。お前が聞いているであろう話は、全部事実だ。アイオロスは聖域を裏切り、討伐された.。いや、オレ達が成敗した、が正解だな」

得意げに言い放ったデスマスクは、ここでシャカが極僅かに表情を動かしたこと見逃さなかった。

「へぇ〜、お前でもそんな顔するんだな。ま、信じたくねぇって気持ちもわからんでもないが、事実は事実だ。受け入れざるを得ないと思うぜ」

「……アテナは?」

「あん?」

「アイオロスは赤子のアテナを誘拐し、逃亡を図ったと聞いている。アイオロスがあなた達に斃されたとして、一緒におられたはずのアテナの御身は?」

ようやく口を開いたシャカが真っ先に尋ねたのは、アテナの安否であった。

「……アテナはオレ達が救出した。今はアテナ神殿にいる、ちゃんと護衛付きでな」

デスマスクは半瞬だけ不自然な間を作ったが、アテナの無事に安堵していたシャカは彼のその微妙な変化には気付かなかった。

デスマスク達はアテナを救出してはいない。それどころか、瀕死のアイオロスもろともシュラが崖下に転落させている。
いかな戦女神アテナといえど今はただの人間の赤子、あの高さから落ちて無事でいられるはずがない。
だがアテナ不在を外に知られるわけにはいかぬという教皇直々の命により、表向きにはアテナは無事に救出したということになっており、今後は来るべき聖戦に備えるという名目の元、アテナに目通りできるのは教皇と教皇に特別な許可を受けた者のみということに定められた。
つまりアテナの無事は嘘ということになるが、デスマスクからすれば自分は教皇に指示された通りのことをシャカに告げたにすぎないという認識であった。
アイオロスもろともアテナを始末した後、シュラは「アテナは必ずや甦ってこられる、いつの日にか必ずこの聖域に」と言っていたが、デスマスクはそんなことがあるはずはないと思っていたし、それは恐らくアフロディーテも同様であろう。
そうなれば今後はいかにしてアテナ不在を隠し続けるかが肝要になってくるわけだが、そんなことは自分達が考えることではない、教皇が考えることだ。自分達は教皇の命に従ってさえいればいい、それが一番自分達の『利』になるのだから――。

「……アイオロスの……遺体は?」

続けてシャカが尋ねたのは、アイオロスの遺体の行方だった。

「シュラが橋を落として崖下に転落させたところまでしかオレ達は確認してないが、その後遺体は発見され、回収して葬ったと聞いてるぜ。裏切り者だから手厚くってわけにゃいかんがアイオロスも黄金聖闘士、しかもまがりなりにも次期教皇候補にまでなった人間の遺体だ、無造作に捨て置く訳にもいかんだろうからな」

墓は聖闘士墓地の隅っこの方にあるってよ、と付け加え、デスマスクは肩を竦める。
アイオロスの遺体の発見場所が川下ではなく離れた別の場所であったこと、そして一緒に転落した赤子のアテナの遺体が未だ見つかっていないことが実は少しだけ気にかかってはいたが、当然ながらデスマスクはそのことをシャカには告げなかった。

「アイオリアは?」

「あん?」

アイオロス叛逆事件の顛末を確認したシャカが最後に尋ねたのは、アイオロスの弟であるアイオリアのことであった。
シャカのもう一つの大きな気がかりとは、アイオリアの処遇のことだったのである。

「アイオリアは……どうしているのだ? よもやアイオリアまでもが懲罰を受けたのではあるまいな?」

シャカに詰め寄られデスマスクはほんの僅かに鼻白んだものの、すぐに気を取り直してシャカのその問いに答えてやった。

「懲罰って程のことでもないが、まぁ、宿舎で監視下に置かれてることは事実だな」

「宿舎で監視下に置かれている? つまり監禁されていると言うことか?」

「そう物騒な言い回しすんなよ。監禁まではいかねえ、軟禁程度だ」

大差ない、と不愉快そうに吐き捨てると同時に踵を返したシャカを、待ちな、とデスマスクが引き止めた。

「アイオリアのところへ行く気か?」

その問いにシャカは答えなかったが、沈黙は即ち肯定と受け取ったデスマスクがすぐに言葉を継いだ。

「それなら当初の予定通り、先に教皇のとこへ行くんだな。教皇の許可がねえと、アイオリアには会わせてもらえねえぜ。いかに黄金聖闘士様であってもな」

教皇宮の方向を指差しながら、デスマスクはニヤリと唇の端を持ち上げた。だがシャカはほんの一間を置いた後、「必要ない」と言い捨てた。
デスマスクは「ほう」と目を丸め、興味深げにシャカを凝視した。視線で無言の問いを投げてくるデスマスクに、シャカは淡々とした口調でその理由を答えた。。

「あなたの物言いからして、教皇のところへ許可を求めに行ったとて無駄足にしかならぬであろう」

教皇は自分がアイオリアに面会することを、決して許してはくれぬだろう。デスマスクの言動からシャカはそれを確信していた。許可が得られないことがわかっていながらわざわざ十二宮の最奧にある教皇宮まで登って行くなど、時間の無駄以外の何物でもない。
デスマスクは何も言わず、またしてもニヤリ、と唇の端を持ち上げただけであった。そんなデスマスクの様子を見て自分の判断に間違いはないと改めて確信したシャカは、再び踵を返してその場を走り去った。

「ったく、ガキのくせに何もかもを即座に見抜きやがって、相変わらず可愛げの一欠片もねえな。マジでクソガキだぜ」

呆れたように、それでいてこの状況を楽しんでいるかのように呟き、デスマスクはクッと喉の奥で笑ったのだった。


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