カノンとミロが喧嘩をした……らしい。

起きた時から不機嫌&苛つき絶頂のカノンの様子でそれを察したサガは、ミロにその理由を聞くべく、天蠍宮に向かって十二宮の階段を昇っていた。

もちろんサガはまずカノンにその理由(ケンカの原因)を問いただしたのだが、カノンは「何でもない!」「ケンカなんかしてねぇ!」を繰り返すのみで、一向に理由を話そうとしない。

だがカノンが何を言おうが……と言うか、否定すればするほどサガは確信を深める一方だったのだが、カノンの方も強情で、何を聞いても「何でもない!」の一点張りで全く埒が明かず、さすがのサガも持て余してしまったのである。それで結局、もう一方の当事者であろうミロに、事の次第を確かめに行くことにしたのだった。

放っておけばいいとわかってはいるものの、自分の弟に対してもミロに対しても無意識のうちに過保護になっているサガは、やはりどうしても気になって放っておけなかった。これはサガの性分でもあるので、仕方がない。

カノンが悪いのならばカノンに謝らせなければいけないし、ミロが悪いのならミロを諭すしかない。いつまで経っても世話の焼ける2人である。

サガが獅子宮を抜けて処女宮への階段を昇っていると、処女宮から抜けたアイオロスが獅子宮に向かって降りてくるところであった。いち早くサガの姿を見つけたアイオロスは、嬉しそうに表情を閃かせ、走って階段を降りてきた。

「おはよう」

サガが急ぎ駆け下りてきたアイオロスに、柔らかな微笑みを向ける。

「おはよう、サガ!。ちょうどよかった、今、お前んとこに行くとこだったんだ」

アイオロスも満面の笑顔で、サガに答える。

「えっ?、私の所に?」

約束もなしにアイオロスがふらりと双児宮に来るのはいつものことだ。だが今日はいつものそれとは何となく違う気がして、サガはアイオロスに聞き返してみた。

「ああ。いや、今さ、ウチ通り抜けようとするミロに会ったんだけどさ……」

「ミロに?」

では、今天蠍宮に行ってもミロは不在と言うことか。だが今日はミロも仕事は休みのはずだし、朝寝坊のミロが休みの日の午前中割に早い時間から起きていると言うのは珍しい。

「うん。宝瓶宮に行くとこだったんだけど、何か様子がおかしいって言うか、メチャメチャ不機嫌だったもんで」

ここまで聞いた時点で、サガはアイオロスが言わんとしていることの見当がついた。

「あ〜、こりゃカノンとケンカしたんだなぁと思って、お前に確かめに行こうと思ったんだ。別に放っときゃいいんだけど、何か気になってな」

カノンとミロの喧嘩など珍しいことでも何でもないし、犬も食わぬ何とやらなので、実のところアイオロスとしては「またか」ってな感じだった。だが、カノンの兄であるサガはまたかの一言ではなかなか済まされないものがある。不機嫌になったカノンの八つ当たりを食らったり、そのカノンを宥めたりすかしたり叱ったり、一方でミロのフォローもしたりと大変なのだ。気にするな、構うなと言ってもサガには無理な話であることを、アイオロスが1番よく知っている。なのであの2人が喧嘩したときのアイオロスの気掛かりは、当の本人達ではなく、それに振り回されてしまうサガのことだった。手っ取り早く言えばミロとカノンのことなど別にどうでもいいが、それに巻き添えをくってしまうサガが可哀相なので、さっさと仲直りをさせたいと言うのが、アイオロスの本音なのである。

「そうか、それは奇遇だったな。実は私もそのことで、天蠍宮に行くところだったんだ」

もちろんサガは、アイオロスが心配しているのは2人のことではなく自分のことだと言うことに、気付いていない。

「てことは、やっぱやったのか、あの2人は……」

まったく……と、アイオロスは溜息をついた。

「ああ、十中八九間違いない」

「十中八九?」

サガの曖昧な言い方に、アイオロスは小首を傾げた。

「カノンも朝から不機嫌でね。でもいくら理由を聞いても言ってくれないんだ。まぁ、あの様子からして、ミロと喧嘩した以外に考えられないんだが、一応確かめておこうと思ってね」

「なるほど。お互い同じような理由だったわけか」

アイオロスは軽く笑い声を立てた。

「だけどミロがいないんじゃ、天蠍宮まで上がって行っても無駄足だな。まさか宝瓶宮にまで押し掛けるわけにもいかんし……」

恐らくミロは、カミュを相手に愚痴と言うか思うところを吐き出してる最中だろうし、そこに入り込んで行くのは、さすがに度が過ぎると言う物だろう。

「昨日は何でもなかったよなぁ?」

昨日の記憶を手繰りながら、アイオロスがサガに同意を求める。

「ああ。少なくとも、昨日の朝はカノンは普通だったし、ミロも変わった様子はなかった」

朝、自分が出勤する時、珍しくカノンも起きてきたのだが、別段変わった様子はなかった。ミロは昨日は教皇宮の日勤番だったので、サガもアイオロスも顔を合わせているが、様子は全くいつも通りであった。喧嘩をしたのだとしたら、その後、夜のことであろう。

