『おい、ミロ。今からそっちに行くから、玄関の鍵を開けとけ』

ミロの小宇宙にカノンが一方的にそう話しかけてきたのは、夜も10時をとっくに回った時間だった。

その時ミロは、自宮のリビングでテレビを見ながらのんびりと寛いでいたのだが、こんな風にしてカノンが時間を問わず、有無を言わせずにいきなり訪ねてくるのはいつものことなので、別に驚きもしなかった。それより以前に、ミロとカノンは今更そんなことをごちゃごちゃと言い合う仲でもない。

ミロはテレビをつけっぱなしたままソファから立ち上がると、ゆっくりと玄関の方へ向かった。

カノンに言われた通りに玄関の鍵を開けると、僅か3秒後に扉がノックされ、ミロの返事も待たずにすぐそのドアは開かれた。

「よっ!」

姿を現したのは、もちろんカノンである。

「ああ」

同じように軽く応じて、ミロが小さく微笑む。予想通りのタイミング、ドンピシャであった。

カノンはこの宮の主であるミロが入れと促すより先に、早くも天蠍宮の中に足を踏み入れていた。最も、これもいつものことだった。互いの宮……ミロの宮である天蠍宮と、カノンと双子の兄・サガの住む双児宮は、2人にとっては勝手知ったる何とやら状態の場所なのである。また、仮に主が不在の間に宮に入り込んでいても、それが許される関係でもあった。

カノンは私室に入ると、玄関の扉を閉めて鍵をかけた。これももう半分以上習慣のようなものなのだが、それと同時に今晩はこのままここに泊まると言うカノンの無意識のうちの意思表示である。

「サガは?」

「ウチに居るよ」

「ちゃんと断って来たのか?」

「当たり前だろ。何も言わないで来たら、あれやこれやと後で小煩いからな」

2人並んで廊下を歩きながら、他愛もない会話を交わす。弟が前科持ちと言うこともあるが、元来が心配性のサガは、未だにカノンの無断外出・外泊には異常なほど神経質になっているのである。カノンとミロの関係はサガも公認(と言うか十二宮内公認)であるから、ミロのところへ泊まること自体を咎めるようなことはないが、それが無断でとなると話は別であった。

「ったく、オレのこと幾つだと思ってんだか。いつまでも子供扱いじゃ堪ったモンじゃねーよな」

「しょうがないだろ?、前科多すぎなんだからお前は。それに何だかんだ言ったって、そのサガに散々甘えてるくせにさ」

ミロが苦笑しながら言うと、カノンは面白くなさそうにチラリと横目でミロを一瞥した。

「サガはオレの兄貴!。弟が兄貴に多少甘えたりするのは、別に悪いことでも何でもねーだろ!」

開き直ったカノンがミロに言ったが、はっきり言ってその前に言ったことと非常に矛盾していることを、当のカノンは全く気付いていなかった。

「はいはい」

こんな会話もいつものことなので、ミロは軽く受け流した。

「飯はもう食ってきたんだろ?」

そうしておいてから、さり気なく話題を変える。タイミングを間違うと、意地になったカノンが際限なく言い返して来る恐れがあるからだ。

「ああ、もちろん」

カノンもあっさりとそれに応じて、頷いた。どうやら今日は、比較的カノンもご機嫌がいいらしい。

「じゃ、少し飲むか?。ビールと、あとワインならあるぜ」

リビングに入ると、カノンにそう聞きながらミロの足は既にキッチンの方へ向いていた。うん、と言う答えを予測してのことだったのだが、

「いや、いい。オレ、風呂入る」

予想に反してカノンは酒を断り、腰を下ろすことなくそのままリビングを突っ切って浴室へ向かっていった。

「えっ?、お、おいカノン!」

ミロは思わずカノンを制止するように声を上げたが、カノンは構わずにさっさと浴室の方へ消えていった。時間も時間だし、いつもだったらまず酒が先なのに、来るなり風呂だなんて一体何の気まぐれだろうか?。それなら自宅で入ってから来ればいいのに……と思いながらも、カノンが風呂から上がって後のことに思いを致し、ミロはたちまち気分を良くするのだった。




