「なぁ、カノンさぁ……」
ゲームに興じているカノンの背中に向かって、ミロが呼びかける。しょっちゅうゲームオーバーになるところを見ると、ゲームに集中しきっていない事は明らかである。飛び込んできたばかりの時よりは大分落ち着いたものの、やはりカノンは終始不機嫌で、ミロもさすがに持て余し気味であった。 「何だよ?」 振り向きもせずにカノンが答える。 「もう6時過ぎたけど……」 ミロがそう言うと、ピクリ、と僅かにカノンの肩が揺れた。 「……それがどうした?」 だが、一瞬の間を置いた後に返ってきたのは、素っ気無いものであった。もちろん、それはカノンが努めて素っ気無くしている……と言うか、しらばっくれてるのだと言うことはバレバレであったが。 「1回、ウチ帰ってみたら?」 ミロが重ねて言うと、カノンは振り返ってキッとミロを睨みつけた。 「何で帰らなきゃいけねんだよ?!」 「何で……って、もうサガ帰ってっかも知んないじゃんか」 ま〜だしらばっくれるか?!、と思いながらも、ミロは律義に答えてやった。 「帰ってるわきゃねーだろが!」 「んなことわかんねーじゃん!。サガがウチ帰った時、お前がいなかったら、きっと心配するぞ」 「あいつがオレの心配なんかすっかよ!」 「するよ!。さもなくば怒られるぞ」 「あいつに怒られる理由なんかねえっ!!」 「でもさぁ……」 「るせぇんだよ!、お前はっ!!。帰らねえったら帰らねえ!!」 ミロの言葉に全く聞く耳を持たず、怒鳴りつけるようにして会話をぶち切ると、カノンはまたぷいっと画面の方に視線を戻し、苛々した手付きでゲームを再開した。 ダメだ、完全にヒネくれてる……と、ミロはカノンの背中を見ながら、溜息混じりに首を小さく左右に振った。 人の家に勝手に転がり込んできて何たる態度だと思わなくもなかったが、カノンはそう言うやつだと言うこともミロはよくわかっているので、今更それに対して怒る気にもなれなかった。 とにかく、カノンの頭の中には『サガいない→アイオロスとデート→自分ほっぽらかされた』と言う図式が完璧に出来上がってしまっているだけにどうしようもない。 だからと言ってこのままにしておくわけにもなぁ……と、ミロが困り果てていたとき、天蠍宮の玄関の扉が、物すごい音を立てて開閉した。 その音に驚いて、ミロとカノンがほぼ同時に振り向くと、カノンにとっての諸悪の根源・アイオロスがリビングに飛び込んで来たのである。 「ア、アイオロス……」 いきなり飛び込んできたアイオロスを呆然と見ながら、ミロが呟いた。アイオロスはカノンの姿を見るやホッと一息ついて、この宮の主であるミロの前を無言でずかずかと横切ると、テレビの前に座り込んでいるカノンの側へ行った。カノンの顔が、みるみる凶悪なものに変わっていくのがわかる。さすがに、ミロの背中にも冷たい汗が一筋流れた。 「双児宮にいないから、もしやと思って来てみれば……やっぱりここにいたのか。何をやってるんだ?、カノン」 アイオロスが尋ねたが、カノンが素直に答えるわけもない。アイオロスを睨みつけたまま、唇をきつく引き結んでいる。 「サガに家で待っていろと言われただろう?。サガが心配しているぞ、すぐに双児宮に帰るんだ」 言いながらアイオロスは、カノンの腕を掴んでカノンを立たせようとした。あ、ヤバイ!とミロが思った時には、もう遅かった。 「るっせーなっ!!。てめぇにんなこと指図される覚えはねんだよ!!」 これ以上ないと言う位にまで表情を険しくしたカノンは、ものすごい勢いでアイオロスの手を振り払った。サガがカノンに家で待っていろと言い置いていたことを知っていると言うことは、やはりアイオロスはサガと一緒だったのだ。それを確信したミロは、思わず頭を抱え込みたくなった。 いきなり手を払われたことにさすがにムッとしたらしいアイオロスは、眉間を寄せてカノンを睨んだ。 「どうしてお前はサガに言われたことを守れないんだ?。