A JACK IN THE BOX
外の雨は一向に勢いを衰えることなく降り続いていた。
指定の時刻まではまだ余裕がある。
雨音をBGMに、新たに頼んだコーヒーを啜りつつのんびりと腰を落ち着けていたシュラとミロだったが、そんな静かな時間が一転、予想だにしていなかったとんでもない事態に見舞われる事になった。
二人が座っているテーブルの脇で、不意に空気が揺らめいた。
それは風が吹き込んで来た時とは違う、明らかに不自然な揺らめき方だった。
不穏なものを瞬時に感じ取った二人は、戦士の習性で無意識のうちに臨戦態勢を整え、同時に鋭い視線を横に流した。
直後、時空間に亀裂が入り、金色の微粒子が周辺に散らばった。
「うっ!」
「げっ!」
次の瞬間、二人は驚愕に思わず声を上げ、限界にまで大きく目を見開いた。
何と、そこに突然シャカが現れたからだ。
時空間が割れたのは、シャカがテレポートをして来たせいだったのである。
シュラもミロも顔面を蒼白にしたが、唖然呆然としている暇などなかった。
テーブルを蹴倒しそうな勢いで立ち上がったシュラは光速でシャカの腕を引っ張ると、強引に奥の座席へと押し込めた。
そしてそのシャカの身体を隠すように急いで座り直すと、きょろきょろとあたりを見回す。
幸い店内にいる客は少なく、一瞬の出来事だった事もあって、この『異変』に気付いた者はいないようだった。
シュラはホッと胸を一撫でした後、おもむろにミロの方へ手を差し出し、
「ミロ、そのオレの上着よこせ!」
シュラの目的を正確に察したミロは、即行で羽織っていたシュラの上着を脱ぎ、それをシュラに手渡した。
ずぶ濡れ状態のミロの身体からすっかり水を吸って、重くひんやりと湿っている自分の上着を、シュラは今度は問答無用でシャカに被せた。
テレポートを使ってここに来ただけでも言語道断なのに、シャカはいつも通りの格好――つまり真っ赤な袈裟一枚――という姿なのである。聖域ならいざしらず、こんな格好で普通に歩いている一般人などいるわけがない、見るからに変な人である。人目につこうものならたちまち好奇の目に晒されるに違いないのだから、とても放置などしておけなかった。
「このバカ! 何ちゅうカッコしてやがるんだっ!? っつか、何でお前がここに来た!?」
シュラはシャカの耳元で、小声で怒鳴った。
シャカはいつも通り目は瞑ったまま、ムッと眉間を寄せて、
「カミュに頼まれたから来てやったのだ。そんな言われ方をされる覚えはない!」
まさかとは思っていたが、やっぱりそのまさかであった。
よりにもよって何ちゅう奴をよこしてくれたんだ! とシュラとミロは異口同音に心の中で叫んだ。
「来てくれたのはありがたいが、何で街中にテレポートなんかして来るんだ、このどあほう!」
「私はこんなところに来た事もない上に、外は雨が降っているのだぞ。私に雨に濡れろとでも言うのかね? しかもカミュは君達がここにいるから行ってくれとしか言わなかったし、小宇宙を辿って探して来るより他に術がなかったのだから仕方あるまい」
何が悪い? どこが悪い? とでも言わんがばかりに、シャカは閉じたままの瞳でシュラを睨んだ。
「だからって、何もここに直接テレポートして来る事はないだろうって言ってんだ! ここは聖域じゃないんだぞ、一般社会のド真ん中なんだ。ちっとはそういうことも考えろ!」
「そのようなこと、私は知らぬ!」
ぷいっ! とシャカはそっぽを向いた。
シャカ的には『この雨の中を』『頼まれてわざわざ来てやった』のだから、文句を言われる筋合いなどどこにもないというのが言い分だった。
テレポートして来たところは見られなかったが、人目を引く容姿の男二人が座っていた席にもう一人人目を引く男が増えていることに気付いたらしいウエイトレスが、一体いつの間に入って来たんだろう? というような訝しげな顔をして注文を聞きにやってきた。
シュラは自分の背でシャカを更にぎゅーぎゅーと奥へ押し付け、引きつりまくった愛想笑いでウエイトレスにコーヒーをオーダーした。
傍目から見るとシュラの行動の方がよっぽど不審なのだが、焦りに余裕をなくしているシュラにはそんなことに気付ける余裕はなかった。
