サガとカノンと、そしてアイオロスが揃って白羊宮にやって来たのは、それから3日後のことであった。

「ムウ、ちょっと聞きたいことがあるのだが……」

聖衣の腹部を両手で覆い隠すようにしながら、サガが開口一番、ムウに尋ねた。

「用件はわかっています。その聖衣のことですね」

みなまで聞く必要など全くなかった。ムウには既にサガ達の訪問の理由はわかりきっており、更に言うといつやって来るのかと心待ちにしていたくらいなのである。

「翌日にでも気付いて、サガとカノンが揃って飛び込んで来るものと思っていたのですが、案外時間がかかりましたね。それとも気付いてはいたけれど、今日まで放置しておいたのですか?」

聖衣の改造を終えた時点で、こうなったらこの状況を思う存分楽しんでやろうと早々に発想を転換していたムウは、どこか楽しげにサガにそう聞き返した。

「いや、その……恥ずかしい話なのだが、気付いたのがつい今し方なのだ。しかも、その、私が気づいたのではなくて……」

「ああ、アイオロスですか。さすがサガのことは良く見ていますね」

相変わらず腹部を手で覆ったまま、俯き加減でサガは言葉を濁したのだが、あっさりとムウに図星をつかれ、サガは僅かに頬を赤らめて更に俯いた。サガとしては、自分の全く知らぬ間に聖衣に手を加えられていたこと、そして今の今までそれに気付かなかったことが、やはり恥辱であるらしかった。

「すみませんがアイオロス、その時の様子を教えていただけませんか?」

にっこりと微笑んで、ムウがアイオロスを促した。事の次第をサガ達に教えてやる前に、自分の楽しみを優先しなくては……と、ムウは内心で意地悪にほくそ笑んでいた。






サガとアイオロスは、教皇宮にある資料室で仕事に必要な資料集めをしていた。近年のものは殆どデータ化されているのだが、まだまだ紙媒体でしか残っていない資料も多く、必要なものはこの膨大な数の中から自力で発掘せねばならない。細かく分類されて整理はされているのだが、それでも発掘作業は結構大変な仕事で、いわゆる機密に属する重要書類など、黄金聖闘士のみにしか閲覧を許されていない物については神官や雑兵の手を借りることも出来ないのだ。

今日、早朝勤務であったシュラが、アイオロスのためにサービス残業を買って出てくれ、2人を手伝ってくれているお陰で大分捗ってはいたが、それでもそう簡単に終わるものでもなく、3人がかりで半日かけてやってもまだ、ようやくリストの半分強の資料を抽出できただけであった。

「サガ、すまんがお前の横の書架から、041411-FMRのファイルを取ってくれ」

アイオロスは自分の手持ちリストをチェックしながら、サガにそう指示を出した。サガはそれに頷くと、自分のすぐ横の書架に視線を移し、アイオロスに言われた番号のファイルを探した。そして上から2段目の棚に該当ファイルを見つけ、それを取るべく手を伸ばした。

「?!!」

サガの動作を何気なく目で追っていたアイオロスは、次の瞬間思わず目を剥いたと同時に我が目を疑った。サガが右手を上げたと同時に、チラリとサガの腹部……しかもサガは(カノンもだが)上半身にはアンダーウェアをつけないから素肌のままなので生肌が……露出したのである。

「……どうした?、アイオロス?」

サガが言われたファイルをとってアイオロスに差し出すと、アイオロスは視線を下方に落とした状態で目を剥いたまま、固まっていた。

「アイオロス?」

もう一度名前を呼ぶと、アイオロスはやや茫然としたまま顔を上げ、

「サガ……すまないが、その……もう一度手を上に上げてもらえるか?」

サガの手からのろのろとファイルを受け取りながら、そう言った。

「………手を上げればいいのか?」

いきなり何を言いだすものやら、サガにはさっぱりわけがわかっていなかったが、訝しみながらもアイオロスの言う通りに、手を上に上げてみた。すると、

「うっ、うわぁぁぁ〜〜〜、サガっ!!!」

いきなりアイオロスがものすごい雄叫びをあげ、それと同時に手にしていたリストと資料を全て放り投げると、光速でサガに飛びつき、その場に押し倒したのだ。

「なっ……!?」

不意をつかれる感じで飛びつかれたので、さすがのサガも避けることも跳ね飛ばすことも出来ず、そのまま見事にアイオロスに床に押し倒された。何が起こっているのか一瞬わけがわからず、サガの頭が真っ白になった。

