【Count 4】2月10日:SWEET
3日目のこの日も、シャカはまるで計ったかのように前2日と同じ時間に獅子宮へ現れた。
昨日シャカが帰った直後から『次は一体何が出て来るのか?』と期待と不安に胸を半々にしていたアイオリアの目の前に、綺麗にラッピングされた小箱が差し出された。
「どうもありがとう」

礼を言いながらそれを受け取りつつアイオリアが中身をシャカに尋ねると、シャカは短く「開けてみたまえ」と彼を促した。

「チョコレート?」

促されるままにそれを開封すると、中から出て来たのはチョコレートだった。
とりあえず中身はわかったが、次に出て来る疑問は必然的に『何故チョコレート?』である。
確か日本ではバレンタインにチョコレートを贈るのが一般的だと聞いたことがあるが、このシャカが日本の風習に倣うとも思えないし、それより以前に初日にはっきりきっぱり母国の風習に則ってと言っていたし、第一日本に倣うのであればチョコレートはバレンタイン当日の14日に渡されるはずの物だろうし……とアイオリアは今日もまた頭を悩ませることになった。

「今日はチョコレート・デー。相手にチョコレートを渡す日だそうだ」

目を瞑ったままのシャカにはアイオリアの表情は見えてはいなかったが、小宇宙で感取した彼の様子でその疑問を簡単に察知し、端的にそう答えを返した。

「あ、なるほど、インドのバレンタインにもチョコレート贈る日があったんだ。チョコレートっていうと日本って印象しかなかったから、突然の心境の変化か何かで日本流に方向転換したのかと思った」

そう言って笑うアイオリアにつられるようにシャカも無言のまま静かに微笑んだ。

「ところでこれって……英語? いやイタリア語、か?」

パッケージに書かれてある文字を見ながらアイオリアがシャカに尋ねると、シャカは頷きを返しながらイタリア語だと答えた。

「え? てことはこのチョコ、イタリアのやつ? まさかイタリアまで買いに行った……とか?」

ギリシャでも手に入らないことはないはずとは思うが、何となくそんな気がしてアイオリアが聞き返すと、シャカは「そうだ」とあっさりイタリアに行って来たことを認めた。

「オレの為にわざわざ?」

シャカがまたしても無言で頷く。

「……1人で?」

その問いにはシャカは首を左右に振り、「デスマスクに連れて行ってもらった」と何事もなかったように答えたが、それを聞いたアイオリアの方は「デスマスクぅ!?」と素っ頓狂な声を張り上げて盛大に驚いた

確かにイタリアはデスマスクの母国だし、彼に案内を頼むのは自然と言えば自然なことではある。
だが――

「つかぬこと聞くけど、シャカが頼んだんだよな? その……これを買いにイタリアに連れてってくれって、デスマスクに」

「そうだ。最初はカミュに頼んでフランスへ連れて行ってもらうつもりだったのだが、彼には聖域とシベリアでの生活の方が長過ぎて母国とは言えフランスは不案内だから無理だと断られた。その代わりにミロかデスマスクに頼んでみたらどうかと助言をもらったのだ」

「それでデスマスクに頼んだと?」

「そうだ。ミロでも良かったのだが、ミロはお前と同じここギリシャの出身だから面白味がないかと思ってな」

シャカがバレンタインに関心を示し、あまつさえそれにこうして「乗って」いることすら青天の霹靂なのに、出身地やら面白味やらそんな細かいことにまで気を配っているなんて、恋人であるアイオリアですら信じられない気持ちになるくらいのレベルで意外なことで、更に言うならいわゆる"同期"であるカミュを最初に頼ったことはそれほど不自然ではないにせよ、いくら助言をされたからとは言えカミュよりも遥かに関係性が希薄なデスマスクに素直に頼ったこともまた信じ難いレベルで意外なことであった。
もちろんそんなことは口が裂けても言えないのだが――。

「それにしてもあのデスマスクがよく付き合ってくれたな。嫌がられたんじゃないのか?」

結果的に付き合ってはくれたようだが、実際には難色を示したにも拘らずシャカに押し切られて嫌々ということも充分あり得るとアイオリアは思っていた。
シャカ自身に全くそういうつもりがないことはアイオリアは理解しているが、彼は無自覚に相手に高圧的な態度をとることがままあるからである。しかもサガと並んで黄金聖闘士最強とまで謳われているシャカにそんな態度に出られたら、例え同じ黄金聖闘士であっても相手を充分萎縮させる。つまりデスマスクは断りたくても断れなかったというのが真相なのではないか? と、さすがのアイオリアも疑わずにいられなかったのである。

