A JACK IN THE BOX
踏んだり蹴ったりとは、正にこのことだろう。
石畳を激しく打ち付ける雨粒を見つめながら、ミロは盛大な溜息をついた。
地面にぶつかって跳ね返った雨は、飛沫となってミロのスニーカーとジーンズの裾を容赦なく濡らしている。
「ったく、あのクソオヤジ」
否応無しに雨水を吸い込んで色濃く変色した自分の足下を見ながら、ミロはつい十数分前の出来事を思い出して、忌々しげに独り言を呟いた。
ミロはつい今しがた、この近くの洋菓子店の主人と大喧嘩をしてその店を飛び出して来たばかりであった。
今日は5月30日――。
ミロの恋人であるカノンと、そしてカノンの双子の兄・サガの誕生日である。
誕生日イヴの昨夜からミロはカノンと、そしてサガは自分の恋人たるアイオロスとそれぞれにラブラブの時を過ごし、誕生日当日の今日は黄金聖闘士有志――とはいっても結局はほぼ全員集合状態になったのだが――による誕生日パーティーということになっていた。
主役の双子には当然お誕生席でのんびりという特権を与えられているが、その恋人とはいってもミロやアイオロスにまでその特権が与えられているわけではない。
二人はもれなく他の連中と同じように、その準備に勤しまねばならない身であった。
というわけで、買い出し係の役目を割り当てられたミロは、シュラとともにアテネ市内に出て来ていた。
何しろ大の男が十二人も揃うのだから、必要な食材も酒も半端な量ではない。
シュラと二人で手分けをしてあれこれを必要な物を買い込み、ミロが最後に寄ったのが件の洋菓子店だった。
ミロはここに、バースデー・ケーキを予約していたのである。
そこで頼んでおいた特注のバースデーケーキを受け取って、シュラと合流して聖域に帰るはずだったのだが、最後の最後でまったく予期していないとんでもない事が起こった。
あろうことか洋菓子店の主人がケーキの予約日を間違え、ケーキそのものが出来ていなかったのだ。
いや、間違えていたと言うよりも、主人の様子からどうやら予約そのものを忘れていた可能性の方が高かった。
主人はミロが名前と頼んでいたバースディ・ケーキを取りに来たと告げると、一瞬顔色を変え、その後わざとらしく表情を作り替えてこう言ったからだ。
そのケーキの予約を受けていたのは昨日だ、今日ではない――と。
それを聞いたミロが、唖然呆然としたことは言うまでもない。
ミロがカノンの誕生日を間違えるなど、天地がひっくり返ってもあるわけがない。イコール、サガの誕生日も間違えるはずがないということだ。
つまり自分が予約を間違えるなど、絶対にあり得ないことなのである。
すぐに気を取り直して、ミロはそんなはずはない、絶対にないと強く言い返したが、向こうもこちらが受けた予約は絶対に昨日だったと、頑として言い張った。
それだけに止まらず、主人は『昨日はちゃんとケーキを作って取りに来るのを待っていた。それなのに取りに来なかったのはそっちの落ち度だ。そのせいでケーキが無駄になってしまったのだから、代金を払え』とまで言い出したのだから、ミロがブチギレるのも無理はない。
明らかに口から出任せであるとわかっていても、いやわかっているからこそカッと頭に血が上り、ミロは思わず相手の胸倉を掴んでしまいそうになったが、さすがにそれはマズイと残る理性を総動員して懸命にその衝動を堪えた。
相手は純然たる一般市民で、しかも素人である。
どんなにミロが力をセーブしたところで、うっかりしたら指先一本触れただけで大怪我を負わせてしまう可能性があるのだ、自重せざるを得ないだろう。
事の真偽はともかくとして―― 十中八九、嘘であろうとミロは思ったが―― いずれにしても注文したケーキを今日、今現在作っていないという事だけは確かである。
今更ながら、きちんと予約票の控えなりなんなり、とにかく証拠となるべき物を出させておくんだったとミロは後悔したが、もう時既に遅すぎであった。
それにしても、観光客相手に代金をぼったくるというのはよくある話だが、同じギリシア人相手にまでぼったくりを試みるとは、商魂逞しいと言おうか何と言おうか。その図太さはある意味感心するが、いずれにしてもそんないい加減な言い訳……というか大嘘を素直に信じるバカがいるわけもない。
