【Count 5】2月9日:Confirmation
獅子宮を出たシャカがその足で向かったのは、6つ上の宝瓶宮であった。
突然のシャカの訪問を受けた宝瓶宮の主カミュは、普段あまり崩すことのない表情にはっきりとした驚きを浮かべ、珍客に訪問の理由を尋ねた。
「バレンタイン週間?」

とりあえず私室内に招き入れ事情を聞くと、シャカの口からおよそ彼に似つかわしくない単語が飛び出して来て、カミュはまたしても驚いて瞠目した。
シャカの方はと言えば二日目にして少しは学んだのか、最初から過程をすっ飛ばすことなく(それでも著しく言葉は足りなかったが)カミュに母国のバレンタイン週間の説明をした上で、「そこでカミュ、お前に頼みたいことがある」と本題を切り出した。

「私に頼みたいこと? お前がか?」

訪問の主旨は理解したものの、こんな風にシャカがはっきり自分に「頼みがある」などと言って来たことはそれなりに長い付き合いの中でも初めてのことである。
その頼みとやらがどんなものなのか見当もつかないだけに、とんでもない無理難題を吹っかけられるのではないかとカミュは戦々恐々身構えずにはおれなかった。

「明日はチョコレート・デーと言ってチョコレートを贈る日らしいのだ」

「チョコレートを?」

カミュが短く問い返すと、シャカは黙って頷いた。

「バレンタインに好きな相手にチョコレートを贈るというのは日本の風習だと聞いていたが、お前の母国もそうなのか?」

「ああ。日本の風習がどのようなものかは具体的には知らぬが、そう大きな違いがあるわけでもなかろうな」

実際は大きく違うのだが、別にシャカにとっては違いがあろうがなかろうがどうでもいいことであった。

「それで? チョコレートを贈る日だということはわかったが、私に頼みたいこととは一体何なのだ?」

まさかチョコレートを作ってくれなんて頼まれるのではあるまいな? とカミュは更に身構えたが、実際にはそんな無茶ぶりではなく極めて単純なものであった。

「カミュ、お前の母国であるフランスは芸術の国であり美食の国であると聞いている。チョコレートも世界的に有名だと聞いた」

「え? あ、ああ、まぁ、それは確かに……」

やや曖昧に同意したカミュは直後ふと何かに気付いたように表情を動かし、

「もしかしてお前、フランスにチョコレートを買いに行く気ででもいるのか?」

話の流れ的にそうとしか考えられないが、一応確認を求めてカミュが聞くとシャカはあっさりと頷いてから先を続けた。

「だがどこの店でどんなチョコレートを買えばいいのかがわからないのだ。そこでカミュ、お前に道案内と助言を頼みたいと思ってな」

シャカの頼みとはつまりフランスにチョコレートを買いに連れて行けと言うことだったわけだが、それを聞いたカミュは今度は明らかに困ったように眉を下げ、

「そういうことなら協力してやりたいのは山々なのだが、すまない、シャカ。確かに私はフランス出身のフランス人だが、実際のところここ聖域とシベリアで過ごした時間の方が遥かに長く、母国とは言えフランスは感覚的には他国に近いというのが率直なところなのだ。恥ずかしながら道案内はおろかその手の事情には全く明るくなくてな、私ではとても力になれそうもない」

申し訳なくは思うが実際問題難しいので、自分には案内は無理であることを正直にシャカに告げた。

「そうか……」

特に落胆したような様子もなくシャカはそう応じたが、少しだけ考えるように間を置いてから再び口を開き、

「では誰か……他にそう言うことに詳しい者の心当たりはないか?」

一応シャカにもカミュ以上に自分はそう言うことに詳しくないという自覚があった。
普通の人間ではない自分が普通の人間の風習に倣おうとしていること自体無理があることもわかってはいるのだが、今更引っ込みがつかないという事情もある。プライドに障る部分がないではないが、こればかりは詳しい者の助力を請う以外に術はない。

「そうだな……」

問われたカミュは数秒ほど考えてから、

「ミロはよくアテネ市内にまで出向いて買い物をしているし、チョコレートに限らずそう言うこと全般に明るいと思う。あとはそうだな……デスマスクの母国であるイタリアも食に優れていて、確か世界的に名の知れたチョコレートがあると聞く。デスマスクは割と頻繁に母国へ帰っているようだし、彼もミロ同様そう言うことには詳しいと思うぞ。ミロかデスマスク、どちらかを頼ってみたらどうだ?」

「なるほど、ミロかデスマスクか……」

カミュの提案に頷きながらシャカはまた少しの間考えを巡らせ、

「では、今日はデスマスクを頼らせてもらうことにしよう」

大した時間も要さず人選を決めて、シャカは座っていたソファから腰を上げた。

「ありがとう、カミュ」

シャカはカミュに礼を告げて帰って行ったが、流れ的に考えてこの後巨蟹宮へ行くつもりなのだろうということはカミュにも察しがついた。
自分が助言したのだから当然ではあるがそれはそれとして、

「まさかあのシャカにあんな風に礼を言われる日が来るとは思ってもみなかったな、しかもバレンタイン絡みで……」

シャカがバレンタインなんて浮かれた行事に自ら乗るとは予想外も甚だしかったし(それより以前にシャカがバレンタインを知っていたことにまず驚かされたのだが)、何よりもその為に自分に頼み事をしに来るとは夢にも思わなかったカミュである。
しかも自分のアドバイスに素直に従った上に更に礼まで言われるとは――狐につままれたような気分というのは正に今のこの状態を言うのだろうなとカミュは苦笑したが、それ以上にあのシャカにそこまでさせる原動力、つまりアイオリアに対し、胸の中で心からの惜しみない拍手と賞賛の言葉を送らずにはおれなかった。

