【Count 1】2月13日:バレンタインデー・○○○○
「今日は何時頃来るのかな? シャカの奴」
昨日同様リビングボードの上の時計を見ながら、アイオリアがボソリと呟いた。
時刻はそろそろ午後一時。昨日はこの時間にはもうシャカはここへ来ていたが、今日はまだ来る気配がない。ただ特に時間を決めて来ているわけではないことは昨日明言されたのでそれについては気にはしていないのだが、今日も『来る』ということだけはわかっているので、せめて大体の時間だけでも昨日のウチに聞いておけば良かったと、アイオリアは今更になって後悔していた。大体何時頃程度でいいのだが、大体の時間がわからないと身動きのしようがないからである。そうは言っても別に何処かに行く用事があるわけでもないので、ここで大人しくしていれば良いだけの話なのだが。
『アイオリア』
『シャカ』
そこへ今日もまた絶妙なタイミングでシャカからテレパシーが入った。
『またお前が余計な心配をすると悪いと思って連絡をした。今日は夜、少し遅い時間に獅子宮へ行く』
どうやらシャカも、アイオリアと同じタイミングで今日の来訪時間を告げていなかったことを思い出して連絡をくれたようである。
彼の性格を考えると通常であればわざわざ連絡などよこさず、自分の好きな時間に好きなように行動したのであろうが、昨日のことがあったからかシャカもシャカなりに自分を気遣ってくれたのだろう。
その割に口調は偉そうで素っ気ないのだが、それはもうシャカの標準装備なので今更気にしないと言うか慣れていてどうということはない。それどころかシャカのそんなところすらこの上もなく愛しいのだから、アイオリアも大概重症である。
『わかった。わざわざありがとう……あ! シャカ』
『うん?』
『遅い時間って大体何時頃、かな?』
『今日中には』
短く返答するなり、シャカは一方的にテレパシーを切った。
こんな簡素を通り越して著しく言葉足らずかつ味気のない会話もいつものことなのでアイオリアは気にも止めないのだが、
「今日中か、また随分と大雑把な時間指定だ」
繊細な見かけの割に非常に大雑把なところのあるシャカである。多分具体的には何も考えてなかったんだろうなと察しをつけ、アイオリアは小さく笑いながら肩を竦めた。
「アイオリア」
穏やかな声で名を呼ばれ、アイオリアは目を覚ました。
「あれ? シャカ?」
意識の浮上に合わせて瞼を持ち上げると、開けた視界に飛び込んで来たのは優しく微笑む恋人の姿だった。
「あれ? オレ……」
現状把握が出来ていなかったアイオリアは、ぼんやりした頭で自分の記憶を手繰り始めた。
確か時刻が10時を少し回ったくらいまでの記憶はあるのだが、それ以降が見事にぷっつり切れている――と言うことはつまりその辺りの時間に寝入ってしまったと言うことなのだろう。
「あー、ごめん……お前が来るのを待ってたはずが、いつの間にか寝ちまってたんだな」
「別に謝ることはない。ここはお前の宮だ、寝ようが起きようが好きにしていれば良い」
聞きようによっては厭味にも聞こえるが、シャカにそんな意図がないことはわかっている。悪い、ともう一度軽く謝りながらアイオリアはソファから身を起こし、
「ところで今何……」
時だ? と時間を確かめようとした次の瞬間、その動きを止めるかのようにシャカがアイオリアに抱きつき、そして素早くその唇に自分の唇を重ね合わせた。
あまりに突然すぎる想定外の事態に、アイオリアの頭の中が瞬時に真っ白になり全身が硬直した。
「…………シャカ」
少ししてシャカの唇が離れると、アイオリアは唖然呆然と目の前で心持ち頬を赤らめている恋人の名を呼んだ。
この時アイオリアは誰がどこからどう見てもマヌケ面としか言いようのない表情をしていたのだが、それは内心で『キス? え? 今シャカにキスされたんだよね? オレ……』と大いに動揺していたせいでもあった。
「今日はキス・デー……キスをする日、だ」
アイオリアの内心の声が聞こえたかのように、シャカが珍しくボソボソと口籠るように自らの行動の種明かしをした。
