「アイオロス」
リビングに現れたアイオロスを見て、サガは嬉しそうにアイオロスの名を呼んだ。
「サガ……」
アイオロスは柄にもなく顔を赤くして、照れ臭そうにサガを見つめていた。手にしている花束がサガへのプレゼントであることは一目瞭然なのに、それを手渡しもせずにその場に立ち尽くしている。
何やってんだか……と思いながらリビングの入口でその様子を見ていたカノンだったが、付き合いきれないので一旦自室へ戻ろうとした。せっかくのティータイムを邪魔されたと言う気持ちはなきにしもあらずだったのだが、野暮なこともしたくなかったので、とりあえず席を外そうと思ったのだが、
「カノン!待ってくれ!」
意外にもリビングを出ていこうとするカノンを、アイオロスが呼び止めた。
「……?」
「あ、すまんが……ちょっとこっちに来てくれないか?」
アイオロスに手招きされ、カノンは訝しげにアイオロスを凝視した。どうしようかと思ったが、とりあえず言われるままに側へ行くと、
「なっ?!」
アイオロスの脇を通り抜けようとした途端、カノンはいきなり腕を掴まれ引っ張られて、サガの隣に並んで立たされたのである。
「なっ、何しやがる!」 カノンがいきり立つと、アイオロスはすまんすまんと笑ってから、いきなり姿勢と表情を改まったように正すと
「誕生日、おめでとう……」 そう言って持っていた花束を2つに分け、サガとカノンに向かってそれを差し出した。1つの大きな花束だと思っていたそれは、2つの花束が一緒になっていたものだったのである。
サガはアイオロスの手からそれを受け取ると、慈しむかのようにそれをそっと胸に抱え、
「ありがとう……アイオロス……」
アイオロスが愛して止まない柔らかで穏やかな優しい微笑みを、アイオロスに向けたのである。再び、アイオロスの顔に朱が差した。
一方のカノンはと言えば、アイオロスの手から花束を受け取ることもせず、心ここにあらずとでも言ったような感じで呆然とそれを見つめていた。
「……カノン?、どうしたのだ?」
弟の異変に気付いてサガが声をかける。
「オレ……にも……?」
まだ呆然としたまま、それでもやっと顔を上げてカノンがアイオロスを見る。
「当たり前だ。カノンだって誕生日だろう?」
苦笑しながらそう言って、アイオロスはもう一度花束をカノンの方へ差し出した。おずおずと手を出して、カノンがそれを受け取る。自分の手の中に収まったそれを、カノンは信じられない思いで見つめた。
「あ……りがと……」
横のサガに肘で小突かれ、カノンはアイオロスに礼を言った。 正直なところ、アイオロスが自分の分までこんなものを用意してくれているなど、思いも寄らなかったカノンである。だって、アイオロスの意識の中にも目の中にも、いつでもサガしか入っていないのだと言うことは、カノンもよくわかっていたのだから。予測不可能だった事態にぶち当たり、カノンは嬉しいというよりもむしろ困惑していたのである。
「これ、アフロディーテのところのバラだろう?」
腕の中のバラをしげしげと見ながら言ったサガの声で、カノンはハッと我に返った。
「……わかるか?、やっぱり」
「もちろんだ。こんな見事なバラは、世界中どこを探しても双魚宮にしかないからな」
「いや、アフロディーテがもうお前達にバラを贈っているのはわかっていたのだが……他に思い浮かばなくてな。無理を言って作ってもらったんだ」
サガ言われ、アイオロスはバツ悪そうに頭を掻いた。
「……げ!、じゃこれ毒、バラかよ?!」
今度はカノンが自分がもらった花束をしげしげと見て呟いた。
「なっ!バカ!お前は何言ってるんだ!」
「え?、だって赤いのって毒バラじゃなかったっけ?」
先に双児宮へ贈っていたのが白いバラだったので、アフロディーテが気を利かせてアイオロスには赤いバラを持たせたのである。
「そんなことあるわけなかろう!。人の好意に対してそう言う馬鹿げたことを言うなと、何度言ったら……」
「だってさ〜、双魚宮のバラってヤバイもんばっかりなんだろ?」
もう既に双魚宮からバラが届いていることなどすっかり忘れているカノンは、真顔でサガに言った。
「普通のバラもたくさんある!。それから、赤は毒バラではなくデモンローズだ!」
律義に名称を正してから、サガは軽くカノンの頭を叩き
「すまない、アイオロス、気を悪くしないでくれ。カノンには後で良く言って聞かせておくから」
アイオロスに向き直って、慌てて弟の非礼を詫びる。だがアイオロスはそんなサガの心配に反して 「そうかぁ〜、デモンローズの花束かぁ〜。そいつは思いつかなかったなぁ〜。こりゃいいこと聞いた、来月のデスマスクの誕生日の時には、それでイタズラしてやろう!」