 

カミュの次に驚愕の嵐に見舞われたのは、自分の与り知らぬところで勝手に同行者に決められたデスマスクであった。
シャカの話を聞いている間、デスマスクの「はぁ!?」「ええっ!?」「お前が!?」「マジかよ!?!?」というハテナエクスクラメーション付の声が巨蟹宮リビング内に幾度響いたかわからない。
目を白黒させつつとりあえず話を全部聞き終えたデスマスクは、はぁ〜……と感嘆混じりの溜息をつきながら、シャカの顔をマジマジと見て言った。

「まぁ、別にチョコレート買いに連れてくくらい構わねえけどよ……」

「ならば頼む」

「っておい! ちょっと待て待て!」

言うなり立ち上がりかけたシャカを、デスマスクが慌てて制止した。

「何かね?」

「何かね? じゃない! まさかと思うがお前、その格好で都会に出る気か? しかも他所の国の」

デスマスクが問うとシャカは小首を傾げて「そのつもりだが……」と答えた。
それを聞いたデスマスクが「あちゃぁ〜」と頭を抱えたことに気付き、シャカは訝し気に眉を寄せ彼に問い返した。

「何か問題でもあるのかね?」

今まで服のことなど何も言われたことのないシャカには、デスマスクのこの問いの意図も意味もまるでわかっていなかった。
大アリだっつの……とデスマスクは脱力したように溜息をつき、

「まぁお前にはピンと来ねえっつか理解出来ないかも知れねえけどよ、聖域圏内の村や街ならまだしも圏外の一般社会、しかも都会の街中で今時そんな時代に取り残されたみたいな服着てる奴なんかいないんだぞ。奇異な目で見られるに決まってんだろ。そんなお前を連れて街中を歩くの、オレはごめんだぜ。ていうかお前その服とあと……あの赤い袈裟? 以外に服持ってねーの? 普通の服」

「お前の言うその『普通の服』とはどのようなものを言うのかね? 私にとってはこれが普通の服だが?」

「普通の服って言うのはお前基準じゃなく一般的なって意味で、具体的にはオレが今着てる服とかあとはミロとかアルデバランが着てるみたいな……って、つまりお前はそういう服は持ってないってことね、はいわかりました」

やっぱり聞くまでもなかったと言うか、聞いた自分がバカだったとデスマスクは反省した。
確かにシャカの私服は今着ている民族服のような白の上下か赤い袈裟、この二着以外は自分も見たことがないし、そもそも常日頃の彼を見ていれば所謂ごく普通の服など持っているはずもないことくらい容易にわかることだったからである。
だがシャカの私服はここ聖域では別段おかしくもない普通の格好だが、一般社会では時代に取り残されている感がハンパない。今口に出して言ったようにこの格好のシャカを連れて歩いたら自分まで奇異の目で見られることは必至、とてもじゃないが恥ずかしくてこのまま他国のしかも都会に連れて行くわけにはいかなかった。

「いつ何時こういうことになるかも知れねえんだからよ、お前も一組くらい普通の服用持っといた方がいいと思うぞ。……しゃーない、チョコレートのついでに服も買え服も」

「どこで?」

「お前人の話ちゃんと聞いてろよ、チョコレートを買うついでにっつったろ! これからお前を連れて行くオレの母国! イタリアでだよ! イタリアはファッションでも常に世界をリードしているファッション先進国だからな!」

何故か見当違いの方向で無駄に胸を張るデスマスクに、シャカは釈然としない様子で首を傾げたが、そんなシャカを見てデスマスクもふと何かを思いついたように首を傾げ、

「つってもその前にイタリアに連れて行くまでの問題があるんだよなぁ……」

不意に真顔に戻り、シャカを凝視して何やら考え込み始めた。
デスマスクが何をウダウダ言っているのかがわからない、そもそも服装だの何だのそんなことなどどうでもいいシャカとしては苛立ちが募る一方であったが、今回に限っては自分の方が連れて行ってもらわねばいけない立場だという自覚はあったのでさすがにいつものような高圧的な態度は取れず、黙って大人しくしていることしか出来なかった。

「オレの服を貸すにしても上はともかく下が……上背は殆ど変わらねえから丈はいいけど身体がヒョロイからな、お前。オレのじゃ絶対に緩いだろうしうーん……」

厳密にはわからないが、シャカの体躯を見る限り恐らく自分と軽く10kg以上の体重差はあるだろう。
となるとボトムのウエストに著しいサイズ差が生じるはずで、貸したところでボトムがずり落ちることになるのは目に見えている。

「アルデバランは論外としてミロじゃオレとほぼ体格が変わらんし、お前に何とか下を貸せそうな人間となるとムウかカミュかアフロディーテだが……ああダメだ、あの三人じゃお前の服と大差ないかセンス的にアレかのどちらかだ」

一人でぶつくさ言いながら首を左右に振るデスマスクにいい加減焦れて、何でもいいから早くしろ! と言おうとしたその時、

「ま、そう長い時間じゃねえし、ウエスト締め上げときゃ何とかなるか。うん、そうだそうしよう。ボトムがダボついて不格好でもこの格好で連れ歩くよりはマシだ」
と一人で結論を出したかと思うと、「今から服を持って来るからそれに着替えろ。いいな!」とシャカに反論する間も与えず一方的にそう言い置いて、デスマスクは足早に奥の部屋へ消えて行ったのだった。

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