作ってもいないものに金なんか払えるか! もう二度と来ない! と吐き捨て、ミロはもの凄い勢いで店を飛び出したのであった。
そんな次第で怒り心頭のミロが、秀麗な顔を凶悪に歪め、頭から湯気を出してストリートを歩いていると、朝からどんよりと曇っていた空からポツリと落ちて来た水滴が、ミロの頬を濡らした。
おや? と空を見上げると、上空はいつの間にかびっしりと濃鼠色の雲に覆われていて、そこから次々に水滴がこぼれ落ちて来る。それは見る見る間に激しさを増して、一分後には文字通りの豪雨と化したのだ。
堪らずミロはすぐ近くの商店の軒下に飛び込み、そして現在に至るというわけである。
「まいったなぁ、もう……」
シュラとはこの先のカフェで落ち合う約束をしている。
普通に歩けば5分足らずで着く距離だが、この豪雨の中を歩く、ないし走るとなるとそれなりに距離があり、ずぶ濡れになることは避けられない。
黄金聖闘士であるミロは、言うまでもなく光速移動も瞬間移動も出来るが、こんな街のド真ん中で聖闘士の力を使うわけにもいかず、こうして立ち往生を余儀なくされる羽目になっているのである。
それに後先考えずに飛び出して来てしまったが、肝心のケーキはどうしようか……?。
誕生日パーティーにケーキがないのでは、話にならない。
かといって、
ますます途方に暮れて、ミロは分厚い雲に覆われた空を恨めしげに睨みつけた。
「おまっ……何だその格好は!?」
運良く雨が降り出す直前に待ち合わせのカフェに入ったシュラは、窓際の席で降りしきる雨を眺めながらのんびりとコーヒーを飲んでいたのだが、自分の待ち合わせ相手が目の前に姿を現すなり、涼しげな切れ長の目を思いっきり見開いて唖然とした。
「……この雨の中走って来たんだ、しょうがないだろう」
両手に荷物を抱えて、頭の天辺から爪先までびしょ濡れになったミロが、憮然と口を尖らせた。
シュラは更に唖然となった後、ハッと我に返り、
「とにかくこれ羽織って座れ。みっともない」
慌ててイスの背に掛けてある自分の上着を放り投げ、ミロに着席を促した。
元々人目を引く容姿をしているミロにこんな風に濡れ鼠で突っ立っていられては、悪目立ちもいいところである。
ミロは仏頂面のまま、それでもシュラに言われた通りに上着を羽織り、大人しく正面に腰掛けた。
肩からかけた上着からふわっと微香が漂って来て、ミロの臭覚をほんのりと刺激する。
それはシュラが愛用している、クェイサーの香りだった。
「ほら、これで髪も拭け! ……っつってもとても追っ付かないだろうが」
ウエイトレスに勝手にコーヒーを頼んでから、シュラは次に自分のハンカチをミロに差し出した。
ミロの長い髪の毛もすっかり雨水を吸い込んでびしょ濡れで、そこから水がポタポタと滴り落ちて見る見る間に自分の上着を濡らしている。
とてもこんな小さなハンカチ1枚では足りないだろうが、それでもないよりはマシであろう。
ミロはそれも黙って受け取ると、ぞんざいな手つきで濡れた髪を拭き始めた。
「適度に水気を取ったら、それで髪を後ろに束ねとけ。ったく、何をやってるんだ、お前は」
「何してるって、ここに向かってる途中でいきなり雨に降られたんだ。傘持ってないし、全然止む気配も弱まる気配もないし、これ以上待たせたらシュラ怒るだろ? こうするより仕方なかったんじゃないか」
「あのなお前、だからって何もバカ正直に雨に打たれてくることないだろうが。……ここまでテレポートしてくりゃいいだけの話だろ!」
シュラは周囲を伺いつつ、最後の一言を声を潜めて早口で言った。
「それが出来たら苦労しねえよ! 街中も街中、ホントに通りのド真ん中で降られたんだからな! そんな人目のある場所で、テレポートなんか使えるか!」
「どあほう、誰が人目につく場所でんなことしろっつった!ちょっと裏手に回るなり何なりして、人目につかない物陰にでも隠れてからにすりゃいいじゃないか。 頭使え頭!」
「人目云々関係なく、聖域を出たら聖闘士の力使っちゃいけないって教皇に言われてるだろ!」
「お前は臨機応変という言葉を知らんのか? こういうのは時と場合だ。要はバレなきゃいいんだ、バレなきゃ」
「バレたら教皇に怒られるじゃんかよ」
「すぐ傍にいるわけでも四六時中監視されてるわけでもないんだ、そう簡単にバレやしねえよ」
っとに要領の悪い……と、シュラは溜息をついた。
