Happy Birthday to Milo
「そりゃ好きなだけ買っていいとは言ったけど、いくら何でも買い過ぎじゃねえか?」

プレゼントを買い終え休憩に入ったカフェで、自分とミロの横に文字通り山と積まれた袋を交互に見ながら、カノンが呆れたように呟いた。

「そっかな?」

小首を傾げながら、ミロも袋の山の方へ視線を移す。
その中には誕生日プレゼントとして買ってもらったゲームソフトにDVD、そして何故か漫画本などがてんこ盛りに詰まっている。

「でもまぁ、結構予定外の買い物もしちゃったことは事実かな。一応欲しい物は絞り込んで来たつもりだったけど、いざ店に入るとあれこれ目移りしちゃってさー」

あははははっ、と屈託なくミロが笑う。

「結構どころか、半分以上予定外の買い物なんじゃないのか? これ」

「かもね」

軽く応じて、ミロは肩を竦めてみせた。
直後、ふと何かに気付いたように表情を動かし、

「あ……もしかして予算オーバーしちゃった?」

急に決まりが悪そうに、ミロはカノンに尋ねた。

「予算なんか最初からないも同然だから、そんな事はどうでもいいんだけどよ。これ持って帰るのが一苦労だと思ってな。っつか、この後食事に行くんだぜ。どうすんだこれ?」

ちょっと誤解を招く言い方をしてしまったが、カノンはお金の事など最初から問題にはしていない。
何しろ今日に限っては、自分以外にもサガ、そしてアイオロスという強力スポンサーがついているからである。
それでももちろん限度というものはあるが、度を超えて法外な値段の物をねだられたわけでもなし、確かに超大人買いではあるが売り場ごと買い占めたわけでもなし、ゲームソフトだのDVDだの、それに漫画本が加わったところでたかが知れている。
カノンが問題にしているのは、物理的な量のことであった。
帰りの手段ももちろん瞬間移動だが、これだけの荷物を抱えてとなると結構大変だし、それより以前にはっきり言って間抜けで格好悪い。
しかも今日はこの後、沙織に予約をしてもらっているレストランで食事をする予定なのである。
ドレスコードがある店ではないが、さすがにこの大荷物を抱えて入るのは恥ずかしいし、これを持って人混みの中を移動する事を考えるだけでもうんざりであった。

「荷物だけ先に送っちゃえばいいじゃん。後で人目につかないところでさ」

事も無げにそう言って、ミロはいたずらっ子のような微笑みをカノンに向けた。
送ると言っても、正規の輸送手段を使うわけではもちろんない。
超能力で荷物だけを先に家に送り返してしまえという事である。
その意味を正確に理解して、今度はカノンがやれやれと肩を竦めた。

ちょうど会話が切れたところで運ばれて来たコーヒーに、カノンは角砂糖を二個入れた。
基本的にカノンはコーヒーに砂糖は入れないが、今日は歩き回って単純に疲れたのと、どうやら飲んで来た薬の効力が薄くなって来たらしく倦怠感が強くなっていたので、少し強めの甘味が欲しくなったからである。

「?」

コーヒーを一口啜ったカノンは、その苦味に思わず顔をしかめた。
いつもより多めに砂糖を入れたのに甘味は全くと言っていいほど感じられず、口中に強い苦味だけが残ったからだ。
エスプレッソ頼んだわけじゃねえんだけどな……と思いながら、カノンは更に角砂糖を二個追加投入した。

それでもまだ、苦味が強い。
何だよこれ!? と些かムッとしたカノンは、今度は角砂糖を一気に三個、コーヒーの中に放り込んだ。

「ちょっ、ちょっと待てよカノン! お前、何ガバガバ砂糖入れてんだ!? っつか何個入れるつもりだよっ!?」

その様子をやや呆気に取られて見ていたミロが、今度は慌てたようにカノンを制止した。
普段カノンがコーヒーに砂糖を入れないことを知っているミロは、カノンがシュガーポットに手を伸ばした時にあれ? 珍しいなとは思ったが、まさか一杯のコーヒーに角砂糖を七個も入れるとは思わなかった。
はっきり言ってこれは珍しいを通り越して異常としか言いようがない。