「痛い」
シュラの背で窓際の壁に押し付けられたシャカが、ボソリと抗議めいた声を上げた。
黄金聖闘士がこの程度で痛みを感じるわけねえだろうと思いつつ、シュラがとりあえず押し付ける力を弱めると、シャカは瞑ったままの目を再びシュラに向け、
「どうでもいいが、何故私にこのような物を被せるのかね? 冷たいんだが……」
と、更に文句を言った。
「ガタガタ文句を言うな! お前のカッコは普通じゃないんだ、異様に悪目立ちするんだよ。そのままにしておけるか!」
「風邪でもひいたらどうしてくれる?」
「安心しろ。お前に取り憑く風邪菌なんぞ、この世の何処を探しても存在するわけがない!」
自信をもってシュラが断言すると、正面のミロがうんうんと頷く。
「あのなお前、幸い大事にいたらなかったからテレポートの件は百万歩譲ってよしとするにしてもだ、一般社会に出て来るのにそのカッコはねーだろう、そのカッコは」
そう言ってシュラが自分の上着の下のシャカの赤い袈裟を指差すと、シャカは見えていない目で自分の格好を見遣り、小首を傾げてから大真面目に聞き返した。
「じゃあどうしろというのだね?」
「どうしろもこうしろも、普通のカッコしてくりゃいいだろうが、普通のカッコ!」
「普通の格好?」
「オレとかミロみたいなカッコだよ!」
シャカが突然、パチッと両目を開いた。
シュラとミロは反射的にビクリとしたが、さすがにシャカもこんな場所で小宇宙を爆発させるわけはなく、久しぶりに開いた美しい碧眼でシュラとミロをじーっと交互に見遣ると、不思議そうにそれを瞬かせてから相変わらず偉そうに言った。
「私は君達が着ているような服など、持ってはおらん」
「あのね、お前ね……いつ何時こういうことがあるかわかないんだからさ、一着くらいはフツーの服も持っとけよ」
「別に必要あるまい」
「必要あるんだよ。オレらだってもう聖闘士だけやってりゃいいってわけじゃないんだから、これから一般社会に出て行く機会は増えるんだから、そういうこともちゃんと考えといた方がいいぞ」
「私の国では、これも普通の格好だが?」
「それも局地的な話だろうが。つかここはインドじゃないの! ギリシャ!」
至極真っ当なことをシュラは言ったのだが、シャカにはまるでピンと来ないらしい。
その表情と様子からシュラの言ってる事の半分もわかっていないであろうことが明らかで、シュラは大きな脱力感に苛まれた。
説得する気力も失せたシュラは、おもむろにテーブルの上の携帯を取ると、またカミュに電話をかけた。
もちろん、一言文句を言わねば気が済まないからである。
「カミュか? お前な、よりにもよってとんでもない奴よこすんじゃねーよ! は? そりゃまぁ確かに一番暇そうな奴でいいとは言ったが……だからってお前、せめて最低限の一般常識くらい持ってる人間をよこしてくれよっ! シャカの奴、店まで直接テレポートで来るわカッコはいつも通りだわで、オレ達冷や汗かきまくりだったんだぞ! あ? 着替え用意してる間に勝手に行っちゃったって……お前ね、そんな無責任な……え? 言われた通りにしたんだから文句を言われる筋合いはないって、だからそういう問題じゃなく……って、おい、おい! カミュっ!」
パーティーの準備で忙しいカミュからすれば、これ以上シュラの文句には付き合っている暇などなかった。カミュはシュラに「言われた通りの事はちゃんとした」とだけ言って、シュラの文句が終わらぬうちに一方的に電話を切ってしまったのである。
シュラは切れた電話に向かって舌打ちをしたが、さすがにもう一度電話をかけて文句を言う気は起きず、諦めて再び電話をテーブルの上に戻した。
騒ぎの根源となっている当のシャカはといえば、シュラが電話をしている間に運ばれて来ていたらしいコーヒーを、手をつけずにじーーっと眺めている。
「どうした? まさかコーヒー飲んだことないのか?」
「失敬な! そんなことあるわけなかろう!」
今度は開いてる目でキッとシュラを睨みつけ、シャカはおもむろにカップを手に取った。
「それ飲んだら、荷物持ってさっさと帰れよ」
