サガの家出から5日後。

突然双児宮にやって来た意外な訪問者に、応対に出たカノンは扉を開けた瞬間、息を飲んでその場に硬直した。

「きょ、教皇……」

扉の外には教皇であるシオンが、険しい表情をして立っていたのである。最高指導者たる教皇自らが、このように黄金聖闘士の守護する宮に、たった1人で降りてくることなど、平素であればまずありえないことだった。何か用事があるのなら、教皇の間へ呼べば済むだけの話なのである。何事が起こったかと、カノンが背筋に冷や汗を垂らしたのは、無理のないことであった。

「邪魔をするぞ!」

どこか慌てた様子のシオンは、そう言うなりカノンの返答も待たずにズカズカと双児宮の私室へ入っていった。その場で固まっていたカノンだったが、不意に我に返って、これまた慌ててシオンの後を追って私室の中へ戻る。

「きょ、教皇、一体何事でございますか!?」

リビングに戻るが早いか、カノンがシオンに突然の訪問の訳を尋ねた。シオンはまるで周囲を伺うかのように、キョロキョロとリビング内を見渡している。誰もいないっちゅーの!と心の中で呟きながら、カノンはシオンに向かって更に言葉を継いだ。

「御用がございましたら、私が出向きましたものを……わざわざこのようなところまで、玉体をお運びにならずとも……」

「教皇の間では話せぬこともあるのじゃ!」

シオンはカノンの言葉の先を切ると、つかつかとカノンの方へ歩み寄ってきた。

「カノン! サガはどこじゃ!?」

「は?」

「は? ではない! サガはどこじゃと聞いておる!」

ぐいっと顔を近付けて詰め寄るシオンに、カノンは思わず後ずさった。

「あ……あの、兄はその……休暇をいただいておりまして、ちょっと出かけておりますが……」

「そのようなことは知っておる! どこに行ったのじゃと聞いておるのだ!」

「どこと申されましても、私は存じませんが……」

「そちが知らぬはずはなかろう!」

「存じません……」

言い知れぬシオンの迫力に気圧されつつ、カノンは小さく首を左右に振った。

「何故に弟のそちが兄の行方を知らぬのじゃ!?」

「何故と申されましても……兄は私に何も言わずに出ていったもので……」

行き先を言って家出をするバカがどこの世界にいるんだ!と内心で毒づきつつ、まさか本当のことを言うわけにもいかないカノンは、たじたじになりながらシオンに答えた。それに事実、カノンもはっきりはサガの行き先を知らないのである。経緯はどうあれ、サガは一応ちゃんと休暇を取っているわけだから、建前上は問題はないはずだし、そもそも大の大人がたかだか数日居なくなったくらいで大騒ぎするようなことでもない。それにサガの性格ではそうそう長い間は仕事は放置しておけないはずだから、放っておいてもあと2〜3日もすれば帰ってくるに決まっているのである。そのあたりまでほぼ完璧に読めていたカノンは、特にサガの家出先を詮索することもなく、敢えてシカトを決め込んでいたのだが、まさかサガが不在の間にシオンに乗り込んでこられるとまでは思ってもみなかったのである。

「あの、教皇……兄に何か緊急の御用でも?」

一体全体何を慌てふためいているのかは知らないが、とにかくシオンが何かしらサガに用事があって探していることだけは間違いはなさそうだった。

「一体何が原因なのだ!?」

「はぁ?」

だがシオンはカノンの問いに答えることなく、逆にまたわけのわからない問いをカノンに投げ返してきたのである。

「だから、何が原因じゃと聞いておる!」

「申し訳ございません、教皇……あの、おっしゃっている意味がよく……?」

何の前置きも説明もない状態で、言っていることを理解しろと言われても無理な話である。カノンは僅かに眉間を寄せ、小首を傾げた。

「サガとアイオロスじゃ! あの2人、喧嘩をしたのであろう!」

シオンの言葉に、今度はカノンはきょとんとした表情を作った。

「お気づきでいらしたのですか?」

2〜3度目をぱちくりと瞬かせてから、意外そうにカノンがシオンに聞き返す。

「当たり前だ! ようやくサガが復調して職場復帰すると思うて安心しておったら、いきなりアイオロスが余に断りもなしにサガに休暇をだしおって……。しかもその日から張本人のアイオロスが大荒れで、手に負えん有様じゃ! どんな馬鹿でも気付くに決まっておろう!」

そりゃそーだ、と、カノンはこれまた内心でシオンに同意した。言われてみればあのアイオロスが、そのあたりを上手く隠せるはずもないのだ。ソッコーで周囲にバレバレになってしまったのも、無理もない話と言うか、予想通りの結果と言うか……あの単純バカ!と、カノンは頭痛を覚えずにはいられなかった。