気恥ずかしいのか照れ臭いのか、今度はシャカの頬がはっきり赤くなっているのがアイオリアにもわかった。
「は? え? あ、キスする日……だったんだ、今日……」
まだ若干の混乱を引き摺った状態で、アイオリアがしどろもどろに支離滅裂なことを口走る。
だが直後、アイオリアは「あ!」と短く声を上げ、
「もしかして昨日キスさせてくれなかったのって……今日の為?」
昨日のハグ・デーにシャカが頑なにキスを拒んでいたことを思い出しそれを問い質すと、シャカは無言でこっくりと頷いた。
なるほどそういうことだったのかと、今漸く昨日のシャカの不自然な行動の理由がわかったアイオリアだったが、理解出来たら出来たで律儀と言うか頑固と言うか融通が利かないと言うか生真面目すぎると言うか不器用と言うか……とにかく何と言っていいものやらと複雑な心境にも陥った。
だがそれ以上にシャカのことを堪らなく可愛く、そして愛おしく想う気持ちがそれを凌駕した。一応恋人であるはずの自分すら今の今まで知らなかったシャカの意外すぎる一面を思いもかけぬところで、しかも恐らく最良とも言える形で垣間見ることができたからでもあろう。
アイオリアはシャカを抱き寄せ、今度は自分からシャカにキスをした。
今日はシャカもアイオリアの抱擁とキスを受け入れ、包み込まれた彼の腕の中で大人しく身を任せている。
僅かに残っていた眠気もいつしかきれいさっぱりすっ飛び、気持ちが急激に盛り上がった勢いで一気に先に進もうとしたアイオリアだったが、今度はいきなり高らかに響き渡った電子音がその雰囲気と気勢を一気に削ぎ落とした。
「なっ! 何だっ!?」
さすがに驚いてアイオリアがシャカから身体を離した。
件の電子音は腕の中、つまりシャカから発せられていたからである。
慌てるアイオリアとは裏腹に、シャカは平然と落ち着いた様子でポケットから何かを取り出した。電子音の発生源はそれで、シャカがやや不慣れな手つきで何やら操作をすると喧しく鳴り響いていた電子音がピタリと止まった――まではいいのだが、今度はシャカが手にしているそれがアイオリアの目を丸くさせた。
「え? それって……スマホ?」
そう、シャカの手の中にあるそれは、どこからどう見てもスマホであった。
だがシャカとデジタルデバイスなど不似合いというよりも天地がひっくり返っても考えられない組合せで、アイオリアは目を丸くしたまましばしシャカの手元をガン見した後、それを指差しながら彼に問いかけた。
「そのスマホってシャカのスマホ?」
シャカが持っているのだからシャカのスマホなのだろうが、確か彼はスマホなど持っていなかったはずで、それどころか興味すら示したこともないはずである。だが実際に今、シャカの手の中にはスマホが握られている。一体いつどこでこんなものを手に入れたのか、そもそもこのシャカにスマホなんて必要あるのかと、アイオリアはあれこれ考えながらまたしてもハテナマークを大量に飛ばしまくった。
「これは私の物ではない、ミロがくれた物だ。彼が前に使っていた古い機種だそうだが」
「へ? ミロのスマホ? もらった? しかも古いやつ?」
「そうだ。だから通話も何も出来ない。する必要などないがな」
「通話も何も出来ない古いスマホって、何でそんな物をもらったんだよ?」
アイオリアもスマホは持っていないし、黄金聖闘士同士連絡を取るのにスマホなど不要なので欲しいと思ったこともないのだが、ミロとかデスマスクとかカノンとかシュラなど何人かの黄金聖闘士がスマホを持っていて愛用しているのは知っているし、さすがに用途機能くらいはざっくりとだが知ってはいる。
通話も何も出来ないスマホなど何の意味もない、せいぜい音楽を聴けるくらいの用途しかないはずなのだが、シャカに音楽を楽しむ趣味はなかったはず。となれば何の為にもらったんだ? という疑問が出るのは当然の話である。
「タイマー代わりに」
「は?」
「だからタイマー代わりに使えとミロがこれをくれたのだ。自分はもう使わないからと」
言いながらシャカはスマホの画面をアイオリアの眼前に突き出した。
「あ……」
そこに表示されている数字を見て、アイオリアが短く声を上げた。