物珍しげに更にじーっと水面を見た後、ちょっと恐る恐るといった感じでそれに口を付けたシャカの横顔に向かってシュラは言った。
とにかく一刻も早くこの異世界の住民を一般社会から遠ざけたかったのだが、シャカは返事もせずにコーヒーを二口三口と飲み続けている。
聞いてんのかこいつ? とシュラは思ったが、まぁコーヒーくらいは静かに飲ませてやるかと視線をシャカからミロの方へと戻した直後――
ガシャンッ! と大きく硝子のぶつかり合う音が、鼓膜に突き刺さった。
シュラとミロが同時に視線を転じると、シャカが手で口元を押さえて何とも言えぬ――強いて言うならシュラもミロも多分一度も見たことがないような――表情で、顔を青ざめさせている。
今度は何だ何事だ!? と二人がシャカを凝視していると、シャカは間もなく、咽せたように咳き込み始めた。
まさかと思うがコーヒーに毒でも入ってたか!? と一瞬考えたが、直後、咳き込むシャカとソーサーに乱暴に戻されたコーヒーカップの有様を見て、シュラはすぐに不穏な考えを打ち消した。
理由の見当がついたからである。
「お前、もしかして下の粉まで飲んだのか?」
一応確認してみると、シャカは咳き込みながら小さく頷いた。
ミロは呆気にとられて口を開け、シュラはまたもや襲って来た目眩にこめかみを押さえる。
「あのなシャカ、ギリシャコーヒーってのはな……」
シュラは一旦そこで言葉を切り、大きな溜息をついた後、
「下の粉は飲まずに、上澄みだけ飲む物なの」
「……そんなこと、私は知らぬ!!」
何とか咳の落ち着いたシャカが、珍しく声を荒げた。
昨日今日ギリシャに来たわけでもあるまいに、シャカは本当に本当にギリシャコーヒーの飲み方を知らなかったらしい。
「ま、別に飲んでも害のあるものじゃないから、いいんじゃない?」
気楽な事を言って、ミロがあははっと軽く笑い声を立てた。
途端にシャカにものすごい眼で睨まれて、ミロは慌てて口を押さえる。
「もういいや。とにかく飲み終わったんなら、荷物持って早く聖域に帰れ。お前は一般社会に出て来ちゃいかん男だ……」
脱力も露に、シュラがポンとシャカの肩を叩いた。
長い間聖域という特殊な場所で、俗世間から隔絶されて生きて来た黄金聖闘士達は、皆多かれ少なかれ世間知らずではあるが、世間知らずもここまで来ると特別天然記念物ものである。
こいつは一生、聖域と母国の地元以外から出しちゃいかん人間だと、シュラは今日改めて痛感したのだった。
だが事態はシュラの思い通りには運ばず、再びとんでもない方向へと転がりをみせる事になった。
「君達は日本に行くのだろう?」
「ああ」
「私も行く」
「はあぁぁぁ〜〜〜!?!?!?」
シュラとミロの調和した絶叫が響いた。
「聞こえなかったのかね? 私も一緒に日本に行くと言っているのだ」
いや、聞こえてはいた――。
聞こえてはいたのだが、理性と感情の双方がそれを全力で否定したがっていただけなのだ。
「なっ、何でお前が一緒に行く必要があるんだよ?」
「荷物持ちならいらんぞ。ケーキくらい、ミロ一人で充分だから」
オレ一人に持たせる気かよ!? といつものミロならツッコミを入れるところだが、今のミロにそんな余裕などありはしなかった。
「誰が荷物持ちなどすると言った?」
確かにこの天上天下唯我独尊男が、自ら進んで荷物持ちなどするわけがない。
「じゃ、何で!?」
「日本に買いに行くケーキは、サガとカノンへのプレゼントなのだろう?」
「そうだけど?」
「であれば、それは私が買う」
「はぁ!?」
三たび、シュラとミロの目が点になった。
「君達は耳が悪いのかね? 私がそれを買うと言っているのだ」
「何でっ!?」
ミロが今日何度目になるかわからない『何で?』を繰り返した。
「誕生パーティーの話を聞いたのが昨日なのだ。だから私は何もプレゼントを用意出来なかった」
「それでケーキをプレゼントにするって言うのかよ!?」
「そうだ。困っていたのでちょうどよかった」
「ちょうどよかった、じゃねえよ!」
あっけらかんとシャカは言ったが、あっけらかんとしてられないのはミロである。
「勝手にそんなこと決めんな! 言っとくけど、このケーキはオレとアイオロスからのプレゼントなの! 何でそれをお前に横取りされなきゃいけないんだよ!?」