「二人の喧嘩の原因は何じゃ!? そちもそれくらいは知っておろう?」

「は、はぁ……」

それなら一部始終を見ていたミロのところへ行け!とは思ったものの、それをバカ正直に口に出すわけにもいかず、とりあえずカノンはミロから聞いた話と、その後自分が見た兄の様子とを、かい摘んでシオンに説明した。カノンから理由を聞いたシオンは、あからさまに呆れ果てた表情を作った後に、こめかみを押さえて大きく頭を左右に振った。

「次期教皇になろうと言う者たちが、何と情けない……」

シオンが脱力する気持ちは、カノンもあながちわからないでもなかった。が、普段のサガとアイオロスのことをよく知っているだけに、カノンにとっては2人の喧嘩の原因が下らなかろうが何だろうが、別に驚くには値しないことであった。

アイオロスもそうだが、案外自分の兄も大人げないところがある。サガの方にまだ若干アイオロスに対する遠慮があるから、ここまで喧嘩もすることなくいい具合にラブラブで来ていたのだが、互いが互いの我を主張しあえば、自ずとこう言う結果になるに決まっているのだ。まぁ、この程度のことで2人が破局するわけもないし、互いの我がぶつかり合ったと言うことは、言い換えればサガの方に変な遠慮がなくなった証拠で、むしろいい傾向なんじゃないのか?とカノンなどは多少暢気に構えている部分もあったのだが(それはそれで複雑な思いがしないでもなかったが)、まさかそれが原因でシオンが自分のところに乗り込んでくるとは思わなかった。はっきり言って、いい迷惑である。常日頃、自分が兄にかけている迷惑はきれいさっぱり、しっかりちゃっかり棚に上げて、カノンがこの場にいないサガとアイオロスに心の中でブツブツと文句を言っていると、いきなりシオンがガッとカノンの両肩を掴んだ。

「カノン! すぐにサガを呼び戻すのじゃ!」

「はぁ!?」

「サガを呼び戻すのじゃ! 今すぐ迎えに行って参れ!」

これまた唐突かつ無茶苦茶なシオンの命令に、カノンは目を真ん丸く見開いて、言葉を失った。

「あ、あの……教皇……先程も申しましたが、私はその、兄の居場所を存じませんし……。それにそんなに焦らずとも、恐らくもう1〜2日もすれば戻ってくるかと……」

「それでは遅い! 余が今現在非常に迷惑しておるのだ!」

やっとの思いで遠慮がちにカノンが反論を絞り出したが、それはシオンにピシャリと差し止め、両肩を掴んだままカノンの体を前後に揺さぶった。

「めっ、迷惑……と申されますと?」

揺らすんじゃね〜! オレは関係ねぇ!!と思いつつも、相手がシオンでは文句も言えず、カノンはされるがままになりながら、やっとこさっとこシオンに聞き返した。次の瞬間、ピタッとシオンがカノンの体を揺さぶる手を止めた。

「だから言うておろう……アイオロスが大荒れでの、手に負えんのじゃ……」

シオンはガックリとうな垂れると、らしくもない大きな溜息を吐き出した。






「アイオロス」

机に山積みになった書類の1枚を手にしたシオンは、その紙面に目を落としたまま、補佐のアイオロスを呼んだ。

「はい」

元気のない声で短く返事をしてから、アイオロスは自分の席を立つと、シオンの元へ向かった。

「……この書類、間違うておるようじゃが……」

言いながらシオンは手にしていた書類を、やや遠慮がちにアイオロスに差し出した。アイオロスは自分の臣下であり、普段であらばこのように遠慮がちな態度を取る必要もないのだが、ここ数日来アイオロスの機嫌がすこぶる悪く、一日中ピリピリしており、その苛々っぷりたるやシオンをすらたじろがせるほどであった。しかも苛々しているせいなのか何なのか、仕事上のミスも多く、今日だけでシオンも何回アイオロスのミスを指摘したかわからない。確かにアイオロスは少々大雑把なところがあって、普段から細かいところをよくミスったりもしているのだが、いつもはもう1人サガが補佐についている為、そのあたりのフォローはぬかりがなく、シオンのところに書類が上がってくるときには、ほぼ文句の付け所のない完璧なものになっているのである。ゆえに今までシオンは殆ど書類の内容に目を通すことなく、ただサインだけをしていればいいようなものだったのだが、サガが休暇を取っているこの数日と言うもの、さすがに心配で細部に渡って書類の確認をせずにはおれず、心身の疲労感を増大させていた。