すっかりイタズラっ子の顔になって、ポンポンと手を叩きながら楽しそうにケラケラと笑っていた。
「あ!、それオレも乗った!」
「おう!、じゃあ一緒にやるか?!」 何故かいきなり意見の一致を見た2人が、異様な盛り上がりを見せているのを横目で見て、とても20代も終盤に差しかかった人間2人がするような会話とは思えず、サガは大きな脱力感とともに小さく首を振った。
「いい歳をして、そんな子供じみたイタズラを計画するんじゃない!」
子供じみた……とは言っても、黄金聖闘士同士だから言えるのであって、これが一般人だったら殺人行為なのだが、そのことについてはサガも全く考えが及んでいなかった。
「まぁいい。とにかく座ってくれ、アイオロス。ちょうど今お茶にしようと思っていたところなんだ」
「そう言えば、いい匂いがしているな……何か作っているのか?」
リビングにたゆたうバターの香りに、アイオロスは気付いた。
「うん、ちょっとパンケーキをね」
「お前、パンケーキなんて作れたのか?!」
ちょっと驚いたようにアイオロスがサガに聞き返す。
「そんなに驚くことはないだろう?。パンケーキなどさほど難しいものでもあるまいし、誰にでも作れると思うぞ、多分」
「いや、そうじゃなくて……お前がその、菓子類を作るなんて思わなかったって言うか、知らなかったから」
アイオロスの言葉に、サガは小さく苦笑した。確かに、アイオロスの前ではそんな素振りを見せたこともなかった、と思いながら。
「子供の頃によく作っていたと言う程度だからな」
その一言で、アイオロスは何となく事の次第を理解した。つまりそれはサガが『カノンのためだけに』作ってやっていたと言うことなのだ、と。
「これから焼こうとしてたところだったんだ。お前の分も作るから、ゆっくりしていくといい」
気を取り直してサガが言うと、意外なことにアイオロスが少し表情を曇らせた。
「……でも、いいのか?」
普段は当たり前のように食事なんかも供にしていくアイオロスが、いつもの彼らしくもなく遠慮の素振りを見せた。
アイオロスはアイオロスなりに、20数年間離れ離れになっていたサガとカノンに対しての配慮みたいなものがあったのだ。アイオロスだって13年ぶりにサガの誕生日を2人で祝いたいと言う気持ちは多分にあった。だがそれ以上に、せめて今日くらいはずっとサガをカノンの側に居させてやりたいと思ったのだ。同じように弟を持つ身としては、兄としてのサガの気持ちが、痛いほどよくわかっていたから。だから今日は、プレゼントだけを届けて早々に双児宮を辞するつもりでいたのだ。
「今更遠慮するタマでもねえだろ?。食ってきゃいいじゃん」
だが意外なことに、サガが口を開くよりも先にカノンがアイオロスを引き止めたのである。これにはさすがのアイオロスも驚いて、マジマジとカノンの顔を凝視してしまった。
「その代わり、不味くても文句言うんじゃねーぞ」
カノンはそう言って笑った。言葉遣いは相変わらず乱暴だが、どうやらこれはカノンの精一杯の礼であるらしいことを悟ったアイオロスは、素直にその言葉に甘えることにした。
「それは大丈夫だ、サガが不味いものなど作るわけがないからな」
アイオロスがそう応じると、カノンは呆れながら肩を竦めたが、言葉にしては何も言わなかった。
「では急ぐとしようか。アイオロス、少しの間かけて待っていてくれ」
サガはアイオロスにそう言い置いてから、カノンの方に向き直り、
「カノン、私がお茶の準備をしている間に、このバラを生ける花瓶を持ってきておいてくれ。奥の部屋にあるから」 そうカノンに頼むと、サガは手にしていたバラの花束をリビングのサイドボードの上に丁寧に置いた。
「へ〜い」
カノンはまたいい加減に返事をして、自分もサガと同じところにアイオロスからもらった花束を置くと、言われた通り奥の部屋へ行こうとした。
その時、再び玄関の扉が叩かれた。また誰かが双児宮を訪れたのだ。
「……今度は誰だぁ?」
面倒臭そうに溜息を1つつくと、カノンは方向転換して玄関へと向かった。 「何だ、今度はお前か、ミロ」
