「サガのバカ!嘘つき!!」

約束の日の翌日、やっと姿を現した兄に、カノンは目に涙を一杯溜めてそう怒鳴った。

「ごめん、ごめんね、カノン……」

弟の涙の理由が自分のせいだとわかっているサガは、懸命にカノンに謝った。

「僕たちの誕生日だからって……ケーキを持って必ず来るからって言ったのは、サガじゃないか!。だから……ずっと待ってたのに……」

遂にカノンの目から、涙がこぼれ落ちる。

「ごめん、カノン。昨日は、どうしても聖域を抜けられなくて……」

「サガは……サガはいつだってそうなんだ。僕なんかより、聖域のやつらの方が大事なんだ!」

「ちが……違うよ、カノン、僕が一番大事なのはカノンなんだ、本当だよ」

「嘘だよ!それならどうして僕との約束を破るんだよ?!」

カノンに泣きながらそう訴えられ、サガは返答に窮した。理由はどうあれ、結果として自分がカノンとの約束を破ったと言う事実に変りはないのである。

「僕は聖域には行っちゃいけないから……ずっとここでサガのこと待ってたのに……」

カノンは顔を俯け、肩を振るわせた。両親も既になく、肉親は双子の兄であるサガただ1人。だがそのサガとも無理やり引き離され、兄弟だと名乗ることも許されず、自由に会うことすらままならない日々を強いられ、まだ幼いカノンの我慢は既に限界に達していた。

「カノン、本当にごめんね。だから今日は……」

「もういいよっ!僕はもうサガのことなんか信じない!サガなんか、大っ嫌いだ!」

「カノン!待っ……」

カノンはサガの制止の声を振り切って、家を飛びだしていった。






2人の間に生じた亀裂は結局修復されぬまま、20年余りの月日が流れた。

あの日以来、サガとカノンはお互いの誕生日である5月30日を、一緒に過ごしたことはない。それはほぼ一方的にカノンが兄を拒み続けた結果であり、また13年にも渡る月日を行方知れずになっていたせいであったが。

毎年5月30日になると、記憶の奥底から蘇っては自分を不機嫌にさせていた、幼い頃の苦い思い出。忘れたくても忘れることは決して出来なかったし、それに雁字搦めにされている自分にももちろんカノンは気付いていた。そしてそのことを自覚する度に、更に苛立ちを募らせてもいた。

だがそれも、終わりを見る日がやっと来たのだ……。

20年以上もの長い時を経て、ようやく兄とともに暮らすことを許された双児宮の、自室のベッドの上で、カノンは膝を抱えて座ったままぼんやりとそんなことを考えていた。

子供の頃はただサガのことをひたすら待っていただけの記憶しかないカノンにとっては、1つ屋根の下に兄がいると言うだけで満足に値するものであった。もう不安に苛まれながら、待つことだけしか許されなかった日々を送ることはない。

とは言え、何しろ20年ぶりの誕生日、顔を合わせた瞬間にどうリアクションを取るべきか、さすがに悩みどころであった。

当たり前だがお互いしっかり年を食って完全な大人になっているだけに、今更誕生日云々などと面と向かって言うのも恥ずかしい気がするし、もう一方の当事者の兄の方はと言えば、忘れてはいないのだろうがそのことに触れてくる気配すらない。同い年とは言え、兄の方が精神的に遥かに大人であるのは悔しいがカノンも認めざるを得ないところで、そんなことを言おうものなら「もうそのような年でもないだろう」と、一刀両断にされるのがオチなような気もする。

それでも、もしかしたら……。

カノンは小さく溜息をつくと、やっとベッドを降り、着替えをすべくパジャマのボタンに手をかけた。







期待と不安で胸を半々にしながらカノンがリビングに行くと、そこにサガの姿はなかった。

「兄さん……?」

呼んでみてもやはり返事はない。隣接しているダイニングからも人の気配は感じられず、カノンは僅かに眉を顰めた。

『書斎かな?』

現在、教皇・シオンの元でアイオロスとともに補佐役を任命されているサガは、激務に追われることもしばしばで、自宅に仕事を持ち帰ってくることも頻繁にあった。そんな時は大抵、書斎に閉じ篭もりっきりになっていることが多い。

カノンは踵を返すと、書斎に向かった。

「兄さん……サガ?」

書斎のドアをノックしてから、声をかける。だが返答はない。もう一度呼びかけてから書斎のドアを開けると、中は無人だった。

となると、自室か?と、カノンは今度は自分の部屋の向かいの、サガの部屋へと足を運んだ。同じようにノックをするも返答はなく、ドアを開けたらやはりここも無人だった。

『どこ行ったんだ?』

そう思いながら風呂場やテラス、中庭なども探してみたが、どこにもサガの姿はなかった。どうやら家の中には居ないらしいことがわかり、カノンは拍子抜けしたような気分でリビングに戻った。

