真夜中、心地よい眠りの中にいたサガは、窓から入ってくる柔らかな月光の感触を頬に受け、ふと目を覚ました。窓の外の月をチラリと見遣ってから、壁の時計に視線を移す。時刻はちょうど真夜中で、夜が明けるまでにはまだ数時間あった。

とは言え、奇妙にはっきりと目が覚めてしまっていてすぐには眠りにつけそうもなく、サガは数回瞬きをした後、静かに半身をベッドから起こした。

部屋の中を流れる初冬の空気が、サガの素肌を直に擽る。それは恋人との情事の熱が既に抜けた肌にはほんの少しだけ冷たく、サガは小さく身震いをした。

そうしてからサガは、自分の隣に視線を移した。隣では恋人のアイオロスが、穏やかな顔でぐっすりと眠っている。そんなアイオロスの、十代の時と変わらぬ無邪気さを宿した寝顔を見て、サガは思わず口元を綻ばせた。

再びこんな風にして、アイオロスの側にいることを許される日が来るとは思わなかった……。現世に戻って、幾度同じことを思ったことかわからない。己の狂気の末に招いた結果とは言え、一度は永久に失ってしまったはずの大切な存在。それを再び取り戻すことが出来た喜びを、今、サガは素直に噛みしめていた。

アイオロスの薄茶色の髪が、月明かりに照らされ、金色の輝きを帯びている。サガは指先でそっと、眠っているアイオロスの髪に触れた。猫のような癖毛が、ふわり、とサガの指に絡みつく。ふわふわと柔らかな感触をサガが楽しんでいると、いきなりその手首が掴まれ、サガは驚いてビクリと身を震わせた。

「アイオロス……起きていたのか?」

ややあって目を開けたアイオロスは、いたずらっ子のような笑みを浮かべてサガを見上げた。サガはそんなアイオロスを、少しバツの悪そうな表情で見つめ返した。

「お前が起きた気配で目が覚めた」

サガの手を掴んだまま、アイオロスが答える。

「起こしてしまったのか……すまん……」

一度寝たらそう簡単には起きないアイオロスであるから、まさかこのくらいのことで目を覚ますとは思っていなかったサガは少なからず驚いたが、自分が起こしてしまったのだと言うことに変わりはないので、素直に詫びた。

「いや、私も今日は眠りが浅かったみたいだな」

だがアイオロスはさらりとそれを受け流して、小さく笑った。

「ならばその場で起きて、言ってくれればいいものを……」

とっくに目を覚ましていたのに狸寝入りをしていたのだと知ったサガは、ちょっと不満そうに眉を寄せた。もちろん、それは気恥ずかしさゆえである。

「お前が帰ってしまう気なのかと焦ってな、様子を伺ってたんだ」

「こんな真夜中に帰るわけなかろう」

サガが苦笑しながら答えると同時に、アイオロスがいきなり掴んでいたサガの手を引っ張った。無警戒だったサガは、いとも簡単にアイオロスの上に倒れ落ち、瞬く間にアイオロスに抱き締められる。

「わからんぞ。何しろお前はカノンのことが気になりだすと、居ても立ってもいられなくなる方だからな」

何度かそれで苦汁を舐めているアイオロスは、思いの他真剣な口調でそう言った。

「何をバカなことを。いくら何でもこんな夜中じゃ、カノンだって寝ているぞ。私があいつのことを気にする道理がなかろうに」

サガとしては呆れる一方であるが、あまり強く文句も言えなかった。実際、カノン絡みのことで少なからずアイオロスに迷惑をかけたりしていることも事実だからだ。

アイオロスはそれもそうか、と照れ笑いで応じた後、器用に体勢を入れ換えてサガの身体をシーツの波に押し付ける。

「……アイオロス……明日も仕事があるんだぞ」

これからアイオロスが何をしようとしているのか、考えるまでもなく理解したサガは、半ば諦めつつも苦言を呈した。もちろん、アイオロスが素直に言うことを聞くわけもなく、

「大丈夫。オレ達は黄金聖闘士だ。ちょっとやそっとの寝不足くらい、どってことはない」

そんな自分勝手なことを言って、アイオロスはサガの唇を塞いだ。アイオロスは口付けを施しながら、サガの青銀の髪を片手で愛おしげに掻き上げ、もう片方の手でしっかりとサガの体を抱いていた。

