思春期の麻疹
「なぁ、ミロってさ、今19だったっけ? 20だったっけ?」
何の前触れもなく天蠍宮にやって来た珍しい客人に、これまた突然の問いを投げられたミロは、ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーが入っているマグカップをテーブルの上に置きながら、「は?」と間抜けな声をあげて質問者の顔を見た。
ミロに唐突な質問を投げたその珍しい客――星矢は、邪気のない、それでいてどこか真剣味を帯びた笑顔を浮かべながら、まるで返答を急かすかのようにじっとミロの顔を見返している。
何で突然年齢なんか聞かれるんだろう? と内心で首を傾げながら、ミロはとりあえずその質問に答えた。
「20だけど」
「そっか、ハタチかぁ……」
ふぅ〜ん、と、星矢はじっとミロの顔を見たまま小さく頷いた。
「それがどうかしたのか?」
何で今更改まって年齢なんぞを聞かれなきゃならないんだ? と思いながら、ミロは星矢の正面に腰を下ろして何気ない調子でそう聞き返した。
「ん? いや、ちょっとね。そういえばミロって20歳になってたかな〜? それとも19だったかな〜? って思ってさ」
殆ど答えになっていない答えを返しながら、星矢はいただきま〜すと元気に言ってマグカップを手に取り、美味しそうにコーヒーを啜った。
「オレが19だろうが20だろうが、お前には何の関係もないことだと思うが……オレの年なんか聞いてどうするつもりなんだ?」
ただ何となくで出て来るような問いではないだけに、ミロとしても気にせずにはおれないところだった。
しかもその問いの裏にあるのであろう星矢の意図に皆目見当がつかないだけに、尚更である。
星矢はまたうん……と曖昧に呟いた後、
「てことはさぁ、ミロはカノンより8歳年下ってことだよね?」
ミロの疑問符に答えるどころか、また突飛な問いを投げて来たのだった。
はぁ!? とまたミロが間抜けな声をあげる。
そんなことは改まって問われるようなことではない。28−20=8、小学生でも出来る簡単な算数である。
「お前、まさかこんな簡単な引き算も出来ないのか?」
「んなわけないだろ。いくらなんだってそれくらいは出来るよ。一応確認してみただけじゃん」
失礼なとでも言わんがばかりに、星矢が顔を顰めてみせた。
だから何でそんなことを確認されなきゃいかんのだ、と、ミロはそれが聞きたいのである。
だが星矢は思いっきり怪しんでいるミロの様子に気付いてもいないのか、何とも言えぬ複雑な表情で小首を傾げた後、再び視線をミロに戻して口を開いた。
「あのさミロ、変なこと聞くけど……」
そう前置きをする星矢に、さっきから変なことしか聞いてないじゃないかとミロは内心でツッコミを入れていた。
変なことといえば、そもそも星矢が一人でこの天蠍宮にやってきた事からして、ミロから言わせてもらえば変なことなのだ。
もちろん、星矢が十二宮に来ること自体はそう珍しいことではない。
用事らしい用事などなくともわりに頻繁に十二宮に顔を見せるのだが、その際まず星矢の足が向くのは双児宮か獅子宮が殆どだ。
厳密に数えたわけではないが、ミロが見ている限り、多分双児宮が一番多いだろう。実際、星矢が双児宮を訪れた時に自分が居合わせた事も、一度や二度の話ではない。
そんな風に双児宮で一緒になることは幾度かあったが、自宮の天蠍宮で星矢と一対一で向き合うのは、実はこれが初めてなのである。
氷河が一緒というのならまだわからないでもないのだが、とにもかくにも星矢が一人でここにやって来たこと自体が、ミロにとって珍しいというより不可解なこと以外の何ものでもなかった。
一体自分に何の用があって、というか、何を聞きたいのだろう――? と、ミロは増々訝しく思う一方だった。
「ミロとカノンって、恋人同士なんだよね?」
「はぁ!?」
また何を今更な事を聞かれ、ミロは片方の眉を跳ね上げて素っ頓狂な声を張り上げた。
まさかと思うがからかわれてでもいるのだろうか? と、ミロはあからさまに不審者を見る目で星矢を見たが、星矢は思いの外真面目な顔で、
「恋人なんだよね?」
と、念押しするように問いを重ねたのだった。
「…………まぁ、一応」
ミロは戸惑いを露にしながら、モゴモゴと曖昧気味に答えつつ、頷いた。
「ミロとカノンが初めて会ったのって、冥界との聖戦が始まった時だよね?」
「ああ」
「てことはさ、出会ってまだ数ヶ月しか経ってないってことになるんだよね?」
「……まぁ、そういうことになるな」
立て続けに浴びせられる質問というか確認に、ミロは完全にたじろいでいた。
自分達の馴れ初めなんぞに到底興味を示しそうもない星矢に、いきなりこんなことを聞かれているのだから当然と言えば当然の反応だろう。
未だにミロには、星矢の真意がまるで見えていなかった。
「そのカノンとさ、ミロはその……何で恋人同士になれたの?」
「何でって、お前……」
自分がカノンを好きになって、カノンも自分を好きになってくれたからに決まってるだろう、とミロは思ったが、さすがに青銅の小僧相手にそんなことは、こっ恥ずかしくて言えるわけがなかった。
「何ていうか、成り行きみたいなモン、かなぁ?」
「成り行きぃ〜? いくら何でもそんな単純なもんじゃないだろ?」
星矢は思いっきり疑わしげな目でミロを見た。
確かにそれはそうなのだが、子供のくせに生意気なとミロが思ったのも、無理もない事である。