二人がそうやって顔を突き合わせて小声で言い合っているところへ、コーヒーが運ばれて来た。
シュラは一転して笑顔を作ってウエイトレスに向けると、その手から進んでコーヒーを受け取った。
早くウエイトレスを遠ざけたい一心からである。
「ま、濡れ鼠になっちまった後にこんなこと言っても仕方ないけどな」
ミロの前にコーヒーを置きながら、シュラは呆れ半分の口調で言った。
なら最初から言うなよ、とミロは思ったが、それを口に出したところでまた倍にして言い返されるのがオチである。
悔しいが口では絶対にシュラに敵わない事を、ミロは自分でもよく承知している。
「お前の事はいいとして、オレはケーキの方が心配なんだが。走った勢いでぐしゃぐしゃになってねーだろうな?」
ミロがこの程度の事で風邪をひくわけもなし、その点については全く心配する必要はないのだが、ケーキはちょっと揺らしただけで簡単に潰れてしまうか弱い物なのである。
それを持って走るなど、シュラから言わせてみれば言語道断であった。
「……なってねーよ」
ミロは決まりが悪そうに上目遣いでシュラを見ながら、一層声を小さくして答えた。
というより、走ろうが転ぼうがケーキがぐしゃぐしゃになどなるわけがないのだ。
――そもそも買って来てもいないのだから。
「何だその含みのある物言いと表情は? お前、何かオレに隠してるな?」
シュラはミロの様子がおかしいことを瞬時に見て取ると、軽く眉間を寄せてミロに問い返した。
ミロは黙ったまま、チラチラとシュラを伺い見ていたが、やがて観念したような素振りで一つ溜息をついた。
どうせ隠し通せるわけもないし、隠し通したところでどうなるものでもないし、むしろ一緒にこれからのことを考えてもらわなきゃいけないのだから、事情を説明しないわけにもいかないだろう。
ミロは重い口をやっと開いて、シュラに事の次第を説明した。
話を聞いたシュラは、先刻以上に大きく目を見開いて、呆れ果てて絶句した。
「お前なぁ、何やってんだよ?」
数秒の沈黙の後、シュラは片眉だけを吊り上げて思いっきり溜息をついた。
「何やってんだよって……別に何もしてないよ」
「喧嘩して来たんだろうが、ケーキ屋のオヤジと!」
「それはそうだけど、でも悪いのはあっちなんだぜ。予約忘れておいて人のせいにしやがった上に金まで取ろうとしやがって、それって詐欺じゃないか! オレじゃなくたって頭に来るよ!」
「それはそうかも知れんがな、オレが言いたいのは何でそこでもう少し上手く立ち回れなかったのか? ってことだよ。後先考えずにブチギレたら、こっちも損するだけだろうが」
「金を詐取されたわけじゃないんだから、別に損はしてないだろ」
「ドあほ! そういう意味じゃない! ケーキだケーキ!」
「は?」
ミロは大きな薄青色の瞳をきょとんと丸めて、シュラを見返した。
「あのな、ケーキどうすんだよ、ケーキ! 結局調達出来なかったんだろうが。いくら主役が三十路近い男二人だからっても、バースディケーキのない誕生パーティーじゃ様にならんのだぞ」
「……だからどうしたらいいか、相談してるんじゃん」
「ったく、もうちょっと頭使えよな。こっちの落ち度じゃないんだから、突き詰めてきゃあっちがボロ出すに決まってるじゃないか。そこを逆手に取ってやりこめて、ケーキ作り直させりゃよかったんだよ、弁償代わりに。あっちが悪いんだから、それぐらいは当然だろうが」
「そうは言うけど、瞬時にそんな風に頭が回るわけないだろ」
そもそもそんな状況じゃなかったのだ、と、ミロはぶすっと膨れっ面をした。
「あっちは開き直って、すげー勢いでぎゃんぎゃん言って来るんだぜ。あんな態度に出られたら、こっちだって頭に血が上るよ。んな小狡い計算してる余裕なんかないっつの」
カッとなりすぎて後先考えなかった事は事実だが、そうならざるを得ない事情というものがあったのだ。
シュラは当事者じゃないから冷静に好き勝手なことを言うが、当事者のミロからしてみればそう簡単な話ではなかったのである。
「若造だと思って、完全にそのオヤジに舐められたな。こんなことならオレが行った方がよかったか」
ケーキ屋のオヤジの顔など知らないが、それでもその時の状況がリアルに目に浮かんで、シュラはやれやれと肩を竦めつつ首を左右に一振りした。
「シュラだって若造じゃんかよ」