『今日は仕事は休みだって言ってたのになぁ』

普段であれば、別に居なくてもさほど気にも留めないのだが……。何となく腑に落ちないような思いを抱えつつ、カノンがそのままリビングを抜けてダイニングへ行くと、テーブルの上に食事の支度がしてあり、これがサガの不在を決定的に裏付けた。

弟の生態系を熟知しているサガは、朝食ではなく昼食を用意していたのである。サガが在宅していれば、こんな風にしてカノンの分だけの食事が用意されていることはないはずだ。そしてそれはもうすっかりと冷めきっており、サガが外出してからそれなりの時間が経過してしまっていることを如実に物語っていた。

「何だよ……」

一気に落胆したカノンが思わず不満そうに呟いた時、ふとテーブルに置かれた一枚のメモが目に付いた。それを手に取って紙面に目を走らせた途端、カノンの眉がすごい勢いで釣り上がった。

カノンはそのメモを乱暴に丸めてジーンズのポケットに突っ込むと、サガが用意してくれた食事に手も付けずに双児宮を飛び出した。







「なっ……?!」

天蠍宮の玄関を開けたミロは、顔中に「不機嫌」と殴り書きしたような形相をして立っているカノンに驚き、思わず絶句した。

「邪魔するぞ!」

カノンはそう言い置くと、ミロの返事すら待たずにずかずかと天蠍宮の私室へ入り込んだ。

「おっ、おい、カノンっ……」

ミロは玄関のドアを慌てて閉めると、急いでカノンの後を追って私室の中へ戻った。カノンはリビングに入るとどっかとソファに腰掛け、腕と足を組んで踏ん反り返った。

「カノン……お前、何だよいきなり……どうかしたのか?」

何かあったことは一目瞭然である。カノンが天蠍宮に飛び込んでくるのは日常茶飯事なので、そのこと自体は驚くにも値はしないのだが、今日はいつにも増して尋常ではない。そのことを瞬時にミロは感じ取ったのだ。

「別に!」

だがカノンは素っ気無くそう答えて口を尖らせた。

「別に!じゃねえよ、別に!じゃ。いきなり飛び込んできて仏頂面で座り込んで、どこが別に!なんだよ」

ミロが呆れたように言うと、カノンは上目遣いでミロを睨んだ。

「サガとケンカでもしたのか?」

十中八九、間違いないであろうが、とりあえずミロはカノンに確認してみた。

「ケンカなんかしてねーよ」

ムスッとしたまま、カノンが答える。

「じゃ何だってんだよ?。お前がそんな形相で飛び込んで来るのは、大抵サガとケンカしたときじゃないか」

「ケンカなんかしてねーっつってんだろ!」

完璧にケンカと決めつけているミロに、カノンは今にも噛みつきそうな勢いで言い返した。

「サガはどうしたんだよ?」

ミロは大きく溜息をついて、今度はサガのことを尋ねた。

「知らねえよ!」

「知らねえわけねえだろ?」

「知らねえっつの!。オレが起きたときには、もう居なかったんだからっ!!」

「居ない?、サガが?」

意外そうに聞き返してくるミロに、カノンはポケットに捩じ込んだメモを出して、ミロに向かって無言でそれを放り投げた。ミロは床に落ちたそれを拾うと、不貞腐れて顔を背けているカノンを一瞥してから、皺を伸ばしてそれに目を落とした。