「昨日の夜ってーと、例の月イチ宴会か……。となると、その場でケンカしたってのが最有力候補だな」

あまり長い時間を要することなく、推測はたった。と言うか、これ以外考えられないと言ってもいいくらいだろう。

黄金聖闘士が全員復活した後、十二宮では互いの親睦を改めて深めあおうと言う意志の元、毎月1回定例で親睦会と言う名の飲み会の席が設けられている。しかも女神、教皇公認の宴席であるため、自分たちの懐は一切痛まないと言う嬉しい仕組みにもなっており、宴席参加率はすこぶるよかった。

基本は黄金聖闘士全員参加なのだが、実際は夜勤や残業などの兼ね合いもあり、なかなか全員が一同に会することはない。昨晩については、サガとアイオロスが残業で、シャカが夜勤でその宴席を欠席していた。昨日の自分たちが知らないところでミロとカノンがケンカをしたとなると、ここしか考えられないのである。

「だったらアイオリアに聞いてみるか。都合のいいことに、すぐそこは獅子宮だし」

アイオロスがサガの後方に見える獅子宮を指差しながら、思いついたように言った。

「アイオリアにって……アイオリアは関係ないだろう?」

今度はサガが小首を傾げる。

「いや、あいつは昨日の飲みに参加してるんだ。2人の生ケンカ見てる可能性高いぞ」

「……そうか……」

言われてみればそうかも知れない、と、サガも思い直す。それに当事者よりも第三者から事情を聞いた方が、より正確な情報を得られることも事実だ。

「だが、アイオリアに迷惑ではないか?」

アイオリアに気を使ってサガが言うと、アイオロスは平気平気と気楽に応じて、その心配を一笑に付した。そして尚も渋るサガの手を半ば強引に引っ張って、獅子宮へと向かったのである。




「兄さん、サガ」

獅子宮私室の玄関を開けたアイオリアは、仲良く並んでいる自分の兄とサガの姿に、ちょっと驚いたように目を瞠った。

「どうしたの?、こんな時間から2人揃ってウチ来るなんて、珍しいね」

まだやっと午前10時になろうかと言う時間である。こんな時間から兄とサガ、2人揃って自分の宮に訪ねてくることなど、まず滅多にないことであった。

「お前にちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、入っていいか?」

「もちろん」

頷きながらアイオリアは、玄関の戸を広く開けた。

「すまないな、アイオリア。こんな早い時間に押し掛けて……」

申し訳なさそうにサガが言うと、

「別に気にしなくていいよ」

アイオリアは軽く笑ってそう応じた。朝トレが日課になっているアイオリアは、早起きは苦ではなく、夜勤明けでない限りは毎朝きっちり6時には起床している。アイオリアにとっては10時ともなれば朝早いとは言えない時間だった。

アイオリアは2人をリビングに通すと、危なっかしい手付きでコーヒーを淹れた。その手付きがあんまりにあんまりなので、見ていたサガはハラハラとしてうっかり手を出しそうにまでなったくらいだった。

それでも何とか無事にコーヒーを淹れたアイオリアは、それを2人の前に出して、2人の正面に腰を下ろした。

「聞きたいことって何?」

座るが早いか、アイオリアは目の前の2人に訪問の理由を聞いた。

「いや、その……昨夜の集まりの席でのことなんだが……」

5秒ほどの間を置いてから、言いにくそうにサガが口を開いた。

「昨日の宴会のこと?」

アイオリアが目をパチクリとさせる。言いづらそうにしているサガの様子を見ながら、自分達は何かサガを怒らせるようなことでもしたのだろうか?と、アイオリアは心配になった。

この月イチ親睦会は日頃の鬱憤晴らしと言う意味合いも大きいから、酒を浴びるように飲んで酔っ払って正体を失うものはでるは大騒ぎはするわと、端から見れば眉を顰めることも多いかも知れない。だが十二宮の外に出て他人に迷惑をかけているわけでもないし、会場となった宮を損壊させてるわけでもないし、今になって改まって怒られるような理由は全然見当たらなかった。