「横取りだなどと人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。それに君とアイオロスは他のプレゼントも用意してあるのだろう? まさか二人でケーキ1つで済ますつもりではあるまい?」
「そっ……れはそうだけど……」
「では問題なかろう」
「ないわけないだろっ!」
ったく、こいつの思考回路はどうなってるんだとミロは憤慨したが、相手は黄金聖闘士屈指の変人と言われるシャカである。基本的に一般論は通用しない。
「何が問題あるというのかね? 理路整然と説明してくれたまえ」
「何が問題って、だから、色々と……」
「だからその色々というのは何だと聞いている」
「いや、だからさぁ……」
シャカはどこまでも無駄に自信満々で、どこまでも偉そうであった。
こんなことを理路整然と説明してみろと言われても、はっきり言ってミロには無理な話である。
と言うよりも本来そんな義理もなければ必要もなく、客観的に見てみれば無理難題を言っているのはシャカの方なのだが、あまりに態度が堂々としすぎていて、シュラもミロもその矛盾にツッコミを入れている余裕がない有様だった。
「答えられないという事は、特に問題はないという証拠であろう」
「だからぁ、何でそうなるんだって! お前、さっきから言ってる事無茶苦茶だぞ!」
「無茶な事など言ってはいない。私だって二人の誕生日を祝いたいのだ。今のままでは肩身が狭いではないか」
「それなら何か別のモンにしろよ! 時間はまだたっぷりあるんだ、今から買いに行ったって充分間に合うだろーが!」
「それが出来たら苦労などしない! 私はこういうことは、不慣れでよくわからないのだ。だからこうして頭を下げて頼んでいるのではないか」
そして最後は、完全なる開き直り……いや、逆切れであった。
ていうか、いつ頭を下げた? いつ頼んだ?? と、シュラは呆れ果て、ミロは疲れ果てた。
「とにかくケーキは私が買う! そうでなければ、サガとカノンに申し訳がたたぬ」
何がどう申し訳ないのか、それこそ理路整然と説明してくれよとミロは思った。
が、言っても無駄だろうという事も同時に理解し、返すべき言葉を失った。
「仕方がない、ミロ、ケーキはシャカに譲ってやれ」
当事者ではない分、シュラの方が諦めも切り替えも早かった。
たかがケーキ1つ誰が買っても同じだろうし、シャカが言い出したら聞かない性格だということは周知の事実なので、ここはミロに我慢と譲歩を促すより仕方がない。
まるでおやつの取り合いをしている子供の喧嘩の仲裁に入ったような気分を、この時シュラは味わっていた。
「……オレの一存じゃ決められないよ」
ぶすっとしながら、ミロが投げ槍な口調で言った。
シュラのいう事はミロも頭では分かっていたが、我慢を強いられる側としては面白くない事も事実である。
「じゃ電話してアイオロスに一言言っとけ」
「何でオレがアイオロスに断り入れなきゃいけないんだよ。ヤダね、勝手な事言い出したのシャカなんだから、シャカにやらせりゃいいだろ」
完全に不貞腐れて、ミロはぷいっとそっぽを向いた。
「お前らなぁ……小学生の喧嘩じゃないんだぞ」
大人げないも甚だしいとはこのことだと思ったが、ミロは全身で断固拒否! の姿勢を打ち出しているし、シャカにきちんとアイオロスに事情を説明して許可を得ろと言ったところで、無理を通り越して無茶、いや、無茶を通り越して無謀というものであろう。
結局またオレかよ……とうんざりしながら、シュラはアドレス帳から双児宮の固定電話の番号を呼び出した。
「もしもし、え〜っと……サガですか? それともカノン? あ、サガ、すみません、シュラですけどアイオロスに代わってもらえませんか? はい、ちょっと急用がありまして。お願いします」
どうやら電話に出たのはサガらしい。
そっぽを向いていたミロがシュラの方へ視線を戻し、同じタイミングでシャカもシュラの方へ視線を転じた。
「あ、アイオロス? シュラです。え〜っと、カミュから話は聞いてます……よね? ええ、そうケーキの件です。実はその、また事情が変わりまして……」