「なっ、何をするっ?!、アイオロスっ!!、こっ、ここをどこだと思ってるんだっ!!」

だが直後に正気に戻ったサガは、職場で自分がアイオロスに組み敷かれていると言うとんでもない状態に顔どころか耳まで真っ赤に染め、自分に覆い被さっているアイオロスをどけるべく、アイオロスの下でじたばたと暴れ、頭をポカポカ殴った。

「ど、どうしたんですか?、アイオロ……ス?!」

2人が倒れ込んだ音にビックリして、シュラが2人の方へ振り返った。途端、とんでもない光景を目にして、シュラは目と口をOの字にしてその場に凍てついたような固まった。

「シュラ!こっちを見るな、あっち向けっ!!。うわぁ〜、サガっ、暴れるな、暴れちゃダメだ〜〜〜!!」

自分の下で大暴れするサガを必死で抱き込みながら、アイオロスはシュラに向かって怒鳴り、サガにも怒鳴った。

「バカッ!、お前……気でも違ったかっ!!。ここは職場だぞ、仕事中だぞ!、時と場所を考えろ!!」

この状況でおとなしくなどできるわけがない。一体アイオロスは何を考えているのか、こ、こんなところでこんな行為に及ぼうとするなんて……乱心したとしか思えない。サガはとにかく、アイオロスを引き離そうと更に激しくもがいた。

「違う、違うんだ、サガ!、誤解するんじゃない!」

サガに本気で暴れられたら、いかなアイオロスと言えど無傷ではすまない。とにかくアイオロスはサガが本気を出す前に、必死に小宇宙を燃焼させてサガの動きを押さえ込んだ。

「なっ、何が誤解かっ?!」

この期に及んで何を言うかと、サガが小宇宙を更に燃やそうとしたその時、

「だから聖衣だよ、聖衣〜〜!!」

アイオロスが更に大きな声で怒鳴った。

「ク、聖衣だと?!」

ピタッとサガが暴れるのを止めた。

「そうだ、聖衣が……お前の聖衣が破けてる!!」

「はぁ?!」

何を言っているものやら、サガはすぐにはアイオロスの言っていることを理解できなかった。

「腹のところが破けてて……は、腹が、ヘソが……」

アイオロスはアイオロスなりに相当焦っているらしく、言っていることが支離滅裂だ。だがようやくアイオロスの言いたいことが何となくだが理解できたサガは、怪訝そうに眉間を寄せた。

「何バカなことを言っているのだ?、アイオロス。聖衣は壊れはするが破けたりするわけがなかろう。しかもこれは黄金聖衣だぞ。戦ってもいないのに、破損などするわけが……」

「壊れたんでも破けたんでもどっちでもいいけど、とにかく本当なんだよ!。今、間違いなくお前の腹とヘソが……」

「わかった。とにかく自分の目で確かめるから、まずは私の上からどいてくれ」

どうにもアイオロスの説明では要領を得ない。サガはとにかくアイオロスを宥めて、自分の上からどくように言い聞かせた。

「シュラ!、お前あっち向け!!」

アイオロスはサガから離れる前に、硬直したままのシュラに反対側を向くよう強く促した。アイオロスのその声でようやく我に返ったシュラは、はいっ!と返事をして、直立状態で回れ右をした。

シュラが完全に反対方向を向いたのを確認してから、アイオロスはサガから離れた。サガはホッと一息ついてから半身を起こし、自分の腹部を見た。パッと見、取り立てて変わったところは見受けられない。半信半疑ながらアイオロスに言われた通り腕を上に上げてみると……

「うわっ!」

サガは思わず声をあげ、慌てて自分の腹部を両手で抱え込むようにして覆い隠した。

「なっ、何だ?これはっ!!」

アイオロスが言ったことは本当だった。腕を上げたらそれと一緒に上半身のパーツが持ち上がり、下半身のパーツ部分から離れてパコッと口を開け、その下の腹部が露出したのである。