「え? だってこれ、全然甘くならないじゃないか」

慌てた様子のミロに、カノンが変なものでも見るようにきょとんと目を丸めた。

「甘くならないって……」

そんなわけあるか! とミロは思った。
自分は一個しか砂糖を入れてないが、それでも充分に甘味は感じられる。
確かに好みの差はあるかも知れないが、同じものを入れているのだから全然甘くならないなんていうことはないはずである。
一体どういう事だ? とミロは眉間を寄せたが、すぐに何かに気付いたようにハッとして、

「カノン、お前もしかして」

言うが早いかミロは椅子から腰を浮かし、目にも止まらぬ素早さで対面に座っているカノンの額に手を当てた。
一瞬の後、ミロの顔色が変わり、表情が強張った。
それと同時に、カノンの表情も硬直した。

「やっぱり! 何かおかしいと思ったら、お前、熱あるじゃん!」

思わずミロが、叱責に似た声を張り上げる。
まさかこんなところで、しかも砂糖が原因で風邪がバレると思ってなかったカノンは、自分の脇の甘さを不覚を呪ったが、今更それを呪ったところでどうなるわけでもない。

「いつから!?」

「いつからって言われても知らねえよ。朝起きたらこうなってたんだから」

今朝サガに風邪がバレた時と、同じような展開である。
これではさすがのカノンも、言い訳のしようがない。

「何で黙ってたんだよ!? 言ってくれれば今日の予定全部中止にしたのに!」

それが嫌だったから黙ってたんだろうが! ――とは当然言えるわけもなく、

「いや、別に大したことなかったし大丈夫だと思ったから……」

「大したことないわけないだろ! 味覚障害まで起こしてるくらいなのに!」

どれだけ砂糖を入れても甘味を感じないのは、恐らく発熱のせいで味覚障害を起こしているからだろう。
それに気付かないなんて鈍感にも程があるとミロは思ったが、同時に今の今までカノンの変調に気付いていなかった自分の間抜けっぷりに大いに腹が立っていた。

ミロはカノンの額から手を外すと、そのままその手をカノンの横へとスライドさせ、そこに積まれていた荷物の山に翳した。
弱い閃光が弾けるとともに、山と積まれていた荷物が跡形もなく消え去る。

「バッ…!」

カノンが慌てて制止の声をあげかけた時には既に遅く、ミロは翻した手を自分の隣に積んであった荷物に翳し、同じく一瞬にしてそれら全てを消し去った。
正確に言うなら消したわけではなく、超能力で聖域に飛ばしただけだが。

「バカお前っ、何やってんだこんなとこでっ!」

カノンは周囲の様子を伺いながら、ミロの軽率な行動を咎めた。
一般社会の、しかもこんな人の多い場所で堂々と超能力を使うなど言語道断である。
幸い誰の目も自分達の方には向けられておらず、どうやら気付かれずには済んだようでカノンはひとまずホッとしたが、こんなことが教皇シオンやサガの耳に入ったら大目玉を食らうことは必至だった。

だがミロはカノンの叱責になど耳も貸さず――というより聞いてすらおらず、厳しい顔でカノンを睨みつけるように見ると、おもむろにその手を掴み、

「帰るぞ」

「えっ?」

「帰るんだよ、双児宮(ウチ)に!」

空いている方の手で素早く伝票を掴み、有無を言わせずカノンを引っ張って席を立たせた。

「帰るって、おい、ちょっと待てよ! この後女神に頼んで予約してもらった店が……」

「帰ってからキャンセルの連絡入れる」

「何で!?」

「何でって、そんなことしてる場合じゃないだろ。お前、わかってんのか? 相当熱出てんだぞっ!」

「へ……?」

またしてもカノンがきょとんと目を丸めた。
確かに薬の効力が落ちるに従って具合が悪くなっているのは自覚していたし、気付かぬうちに味覚障害まで起こしていたようだが、そこまで言われるほど熱が上がっているような感じは正直していないので、ミロの言っていることがピンとこないのである。

「あーもーどうしてそう自分の事になると鈍感なんだよっ! とにかく帰るぞ。すぐに寝なきゃダメだ」

「だってお前……」

「だってもへちまもないっ!」

ミロは半ば力づくでカノンを引っ張り、高速で支払いを済ますと、店の外に出るなりカノンが止める間もなくテレポートで聖域に戻ったのだった。




「ミロ、カノン!?」

サガがリビングで本を読んでいるところへミロとカノンがいきなり現れ、さすがのサガも驚いて目を丸くした。
カノンにはなるべく早く帰って来るようにとこっそり注意はしていたものの、まさかこんなに早く帰って来るとは思っていなかったからだ。
だが予想外の早い帰宅以上にサガを驚かせていたのは、いつになく厳しいミロの表情だった。
一方のカノンはと言えば、ミロにしっかりと手を掴まれ、一歩後ろで憮然としている。