玄関を開けて訪問者が誰かを確認するなり、カノンは思わずそう口走っていた。 「あ〜、せっかく来てやったのに、何だはねーだろ、何だは!!」 カノンの失礼な物言いに、ミロはふくれっ面で抗議した。カノンはやれやれ……と言いながら、扉を大きく開ける。入れと言うことである。 「あれ?、中入っていいの?」 アイオロスもそうだったが、今日はミロまでもが柄にもなく遠慮をしている。 「何らしくもねえこと言ってんだよ?。お前が変にしおらしいと気味悪いからやめろ」 言葉は憎たらしいが、カノンの顔は笑っていた。カノンが冥界との聖戦を前に、改心して聖域に戻ってきたとき、黄金聖闘士の中で一番最初に彼を受け入れてくれたのは、他でもないこのミロである。そして聖戦後、兄とともに双児宮で暮らすようになったカノンが、思いの外早くにこの12宮に馴染み、黄金聖闘士達の中に溶け込むことが出来たのも、実はミロの助力が大きかったのだと言うことは、カノン自身が一番良くわかっていたことである。以来、ミロとカノンは何かと行動を共にすることが多くなっており、ちょっと微妙な関係にもなりつつあった。 「だってさぁ〜、今日はサガとカノンの邪魔しちゃ悪いかなって思って」 一応、ミロも気を使っているのである。 「お邪魔虫ならもう一匹中にいるよ。今更増えたところで同じだ」 「何だ、やっぱアイオロスも来てるんだ」 名前を出したわけでもないのに、ミロはすっかりそうと決めつけて言った。正解ではあるのだが……。 「それじゃオレだけが遠慮することないよな。おっじゃましま〜す!」 元気にそう言って、ミロは双児宮の玄関を潜った。 「あ、カノン、誕生日おめでとう!。これ、オレからのプレゼント」 カノンが玄関の扉を閉めて振り返ると、ミロがにっこり笑ってカノンに花束を差し出した。しかもこれまたアイオロスと同じバラの花束である。そして聞くまでもなく出所も同じであろう。 「お前達……行動パターン激似なのな」 カノンは……気持ちは一応嬉しかったのだが……つい溜息をついてしまった。 「何だよぉ〜、その不服そうな顔〜!」 せっかく持ってきてやったのに!と、ミロは口を尖らせた。 「それにオレが誰に似てるってんだよ?」 「いや、別に……とにかく、ありがとよ」 カノンは礼を言いながら、ミロから花束を受け取った。 「でも全然似あわねんだよな」 バラの花束を見ながら、カノンが呟くと、 「え?、そんなことないよ。カノンはサガに似て美人だから、バラも良く似合うと思うけど」 ミロが真顔になって、そう答えた。似てるのは当たり前だ!、ってか、何から何まで同じだ、双子なんだから!と、カノンは内心でツッコミを入れた。 「オレじゃねぇ!、お前だ、お前!。お前がプレゼントにバラの花束抱えてってのが似合わねんだよ」 「どうしてそーゆーこと言うか?!。ホンットお前って、プレゼントしがいがないって言うか、何て言うか、とにかく憎ったらしい奴っ!」 カノンの悪態にミロも悪態をつきかえしたが、この2人にとっては実のところこれが日常会話レベルなので、お互いその言葉を真に受けているわけではなかった。 「ロマンもくそもないお前じゃ話になんねーや。サガどこ?!」 ミロはもう1つのサガ用の花束をしっかりと胸に抱き込んで、噛みつくような勢いでカノンにサガの所在を尋ねた。 「サガならキッチンに居るけどさ、お前、そんな粗雑に扱ってっとサガに渡す前に花潰れっぞ」 そんなミロに向かって、カノンは思いっきりからかい口調でそう答えてやった。ミロはカノンにあっかんべをすると、勢い良く踵を返してずかずかと双児宮の仲を進んでいった。カノンは楽しそうに声を立てて笑ってから、ミロの後を追った。 「あ、そうだ!」 リビングの入口手前まで来て、ミロがいきなりピタッと立ち止まった。そしてまたいきなり、カノンの方へと振り返る。 「……何だよ?」 怪訝そうにカノンがミロに尋ねると、ミロはニヤッと笑って、いきなりカノンの首に片手を回すと、ぐいっとカノンの顔を引き寄せた。 突然のことにカノンは抗う間すら与えられず、えっ?!と思った時にはもう、カノンの唇にミロの唇が重なっていた。瞬間、カノンの頭の中が真っ白になり、何が起こっているのかすぐには理解できないほどだった。 3秒ほどでミロはカノンの唇を解放すると、してやったりの笑顔をカノンに向けた。カノンはただ呆然としてしまい、目を真ん丸く見開いたままミロの顔を凝視した。 「えへへ、これはカノンにだけ特別プレゼント。サガにはアイオロスがいるからな」 ミロに言われた瞬間、カノンの頬がカッと熱くなった。 「なっ!何が特別プレゼントだ!。んなもん欲しかねーや!バカッ!!」 カノンは思いっきりミロの頭を叩くと、ミロを追い越してズカズカとリビングに入っていった。今度はミロが、その場でひとしきり楽しそうに笑ってから、カノンの後を追ってリビングに入っていった。
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