「………ジェミニの聖衣って、こんなデザインだったか?」

「バカ!そんなことがあるわけがなかろう!!」

今の今まで全く気付かなかった。確かに聖衣を纏ったのは3日ぶりではあったが、4日前には何ともなかったのだ。しかもこれは、破損などとは明らかに違う。人の手によって故意に変えられたものだ。聖衣の修復、改造が出来るのは、たった1人しかいない。だがそれより以前に、何らかの意図でそれを頼んだ人間がいるはずだった。

「カノンか……」

自分以外で双子座の聖衣を持ち出せる人間も、1人しかいない。一体何の意図でこんなことをしでかしたのかはわからないが、とにかくカノンを問い質さなければならない。サガは腹部を押さえたまま立ち上がると、

「ちょっと双児宮に帰る」

そう言って凄い勢いで資料室を飛びだして行った。

「おい、シュラ!。ちょっと後頼むぞ!」

シュラにそう言い残すと、アイオロスもまた、サガを追ってすごい勢いで資料室を飛びだしていった。

後に残ったのは、ものの見事にとばっちりを食ったシュラだけであった。シュラは一言の文句を言う間も与えられず、ただただ呆然と2人が飛び出していったドアを見つめることしか出来なかった。






「カノン!!」

カノンが自宮のリビングでテレビを見ながら寛いでいると、今日は仕事で遅くなると言い置いていったはずの兄が、血相を変えて飛び込んできた。その兄にしては珍しい慌てぶりと言い知れぬ迫力に、カノンはただならぬ何かを感じ、絶句した。

「……どうしたの?、兄さん、今日は遅くなるって……」

やっとの思いでカノンが言葉を絞り出すと、サガはそのカノンの肩をガシッと掴み、

「カノン、一体これはどういうことだ?!」

言うなり、カノンの身体を前後に揺らした。

「なっ、何だよ?!」

いきなりのことにカノンは事態が飲み込めず、されるがままにきょとんと兄の顔を見つめた。

「カノン……」

眉を吊り上げていたサガは、それを今度は一転して淋しそうな、悲しそうな表情に変え、カノンの肩を掴んだまま、カノンの前にしゃがみ込んだ。

「カノン、確かにこの双子座の聖衣はお前のものでもある。だからお前にだって好きにする権利はある。だがこんな……その、はしたないと言うか、無意味な改造をしてどうする?。それとも私を驚かせる、悪戯目的なのか?」

「はぁ?!」

カノンにはサガの言っている意味が、全く理解できなかった。

「……兄さん、聖衣がどうとか……って、何?。さっぱりワケわかんねーんだけど?」

カノンが首を傾げながらサガに聞き返すと、サガは更に悲しそうな顔をして首を左右に振った。

「とぼけるのはよしなさい。私以外にこの聖衣をどうにか出来る権限を持つのはお前しかいないのだぞ。その、何の意図があってこんな改造を施したのかは知らんが、せめて改造したならしたで、一言私に言っておいてくれても良かろう」

「だから〜、それがワケわかんないんだってば!。聖衣改造しただの何だの、オレには全く覚えが無いんだけど?」

さすがにカノンの方にも苛立ちが露になってきた。カノンにしてみれば、全く身に覚えの無い嫌疑をかけられているのだから当然だが。

「4日前には何でもなかったんだ。それが、今日になったら……」

「だから!、何がどうしてどうなったか、説明してくれっての!」

カノンが声を荒げる。

「アイオロス、一体どういうことだよ?、説明してくれ!」

サガとの押し問答では全く埒が明かないので、カノンは業を煮やしてサガの後方に立っているアイオロスに尋ねた。

「サガの言った通りだ。4日前には何でもなかったジェミニの聖衣の形がな、今日になったら突然変わってたんだよ」

アイオロスの説明もかなり大雑把なものではあったが、とりあえずサガが何を騒いでいるのか、その大筋だけは掴めた。

「どこが?」

カノンは目の前のサガに、ザッと視線を走らせた。サガが纏っている聖衣には、何も変わったところなど見られない。いつもと同じで、一体どこがどう変わっていると言うのか、カノンには全くわからなかった。