小一時間ほどして、カノンが風呂から上がってきた。

濡れた髪をワシワシと乱暴に拭きながらリビングに戻ってきたカノンは、待っていたミロにあっと言う間に捉まえられてソファに押し倒された。

「ちょっ、ちょっと待て!。何だお前はいきなりっ!!」

押し倒されてキスをされ、そのまま行為に突入しようとしていたミロを、カノンは力一杯押し返した。

「何だって……ナニしよーかと思って。そのつもりで早々に風呂入ったんだろ?」

「バカッ!てめぇ勝手な勘違いしてんじゃねぇ!。オレはこれからゲームすんの、ゲームっ!!」

カノンにその身を押し返されながらも、ミロの右手は既にカノンのTシャツの中に滑り込んでいた。

「そんなの後でいいじゃん」

風呂上りのカノンの髪からふんわりと漂うコンディショナーの香りは、普段自分が使っているものであるにも拘らず、奇妙に扇情的だった。濡れて頬に一筋張り付く髪もまた色っぽくて、それがまた絶妙にミロをそそるのだ。こんな状況で「やめろ」なんて言われても、素直にやめれるわけがない。

「ヤダってば!。風呂入ったばっかりなのにっ!!」

「だからいいんじゃん」

「てめぇはよくてもオレがよくねぇ!。フザけてねえで離れろ!」

言うなりカノンは、膝でミロの鳩尾を蹴り上げた。瞬間、息を詰まらせて、ミロは喉の奥で短い呻きを洩らす。そしてそのまま、見事にソファの下へ落下した。

「……ってぇ〜〜……人を煽っておいて、これはねぇだろう〜」

ミロは蹴られた鳩尾と、落ちた拍子にしたたか打ちつけた腰とを手で擦り、恨めしそうに加害者・カノンを見上げた。

「どあほう!。オレは煽った覚えなんかねえよ!。何でもかんでも自分のいいように解釈してんじゃねぇ!」

カノンは捲られたTシャツの裾を直すと、ソファの上に身を起こし、ミロを睨みつける。

「オレじゃなくたって、そう思うよ……」

ミロは小声でブチブチと文句を言った。夜も遅くなってから恋人の家に来て、そのまま風呂に入って……となれば、そりゃ誰だってそう思うだろうと言うのがミロの言い分だが、当然のごとくカノンにそんな言い分は通用しなかった。何しろカノンは、天下無敵のオレ様なのである。

「それは全てにおいてお前の思考回路が単純だからだ!」

ペチン、とミロの頭を叩いてカノンはソファから立ち上がり、顔に張り付いた髪を鬱陶しげに払いのけた。

「仏頂面かましてねぇで、お前も風呂にでも入ってこい!」

床に座り込んだままムスッとしているミロに一方的にそう言い置くと、カノンはさっさとTVのところへ行き、TVとPS2の電源を入れて、プレイ中のゲームの続きを始めたのだった。こうなってしまったら最後、完全にミロのことはそっちのけである。かと言って無理にゲームから引き離そうとしても絶対に無理なので、ミロはひとまず今この場でイイコトをするのは諦めた。

ただカノンはドツボに嵌まるとそれこそムキになって夜通しでゲームに熱中してしまうこともあるので、せめて自分が風呂から上がるまでに順調に先に進んでてくれよと、ミロは願わずに入られなかった。

カノンの背中に向かって1つ溜息をついて、ミロは観念して立ち上がるとトボトボと浴室に向かっていった。こんなことならさっきカノンと一緒に入っちゃえばよかったんだ、と、後悔しながら。