「お前達、一体どうし……」

「サガ!」

サガが言い終わるより先に、ミロが厳しい表情のままサガに詰め寄った。

「サガは知ってたの!?」

「え?」

「カノンが風邪ひいて、熱出してるってこと!」

「あ、ああ……」

曖昧に言葉を濁しながら、サガはミロの後ろに居るカノンを見た。
決まりが悪そうに自分を見つめ返しているカノンの様子で、サガは大体の事情を察した。

「ばれてしまったか?」

「バレてしまったか? じゃないよ……」

ミロは目尻と眉尻を下げ、今度は悲しそうな顔でサガに言った。

「知ってたならどうして黙ってたんだよ? オレがカノンを迎えに来た時に教えてくれれば、出かけたりなんかしなかったのに」

「すまない。せっかくの誕生日なのに予定を潰してしまっては、お前が可哀想だと思ってな」

「オレの誕生日のことなんてどうでもよかったんだよ。そんなことで無理させて、カノンが風邪こじらせたりしたらどうするんだよ!」

「ミロ」

半ば我を忘れてサガを責めているミロを、カノンが後ろから肩を掴んで制止した。

「オレがサガに黙って行かせてくれって言ったんだよ。サガもお前の為にって黙認してくれたんだ。だからサガを責めるな、お門違いだ」

諭すような口調でカノンに言われ、ミロは少し落ち着きを取り戻し、我に返った。
確かにサガを責めても仕方のないことだと気付いたからである。

「ごめん、サガ」

ミロは改めてサガに向き直り、勢いに任せて責めたててしまったことを詫びた。
サガは微笑を浮かべて小さく首を左右に振り、

「いや、謝らなければいけないのは私の方だ。結果的にお前に嘘をつくことになってしまってすまなかった、ミロ。それとカノンのこと、心配してくれてありがとう」

一転してしょんぼりと項垂れているミロの髪を、慰めるように優しく撫でた。

「サガ……」

「カノン」

サガはミロに向かって頷いてみせてから、カノンを呼んだ。
呼ばれたカノンが、気怠そうにサガの前に歩み出る。
すぐ目の前に来たカノンの額にサガが手を当てると、数時間前より更にはっきりとした熱さが感じられた。
出かける前に飲ませた薬の効力が切れ、一気に熱が上がったのだろう。
ミロにバレないようにと張り詰めていた緊張が解けたせいもあるのか、カノンの様子は出がけの時とがらりと変わっていた。
顔色は真っ青だが、発熱のせいか頬だけ病的な赤みが差している。目はやや虚ろで、いつもの元気も覇気もなく、一目で体調不良が見て取れるくらいだった。

「すぐに休んだ方がいいな」

そう言ってサガはカノンに部屋へ戻るよう促した。
無言で大人しく頷くカノンの肩をそっと抱え込むようにして、サガが部屋へ誘導するように歩き始める。
二人の後をついて行きかけたミロは、

「サガ、オレ、店にキャンセルの連絡入れて来る。それと女神にお詫びもしておかないといけないから、カノンの事頼むね」

予約している店にキャンセルを入れなければならないこと、そして手配をしてくれた沙織にも連絡を入れなければいけないことを思い出し、ミロはひとまずサガにカノンのことを任せた。

「ああ。すまんなミロ」

「当然の事するだけなんだから、謝らなくていいよ」

邪気のない笑顔で応じ、ミロは軽やかに身を翻した。




「結局台無しにしちまったな……」

ベッドに横たわるカノンがぼそりと呟いた言葉を、サガは聞き逃さなかった。
カノンは主語を省いていたが、それが何であるかなど考えるまでもない。

「不測の事態だ、仕方があるまい」

そうは言ったものの、何の慰めにもならないことはサガもよく承知していた。

「わかってるけど、情けないっていうか、カッコ悪……」

カノンは天井に向かって熱っぽい溜息を吐き出した。

「治ってから埋め合わせをしてやるといい」

「うん……」

そう言う問題でない事もわかってはいたが、サガとしてはそれ以外かける言葉が見つからなかった。
生返事で頷く弟を痛まし気に見つめ、サガも小さな吐息を零した。

「体温計と薬を持って来る。それと、何か少しでも食べた方がいいな」

「うーん……食べるもんはいらない。何か味覚おかしくなってるみたいでさ、食っても味ちゃんとわかんねーし」

そう、その味覚障害のお陰でミロに風邪を引いている事がバレてしまったのである。
なってしまったものは仕方がないし言ったところでどうしようもないのだが、これさえなければと思わずにはいられないカノンだった。