「お前よりはマシだ」
即座に言い返され、ミロはまたしても黙り込んだ。
シュラはミロより3歳年長だが、見た目的には実年齢差よりもっと年が離れているように見えるのは客観的な事実であった。
シュラが実年齢より落ち着いて見え、ミロが実年齢より若干幼く見えるからだ。
ミロ自身も、不本意ではあるがそのことを自覚している。だから何も言い返せなかったのである。
「マジな話、どうすっかな? 今更お前がタンカ切って出て来た店に行くわけにもいかんし……どっか他のケーキ屋当たってみるか?」
「他のケーキ屋ったって、今からバースディケーキ作ってくれったって無理だよ。何日も前から頼んでたって、この有様なのに」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというわけではないが、ミロはすっかりケーキ屋不信に陥っていた。
「あー、まー、確かに当日いきなり作ってくれっても無理な話だな。ギリシャ人、働かねぇからな」
同じギリシャ人としてここは断固として異を唱えたいところであったが、それもままならないのが現実であった。
何しろ2004年のアテネオリンピックの際に、「ギリシャ人は働かない」と全世界に報道されたくらいなのだから、そんなことはないと言ったところで説得力皆無なのである。
「仕方ないから普通のホールケーキ買うか? 文字入れくらいならしてくれるだろうし」
「そういうわけにもいかないよ。このバースデイケーキ、アイオロスとオレからのプレゼントの1つでもあるんだぜ。サガとカノンは何も言わないだろうけど、いかにも間に合わせのケーキじゃカッコつかないだろ。オレ、アイオロスに怒られちゃうよ」
そう言いながら、ミロは情けなく眉尻を下げた。
「ったくしょーがねぇなぁ、もう」
後先考えずに店の主人と喧嘩なんかするからこんなことになるんだ、と、もう一度言ってやりたくなったシュラだが、全てが後の祭りとなってしまった今となっては、いくら言っても無意味な事である。
そんなこと言ってる間に、解決策を考える方がマシというものであった。
「となると、どっかヨソの国に買い出しに行くっきゃねーか。教皇に、あんまり不正出入国すんなって言われてるけど……」
バレなきゃいいか、と、先刻ミロに言った言葉を自分に向かって繰り返し、シュラは腕組みをして考え込み始めた。
そうやってブツブツと何かを言いながら、しばらく考えを巡らせた後、
「あ、そうだ!」
妙案を思いついたらしく、ポンッと両手を叩いた。
「日本だ、日本がいい」
「日本!?」
「おう。日本人は世界一の働き者らしいから、いきなり頼んでも引き受けてくれるところは絶対あるぞ。ま、割増料金は払わなきゃいけないかも知れんが、大したことはないだろう。それに日本の菓子は美味いからな、むしろこっちのがいいかも知れんぞ」
うんうん、とシュラは自分の名案に満足そうに頷いたが、それに慌てたのはミロである。
「ちょっと待ってよシュラ、いくら何でもそれは無理だって!」
「何で?」
「何で? って、ギリシャと日本の時差考えろよ。確か時差は7時間……あ、今は6時間か……あるんだぜ?」
「知ってるよ、それくらい」
シュラは不快そうに眉を寄せた。
「今こっちが1時ってことは、日本は夜の7時だぜ? これから作ってくれっても、さすがに無理だよ」
「正攻法でいったら、そりゃ無理だろうさ」
あっさりと言って、シュラはまた肩を竦めた。
「…………どういうこと?」
シュラの意図がまるで分からず、ミロは怪訝そうに眉をひそめる。
「日本には誰が居る?」
「は?」
「だから、日本には誰が居るって聞いてんの」
「誰が居るって……あっ!」
声を張り上げた瞬間、ミロはくちゅんっ! とくしゃみをした。
プルッと小さく身震いをしたミロは、すっかり湿ってしまったシュラの上着を羽織り直してから、
「アテナか!」
自分達が仕える女神の名を口にした。
シュラはそうだと答える代わりに、ニヤリと唇の片端を持ち上げた。
「女神の力を借りるのか?」
「女神っつーか、グラード財団のな」
微妙な訂正を入れて、シュラは頷いた。
「たかがケーキにそこまでするのかよ!?」
