シャカは脇目も振らず、アイオリアが宿舎にしている家に急いだ。
自分は遠い母国へ戻ったがアイオリアの修行地は聖域圏内、ほんの僅かな時間を要しただけでシャカはアイオリアがいる家に辿り着いた。
『玄関先にいる見張りは二人……だが聖闘士ではないな、雑兵か』
デスマスクがアイオリアは軟禁状態にあると言っていたが、確かに見張りと思しき人間が二人、威圧感をまとわせて玄関先に立っていることをシャカは察知した。
だがまだ幼く一人前とは言い難いとはいえ、黄金聖闘士の見張りに聖闘士でもないただの雑兵を二人付けているだけという状況にシャカは少なからず違和感と不審を覚えたが、今はそんなことを気にしている暇も詮索している暇もない。
見張りの存在を無視して家の中に入ろうとしたシャカだったが、案の定二人に進路を塞がれ、
「何だ貴様は? ここは聖域の教皇様により接近禁止のお触れが出ている場所であるぞ! 貴様のような子供がどこから入り込んできた!?」
「さっさと出て行け! 出て行かぬのなら摘まみ出すぞ!」
高圧的な態度で威嚇されたシャカは、体だけは自分よりも遥かに大きい二人の雑兵を瞑ったままの瞳でキッと睨みつけながら、静かな口調で言い返した。
「私は黄金聖闘士、乙女座のシャカ」
次の瞬間、迷い込んできただけのただの子供と見縊っていた雑兵達の様子が一変した。
「ゴ、黄金聖闘士……」
「……バルゴ様」
明らかに怯んだ雑兵達に、シャカは畳み掛けるように言った。
「黄金聖闘士、獅子座のアイオリアに会いに来た。道を開けろ、私を通せ」
「きょ、教皇様のご許可は?」
微かに震える声で聞き返してきた雑兵に、シャカは簡潔に「ない」とだけ答えた。
「教皇様の許可なしでは、ここをお通しするわけにはまいりませぬ」
「黄金聖闘士が、同じ黄金聖闘士の位を有する盟友に会いに来ただけだ。教皇の許可など必要なかろう」
そこをどけ、とシャカが強く言い放つが、雑兵達は首を左右に振り、頑として譲らぬ姿勢を見せた。
「いかに黄金聖闘士のバルゴ様といえど、教皇様の許可なくここをお通しすることはできませぬ!」
「……聞こえぬか? そこをどけと言っているのだ」
「なりませぬ! 教皇様の命に背くことは御法度でございますぞ!」
いくら相手がまだ幼い子供で聖衣すら纏っていないとはいえ、一介の雑兵が黄金聖闘士に対し強硬な態度に出ることは、言い知れぬ恐怖を伴うはずである。
だが聖域の人間にとって聖域の最高権力者たる教皇の命令は絶対、それに背くわけにはいかなかった。
「どうあってもどかぬか?」
「……どきませぬ!」
「そうか。ならば力づくでどいてもらうことになるが……」
言うが早いか、シャカが小宇宙を高め始めた。
瞬く間に膨大になっていく小宇宙に、雑兵達は味わったことのない恐怖を覚え息を飲む。正に一触即発状態となった次の瞬間、
「やめろ!」
強く静かな声がその空気を破った。
雑兵が声の方向に顔を向け、シャカが僅かに振り返る。
「ピスケス様……」
「……アフロディーテか」
そこに現れたのは、魚座の黄金聖闘士アフロディーテだった。
「雑兵を相手に熱くなるなんて、随分とお前らしくないことをするものだな、シャカ」
常に冷静沈着、子供ながらにまず滅多に感情を顕にすることのないシャカの極めて珍しい姿に、アフロディーテは率直な驚きを口にした。
それに対しシャカは何も答えなかったが、アフロディーテは気にした風もなく、今度は雑兵達に向かって言った。
「任務を全うしようとする心意気は買うが、残念ながらお前達ではシャカに指先一つ触れることはできぬ。怪我をしたくなければ下がっていろ」
雑兵達は「はっ!」とアフロディーテに一礼し、一歩後退する形でシャカから離れた。
シャカが背後にいるアフロディーテに向き直ると、彼は優雅に微笑みながらシャカとの距離を詰め、真正面に立った。
身長差はまだ10センチ近くあるだろうか。だが実力差はもう殆どない――というより、もしかしたらとっくに追い越されているかも知れない。目の前にいる小さな脅威を僅かに見下ろしながら、アフロディーテは悠然とシャカに問いかけた。
「教皇の命に背いてまでアイオリアに会ってどうするつもりだ?」
「別に……」
「別に?」
シャカの返答に、アフロディーテは美しい眉を訝しげに動かした。
「具体的な何かがあるわけではない。ただ友人に会いに来た、それだけだ」
「ほう……」
シャカには直接的には見えていなかったが、この時アフロディーテは先刻のデスマスクと全く同じような表情を浮かべていた。
「遠い異国の地から、ただ『友に会う』為だけにわざわざ戻って来たとも思えぬが……」
そこで言葉を切ったアフロディーテはしばし思案顔で沈黙していたが、程なくして再び口を開き、シャカに言った。
「いいだろう。会ってきたまえ、お前の大事な友に」
「ピスケス様!」
反射的に抗議めいた声を張り上げた雑兵に向かって、アフロディーテはその先を制するように手を挙げた。
「責任は私が負う。構わぬから通してやれ」
「……はっ!」
蟹座、山羊座、魚座の三人の黄金聖闘士が現在教皇の最側近であるということは、既に末端にまで知れ渡っている。
その最側近の一人が責任を負うというのであれば、強硬に異を唱える必要もない、いや正確に言うなら自分達に異を唱える権利はないと、雑兵達はあっさりと引き下がった。
「……ここはあなたに感謝しておくべきであろうな、アフロディーテ」
「いや、感謝など必要ない。ここまでの行動を起こしたからには、お前とて相応の覚悟は決めているはず。結果、何が起こったとしても後悔することはあるまい」
アフロディーテのその意味深な物言いに警告の成分が多分に含まれていることをシャカは察したが、それだけではないことも漠然と感じ取っていた。
アフロディーテの真意がどこにあるのかは計り兼ねたが、いずれにしても彼の執り成しのお陰で実力行使に出ずに済んだことは事実である。そのことに関してだけは、素直にありがたかった。
「ありがとう」
アフロディーテに謝意を示した後、シャカは身を翻しアイオリアのいる家の中へと駆け込んだ。