サガに心配かけてばかりいてはダメだろう」 兄貴面して言うアイオロスを見ながら、それはあんたが関ってるせいでもあるんだと、ミロは内心で呟いていた。 「それもてめぇにとやかく言われるこっちゃねんだよ!。大体、ガキじゃあるまいし、いちいちいちいち兄貴の指図通りにしてられるかってんだ!。それに心配してくれなんて頼んだ覚えもねえよ!」 カノンが一気にそこまで言うと、アイオロスは更に眉間を強く寄せて、今度はかなり強い力でカノンの腕を掴むと、強引にそれを引っ張って半強制的にカノンを立ち上がらせた。 「……ってーじゃねえかっ!、何をしやがるっ……」 カノンが怒りに任せて声を張り上げたが、アイオロスは意にも介さずに無言のままカノンの両肩を掴み、 「何を怒っているのか知らんが、とにかく双児宮に帰るんだ」 真正面僅かに高い位置からカノンを見据えて言った。 「だから、てめぇの指図は受けねえって……」 「いいから!!。今すぐ帰るんだ!!。……サガが待ってる、早く行ってやれ」 言い聞かせるような、だが反論は許さないと言った強い口調でアイオロスが言うと、不意にカノンがおとなしくなった。瞬く間に怒気が消え失せ、それと同時にやや呆然とした表情になっていた。そのカノンの急激な変化にミロは小さく目を瞠った。 「待ってる?……サガが……?」 呆然としたままアイオロスを見上げ、聞くともなしに聞き返したカノンの言葉に、アイオロスは黙って頷いた。 そんなカノンの様子を見ながらミロは、カノンが何故今日こんなにも荒れていたのか、その理由が漠然と理解できたような気がした。カノンはもしかしたら、サガに待っていてもらったことなど一度もないのではないのか……と。サガを待つことだけしか許されていなかったのではないか……と。だからこそ、サガの「待っていろ」と言うあの一言に、あんなにも怒りを顕わにしていたのではないか……と。 「ほら、早く行け」 アイオロスはカノンの両肩から手を放すと、短くそう促してカノンの背を軽く押しやった。 カノンは明らかに戸惑ったような様子を見せていたが、結局はアイオロスに促されるまま、のろのろとリビングを出ていった。 間もなく、玄関のドアがの閉まる音が、カノンが天蠍宮から出ていった事を告げた。ミロは大きく安堵の息を吐きだし、アイオロスはやれやれと言った感じで肩を竦めた。 「全く、世話の焼ける奴だな……」 呟くアイオロスの横顔を見ながら、そんなセリフをカノンが聞いたらまた怒るぞ……と思わずにはいられないミロであった。アイオロスとカノンは同い年であるのだが、本人は気付いているのかいないのか、アイオロスのカノンに対する態度はモロに『弟』に対するそれであることは、ミロの目から見てもよくわかる。サガとカノンが双子だと言うことはもちろんわかっているのだが、アイオロスにとってカノンはあくまで「サガの弟」であり、意識の上では完全に年下扱いなのである。そんなところが尚のこと、カノンの勘に障るのだと言うことに、アイオロスは気付いていない。 元々面倒見のいい性格であり、ある意味サガよりも兄貴肌のアイオロスであるから、アイオロス自身は他の後輩達と全く同じようにカノンに接しているつもりなのだろうが、カノンにとってはサガのことが絡んでくるだけに、心境は複雑にならざるを得ないのだ。そのあたりも、アイオロスは全くわかっていないようだった。 「ミロ、お前もお前だ!。あれほど今日はカノンと遊んじゃダメだぞって言っておいたのに、何ですぐにカノンを双児宮に帰さなかったんだ!」 アイオロスはミロの方に向き直るなり、開口一番にミロを叱りつけた。これが今日、天蠍宮に入ってきて初めて、アイオロスがこの宮の主に向かって投げた言葉である。 「なっ……」 いきなり叱りつけられ、ミロは驚きの余り、瞬間言葉を詰まらせた。 「何言ってんだよ?!、オレは帰そうとしたんだってば!。でもあいつ、帰らないの一点張りで、勝手に居座っちゃってたんだからしょうがないだろ!!」 