「大人には大人の事情ってもんがあるんだよ。そういうのが複雑に絡んでるんだ、簡単に説明出来ない事だってあるの」
「あ、大人ぶるのズルイ」
「大人ぶってるんじゃないの、大人なの!」
この会話自体大人げないこと甚だしいが、幸か不幸かミロはそのことには気付いていなかった。
上手く――というより半ば強引にはぐらかされた星矢は、不満そうに軽く膨れっ面をして見せたが、
「ミロさ、カノンとの歳の差って気になった事ある?」
「は?」
「だから、ミロとカノンって実際8歳の歳の差あるわけじゃん? 例えばその、ミロがカノンを好きになった時とか、付き合い始める時とか、年齢差を気にしたりしなかった?」
すぐにまた、真意の見えない問いをミロに投げたのだった。
「オレはあまり気にした事はないけどな」
この問いには、ミロは迷わずに即答した。
「カノンの方は?」
「さぁ? 聞いたことないからわからん」
素っ気なく答えて、ミロは小さく肩を竦める。
何だかんだ言いつつちゃんと答えているあたり、我ながら律儀だなと思わずにはいられない。
「じゃあさ、付き合っててジェネレーションギャップって感じる事ある?」
「それもあまりないな……。ていうか星矢、そういうことはオレよりむしろカノンに聞いた方がいいんじゃないのか?」
「え? 何で?」
「歳の差ってのは、大概下の人間より上の人間の方が強く感じるものらしいからな。オレは……強いて言えば時々子供扱いされるのが気に食わないだけで、それがなければ歳の差なんて殆ど意識したりもしないからな」
「やっぱミロ、カノンに子供扱いされるの?」
「時々だ、時々」
本当は時々どころか常にと言った方が正解に近いのだが、そんなこと馬鹿正直に言えるはずもない。
ミロにだって、メンツというものがある。
「だからお前が一体何を考えてこんなこと聞いてるのかわからんし、そもそもオレに何を聞きたくているのかもさっぱり見えないが、多分、オレの話は参考にならんと思うぞ。カノンに聞いてこい、カノンに」
面倒くさそうに言ってミロは片手をひらひらと星矢に振って見せたのだが、星矢は困ったように眉尻を下げ、
「……聞けたら苦労しないよ」
と、吐息に近いような小声で、モゴッと呟いた。
「えっ?」
「ん、何でもない。けど最後にもう一つ聞いてもいいかな?」
「はいはい、どうぞ」
おざなりにミロは星矢に先を促した。
ここまで来たらあと一つも二つも同じである。
「ミロはさ、例えばカノンともっと歳が離れてたとしても、カノンのこと好きになった?」
「はぁ!?」
「だから、実際はミロとカノンは8歳差だけど、これが例えば10歳以上離れてたらどうだった? ってことだよ。12歳とか15歳とかさ、それぐらいの年齢差があったら多少話は変わって来るよね?」
「そんなこと言われても、なぁ……」
所詮は『たら』『れば』の話なので答えたところで意味がない気もするが、そう思いつつもミロは真剣に想像力を働かせ、答えた。
「時と場合によるとしか言えんが、ん〜……今のままだったら、10歳以上歳の差があったところで結果は変わらなかったと思うけどな」
「今のままって?」
「だから今のオレだったらって意味。一口に10歳以上っても、当事者の年齢によるだろう。オレが20歳でカノンが30歳とか35歳だったら別に何の問題もないと思うけど、例えばオレが15歳とかだったら、オレはともかくさすがにカノンが相手にしてくれないだろ」
自分のみに限った話であれば、例えカノンが10歳以上年上であっても気にはしないし、それこそ自分が15歳でカノンが今の28歳とか、仮に30歳になっていたとしても、無条件でカノンを愛せる自信はある。
だがさすがにカノンの気持ちまでは保証出来ない。
それでなくとも今ですら、何かと言うとすぐに子供扱いされているのだ。10代の小僧相手にカノンが本気になってくれる可能性など、ないに等しいだろうと思う。
「ふぅ〜ん、そっかぁ〜……」
どことなく落胆した様子で、星矢が吐息した。
「おい、星矢、まさかと思うがお前カノンのこと……」
「ちっ、違う違う! そんなんじゃないって!」
ミロが不穏な目を星矢に向けると、星矢は大慌てでそれを否定しながらもの凄い勢いでぶるんぶるんと首を左右に振った。
「ホント、大丈夫、そんなことないから。ただ何つーか、歳の差カップルってどんな感じなのかな〜? って、それにちょっと興味があっただけなんだ」
とてもその程度の興味だけとは思えないが、目の前の星矢の必死な様子を見る限り、確かに彼自身が言うようにカノンに懸想してるというようなことはなさそうだ。
仮に星矢にその気があったと仮定してもカノンが相手にするわけもないだろうが、万が一という事がないわけでもない。
とりあえずミロは内心で、ホッと小さく胸を撫で下ろした。
星矢は残ったコーヒーを一気に飲み干すと、いそいそと立ち上がり、
「ごちそうさま! それと色々どうもありがとう、ミロ。参考になったよ」
ミロに向かってにっこり無邪気に笑うと、それじゃなーと来たときと同じように唐突に去っていった。
「……参考になったって、何がだよ?」
星矢が去っていった後のリビングの出入口をポカーンと見つめ、ミロは無意識のうちに声を出してそう呟いていた。
結局最後まで星矢の意図は見えず、何が何だかわけがわからないままで、狐にでもつままれたような気分で一人首を傾げ続けるミロであった。