「これだよ。腹のところよく見てろ」

アイオロスはサガの後ろから手を回し、サガの両手を取るとそれをそのまま上に上げ、サガに万歳の格好をさせた。言われるまま、サガの腹部に視線を落としたカノンが、ぎょっと目を見開いた。

サガが腕を上げた瞬間、サガの腹部の白い肌が露出し、ヘソがチラリと顔を出したのである。

「ア、アイオロス!」

サガが慌ててアイオロスの手を振りほどき、腹部を覆い隠した。

「別にいいだろう。自分の弟なんだから、何を恥ずかしがることがある」

アイオロスは不思議そうにサガに言った。そういう問題じゃない……とサガは思ったのだが、言っても無駄なので何も言わなかった。今はそんなことをごちゃごちゃ言っている場合でもないからだ。

「な、何これ?!」

さすがにカノンも驚きを隠せず、サガの腹部を指差しながら半ば呆然と聞き返した。確かにこの双子座の聖衣の所有者となってから自分はまだ日が浅いとは言え、いくら何でもこんな特殊加工(?)に今の今まで気付かないなどと言うことはない。カノンは目をぱちくりとさせながら、サガに聞き返した。

「だから、その……休みが明けたらこんな形になっていたんだ!。私は身に覚えが無いし、だからお前が……その、何か意図があってこんな形に改造したのではないかと……」

「冗談!!、何でオレがそんなことしなくちゃなんないんだよ?!」

記憶のどこをひっくり返してもそんな覚えなどどこにもないカノンが、憤然として言い放った。大体、自分はこの1週間ほど、聖衣を纏ってもいなければ触れてすらいないのだ。

「だが、さっきも言った通り、私とお前以外、この聖衣に触るものなどいないのだぞ?。お前に覚えが無いと言うのなら、一体誰がこんなことをしたと言うのだ?」

「あっ!!」

突如、何かを思い出したかのようにカノンが大声を上げた。

「どうした?、何か思い当たる節でも……」

「ミロだ!!」

カノンには1つだけ思い当たることがあった。

「ミロ?」

「……3日前、ミロが……」

3日前、ミロがここを訪れた時のことを、カノンはサガに話した。あの時、自分の蠍座の聖衣をムウにメンテナンスしてもらうから、ついでに一緒にどうだ?と言われ、カノンはミロに双子座の聖衣を預けたのだ。多分、その時……と言うか、それ以外には考えられない。

「3日前と言うと、私がサガと出かけてた日か」

言いながら、ふとアイオロスは思い出していた。そう言えばあの日は、ミロに随分強くサガとのデートを促されたなぁ、と。

「いくらミロだからとは言え、何故お前はそうあっさりと聖衣を預けたりしたのだ?。一緒に行かなかったのか?!」

カノンがミロと付き合っていることはサガも承知しているし、そのミロだからこそあっさり預けたのだと言うこともわかってはいるが、自分だったら例えアイオロスにでも聖衣を預けたりはしない。あまり細部にはこだわらない弟の性格はよくわかってはいるが、それでもその神経が俄には信じられないサガであった。

「ん〜、ミロがさ、新しいゲーム持ってきてくれたから、それにちょっと夢中になってて……」

少々バツが悪そうにカノンが答える。サガはそれを聞いて怒るというよりは呆れて、思わず溜息をついた。

「カノン、いくら何でも無責任すぎるぞ……」

叱りつける気力も失せ、サガは力なくカノンにそう言ったが、カノンの方もさすがにこれについては返す言葉がなかった。

「ミロ呼んでくる……」

とにもかくにも、容疑者をここに連れてこようと、カノンがソファから立ち上がった。

「でもミロがやったと決めつけるには早いんじゃないのか?。いずれにせよ、改造したのはムウ以外にはいないんだから、ムウに事の真偽を尋ねてからでも遅くはないだろう」

十中八九、間違いないだろうとアイオロスも思ったが、問い質すにしても裏付けが必要だ。100%の確証を得てからの方がいいと、アイオロスはカノンを制止した。

「確かにアイオロスの言う通りだな。白羊宮に行って、まずはムウに聞いてみよう」

サガもアイオロスに同意し、腹部を覆ったままの不自然な格好で立ち上がった。

「オレも行く」

当然のことながらカノンも同行を申し出て、3人は白羊宮へと向かったのだった。


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