そう、アイオロスの不機嫌の理由も、そして自分が本来する必要のない苦労をしなければならないのも、ここ数日サガが居ないことが原因なのである。

先週の礼拝の後、サガは体調を崩して倒れ、3日ほど臥せって欠勤していた。その後、復調して出勤してきたものの、何故かその日の職務にすら就かないうちにまたすぐに休暇を取ってしまい、それから早5日が経とうとしている。あの堅物のサガがこんな風に長い間仕事を休むなど、いつもであればとても考えられないことだが、何とそのサガに休暇を出したのはアイオロスだと言う。まだサガの体調が本調子じゃないから強制的に休ませた、と言うのがアイオロスがシオンに報告した理由であったが、その後のアイオロスの不機嫌ぶりと荒れようで、シオンは2人が大喧嘩をしたのであろうこと、そしてサガの休みがそれに関係していることを察したのであった。

何と傍迷惑な……とは思ったものの、まぁ、遠慮なく喧嘩できるのも仲のいい証拠と好意的に解釈し、またせいぜい1〜2日もすれば収まるだろうと高を括っていたせいもあって何も言わずに放っておいたのだが、5日経ってもサガは帰ってこず、アイオロスは荒れたままな上に自分には仕事の負担と心労とが増える一方で、さすがにシオンもかなり困り始めていたのだった。

「申し訳ありません。すぐ直します」

アイオロスはシオンに返された書類を受け取り、紙面に目を落とすと、面白くなさそうに眉間を寄せたものの、すぐに素直に詫びて頭を下げると、書類を片手にさっさと自分の席へ戻ろうとした。

「アイオロス……その、サガの休暇はいつまでじゃったかの?」

遂に意を決して、だがアイオロスの神経を逆撫でしないよう注意しながら、シオンはアイオロスの背に恐る恐るそう声をかけた。瞬間、ピクッ、とアイオロスの肩が動いた。

「さぁ、知りません」

アイオロスは肩越しにシオンの方を振り返ると、素っ気無くそう答えた。

「知らぬとはどう言うことじゃ? サガに休暇を出したのは、そちであろう? 何故その日数を把握しておらぬのか?」

「適当に出したんで、覚えてません」

苛々混じりのいい加減な返答に、シオンは目と口を丸くした。

「そ、それではいつ帰ってくるかわからないと申すか?」

「はい。でもそのうち戻ってくるでしょ」

「……何といい加減な……」

叱り飛ばす気すら失せてしまうほどに、シオンは呆れてしまっていた。

「いいんです! あの頑固者は、こうでもしなきゃろくに休むこともしないんですから! また無理をした揚げ句、ぶっ倒れられたら堪りません。そっちの方がよっぽど迷惑です!」

そう言う問題じゃないんだが……とは思ったものの、いつにないアイオロスの鬼気に押されて、シオンはすぐには何も言い返せなかった。

「い、いやアイオロス……そちの言うこともわからんではないがの……サガとて黄金聖闘士、いくら何でももう完調しておろうし、その、そろそろ戻ってもらわんと、仕事が……」

「教皇!」

シオンがそこまで言うと、途端、アイオロスが声を荒げてシオンの方へ向き直り、ドカドカとシオンの方へ戻ってきた。

「先程からサガ、サガと、サガのことばかり気にしておられますが、私の補佐では御不満だとでも申されるのですかッ!?」

バンッ!とシオンの机を叩いて、アイオロスがシオンに詰め寄った。

「あ、いや、その……不満と言うのではないのじゃが……」

「不満じゃないなら何なんです!?」

しどろもどろになるシオンに、アイオロスは更に詰め寄った。二百数十歳も年下の、シオンから言わせれば赤子のような青年が相手だというのに、この時ばかりはシオンもアイオロスの言い知れぬ迫力に完全に負けていたのである。

「いや、だからの……これだけの仕事の量じゃ、お前一人ではやはり何かと大変であろうし……その、この13年間のことはサガにしかわからぬこともあるし……」

まさか「お前が大雑把すぎて自分の仕事が増えるからだ」とはさすがに言えないシオンは、苦し紛れの言い訳で取り繕った。

「貴方、その前に二百年以上も教皇やってたでしょう! それくらいどって事ないはずです、御自分で何とかして下さい。それから、私とて次期教皇になる者です! これくらいの仕事で音を上げるほど、ヤワではございません!」

