「スマホの画面には時刻と日付が表示されていた。
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02/14
「つまり今はもう2月14日……バレンタイン当日ってこと、か?」
「そうだ」
くすっと小さく笑って、シャカはタイマー代わりのスマホを再びポケットにしまった。
「えっと、ごめんシャカ、一体どういうことが説明してもらえないかな?」
また頭が混乱し始めたアイオリアは、今度は余計なことをゴチャゴチャ考えず即座にシャカに説明を求めた。
「今日、バレンタイン当日は朝から晩までをずっと一緒に過ごす日……なんだそうだ」
「朝から晩までずっと一緒に?」
そうだ、と頷いてからシャカは先を続けた。
「だがどうせなら前日の行事を日付が変わる間際まで引っ張り、そのまま日付を跨いでバレンタイン当日は24時間一緒に過ごした方が良いと……そう言われれば確かにその方が効率的ではあると思ってな、朝が来るのをわざわざ待ってから改めて訪れるのは面倒だし。だから今日、いやもう昨日になるな、キス・デーからそのまま今日に入れるよう時間を調整したのだ」
「それじゃつまりシャカは今ここに至るまでを全部計算して行動してたってこと? それでそのタイミングを計る為にミロからスマホを?」
「そうだ。さすがに私も主観で一分一秒の時間まで正確に計ることは出来ぬからな。文明の利器の力を借りるしかあるまい」
シャカの口から文明の利器なんて言葉が出るとはさすがにアイオリアが聞いても違和感しかなかったが、とりあえずそれは置いておくとして、
「シャカ、もう1つ聞いていいか?」
「うん?」
「気を悪くしないで欲しいんだけど……あのさ、これ、シャカが自分で考えたの?」
これと言うのはつまり現状に至るまでの言わば演出面のことである。
正直シャカが自分一人で考えて起こした行動とはとても思えないし、つい今し方のシャカの口ぶりからしても誰かの入れ知恵があったことは間違いないと推察出来る。だがさすがに「誰の入れ知恵?」と単刀直入には聞けず、少し表現をぼかした聞き方をしてしまったのだが、それでもシャカにはアイオリアの質問の意図は正確に伝わったようある。アイオリアにそれを問われたシャカは、いや、と小さく首を左右に振ってから、
「全てミロくれた助言だ、こうすればアイオリアが喜ぶからと言われた。だから私はミロのその助言を聞き入れたに過ぎない……少々悔しくはあったがな」
あっさり入れ知恵相手を白状して微苦笑を零した。
あ、やっぱりミロの入れ知恵だったか……とアイオリアは思った。こういうことに気が回りそうなのはやっぱりミロかデスマスクかカノンくらいしか思い当たらないし、何よりアイオリアは先日、シャカが世話になった礼をミロに言いに行った際彼に散々からかわれた後「ま、当日を楽しみにしててやれよ」と何やら意味深なことを言われていたからである。
とは言えそんなことは今の今まできれいさっぱり忘れていたのだが、あの時ミロが楽しみにしててやれと言っていたのはこのことだったのかと、ここに来てようやく自分の中で全てが繋がりすっきりしたアイオリアだった。
ぬいぐるみを買いに付き合ってくれただけではなく、別方面からもミロは大きなアシストをしてくれたようだが、とりあえずその辺のことは今は横に置いておくとして、アイオリアはシャカに別の問いを投げた。
「悔しい? どうして?」
「……私には思いもつかぬことだったからだ」
そう答えたシャカの声に微量ながら不機嫌な響きが含まれていたのを、もちろんアイオリアは聞き逃さなかった。
シャカの性格を考えれば彼が『悔しい』と思うのも無理もない気もするが、人には向き不向きと言うものもあるし、とりわけこういうことに関してはシャカより遥かにミロの方が頭も気も回るのはしょうがないというか当然だろうとしか言いようがない。
無論シャカにはそんなことは言えないが、幸いにしてシャカもちょっとだけプライドに障って悔しいと言うだけで本格的に機嫌を損ねているわけではないことは明らかなので、余計な心配は無用だとアイオリアは判断した。
もしシャカが本気で機嫌を損ねていたとしたら、ミロの助言を素直に聞き入れるわけもましてそれを実行したりするわけもないからである。