確かにアイオロスの言うこともあながち間違っているわけでもないが、そのパワーの使いどころがちょっと違うような気がする……と、アイオロスのキスと愛撫とをその身に受けながら、サガは頭の片隅で考えていた。最も、何だかんだと思ってはいても、最初(ハナ)からアイオロスの行為を拒む気など、サガにはなかったのだが。






「なぁ、アイオロス……」

ひとしきり情事に酔いしれた後、その余韻が抜けきらない体をベッドに横たえたまま、サガは隣に横たわるアイオロスに声をかけた。

「ん〜?」

どうやら再び睡魔が訪れ始めているらしいアイオロスは、やや呆けたような間延びした声で、サガに返事を返した。それでもしっかり片手でサガの体を抱き込んで、まだ熱の残るサガの素肌の感触を楽しんではいたようだが。サガは静かにその腕の中から抜け出ると、片肘をついてベッドから身を起こし、アイオロスの顔を覗き込んだ。

「……どうした?」

サガが身を起こすと同時にアイオロスが瞑っていた目を開けてサガを見ると、すぐに何かを言いたげなサガの双眼とぶつかった。

「来週の30日は、その……お前の誕生日だったな……と思って……」

今思いだしたかのような口調でサガは言ったが、もちろん、忘れたことなどただの一度もない。

「ん?。あ、ああ……そう言えばそうだったっけ。もう来週?」

一方のアイオロスの方は、本当に忘れていたようだ。と言うよりも日付の感覚がなかったようで、サガに言われてやっと今現在の日付をはっきり認識したようだった。

「それで、その……何か欲しいものはあるか?」

「え?」

「だからその……欲しいものがあるんだったら……それをプレゼントにしたいのだが……」

サガ自身もあれこれと考えたのだが、今のアイオロスが欲しがっているものがどうしてもわからなかったのだ。元来、物欲がさほど強くないらしいアイオロスは、あれが欲しいこれが欲しいを口にしたりすることが殆ど無かったからである。

「ん〜、欲しい物、ねぇ……」

アイオロスはちょっと困ったような顔をして、考え込んだ。

「別に私は、サガが側にいてくれればそれで充分なんだが……。欲しいものと言われても、お前……としか、私には言えないぞ」

欲が少ないと言うべきか、ある意味では欲張りと言うべきか……であるが、これが今のアイオロスの正直な気持ちであった。別に他には取り立てて欲しいものがあるわけでもない。サガが傍らにさえ居てくれたら、それだけでアイオロスは幸せな気分になれる。だから、アイオロスがサガに望むことはたった1つ、これだけなのである。

「お前、昔と同じようなことを言うのだな」

だがそれを聞いたサガの方は、呆れたように表情を動かし、小さく息を吐いた。

「昔と同じ?」

「ああ、14歳の誕生日の時も……そんなこと言ってたよ」

そう言うサガが何故か暗がりでもはっきりわかるほどに顔を赤くしているのを見て、アイオロスはきょとんとした。14歳の時……14歳の誕生日……と記憶を手繰り寄せたアイオロスは、サガに5秒ほど遅れて顔を赤くした。

確かにその時、自分は今と同じようなことを言ったとはっきり思い出したのだが、アイオロスの……そしてサガの赤面の理由も、そのことではない。

14歳の誕生日、それはアイオロスにとって、一生涯忘れ得ぬ大事な思い出のある日だった。そう、アイオロスが14歳を迎えたその日、サガが初めて自分に全てをくれたのである。

今にして思えば非常に月並みではあったかも知れないが、サガには踏ん切りをつけるきっかけが必要だったのだ。今のアイオロスになら容易に読み取れるサガの心理状況も、当たり前だが当時のアイオロスにはわからなかった。ただ嬉しくて、ドキドキして、無我夢中で……震えるサガの体を、やはり震える手で抱き締めたことをアイオロスは思いだした。それと同時にアイオロスの全身も、その時の記憶を克明に蘇らせたのだった。



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