先刻と同じように、シュラは手っ取り早くかいつまんでアイオロスに事情を説明した。
「……というわけで、どーーーーしてもシャカがケーキを自分に買わせろと言って聞かないんですよ。はぁ、いやオレにそんなこと言われても困りますって。説得しろって、そんな無茶言わんでください……は? ミロですか? オレにも手に負えないものを、ミロでどうにかできると思います? ……でしょ? はい、はい……アイオロスの言い分はわかりますけど、今も言いましたけどシャカは言い出したら聞かないんですから、もう完全にお手上げなんですって。オレとミロじゃこれ以上は無理です。何なら電話代わりますから、アイオロスが説得してくださいよ……え? はい、はい、あーやっぱり……はははは、まぁまぁ、これくらい広〜い心で後輩に譲歩してやってもいいじゃないですか、ね?。はい、わかりました、それじゃ」
シュラの話ぶりからして、どうやらアイオロスも一応納得――というより折れてくれたらしいことは、ミロにもすぐにわかった。
「超〜〜〜渋々だったけど、アイオロスもOKしたぞ。よかったな」
「ちっともよくないよ」
出来ればアイオロスからシャカに一発ガツンと言ってやって欲しかったのだが、恐らくアイオロスも自らシャカの説得に乗り出す気にはなれなかったのだろう。
時間と労力と声帯機能の無駄遣いにしかならない事を、アイオロスは多分ミロやシュラ以上によくわかっているはずだからだ。
だからシュラが今も言ったように、超渋々ながらもOKを出さざるを得なかったのだろう。
いずれにしても、後でアイオロスから厭味を言われる事は避けられないだろうなと、ミロは一層憂鬱な気分になったが、シャカの方は当然とでも言わんがばかりの態度で涼しい顔をしている。
「てことで話は決まったから、お前は荷物持って聖域へ帰れ」
シュラが言うと、シャカは美しい金色の眉根を訝しげに寄せ、
「何故帰らねばならぬのだ? 私も一緒に日本へ行くと言ったであろう。でなければケーキが買えぬではないか」
「別にお前が行かなくたってケーキは買える。っつか、オレ達が代わりに買って来てやるから、お前は聖域に帰れ」
「それでは意味がないではないか!」
ダンッ! とシャカがテーブルを叩き、その上の3つのコーヒーカップが不協和音を奏でて踊った。
「意味なくなんかないだろう。買いに行く人間が誰であろうが、要は金を払ってさえくれればお前が買った事になるんだから」
「そういう問題ではない!」
シャカがまたダンッ! とテーブルを叩いた。
「お前みたいな別世界の住民を、善良な他国へ連れて行けるわけないだろっ!」
シュラもバンッ! とテーブルを叩いて応戦した。
美形ではあるがこんな性格も格好も明後日の方向にかっ飛んだ変人を、誰が好き好んで連れ歩きたいものか。
電波な性格は黙らせてさえおけば隠せるが、この奇妙奇天烈な格好は隠しようがない。そんな危険人物と、しかも他所の国で連れ立って歩くなど、まっぴらごめんである。
そこまではっきりとは言わなかったが、これは嘘偽りのないシュラの本心であった。
シャカは満面に『不満』と書き殴ってシュラを睨みつけていたが、やがて、
「わかった、もういい。君達には頼まん!」
だから頼まれた覚えなんて一回もないんですけど、と思いつつ、何とか聞き分けてくれたようだとシュラもミロもホッとした。
だが言うまでもなく、その安堵の時は僅か一瞬であった。
シャカが再び目を閉じ、いきなり小宇宙を燃やし始めたからだ。
何をしようとしているのがすぐにわかったシュラとミロは、またもや顔面を真っ青にした。
「うわーっ! 何するつもりだ!? このバカッ!!」
「君達と話していても埒があかぬのだから、もう直接日本に行くしかなかろう」
街中でテレポートなんかするなとついさっき言ったばかりなのに、この男はやっぱり全然事の重大さを理解していなかったらしい。
いや、そもそも話自体を聞いていなかったのかも知れない。
いずれにしても、日本へ行くというのが冗談でも脅しでもない事だけは確かである。