「そのたかがケーキに大騒ぎしてるのはお前だろう。言っとくけどな、オレはホールケーキだろうがカットケーキだろうが何だっていいんだよ。でもお前がそれじゃダメだっつーから、こうして知恵を貸してやってるんだろうが。文句言うならオレはもう知らんぞ、自分で何とかしろ」
「………ごめんなさい」
確かにそれはシュラの言う通りで、ミロは素直に謝るしかなかった。
「で、でもさ、そうは言ってもこれからすぐなんて急すぎるよ。いくら女神でも、無理だと思うけど……」
「心配はいらん。今の世の中、金とコネがあればたいていのことは何とでもなるもんなんだよ。万国共通でな。っつか財団系列の会社がパティスリーの一つや二つは持ってるだろうし」
「それはそうかも知れないけど、何かちょっと頼みにくくないか? こんなこと。そりゃ女神の事だから、嫌とは言わないだろうけど……」
むしろ喜んで頼みを聞いてくれるとは思うが、頼む側からしてみれば何となく決まりが悪いのも事実なのである。
しかもそうなると当然、理由も話さねばならない。ミロからしてみれば気恥ずかしいと言うよりこっ恥ずかしい事なので――例え愛するカノンと敬愛するサガの為であっても――こんなことを沙織には言いたくないのだ。
自業自得と言われるだけなのでシュラには黙っていたが、これがミロの本音であった。
「それに女神は忙しい身だから、簡単には捕まらないかも知れないぜ?」
「んなこたわかってるよ。何も女神直々に動いてもらおうってんじゃないんだから、捕まらなくたって別に問題はないんだよ」
「へ?」
「この程度の事、カミュ経由で氷河に頼めば一発だろうが。女神のお手を煩わすまでもない」
イマイチ察しの良くないミロにそう答えながら、シュラはまた小さく溜息をついた。
「ああ、なるほど……」
その手があったかと、ミロは感心したように頷いた。
だが、
「でも、氷河にこんなこと知られるの、ヤダなぁ……」
沙織以上に、氷河に経緯を知られるのは嫌だった。
沙織と自分は言わば主従の関係にあるからまだマシだが、後輩と言うよりも師弟関係に近い氷河にこんなことを知られたら、面目丸潰れもいいところである。
「その辺はカミュが上手く誤摩化してくれるだろ。つか、そう頼んどいてやるよ」
さすがにその辺の心境は理解出来るのか、はたまた黄金聖闘士全員の恥になると思ったからか、シュラは珍しくミロにそう優しい言葉をかけ、ジーンズのポケットから携帯を出した。
「サンキュ」
ミロは電話をかけ始めたシュラに向かって、両手を合わせてちょこんと頭を下げた。
「あ、もしもしカミュか? オレだ」
間もなくカミュと電話が繋がると、シュラは手っ取り早く事情を説明した。
「――というわけだ、至急氷河とコンタクト取ってくれ。うん、うん……あ、詳細は適当にぼかして頼んでくれ、黄金のメンツにかけても、こんなみっともないこと青銅の小僧に知られるわけにいかないんでな。うん、うん……」
やっぱりみっともないと思ってるのかと、ミロは居心地悪そうに席で身を縮めた。
「それじゃ頼む。ああ、決まったら折り返し連絡くれ」
用件を伝えてシュラは電話を切り、それをそのままテーブルの上に置いた。
「すぐに連絡してくれるとよ」
「……ごめん、ありがと」
ミロは改めてシュラに向かって手を合わせた。
しょうがないなと言う代わりに、シュラは軽く苦笑して肩を竦めてみせた。
それから10分も経たぬうちに、カミュからの折り返しの連絡がシュラの携帯に入った。
「おう、何だ随分早かったな。氷河と連絡ついたのか? うん……そうか、手間かけさせてすまなかったな。それでどうすればいい? ……うん、うん、一時間後にとりあえず城戸邸に行けばいいんだな、わかった。ミロ一人で行かせるのは心許ないから、オレもついてくよ。ン? いや、面倒だからそっちには戻らん。ここで時間潰して直接あっち行くわ。……って、あ、そうだ、すまんがついでにもう一つ頼みたい事があるんだ。誰か一人、荷物を取りによこしてくれんか? これ持って日本に行くのは間抜けなんでな。一番暇そうな奴でいいんで頼む。その時ミロの着替えも持たせてくれ。え? 天蠍宮まで着替え取りに行ってる暇はない? んなことわかってるよ、カノンから適当に服借りてくれ。オレ達、市内の『○○』ってカフェにいるから。じゃよろしくな」
シュラは再び電話を切り、ミロに向かってOKサインを出した。
ミロの顔が誰の目にもはっきりとわかるくらい、ホッと安堵に緩んだ。