「確かに助言をしてくれたのはミロかも知れないけど、その助言をこうして実行してくれたのはシャカだ。しかもオレの為に……そうだろう? オレにとってはそれが全てだから」
経緯や過程はどうあれ、今のこの時を、そしてこれからの時間を自分に与えてくれるのはシャカである。そのことをアイオリアは素直に喜び、そしてシャカに感謝していた。
「ありがとう、シャカ。本当にありがとう」
アイオリアは再びシャカを抱き寄せ、今日までの7日間にシャカからもらったたくさんの『自分への想い』を改めてしっかりと噛み締めながら、短く、だが心からの礼を告げ、その唇に軽く触れるだけのキスをした。
「何はともあれ、今日はこれから丸一日ずっと一緒に居てくれるんだよな? シャカ」
「ああ、そうだ。だから帰れと言われても帰らぬぞ」
珍しく冗談口を叩いて、シャカが小さく笑った。
「そんなこと言うわけないだろ。今日一日なんて言わず、これから先ずっと一生一緒にいてくれてもいいと思ってるくらいなんだから」
どさくさ紛れに盛大なプロポーズをしていることにアイオリアはまるで気付いてもいなかったが、幸か不幸かシャカも恋愛事に関してはアイオリアと似たり寄ったりのボケっぷりだったお陰でそんなことには微塵も思い至らず、単に彼が自分に調子を合わせてくれた程度にしか思っていなかった。
本人達は完全に無意識だが、この2人、こういうところも含めて似たもの同士のお似合いカップルとしか言いようがない。
2人揃って天然炸裂でプロポーズを綺麗に流して和やかな笑顔を交換していたところで、アイオリアがふと何かを思い出したように表情を動かした。
「ただ実は明日……じゃなくて今日だな、行かなければいけないところがあってな。すまんが付き合ってもらってもいいか?」
「行かなければいけないところ?」
何処だね? と小首を傾げてシャカが尋ねた。
「アテネ市まで。実はちょっと予約してるものがあって、午前中に受け取りに行かなければいけないんだ」
その予約している物とは、言わずもがなアイオリアからシャカへのバレンタインのプレゼントであった。
開店時間に店に赴きそれを受け取ってからここでシャカが来るのを大人しく待つ――というのがアイオリアの行動予定だったのだが、ここに来て思いもかけぬ方向へ状況が変わってしまった為その予定も変更せざるを得なくなってしまったのである。ただ悪い方向ではなく間違いなく良い方向に変わったと言えるので、これはこれで結果オーライであろう。
十二宮とアテネ市などその気になればものの数分で往復できるのだが、どうせならシャカを待たせておくよりも一緒に行って市内でデートをするのも悪くない。プレゼントはデートの最中に渡せるような雰囲気になったらそこで渡せばいいし、ならなければ戻って来てから渡せばいい。アイオリアは瞬時にそう考えて、予定を立て直したのである。
「ああ、それは構わぬが……」
普通この流れであれば明言はされずともその予約してあるという物が自分へのプレゼントだと簡単に気が付くところだが、案の定シャカはそんなことにはまるで気付いていなかった。
付き合ってくれと言われて断る理由はないのであっさり承諾すると、アイオリアはやった! と子供のように破顔してまたシャカの身体を抱き締めた。
「あれ? でももしかしてオレ達2人で街に出るのってこれが初めてか?」
ひとしきりはしゃいだ後、今更ながらにそのことに気付いてアイオリアがシャカに確認を求めると、シャカは一瞬だけ記憶を確かめるように間を置いてから、「そうだな、初めてだ」と答えて頷いた。
つまりシャカは恋人のアイオリアと一緒に行くよりも先にデスマスクやミロと街へ繰り出してしまったことになるのだが、やっぱりそんなことなどこれっぽっちも気に止めないシャカであった。
「そもそも私達はあまり聖域の外に出ることがないからな」
他人事のように言ったシャカだが、実際のところその『あまり聖域の外に出ることがない』原因はシャカの出不精に拠るところが大きい。そんなシャカが僅かこの数日の間にアテネ市はおろかイタリアにまで出向いてアグレッシブに行動していたのだから、色々な意味ですごいとしか言いようがない。
もちろん本人にその自覚は皆無なのだが。