「何か問題でも起こしたっけ?」

「いや、問題と言うのではなくて……」

モゴモゴ口篭るサガを、わけがわからないと言った顔でアイオリアが見つめる。

「宴会そのものじゃないんだ。昨夜の宴会の席でさ、ミロとカノン、ケンカしなかったか?」

上手く切り出せずにいるサガを見るに見かねて、アイオロスが単刀直入に聞いた。さすが自分の弟だけあって、アイオロスにはアイオリアに対する遠慮は全く見られなかった。

「あ、ああ、そのこと……」

アイオリアはやっとわかったように頷いた。

「やはり喧嘩をしたのか?!」

明らかに事情を知ってそうなアイオリアの様子に、サガは思わず身を乗り出してアイオリアに聞き返した。

「うん……まぁ、ちょっとね……」

アイオリアは苦笑いを浮かべながら、それを肯定した。

「やっぱな。んなこったろうと思った」

案の定のアイオリアの答えに、アイオロスは両手を頭の後ろで組んで、呆れたように天井を見上げた。サガはこめかみを押さえ、小さく頭を左右に振っている。

「カノンが何か言ってたの?」

今度はアイオリアがサガに聞き返した。

「いや、その……カノンが朝から大荒れで手に負えなくて。それで多分、ミロと喧嘩したのだと言うことはわかったのだが、理由を聞いても素直に言わなくてね」

「ああ、そっか。カノンが素直にケンカしましたなんて、言うわけないよね」

カノンとはまださほど長い付き合いではないが、アイオリアもカノンの素直じゃないと言うか、意固地な性格はよくわかっている。こんなこと、口が裂けてもサガに言うはずはない。最も、顕著に態度に出る辺りは、変なところが素直なのかも知れないが。

「仕方がないからミロに聞こうと思って、天蠍宮へ向かったんだが……」

「その途中、ちょうどここと処女宮の間で、バッタリ私と会ったんだ。ついでに言うと私は上でミロと出くわしてな。やっぱり様子がおかしかったから、あ〜、こりゃカノンとケンカしたんだなって思って、双児宮に確認に行くとこだったんだ。ミロの奴も、結局不貞腐れたまま何も言わずに宝瓶宮に上がってっちゃったからな」

サガの言葉の後を引き取って、アイオロスが言った。

「でまぁ、サガに聞いたらカノンもご同様だって言うしさ。昨夜までは何でもなかったから、こりゃ宴会の席で何かあったんだろうとアタリをつけて……」

「で、オレのところに来たんだ」

「そう言うこと」

アイオロスをアイオリアは思わず顔を見合わせて声を立てて笑いあったが、サガだけは浮かない顔のまま大きく溜息をついた。

「原因は何なのだ?」

表情を沈めたまま、サガがアイオリアに再度尋ねた。酒の席での喧嘩だ、どうせ下らない理由に決まっているが、ここまで来たら理由を聞かないわけにはいかなかった。

「酔っ払ったアフロディーテだよ」

「アフロディーテ?」

サガとアイオロスの声がハモった。

「うん、アフロディーテがさ、酔った勢いでミロに迫ったんだよね。それで……」

「あのアフロディーテが、ミロにか?!」

異様に驚いたように声をあげたのは、アイオロスだった。

「うん」

「ホントかよ?」

アイオロスはアイオリアに疑わしげな目を向けた。

「オレが嘘なんかつくわけないだろ?。ホントだよ、アフロディーテがミロに迫ったの!。って言うか、ベタベタしてたの!」

アイオリアにきっぱりとそう言われても、アイオロスはまだ信じられないとでも言いたげな目をアイオリアに向けていた。あのアフロディーテが?。普段、自分達とは違う意味でミロのことを子供扱いにして、対等視すらしてない感のあるあのアフロディーテがミロに?。あの2人の関係は子供の頃からほぼ変わっておらず、それをよく知るアイオロスとしては例え酔っ払ったからとは言え、アフロディーテがそんな行動を取ったとはイマイチ信じられなかったのだ。

「まさかそれにカノンがヤキモチを妬いて、ミロと喧嘩になったのか?!」

半信半疑のアイオロスを尻目に、今度はサガが思わず声を張り上げた。アフロディーテがミロに云々というのは、サガにとっては大した問題ではなかった。年長者であるカノンが、たかがそんな酒の席での戯れごとを本気にし、公衆の面前で大人げなく恋人と喧嘩をしでかしたとあっては、サガ的にはそっちの方が遥かに大問題なのである。

「いいや、逆だよ」

だがアイオリアは、サガの言葉をあっさりと否定した。

「逆?」

「そう、逆。全然ヤキモチ妬かなかったんだ、カノン」

「は?」

「目の前でさ、アフロディーテがミロにベタベタしてても全然動じなかったんだよ。まぁ、最初っからアフロディーテが酔っ払ってるって、わかってたからだろうけど」

アイオリアの話に、今度はサガが目をパチクリとさせた。

「……それならば別に問題はなかろう。何故それが喧嘩になどなるのだ?」

てっきりカノンが大人げなくヤキモチでも妬いて怒りだしたのが原因と思い込んでいたサガは、ホッとした反面で却って訳がわからなくなって小首を傾げた。

「ミロが怒っちゃったんだよ。あんまりカノンが平然としてるから」

「はぁ?!」

またもサガとアイオロスは、同時に声をあげた。

アイオリアは肩を小さく竦めてから、詳しく事情を説明し始めた。


Go to Next Page>>