「あの時のサガ、可愛かったよなぁ〜」
甘い思い出に自然と頬を綻ばせるアイオロスだったが、それがサガの気恥ずかしさに拍車をかけた。子供の頃のこととは言え、あれはサガにとっては、汚点とも言えるべきこっ恥ずかしい出来事だったのだ。何かの拍子に思い出すたび、何故もっと自然にスマートに事態を運べなかったのか悔やまれてならないので、サガはいつもいつもこれを記憶の奥底に押し込めていたのだ。 「バカッ!。そんな余計なこと、思い出さなくていい!」 サガは羞恥心を誤魔化すかのように、アイオロスに向かって軽く拳を繰り出したが、難なくその手をアイオロスに捉まれると、またもやあっと言う間にアイオロスの腕の中に抱き込まれた。 「おいおい、お前が思い出させたんだぞ。最も、忘れてくれと言われても、忘れられないがな」 確かに成り行きからとは言え、それをアイオロスにも思い出させてしまったことは失敗だったとサガは後悔したが、言うまでもなく後の祭りであった。 「いつまでもそんな昔の話を覚えてるんじゃない!。忘れろ!!」 「やだよ。だって、あの時のサガ、本当の本当に可愛かったんだ」 アイオロスとしても、当時の自分の拙さだけは忘れたいとは思う。だがあの時のサガの可憐な初々しさと、あの日の喜びだけは、例え幻朧魔皇拳をかけられようとも忘れてなるものか!と思っているアイオロスだった。 「悪かったな!、今は可愛くなくて!」 この年で可愛いなどと言われても困るが、何となくアイオロスの言い方が癪に障って、サガは開いている左手でアイオロスの腹に軽めの一発をお見舞いしてやった。 「そう拗ねるなって。今は今で可愛いぞ。いや、可愛いと言うより、綺麗だな」 だがアイオロスには全く堪えなかったばかりか、そんな歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく言って、風のような素早さでサガを引き寄せると、額に軽くキスを落とした。この体勢からこんなことが出来るとは、本当に器用な男である。 サガは面白くなさそうにアイオロスの顔を見上げていたが、やがてふと思い出したように表情を動かして 「そう言えばあの時もお前は、自分の誕生日を忘れていたんだったな」 そう言いながら、からかうようにくすくすと笑った。アイオロスは決り悪いそうに少しだけ表情を動かしたが、すぐにそれを改めて言い返した。 「チビ達の世話で大忙しだったんだ、仕方ないだろう。大体、お前だって自分の時は忘れてたじゃないか」 そう、実のところサガだってアイオロスのことは全然言えないのである。アイオロスに半年ほど先だって、サガが14歳を迎えた当日、アイオロスが彼には全く似付かわしくない大輪の百合の花束をプレゼントとして携え、双児宮を訪れたことで、サガもやっと自分の誕生日を思いだしていた始末なのだから。 「それを言われると、身も蓋もないな」 ちょっとばかり痛いところを突かれて、サガは苦笑いを浮かべる。アイオロスのことを言った割には、自分のことは結構きれいに忘れてるあたり、案外自分の頭も都合の悪いことは上手く忘却できるようにできているようだ。 「そんな昔の話は置いておいて、今の話だ。結局何が欲しいんだ?、お前は……」 サガが横道に逸れてしまった感のある話を、些か強引に引き戻した。昔話より目前に迫った未来の方が、今は大事なのである。 「ん〜………やっぱサガだな」 3秒程考えた後、アイオロスはやはり同じ答えを繰り返した。 「あのなぁ……だからそれは……」 「昔は昔、今は今。13年ぶりなんだし、改めてサガが欲しい!」 何か言おうとするサガの言葉を遮って、アイオロスがきっぱりと言い切った。 「そんなこと言われたって……だって、もう……」 サガは困惑して、言うべき言葉を見つけられずに絶句した。欲しいと言われても、自分達はもう今更そんなことを言うような間柄でもないだろう。当のアイオロスが本心からそう言っていることは明白だったのだが、一体自分に何を求めているのか、サガにはそれがわからなかった。 サガが困惑をそのまま表情に乗せてアイオロスを見つめていると、どうやらアイオロスもサガの言いたいことがわかったらしく、小さく苦笑しながら言葉を付け加えた。 「だから、30日は一日中私の側に居てくれ。その日一日、私にお前を独占させて欲しい!」 結局のところ、どんなに考えてもアイオロスにはこれ以外の望みはない。端から見れば、アイオロスは充分サガを独占しているように見えるかも知れないが、本人はそうは思っていなかった。サガと一緒にいる時間は、下手したら実弟であるカノンよりも多いかも知れないくらいだが、それは教皇補佐と言う同じ職務に就いているからであって、共有しているプライベートな時間など周りが思っているより遥かに少ないのである。