問題はその中身じゃ!と、喉まで出かかった言葉をシオンは飲み込んだ。アイオロスの言っていることはかなり無茶苦茶なのだが、だからと言ってこれ以上アイオロスを刺激しては意固地になる一方である。そうなっては元も子もないので、ここはとにかく、アイオロスを落ち着かせるのが先決であった。

「アイオロス、余が言うておるのはそう言うことではなくてじゃな……」

「じゃあ、どういうことだとおっしゃるのです!? やはり私では頼りないとでも言いたいのですか!?」

「だから違うと言うておろうに……」

「でしたら、サガのことばかりおっしゃらずに、私をご信頼あってお仕事に励んで下さればよろしいでしょう!」

アイオロスの頭にはもう完全に血が上っていて、シオンの言うことなど殆ど聞いてはいなかった。喧嘩をするのは勝手だが、なぜそのとばっちりを教皇たる自分が食わねばならないのか、シオンも理不尽さを感じずにはおれなかった。全く大人げないというか何というか言葉も出なかったが、もうこうなっては何を言っても無駄であることをシオンは悟った。恐らくサガと仲直りするまではこのままだろうが、そう思うとなおのこと、サガに一刻も早く帰ってきて欲しいシオンであった。

「わ、わかったわかった。わかったから、落ち着いて仕事に戻るが良い」

頭から湯気を出しそうな勢いのアイオロスをひとまず宥めて、シオンはアイオロスに仕事に戻るよう促した。アイオロスは文句を言い足りなそうな顔はしていたが、とりあえずシオンに頷きを返して、自分の机の方へ戻ろうとした。アイオロスが踵を返した瞬間にシオンは思わずホッと安堵の吐息を漏らしたが、直後にアイオロスが再びシオンの方を振り返った。

「教皇、私の目を盗んで、サガに連絡しようなんて考えないでくださいね」

シオンの内心の企みを察したアイオロスは、きつくシオンを睨み据えてその気勢を制した。そう言うところだけは何故か異常に敏感で、シオンは巨大な脱力感を溜息に変えて吐き出した。

「わかっておる……」

最早シオンも、そう答えるのが精一杯であった。






「……と、言うわけじゃ……」

簡潔に事情を説明して、シオンはまたまた深い溜息をついた。

「……それは大変でございましたね……」

心底シオンに同情しているわけでもなかったが、目下のところカノンとしてもこう応じるのが精一杯であった。

「それでの、余もやっとの思いで何とかアイオロスの目を盗んで、教皇宮を抜け出してきたのじゃが……」

「はぁ……」

なるほど、それで自分を教皇宮には呼べなかったのか……と、カノンはここにきてやっとシオンがわざわざ双児宮まで降りてきた訳を理解した(どっちにせよ、迷惑な話ではあるが)。

「とにかく、もう余の手には負えんのじゃ! カノン、アイオロスを落ち着かせるためにも、一刻も早ようサガを呼び戻せ!」

荒れまくりのアイオロスの相手にほとほと疲れて、それを話ながららしくもなく肩を落としていたシオンが、いきなりガバッと顔を上げると、再びガシッとカノンの両肩を掴んだ。

「手に負えないって……教皇様ともあろう御方が、アイオロスごときに何をそのような弱音を……」

「手に負えんものは手に負えんのじゃ!」

苛立ちに任せて言って、シオンはガクガクをカノンの体を前後に揺さぶった。

「不機嫌なアイオロスが、あんなに性質(タチ)が悪いとは思わなんだ……。それだけならまだしも、仕事にまで影響が出ておるのじゃ! サガが自分で帰ってくる気になるまで待つなど、悠長なことは言っておれん! 余は大迷惑しておるのじゃ!!」

迷惑なのはオレだって同じだ!と、カノンは心の中で叫び声を上げた。

「よいな、カノン、すぐにサガを呼び戻せ!」

「そうは申されましても……先程から何度も申し上げておりますように、私は兄の居場所を存じませんので、呼び戻せと言われましても呼び戻しようが……」

「それくらい、双子マジックで何とかせい!!」

無茶苦茶なことを言いながら、シオンはまたもガクガクとカノンの体を揺すった。

「あ、の……お言葉を返すようですが、教皇……」

勝手なことばっかぬかしやがって、とカノンは思っていたが、これまた言葉にするわけにはいかない。カノンのストレスは高じるばかりであったが、とにもかくにもここは何とかシオンを言い包めてとっとと追い返すより他、この状況から逃れる術はなかった。はっきり言ってカノンは、兄達の痴話喧嘩の仲裁に入るなどまっぴらごめんであったのだ。