更に小一時間ほどして、ミロが風呂から上がってきた。

やはりカノンと同じように濡れた髪を乱暴に拭きながらリビングに戻ると、カノンはミロが戻ってきた気配を察し、待ってましたとばかりにミロを振り返った。

「おう、ミロ!。ここ、ちょっと教えてくれ!。ここの謎解きがわかんなくてさ、先に進まねぇんだよ」

画面を指さしながら、カノンが早口で訴える。はいはい、と答えて、ミロはカノンの横に腰を下ろした。

「さっきっからさぁ、この部屋がどうしても抜けられないんだ、この部屋が!。ったく、ムカつく!」

苦々しげ言いながら、カノンはミロにコントローラーを手渡した。カノンはまだこのゲームを始めたばかりだが、持ち主・ミロは既にもう数回クリアをしている。わからないところは、ミロに聞くしかないのだった。

「ここはオレも最初苦労したんだけど、えっと、まずヒントは入ってすぐのところに掛かってる絵の下のコメントなんだ。いいか……」

ミロはカノンに説明しながら、慣れた手つきで画面の中のキャラクターを動かした。ふんふん、と頷きながら、カノンは画面の中を見守る。

「……で、ここがこうなるだろ。そうすると……こうなって……」

ミロはやりながら1つ1つ説明を重ね、カノンがどうしても抜けられなかったその部屋をいとも簡単に抜けたのだった。

「おお!、抜けた!」

嬉しそうにカノンが声を上げる。

「要はこのコメントは、ボタンを押す順番を差してるんだよ。順番通りに押せば、難なく抜けられるってワケ」

得意げに言って、ミロはそのままコントローラーを操った。

「なるほど、何だそんな簡単なことだったのか」

納得の中にちょっと悔しげなニュアンスを含ませ、カノンが感心したように頷いた。

「まぁなぞなぞのレベルだから、わかっちまうと、ああこんなモンかって感じなんだけどな」

ミロは笑って応じながら、そのまま先に進んで行った。少し先にキリのいいセーブポイントがあるので、そこまで行って一旦セーブをしてから、カノンに戻すつもりだったのだ。ところが……

「あっ!」

横のカノンが、思い出したようにいきなり声を上げた。何だ?!と思って条件反射的にカノンの方を向くと、カノンの視線は画面と違う方向に向いていた。どうした?、とミロが聞こうとしたとき、おもむろに視線を戻したカノンが、無言のままいきなりPS2の電源を切ったのである。

ああ〜〜〜っ!!

今度はミロが大声を張り上げた。

「なっ、何すんだよ!。まだセーブしてないんだぞ!!」

別にミロはいいのだが、カノンが苦労していたところをせっかく突破してやったのに、セーブもしないうちに電源を切ってしまったのでは何の意味もないではないか。何を考えてるんだ?!と、ミロが更に口を開きかけたとき、

「今日は何月何日だ?」

それよりも早く、いきなりカノンがそんな素っ頓狂なことを先に聞いてきたのだ。

「今日〜?。今日は11月7日じゃん」

「それは昨日」

「は?」

ミロがマヌケ顔でマヌケな声を上げると、カノンはニヤッと笑ってビデオデッキの方を指さした。つられるようにして、ミロが視線を移す。

「今何時?」

「12時3分……」

ビデオデッキのデジタル表示をミロが読み上げ、直後、あっ、と小さく声を上げた。

「てことは、11月8日……?」

「そう言う事」

得意げな口調で言って、カノンはやや下方からミロの顔を覗き込んだ。

「……てことは……」

「誕生日、おめでとう」

やや早口でそう告げて、カノンは照れ臭そうな、それでいて悪戯っ子のような笑みをミロに送った。

「……へっ?……」

まだ今ひとつ状況の飲み込めていないミロが、呆然とした目をぱちくりとさせて、カノンを見た。

「お前、自分の誕生日も覚えてねーのか?」

呆れたように言いながら、カノンが苦笑を返す。

「いや、覚えてる……けど……」

いくら何でも自分の誕生日は忘れていないが、そもそもがして日付が変わったと言う感覚が今のミロにはなかったのだ。ミロ的にはそう言われてもなお、まだ意識的には11月7日だった。

「それじゃ、カノンは……」

少しずつ少しずつ、頭の中の整理が出来てきたミロは、やっと今晩のカノンの突然の訪問の理由の真の意図を理解し始めた。そしてここへ来てから今まで、カノンが妙に挙動不審だった理由も。全ては日を跨がせるための、時間稼ぎみたいなものだったのだ。