「確かにお前の言う通りだ。それじゃ初の街デートってことになるんだな。せっかくだから美味いものでも食って、少しゆっくり街の空気を楽しんで来ようか?」
偉そうに言えるほどアイオリアも市内には詳しくなく、率直に言うとシャカよりはマシというレベルなのだが、彼もその辺のことはあまり深くは考えていなかった。基本的にアイオリアは行き当たりばったりでもなるようになると言った思考の持ち主でそう言うことをあまり深く考える性質(タチ)ではないことに加え、シャカと一緒に出かけることに早くも気が逸り浮かれ始めていたからである。
シャカの方はアイオリアほど浮かれてはいなかったが、それでも楽しそうにしている彼を見るのは嫌いではなく――というよりはっきり好きで、それだけで自然に頬が綻んでしまうくらいだった。
だがシャカは直後にふと何かに気付いたように軽く眉間を寄せ、
「アイオリア」
「ん?」
「街へ行くのはいいのだが、お前は『普通の服』を持っているのか?」
「は?」
唐突なシャカのその問いの意味がよくわからず、アイオリアは間抜けな声を上げて聞き返した。
「だから『普通の服』は持っているのかと聞いている」
「普通の服って、え?」
そもそもアイオリアにはその『普通の服』の意味するところがわからない。
え? え? とまたまたハテナマークを連発しているとシャカは、
「デスマスクとミロと出かける時、彼等2人からそれぞれに聖域圏外の市街地に出る時には普段私達が来ているような服ではダメだと言われたのだ。一般社会の人間が着ているような『普通の服』を着ろとな」
ほんの数日前彼等に自分の私服にダメ出しされたことをアイオリアに話した。
ここで漸くアイオリアにもシャカの質問の意図が見え始めた。
「それで私はあの2人に連れられて街へ出た時に、その『普通の服』とやらを買わされたのだが……。あの2人の口ぶりだとお前が普段着ているその服も『普通の服』には入らないようだぞ。そうなるとその格好で街へ行くわけにはいかぬだろう。街へ行けるような服は持っているのか?」
これまで殆ど一般社会になど出たことがないシャカにとって、服装云々など本当にどうでも良すぎるくらいどうでも良いことだったのだが、さすがにデスマスクとミロの2人からあれだけ言われてしまうと自分の常識が通用しない世界もあり、その世界の方が広いのだと言うことを認識せざるを得なかった。そして認識した以上はガン無視を決め込むわけにもいかず、こうして律儀にアイオリアに進言するに至ったというわけである。
シャカが何を言わんとしていて何を心配しているのか理解したアイオリアは、思わずプッと小さく吹き出してから、
「大丈夫、オレも『普通の服』は一応ちゃんと持ってるよ。それを着て行くから安心してくれ」
そう言ってシャカの美しい金髪を撫でた。
アイオリアとしては仮に今の服装のままのシャカと連れ立って街中を歩くことになっても全く気にはしないのだが、さすがにデスマスクとミロはそうではなかったようで、彼等の性格や生活スタイルを考えるとそれはしょうがないというか当然かと納得も出来るのだが、そんなことよりも何よりもいくらあの2人に言われたからとはいえ、このシャカが彼等に言われるがままに『普通の服』を買っていたことの方が正直何倍も驚かされた。
どんな服を買ったんだろう? という新たな興味が湧いたが、それはもう少しすれば嫌でもわかることなので先の楽しみに取って置くことにして、とにもかくにもこの一週間は本当に最初から最後までシャカには驚かされっぱなしだったなと、アイオリアはシャカにわからぬよう今度はひっそりと忍び笑いを零した。
「そうか。それでは私も一度処女宮に戻って着替えて……」
そう言って離れようとしたシャカの腰を、アイオリアは確りと抱え直して自分の方へと引き寄せた。
「今すぐ着替えに戻る必要はないだろう? 夜が明けてから出かける前に処女宮に戻って、着替えてそのまま行けばいいじゃないか。もちろんオレも付き合うよ、だって今日はずっと一緒に居る日なんだろう?」
な? とアイオリアが同意を求めると、シャカはほんの少し頬を赤らめ含羞むように俯きながらも素直に頷いた。
「シャカ」
「うん?」
「本当にありがとう。愛してる」
もう一度心からの礼と愛を告げ、アイオリアは今度は強くシャカを抱き締め、そして深く口付けをした。