誰に遠慮することなく、仕事に煩わされることなく、一日中サガを独占していたいと言うのは、常日頃からアイオロスが切望していることであった。 「それは無理だ」 だが間髪入れずにサガから返ってきた答えは、非常に冷たいものだった。 「何で?!」 うん、と言ってくれるかと思っていたアイオロスは、その素っ気無い答えに不満そうな声を上げた。 「当たり前だ。この忙しい時期に、お前と私が揃って仕事を休むわけにはいかないだろう」 サガが心持ち眉を顰めながら、アイオロスに言った。 11月も半ばを過ぎると、日々の寒さとともに忙しさも増してくる。特に月末からクリスマスにかけてなど、目の回るような忙しさになることは、教皇として君臨してきたこの13年間でサガは嫌と言うほど知っている。教皇・シオンはもちろん、その補佐にある自分にしてもアイオロスにしても、12月に入ったらそれこそ自宮に帰ることすらままならない日々が続くのは目に見えているのだ。 そんな忙しい最中でも、誕生日は特別である。 黄金聖闘士達は皆、自分の誕生日は公休と言う扱いで休暇をもらえることになっている。それは忙しい時期だろうが何だろうが不変のもので、次期教皇に決まっているとは言え、現在はまだ射手座の黄金聖闘士であるアイオロスも例外ではない。なのでアイオロスは何も言わずとも休日が与えられるが、サガは違う。いくら恋人の誕生日だからと言っても、それはアイオロスとサガにだけ特別なことであって、仕事を二の次にしていいと言う理由にはならない。 「ダメかなぁ?」 「ダメ」 サガと違って教皇職の重さをまださほど実感していないアイオロスの方は、幾分気楽すぎる感が拭えない。そんなアイオロスの気楽さをも窘めるかのように、サガは先刻よりも語調を強くしてダメ出しをしたのだった。 「それにな、お前はまだ知らないと思うが、他の連中がお前の誕生日パーティを盛大にやるんだと、張り切って準備しているんだぞ。中心になってるのは、アイオリアとシュラだ」 もうあと一週間もないことだし、そろそろ教えておいてやってもいいだろうと、サガは後輩達がアイオロスのために計画しているパーティのことを話した。 「えっ?」 実弟と、実弟同然の後輩の名を聞いて、アイオロスは不満そうにしていた表情を一変させた。 「当日、お前と一緒にいたいのは私だけじゃないんだよ」 サガが優しい微笑みをアイオロスに向けると、そうだな……と呟くように言って、アイオロスは頷いた。 「欲しいものは何か考えておいてくれ。私にはそれくらいしか出きんからな」 今日のところはこれ以上せっついても無理そうだと諦めて、サガは返答をもらうのを少し先に送ることにした。もう少しゆっくり良く考えれば、いくら物欲の弱いアイオロスと言えど、欲しいものの1つや2つは出てくるはずである。 アイオロスはそれに、うん、と気のない返事を返してから、 「でもサガ……それなら、そのパーティには来てくれるだろう?」 尋ねると言うより懇願するような口調で言いながら、再び腕の中のサガに視線を戻した。 「あ、ああ。仕事が終わったら……」 正直なところ、仕事が終わるかどうか危しい状況なのだが、とりあえずサガは微妙に言葉を濁して頷いておいた。 「終わらせてくれ!。ってか、残った分翌日以降に全部回してもいいから、絶対来てくれ!。みんなの気持ちは嬉しいが、お前もそこに居てくれなければその嬉しさも半減だ」 仕事など、翌日以降に自分が3〜4日徹夜して片付けてもいいとアイオロスは思っていた。このあたりが神経質で完璧主義のサガと、後からどうにでもなるさ的な大雑把思考のアイオロスの、大きな違いだった。 自分が結構我儘を言っていることをアイオロスは百も承知していたが、それでもアイオロスにとって、サガはどんなことがあっても欠かせない存在なのだ。 「わかった。努力する」 余りに真剣にアイオロスが言うので、つい可笑しくなってサガはそう答えながら笑いを溢してしまった。 「で、パーティ終わった後は……ここに来て欲しいんだけど……」 サガの様子を伺いつつ、先刻よりはやや遠慮気味にアイオロスがそれを口にした。やっぱりどうしても、ほんの僅かな時間でもいいから、サガと2人きりの時間が欲しいアイオロスだった。 「……わかったよ」 ダメ!と言われることも覚悟していたアイオロスだったが、思いの外あっさりサガが頷いてくれたのを見るなり、瞬く間に表情を明るくすると、サガを抱き締めて嬉しそうにその青銀の髪に頬を寄せた。 |
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