「いや、特にそのような様子はなかったが? 快く同行してもらえたものと思っている」

「あ、そう。それならいいんだけど……」

本当かな? 少なくとも快くではなさそうだけど……と若干疑いつつも、とりあえずシャカがそう思っているのであればそれでいいかとアイオリアは自分を納得させ、デスマスクには後でシャカが世話になった礼を言いに行こうとだけひっそりと心に決めた。

「なぁ、食べてみてもいいか?」

「ああ」

シャカの許可を得て箱を開けると、中には美しい細工の施されたお洒落なチョコレートが数粒入っていた。
アイオリアはその中の一粒を掴み、それを口へ運んだ。

「うん、美味い!」

破顔したアイオリアを見て、シャカも珍しくホッとしたような微笑を浮かべた。

「そうか、それならばよかった」

「もしかしてこれもデスマスクの助言あり?」

「そうだな、助言をもらったと言えばもらったと言えるだろう。デスマスクがここが一番だと連れて行ってくれた店で買って来たのだからな」

「じゃ、これを選んでくれたのもデスマスク?」

「選んだのは私だ。私が選ばなければ意味がないとデスマスクにも言われたし、元より私もそのつもりではいたのだが……」

シャカはそこで不自然に言葉を切った。

「だが?」

シャカの語尾を復唱する形でアイオリアがその先を促すと、シャカはこれまた彼にしては珍しく戸惑い気味の苦笑を零してから、

「私はただチョコレートを買いに行くだけと簡単に考えていたのだが、実際に行ってみたらあまりに種類がありすぎて何を買えばいいのか決めかねてしまってな。それですごく時間がかかってしまった。一つの物事を決めるのにあんなに迷ったのは生まれて初めてのことかも知れぬ。一口にチョコレートと言っても、現在(いま)の世は本当に色々な種類の物があるのだな、いい勉強になった」

と言って苦笑を深めた。
シャカの口から『勉強になった』なんてセリフが飛び出しアイオリアは三たび驚愕させられたが、もし自分がシャカの立場でもきっと同じような事態に陥って同じようなことを思ったに違いない。シャカも大概だが、自分もほぼ変わらないレベルで世間知らずであるという自覚はアイオリアにもあった。

「そっか……わざわざイタリアまで行って、苦労してこれを買って来てくれたんだ。ありがとう、シャカ」

そんな世間知らずのシャカが仲間に普段決して下げない頭を下げ(アフロディーテの時と同様、実際は1mmも下げてはいないが)、手間と時間をかけてこのチョコレートを自分の為だけに買って来てくれた――アイオリアの胸中がシャカへの感謝と彼を一層愛おしく想う気持ちでいっぱいになった。

「我々聖闘士にとって物理的な距離などないに等しいし、然程苦労したというわけでもない。礼には及ばぬ」

アイオリアの心からの礼に対してシャカの返答はいつも通り素っ気なくもあったが、その言葉とは裏腹に声には照れているような含羞んでいるような微妙な喜色が混じっていた。

「それでは、また明日」

昨日一昨日同様、今日もまたシャカは唐突に帰ると言い出した。
3日目ともなると唐突に来て唐突に帰るこの一連の流れがルーティンワークのようにも思えて来て、アイオリアも苦笑せずにはおれなかったが、同時にシャカにはシャカなりの行動計画があるのだということも理解出来るようになっていて、踵を返しかけた彼を呼び止めはしたものの、目的は帰るなと彼を引き止めることではなかった。
アイオリアは箱の中からもう一粒チョコレートを取り出すと、それを「ほら」と小首を傾げているシャカに向かって差し出した。
シャカが目を開くと、開けた視界に飛び込んで来たのは目前に差し出されたチョコレートとアイオリアの満面の笑顔だった。
美味しいからお前も食べてみろ、ということであると理解したシャカは、

「いや、私はいい。それはお前にあげたものだ」

一瞬の間を置いた後に小さく首を振りそれを断ろうとしたのだが、

「いいから。ほら」

アイオリアは意に介した風もなく、手にしたチョコレートを更にシャカの口元に近づけた。
明らかに躊躇っていた様子のシャカは、だがアイオリアに根負けしたのかはたまた彼の気持ちを慮ったか、頑なに固辞はせず素直に彼の手からそのチョコレートを食べた。

「な? 美味いだろ?」

アイオリアの問いかけにシャカは頷き、

「さすがデスマスクが太鼓判を押していただけのことはあるな」
とこれまた珍しく素直に賛辞を述べ、小さな笑い声を零したのだった。

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