「味がわからなくても、食べられるのなら何か腹に入れた方がいい。でないと今度は胃を壊すぞ」

「そんなヤワじゃねーよ」

こんな状態の時に言っても、説得力は皆無である。
案の定、サガは呆れたようにあからさまな溜息をつくと、

「いいから、言う事を聞け」

朝と同じくそう一方的に言い置いて、ひとまず部屋から出て行った。

「ホント……マジでカッコ悪……」

ドアの閉まる音をどこか遠くに聞きながら、カノンは低い呟きを漏らした。




サガがリビングに戻ると、ミロが所在無さげな様子でソファに座っていた。
ミロはサガの姿をいち早く見つけ、すぐに立ち上がってサガに駆け寄って来た。
傍に来たミロにサガが声をかける。

「ミロ、電話は終わったのか?」

「うん終わった。女神がカノンにお大事にって」

「そうか」

どうやらそちらの方は、スムーズに話が済んだようである。
その事にひとまずサガが安心していると、ミロが不安定に瞳を揺らめかせながら、

「カノンの様子、どう?」

と尋ねて来た。

「ああ、熱のせいで少しぼうっとはしているようだが、今は落ち着いているし、朝と比べて症状が極端に悪くなっているというわけでもなさそうだから大丈夫だろう」

「そっか、よかった。オレが日本くんだりまで連れてっちゃって引っ張り回したから、それで悪化させてたらどうしようかと思った」

日本に行ったとは言っても時間にすればたった数時間だし、その程度で悪化するわけもないだろうが、ミロがそんな風に不安になるのはカノンを心底心配してくれているからである。
そんなミロの優しさと、そしてカノンへの深い愛情を実感し、サガの胸中は感謝の気持ちでいっぱいになった。

「心配かけてすまないな、ミロ。それからお前の誕生日を台無しにしてしまって、本当に申し訳ないと思っている」

カノンにも言ったように不測の事態で、誰が悪いというわけではないが、それでもサガもカノンと同様、ミロの誕生日を台無しにしてしまった事には心を痛めずにはいれなかった。
兄としてカノンの心情を思い遣っているのはもちろんだが、同時に幼い頃から実弟同然に慈しんで来たミロへの想いもあったからだ。

「さっきも言ったけど、オレの事は気にしなくていいってば。ていうかオレ、別に台無しにされたなんて思ってないよ。確かに途中で帰って来ちゃったけど、それまでは充分楽しんで来たんだしさ」

「だが……」

「ホントに気にしないでよ」

尚も何かを言い募ろうとするサガを、ミロは笑顔で制した。

「そんなことより、カノンのところに行ってもいいかな?」

「え? あ、ああ、もちろん構わんが……」

そのミロの申し入れは、図らずもサガの虚をついた。
別にわざわざ伺いを立てるようなことではないし、それより以前にいつもであればこんな事を聞いたりしないだろうからだ。
いつものミロらしからぬ言動にサガは驚いたのだが、すぐにそれがミロなりの気遣いであることに気付き、自然と好意的な微笑が浮かんだ。
ミロが電話を終えてすぐにカノンの部屋に来ず、ここで大人しくしていたのは、サガにその許可を得ようと待っていたからだったのだ。
サガがOKを出すと、ミロの表情が俄に明るさを増した。

「カノン、まだ寝てない?」

「大丈夫だ、これから薬を飲ませなきゃいけないから眠らないように言ってある。だからまだ起きてるよ」

「ありがとう。それじゃちょっと行かせてもらうね」

「ああ。でも伝染らないよう気をつけるんだぞ」

「わかってるよ」

サガのやや的外れな注意に微苦笑を零してから、ミロは足早にカノンの部屋へと向かった。


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