サガとカノンがお互いの誕生日であるこの日を一緒に過ごすのは、実に20数年ぶりであった。いつもは遊びたがりで余り家にじっとしていないカノンも、今日はサガが何も言わずとも家で大人しくしていた。

誕生日だからと言って特に何をするでもなく、いつもと全く変わりなく普通に過ごしていたが、こうして再び同じ屋根の下で過ごせる日が来ると思っていなかっただけに、お互いがお互いの存在を側に感じることが出来るだけで2人は満足だったのだ。

「紅茶でも淹れよう。午前中シャカがアッサムの葉を持ってきてくれたんだ」

時計がいわゆるおやつの時間を指しているのに気がついて、サガはリビングのソファから腰を上げた。

「アッサムの葉?。シャカが?、何で?」

向かいに座っているカノンが、不思議そうにサガに尋ねた。

「誕生日プレゼントだと言ってな。わざわざ母国から取り寄せてくれたらしい。さっき見たら、かなりの高級品だったぞ」

サガが嬉しそうに言うと、カノンは軽く目を瞠って

「へぇ〜、あいつでもそう言う気の利いたまともなプレゼントくれることあるんだ。プレゼントとか称して、ブードゥー教の呪いの人形でも持ってきたのかと思ってた」

心底意外、と言う顔でそう言った。

「お前は人の好意に対して何て事を言うんだ。第一、シャカが信仰しているのは、ブードゥー教ではなく仏教だぞ」

サガが軽くカノンを睨みながら嗜める。

「んなことくらい知ってるよ」

冗談口の1つも叩けやしない……と、カノンは内心で肩を竦めた。

「全く……相変わらず口の悪いやつだ。今度シャカに会ったら、お前からもきちんと礼を言うのだぞ」

「へ〜い、わっかりましたぁ〜」

カノンはいい加減に答えてから

「ね〜、紅茶だけじゃ物足りないよ。何かお菓子ないの?」

そうサガに催促した。

「デスマスクからビスコッティと言うお菓子をもらっているのだが……これはワインかコーヒーと一緒に食べたほうがいいらしいし」

ビスコッティはイタリアの伝統菓子である。そのままでは歯が立たないほど固く焼き上げられたビスケットで、ワインやエスプレッソなどの飲み物に浸して柔らかくしてから食べるものだと言う。

「ふぅ〜ん、それじゃ紅茶向きじゃないんだ。他は?」

「ムウがケーキを作ってくれると言っていたのだが、多分、これは夜になるし……となると、何もないな」

サガはカノンほどお茶菓子を欲しいとも思っていなかったので、別段紅茶だけで構わないのだが、これにはカノンはあからさまに不満そうな顔をした。

「じゃ、紅茶じゃなくてワインにして、そのデスマスクからもらったやつ食おうよ」

「馬鹿、真っ昼間から酒など飲んでいいわけがなかろう」

「いいじゃん、別に。サガだって今日は休みなんだしさぁ」

「そう言う問題ではない。普段からけじめのあるきちんとした生活をしていないと……」

「あ〜、わかった!わかりました、もういいです!!」

またもや説教に転じそうになったサガの言葉の先を、カノンが強引に切った。

「じゃあさ、サガが何か作ってよ」

一転して口調を変えて、カノンは今度はサガに手作り菓子をねだり始めた。

「作れと言われても……私は菓子作りはあまり得意ではないぞ」

サガが困ったように眉を寄せると、

「パンケーキ!。サガ、これ得意だったじゃん!」

迷うことなくカノンが言った。カノンにそう言われて、サガはハッと思い出したように表情を動かすと

「……そう言えばそうだったな……」

噛みしめるようにそう呟いて、今度は懐かしさに口元を綻ばせた。何より、カノンがそれを覚えていてくれたことが、サガには嬉しかったのだ。

まだサガが黄金聖闘士になる前、近隣の村でカノンと2人で暮らしていた時、サガはカノンにねだられてよくパンケーキを作っていた。子供に作れる菓子などたかが知れていて、サガにとってはこれが殆ど唯一のレパートリーだったのだが、カノンはサガの作るパンケーキが大好きで、いつもメイプルシロップをたっぷりとかけて美味しい美味しいと無邪気に喜びながら食べていたのだ。

あれから20年余り。カノンと別れて暮らすようになってから、サガは一度たりともそれを作ったことはなく、カノンもまた、一度たりともそれを口にすることはなかった。

「では久しぶりに作ってみるか。20年ぶりに作るんだから味の方は保証できんが、残さず食べるんだぞ」

サガがカノンに言うと、カノンは本当に嬉しそうな笑顔を作って頷いた。その笑顔が幼いころのカノンの面影に重なった。

「では、少し待っていろ」

カノンにそう言い残すと、サガはキッチンへ消えていった。




キッチンからバターの香りが立ち上り始めた時、玄関の扉が叩かれた。

「誰だよ?、こんな時に」

内心で少しわくわくしながらサガのパンケーキが出来上がるのを待っていたカノンは、タイミングの悪い来訪者に舌打ちした。

「カノン、すまないが出てくれ」

キッチンから顔だけを出して、サガが言う。

「え〜、メンドくせえよ、ほっとこうぜ」

やや口を尖らせてカノンがそう返すと、

「バカ言ってるんじゃない!。そんなことできるわけないだろう!。いいからさっさと出ろ!」

サガは顔をしかめてカノンを叱り飛ばした。

「ったく……」

カノンは渋々ソファから立ち上がり、玄関の方へ向かった。



カノンが玄関口まで辿り着く間にも、また数回、ドンドンと扉が叩かれた。るっせーなぁ、今開けるよ……とブツブツ独り言を言いながら、カノンは玄関の扉を開けた。

『……やっぱり来たか、大本命……』

扉の外には、大きな花束を抱えたアイオロスが立っていた。いずれ現れるだろうと思っていたカノンは、案の定の事態に内心でそう呟き溜息をついた。

「あ……」

アイオロスは応対に出たカノンを見るや、一瞬嬉しそうに表情を閃かせたが、

「……やぁ、カノン」

すぐにそれを改め、当たり障りのない(と言うよりもややぎこちない)笑顔をカノンに向けた。恐らく無意識のうちに扉を開けるのはサガだと予測してたのであろう。アイオロスはほんの僅か0コンマ何秒だけ、カノンをサガと見間違えたのである。

姿形が全く同じサガとカノンを、未だに見間違える人間は聖域にも多い。そんな中、アイオロスだけは……カノンと初めて会った時はそれこそびっくりして目を白黒させてはいたものの……完璧にサガとカノンを見分けていた。最もそれは、サガを愛するが故の成せる技ではあったのだが。

「ああ……」

カノンもそれに短く応じた。

「あ、あの……サガ……は、いるか?」

ややバツが悪そうに、アイオロスがカノンに尋ねる。アイオロスの目的がサガ以外にあるわけないことなどわかりきっているカノンは、小さく溜息をついて

「中に居るよ」

そう言って玄関の扉を大きく開けると、目線でアイオロスに中へ入るよう促した。

「いいのか?」

珍しく遠慮がちにそう聞いてくるアイオロスに、カノンは無言のまま頷きを返した。カノン自身は別段アイオロスを歓迎する理由はないのだが、口に出しては何も言わなくても、サガが一番会いたがっているのが誰であるかくらいは、カノンも十分承知していたからだ。

感情が表情に直結するアイオロスは、途端にパッと表情を明るくすると、カノンに礼を言って私室の中へ入っていった。

カノンは玄関の扉を閉め、アイオロスにやや遅れてリビングへと戻った。


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