さすがにカチンと来たミロは、アイオロスに向かって思いっきり反発をした。 「それにっ!、元はと言えばアイオロスが悪いんだからなっ!!」 「私が?!、何で?」 いきなり自分の方に鉾先が向いて、アイオロスはきょとんとした。 「そうだよっ!。アイオロスがカノンが寝てる間に、サガを勝手に連れ出しちゃったりしたから悪いんだっ!!」 「はぁ?!」 「もうカノンの奴、拗ねちゃって拗ねちゃって大変だったんだからなっ!。オレがそれを宥めるのに、どれほど苦労したと思ってんだよ!!」 この半日で蓄積した鬱憤を、ミロは何にもわかってないアイオロスに向かって爆発させた。 「あれじゃ、母親取られた子供と同じだよ!。まるっきりガキ!、拗ねてヒネくれてグレちゃったガキ!。あいつ、あれで本当に28にもなってんのかよっ!!。オレはその拗ねっ子の相手を、ず〜っとさせられてたんだかんな!オレの身にもなってくれっての!」 カノンだって、よりにもよってミロに「ガキ」とは言われたくないだろうと思いつつ、アイオロスはミロの迫力に押され、それを口にすることは出来なかった。 「大体、アイオロスが言い出したんじゃないか!。今日はサガとカノン、2人きりで静かに誕生日を過ごさせてやれって!。だから宴会も全部明日に持ち越したし、オレも他の連中も双児宮に行くの遠慮してたんだぜ!。それなのに、言い出しっぺの張本人が、カノンに無断でサガ連れ出してどうするんだよ?!。お陰でエラい迷惑被ったじゃないかぁ!」 一気にそこまで捲し立てると、ミロはゼーゼーと肩で息をした。 20数年ぶりの誕生日を兄弟2人で静かに過ごさせてやるため、実は数日前からアイオロスは、他の黄金聖闘士達に既に今日の日のことを根回ししていたのである。特にカノンと仲のいいミロ、デスマスク、シュラには、今日だけは絶対にカノンを誘ってはダメだと、念入りに釘を刺していたのだった。 アイオロスは呆気にとられた状態で、ミロに言われるがままになっていたが、 「……何を勘違いしているんだ?。私はサガを連れ出したりなどしていないぞ?」 少ししてやっとミロの怒りの原因を全て理解し、興奮しまくるミロとは対照的にのんびりとした口調で言った。 「嘘言うなよ!。なら何でサガがカノンに言い残してったこと、知ってんだよ?。今の今までサガとデートしてたんだろう?」 尚もミロが言い募ると、アイオロスはやや困ったような顔をした。 「嘘なんかついてどうする?。確かにサガと一緒にもいたが、デートなどしてないぞ。それに一緒にいたとは言っても時間にしたらほんの少しだ。大体、私はずっとアテネ市内に行っていたのだからな」 言われてミロは、アイオロスの格好を改めて見た。アイオロスは赤地のTシャツにジーンズと言う服装で、これは彼の聖域外お出かけルックである。その服装からして、アイオロスが聖域の外に行っていたことに間違いはなさそうだ。 頭のてっぺんから足の先まで視線を流してからミロは、 「どーゆー事?」 アイオロスの顔を見上げながら、怪訝そうに尋ねた。アイオロスはそんなミロに、ニヤリと意味あり気な笑いだけを返した。
カノンは双児宮の玄関の前で立ち竦んでいた。バツの悪さも手伝って何となくドアを開けるのが怖かったのだ。 それに…… このドアの向こうには、本当にサガがいるのだろうか?。中に入ったらやっぱり誰もいなくて、また1人でいつ戻るとも知れないサガを待たねばならないのではないだろうか?。ドアノブに手をかけた瞬間に、そんなことがカノンの頭を過った。幼い時に受けた心の古傷が、この時またカノンの記憶の深淵から顔を出したのである。 『でも……』
カノンはそれを払拭するように頭を振ると、一呼吸ついてからドアノブにかけた手に力を込め、思い切ってドアを開けた。 |
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