「さっきからそちは言葉を返してばかりではないか! 今度は何じゃ!?」

シオンも自らのことは見事に棚上げして、カノンに怒鳴った。

「仮に兄の居所がわかったとしても、なにぶん兄はあの通りの頑固者でございます。私が迎えに行ったところで、素直に帰ってくるとは到底思えません。私の説得に素直に応じてくれるような兄であれば、教皇に御足労いただくまでもなく、私がとっくのとうに迎えに行っております」

後半部分は心にもないことではあったが、前半部分に関してはカノンには確固たる自信があった。双子の兄弟なのだ、兄の性格など誰よりも良くわかっている。だからこそ、カノンは自分が迎えに行こうだなどとはこれっぽっちも思わなかったのである。無駄足になるのが、わかりきっていたからだ。

そしてカノンほどではないにせよ、サガの性格をよく知るシオンも、さすがにこのカノンの言葉だけには納得せざるを得ないところであった。

「馬鹿者! そちはサガの実の弟であろう! 何とかいたせ!」

だがそれはそれとして、はいそうですかと引き下がるわけには行かないシオンであった。

「無理です。いくら弟とは言いましても、私ではマジギレしたときの兄は手に負えません。まして今回はアイオロスとの喧嘩が原因でございますし、となるとアイオロスが迎えにでも行かない限りは、恐らく無理だと思います」

カノンが言いたいのは、正にそこであった。そもそもの原因はアイオロスとの喧嘩なのである。別に全面的にアイオロスが悪いとは言わないが、サガを怒らせてマジギレさせたのはアイオロスに他ならない。まぁ、ここまでこじれたのはサガの頑固で融通の利かない性格が災いしたせいでもあるが、とにもかくにも原因がアイオロスにある以上、アイオロスが迎えに行かないことにはどうしようもないのである。最初に言ったように、放っておいても恐らくあと2〜3日もすればサガは帰ってくると思うが、それまでシオンが待てないと言うのなら、自分ではなくアイオロスにサガを迎えに行けと言うべきなのである。

「全く、そちとミロではあるまいし、あやつらがこんな馬鹿げた大喧嘩をするとは思わなかったわ!」

何で自分とミロを引き合いに出すか!?と、カノンは引きつり笑いを浮かべながら、こめかみあたりをピクピクとさせた。

「ですので教皇、私ではどうしようもございません。この際はアイオロスを説得なさるのが、一番の早道かと存じますが……」

それでも紳士的な引きつり笑いを崩さず、カノンはやんわりと湾曲した表現で、さっさと教皇宮へ帰れとシオンを促した。

「それができるくらいなら、苦労はせぬわ! 余もさっきから言うておるだろう、今のアイオロスは余の手には負えんのじゃ!」

なら諦めて、大人しくサガが帰ってくるのを待てよ……と、カノンはうんざりと内心で呟いた。

「それではもうどうしようもないのでは……」

「無責任なことを言うでない! アイオロスでなければダメと言うのであれば、そちがアイオロスを説得せい!」

予想外のとんでもないことを言い出したシオンに、カノンは思わずぎょっと目を見開いた。

「わっ、私がでございますか!?」

「そうじゃ! おお、そうじゃ!それがいい、そちがアイオロスを説得せい。そしてサガを迎えに行かせよ!」

カノンとは正反対にシオンの表情は一転して明るいものとなり、何度も頷きながら「それがいい」を繰り返した。

「……き、教皇のお手に余るものを、私が何とか出来る道理もございませんが……」

冗談じゃねえよ!ざけんな!!と危うく言ってしまいそうになるのをググッと押さえて、カノンは懸命に礼節を守った言葉を絞り出した。

「そちの実兄のことであろう! 何とかいたせ!」

「いくら実兄に関することとは申せ、そもそも私は兄達の喧嘩には無関係でございますし、その……」

「教皇命令である! とにかく一刻も早ようアイオロスを説得して、サガを迎えに行かせよ。よいな!」

シオンは強制的かつ一方的にカノンにそう命じると、法衣の裾を翻して踵を返し、更に何かを言い募ろうとするカノンを無視して、来たときと同様とっとと双児宮を出ていってしまった。後に残されたカノンは、突如自分が置かれたあんまりにあんまりな状況に茫然自失してその場に立ち竦んでいたが、

「マジかよ……何でオレが……」

やがて情けない声で呟きを洩らすと、カノンは脱力したようにヘナヘナとソファに座り込んだのであった。

アイオロス……よりにもよって、アイオロスを説得しろだなどと……カノンにとっては降ってわいてきた災難以外の何物でもなく、同時にこれ以上ないと言うくらいの嫌な仕事である。カノンはわが身の不幸を呪い、自分で自分に同情した。


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