「オレが誰よりも早く言わなきゃ、カッコつかねーからな」

カノンは滅多なことでは本心をそのまま言葉にすることはない。特にこういう場面ではそれが顕著で、心の中にある本音が憎まれ口でコーティングされて口から出てくることが殆どなのだ。

無論、そのことはミロも十二分によく知っている。カッコつかないとか何とか、もちろんそれもあるだろうが、本当の理由でないことは明確で、照れ隠しの要素が多分に含まれていることはわかりきっていた。

「あ……りがとう……」

ミロは表情を和ませ、柔らかな微笑みを浮かべた。

「今日は1日、ずっとお前と一緒にいてやるよ……」

偉そうにそう言ってから、カノンは静かに身を寄せ、ミロの唇に自分のそれを重ねた。

平素の彼らしからぬカノンの行動に不意をつかれたミロは、思わず驚きに目を瞠ったが、理性よりも先に体の方が反応していて、既にカノンの身体をきつく抱きしめていた。そしてカノンの方から求められた口付けを、より強く、深いものへと変化させながら、ミロはゆっくりとカノンを押し倒して行った。

「ちょ、ちょっと待て、ミロ!」

完全に床に押し倒され、深く執拗な口付けを施されていたカノンだったが、酸素を求めたミロの唇が一瞬離れた瞬間に、その先を制止するような声を張り上げた。

「……何だよ?。今度は正真正銘、お前が煽ったんだぞ。ここまで来て、止まれるわけねーだろ」

もうすっかり気持ちも体も準備OK状態になっているミロは、突然嫌がる素振りを見せるカノンに向かって思わず眉間を寄せた。止まれと言われても止まれない状況にまでなりつつあるし、そもそもこう言う状況に誘(いざな)ったのはカノンの方だ。

「バッカっ……こんなところでなんて、オレが痛ぇじゃねーかっ!!」

もちろんカノンも最初(ハナ)っからそのつもりでは来ていたわけだし、誕生日なのだから今日はミロの好きにさせてやるつもりではいたのだが、今この場で突入と言うのはさすがに勘弁して欲しかった。カーペットが敷いてあるとは言え、フローリングの床の上では背中が痛くて堪らない。せめてソファの上ならまだしも、このデカイ男2人では、いずれソファの上から転げ落ちることは必至である。いずれにせよ、痛い思いをするのは、多分自分である。

「黄金聖闘士がフローリングの床くらいでギャーギャー言うなよ」

「黄金聖闘士だって痛いモノは痛い!」

組み敷いているミロの方はいいかも知れないが、カノンの方はミロの重みまでも受け止めなければいけないのだ。ついでに言うなら、やはりリビングのカーペットは汚したくない。汚してしまったら後が厄介だからだ。カノンはミロを睨み上げ、これ以上進ませてなるものかとミロの胸を押し返した。

「ったく、しょーがないなぁ……」

カノンのワガママ(ミロには完璧にそう見えている)に呆れつつ、ミロは溜息を一つつくと、カノンから渋々体を離した。カノンがホッとしたのも束の間、上体を起こすより早くに、カノンはひょいとミロに抱き上げられてしまったのだ。

「なっ?!」

何の予告もなくいきなり抱き上げられ、カノンは驚きに目を白黒させた。

「寝室に行けば、文句ないだろ?」

言うなり、ミロはカノンの頬にチュッと軽くキスをした。

「バカッ!、それはいいから降ろせ!。1人で歩いて行ける!!」

気恥ずかしさに顔を真っ赤にして、カノンは怒鳴った。

「ヤダよ。これ、やってみたかったんだもん」

だがミロは、カノンを降ろそうとはしなかった。ニコッと無邪気に微笑まれ、カノンは瞬間返す言葉を失った。

その隙にミロは、カノンを抱えたまま光速で寝室に飛び込むと、カノンにそれ以上の文句を言わせる間も与えずに、ベッドの上に雪崩れ込んだのである。



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