「わかった! わかった、連れて行く! だからこれ以上一般社会の真ん中で人外な言動かますのはやめてくれ、頼むから……」
抱きかかえるようにしてシャカを押さえ込み、シュラが情けない声で懇願すると、シャカは小宇宙を燃焼させるのをやめ、満足そうに頷いて大人しくなった。
「それじゃ、オレが荷物持って帰るわ」
騒ぎが一段落ついたのを見計らい、ミロがシュラに言った。
「あぁ!? 何だって!?」
「だから、オレが荷物持って聖域に帰るっつったんだよ。だって結局ケーキはシャカが買う事になったんだし、しかも日本にも自分で行くって言うし、オレ要らねーじゃん」
ミロ的にはもう自分の用は済んだのだから一緒に居る必要はない判断してのことだったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
シュラは切れ長の目尻と眉毛を同時に吊り上げ、
「バカ野郎、ふざけんな! 元はと言えばお前のせいなんだからな! ちゃんと責任取れ!」
「責任取れって、オレが悪いわけじゃなくて悪いのはケーキ屋のオヤ……」
「るせー! んなこた関係ねーんだよ! この電波をオレ一人に押し付けんじゃねぇっ!!」
つまり一番言いたい事はそれかとミロは納得したが、正直、ミロだってシャカのお守りなど勘弁して欲しいのである。
だから早々に聖域に逃げ帰ろうとしたのだが、やっぱり世の中そんなに甘くはなかった。
「いいか、これはお前の責任でもあるんだからな。最後までとことん付き合ってもらうぞ!」
反論は絶対に許さないという勢いでシュラに言われ、ミロも観念せざるを得なくなった。
だが問題はもう一つある。
「最後までとことんって言うけど、この荷物どうすんのさ?」
まさかこれを持って日本まで行く気じゃあるまいな? と不安げにミロが山になってる荷物を見遣ると、シュラは無言でテーブルの上の携帯に手を伸ばした。
「……カミュか? 度々すまんがまた事情が変わったんだ、ああ、シャカもオレ達と一緒に日本に行く事になったから……うん、まぁ詳しい話は後でな。っつーわけで、そっちに荷物持って帰ってくれる奴がまた居なくなったんで、もう一人こっちによこして欲しいんだが。あ! 今度はちゃんと一般常識を持ってる奴を頼む。うん、うん、それとシャカの着替えも頼む、この格好はヤバイからな。ああ、すまんな、よろしく」
電話を切るとシュラは疲労困憊の溜息をつき、そしてミロとシャカに交互に視線を走らせた後、今日は厄日だ――と改めて頭を抱え込んだのだった。
そして十分後、貴鬼を連れたアルデバランがシュラ達の居るカフェに到着した。
もちろん一般人と同じく普通の格好をして普通に出入口から入って来たアルデバランは、シュラに思いっきり同情の目を向けながらカミュから預かって来たシャカの着替えを手渡し、
「頑張ってくださいね」
と気遣いの言葉をかけ、労うようにその肩を叩いたのだった。
何で最初からこいつをよこしてくれなかったんだと、シュラは思わず心の中で自分の恋人への恨み言を呟いた。
「ああ、すまんな……」
出来る事ならこの電波男も一緒に持って帰ってくれと思いつつ、力なくそう応じて、シュラは代わりに持って帰ってもらう荷物をアルデバランに手渡した。
自分とミロと二人がかりで買い集めて来た大量の荷物を難なく両手に抱え、貴鬼と共に帰って行くアルデバランの姿を羨ましげに見送った後、先にミロを、そして次に渋るシャカを無理矢理着替えさせ、準備が整ったところでシュラは渋々重い腰を持ち上げた。
ちょうど氷河達との待ち合わせの時間になってしまったからである。
因みに生まれて初めて『普通の格好』をしたシャカは、非常に着心地が悪そうにTシャツの袖や裾を摘んで引っ張ってみたり、ジーンズのウエストあたりをしきりに気にして指を突っ込んで引っ張ったりしていたが、元々見てくれが整っているので見た目的には問題はなく、それなりにちゃんと似合ってはいた。
ミロと比べると貧弱に見えてしまうのは仕方ないが、それでも露出部分が少ないので袈裟を着ている時よりマシなくらいであった。
「行くぞ」
二人を伴いカフェを出たシュラは、今度は幼稚園の遠足の引率教師の気分をしみじみと味わっていた。