『ちょっと出かけてくる。夕方までには戻れると思うので、今日は一日外出せず、待っているように』

サガの字で書かれたそのメッセージを読んで、ミロは軽く目を瞠る。

「どこ行ったんだ?、サガ」

顔を上げてカノンに尋ねると、カノンもミロの方に顔を向けて

「んなこと知るわけねえだろう!。起きたら兄貴はいなくて、飯と一緒にそれが置いてあったんだよ!」

ミロが手にしているメモを目線で差して、カノンが言った。ミロは小首を傾げながらメモとカノンを交互に見遣る。

「何も聞いてねえの?」

「聞いてねえから怒ってんだろうが!」

ホラ、やっぱり怒ってんじゃねーか……と思いつつ、ミロは更に首を傾げて

「でもさぁ、んなに怒るこっちゃねーじゃん。ちょっと出かけてるだけだろう?。夕方までには戻るって書いてあるしさぁ……」

メモを指差しながらミロが言うと、カノンはまたもやすごい勢いで片方の眉をはね上げ、

「あいつの言うことなんか信用できっか!。大方アイオロスにでも呼び出されて、喜んで出てったに決まってる!。今頃デートの真っ最中だ、そう簡単に帰ってくっかよ!」

一気にそう捲し立てると、またもやプイッとそっぽを向いた。

「はぁ?、アイオロスとデートぉ?」

「ああ、絶っ対そうに決まってる」

カノンはすっかりそう決めつけていた。

「え〜、アイオロスが?、まさかぁ〜、それってお前の勘繰り過ぎなんじゃないの?」

ミロが言うとカノンは今度は横目でミロを睨みつけ、

「オレに何も言わずに出ていく理由が、他にあるわけねえだろう!」

更にそう言って憤慨した。

「言ってってんじゃん」

ミロがメモをひらひらとさせながらツッコミを入れると、カノンは瞬間鼻白んでから

「直接にだ!」

怒鳴るようにしてそう言い放った。それはお前が寝ていたからだろう……とミロは思ったが、口に出すのは止めておいた。

「え〜、でもなぁ〜……」

だがミロはやはり腑に落ちないと言った具合で首を捻っていた。

「あいつが今日、兄貴に何も言ってこないわけねえだろ!」

何やらいつになくはっきりしない様子で、アイオロスを庇うような素振りを見せているミロに、カノンは更に苛立ちを募らせた。

「いや、まぁ……それはそうかも知れないけど……さ……」

今日がサガとカノンの誕生日だと言うことは、無論ミロも承知している。アイオロスとサガが恋人同士と言うことは十二宮では公認であるし、特にアイオロスのサガへの執心ぶりを考えれば、カノンの言うことは確かに的を射てはいるのだが。

「あいつ、昨日もウチに来て、何か兄貴とコソコソ話してたんだ。今日のデートの相談してたに決まってんだ!」

「お前、その話聞いてなかったの?」

「聞いてるわきゃねーだろ!。あいつが兄貴を書斎に引っ張りこんじまったんだから!」

「仕事してたとか……」

「お前、さっきっから何アイオロス庇ってんだよ!」

遂に怒り頂点に達したカノンは、ソファから立ち上がってミロに詰め寄った。

「かっ、庇ってるわけじゃないけどぉ〜……」

カノンの迫力に押され、ミロが2〜3歩後ずさる。

「た、たださ、何もそんなに目くじら立てなくても……。夕方には帰ってくるって言ってるんだし、サガは嘘つかないし、おとなしく待ってればいいんじゃないかな〜って……」

「あいつは嘘つくんだよ!。お前が知らないだけだ!」

怒鳴った瞬間、カノンの目に一瞬だけ淋しげな色が浮かんだ。

「お、前の気持ちはわからなくもないけど、子供じゃないんだからそれくらい認めてやっても……」

「言っとくけどな、ミロ。オレは別に兄貴がアイオロスと会ってるからって、それだけで怒ってるわけじゃねーんだぞ!」

「じゃ、何がそんなに気に入らないんだよ〜?」

「兄貴はなぁっ……いつもオレに、待ってろ待ってろって、そればっかりなんだよ!」

「はぁ?!」

「子供の頃からずっとだぞ!。いっつも二言目には『待ってろ』だ。待ってる方の身にもなってみろってんだ!。サガは待つ方の人間の気持ちなんかなぁ、これっぽっちもわかっちゃいねんだよ!」

カノンの口から『人の気持ち』なんて言葉が出るとは思ってもみなかったミロは、思わずぱちくりと目を瞬かせた。

「冗っ談じゃない!誰がおとなしく待っててなんかやるもんかっ!」

最後は殆ど大きな独り言である。カノンは言い終えるとまたどっかとソファに腰掛けた。

幼いころの経緯などはまるで知らないミロは、何が何やらよくわかってはいなかったが、とにもかくにもこのサガの「待っていろ」と言う言葉が、カノンの怒りに火を付けたのだと言うことだけは理解した。最も、事実関係の確認は取れてないにせよ、アイオロスが関っている(らしい)ことも、怒りを増幅させた原因であることは間違いなさそうであったが。ミロは手にしていたメモに、何となくもう一度目を落とした。

「ミロ!」

「……何だよ」

数十秒してカノンがミロを呼んだ。

「腹減った!」

「は?」

「起きてから何も食ってねんだよ。腹減ったから何かくれ」

遠慮がないを通り越して図々しいカノンの言い草だが、最早ミロはそれには慣れていた。

「サガ、飯作ってってくれたんだろ?。それどうした?」

ミロに痛いところを突かれ、カノンは一瞬返答に詰まった後、

「んな気分じゃなかったんだよ。いいから何かくれ!」

完全に開き直ってミロにそう催促した。もう何を言っても無駄そうなのでミロは諦め、深い溜息を1つついた。

『それにしても……マズイんだよなぁ〜……』

予想外の、ちょっと困った事態にミロは頭を悩ませたが、いずれにせよまずはカノンに何か食べさせて、少しでも落ち着かせるのが先決のようである。

ミロは相変わらず仏頂面こいているカノンを残し、インスタント食品だけは豊富にあるキッチンへと消えた。


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